第53話 特秘能力者(22) 最後の狼(12)
壁を突き破り、ガラスを砕き、床を切り刻んだ。
一匹の狼が、一匹の蜘蛛にとめどなく打撃を与え続ける。だがその黒い蜘蛛は、その一切をその長い指で受け止めていた。
「あははははははは!いいぞいいぞ、いいいいいぞおおお!」
施設の中を縦横無尽に駆け巡りながら、狼と蜘蛛は刃を交える。一歩でも立ち止まれば、たちどころにどちらかが肉片になってしまう。赤い火花が闇に舞い、うっすらと両者の顔を浮かび上がらせる。
「いいね!いいねぇ!首をとらんとするその気迫!殺意に満ちた拳!いい!いい!いいぞお、斗真君!」
『眼帯』は満面の笑みを浮かべる。それは、怒り心頭した斗真を逆撫でするのに十分だった。
「クソったれ!!」
斗真の怒りの一撃が、『眼帯』の顔面めがけて放たれる。だが、拳の先に、その男はいない。
「けど、隙が多いなあぁ。」
「!!」
斗真は体をひねり、背後からの攻撃を躱す。
「くっ!」
「そんなんじゃ、ふせぎきれないぜええええ!」
『眼帯』の細い指が、斗真を吹き飛ばす。壁を突き破り、斗真は中庭へと放り出された。
「――おのれ!」
斗真は、建物の影から幽霊のように歩み寄ってくる男を睨み付ける。
月光に照らされて、蝋のような肌がより一層不気味さを増している。
「あはははははは。いいねえ。
その殺意!
その憎悪!
その怒り!
その焦り!
見ていてとっても楽しいぜ!」
斗真は『爪』の先を『眼帯』に向け、次の一手をどうするか思案する。
(――自身の体を変形・変質させる、『身体改造能力』をもつアルケミスト。
ならば、おそらく指以外も変形できるはず。あの強度だ。変形できない箇所を突かなければ、倒せない!)
斗真は相手を睨み付ける。
額。首。肩。腕。腹。脚――
黒い喪服に包まれたそのどれもが、見れば見るほど怪しくなっていく。斗真は見つけられないその弱点に、悪態をついた。
「クソが……」
「おやおや?そろそろ『限界』かぁあ?」
「くっ」
息を荒げる斗真を、見透かしたように『眼帯』はあざ笑う。
斗真の体は既に限界に近かった。それは能力使用による『疲労』ではなく、身体機能としての限界、即ち腹部の損傷による生命の限界である。
(もってあと1時間――)
そう、医術に通じた斗真は自分を診断する。
(だが、このままではそれよりも先にこの『眼帯』にやられる――
そうなっては、少年が逃げる時間もない。一かバチか、突破口を見つけて脱出するしかない。)
斗真は、大きく息を吸う。
「行くぞ、『眼帯』!」
「くくくく。来いよぉ。」
白銀の腕が『眼帯』の心臓めがけてまっすぐに伸びる。それを『眼帯』は右手で受け止め、左手で彼の首を切り落とそうと腕を振り上げる。
と――
斗真の頭部の後ろに延びる柔らかな鬣が、鋼のように硬化する。さらに、その針山のような鬣を『眼帯』に押し付けるように、斗真は前転しながら跳躍した。それはまるで毬の車輪である。回転するその車輪で『眼帯』の左腕を抑えつつ、彼は叫ぶ。
「虚構の皮膚」
「――!?」
一瞬、『眼帯』は何が起きたか分からず、その動きを止めた。
その隙を、斗真は逃さない。足先にもあるその『かぎ爪』を、『眼帯』の頭上から足先まで振り下ろす。
「――!!」
「浅いかっ!!」
斗真は攻撃を防がれたことを確認したのち、瞬時に後方へと飛び退き、構えをとる。
「――」
『眼帯』は何も言わなかった。いや、何も言えなかった。何故なら、その真っ白な顔にあったその口は、もはや存在しないからだ。
斗真のもつ能力『疑似治癒能力』は疑似細胞を作り出す能力である。彼は輸送車から脱出するときと同じように、眼帯の口と鼻に、『人口皮膚』を創りだし、その孔をふさいだのである。
「どんな超人的な能力を持っていようと、ダイバーズは『人間』だ。」
血を吐きながら、斗真は言う。
「呼吸できなければ活動できない。
しかも、貴様の戦闘能力は常軌を逸している。あれだけの戦闘行為をしていれば、その分余計に酸素も必要となる。」
『眼帯』は、じっとその見えない視線を斗真に向ける。
「今、お前の口と鼻をふさぎ、呼吸を不可能にした。その細胞は口の内部はおろか、咽頭の奥にまで達している。俺の能力の保存時間が切れる2時間の間、決してもとに戻ることはない!」
斗真は息を荒げながら言う。
「あと数分もすれば酸欠で貴様は倒れる。
能力の保存時間はダイバーズの生死に寄らないからな。たとえ俺が死んでも、その皮膚は元に戻らない!」
斗真はその爪を振りかざし、再度『眼帯』に殴りかかる。
そして――
「だが、それまで待つことはしない!俺の家族を殺した貴様を殺し、今、ここで仇をとる!
消えろ、『眼帯』!!」
肉を断つ音が、中庭に響いた。
◇
少年は、膝をついていた。再生された腕を力なく落とし、呆然と切り刻まれた壁を見つめる。
「ボク、は――」
(触れることすら、かなわなかった。
あの『眼帯』という男に、触れることすらかなわなかった。
特に、斗真の役に立ちたいと、そう思った訳ではない。
ただ、自分の家族を殺した『黒箱』という『敵』を、打ちのめしてやりたかった。
自分の体をこんな化け物じみたものにした奴らを、殴ってやりたかった。
だから、これまで自分を人間でないとののしられたその屈辱と怒りと憎しみを、全て載せて能力を使った。
自分は人間なのに、なんてことをしてくれたのかと。
けれど、その叫びは、一瞬でかき消された。
自分が人間であるという思いからくるその怒りを、激情を、一瞬でかき消された。
――何も、出来なかった。)
「ボクは――弱い……」
そして、少年は斗真の言葉に、大きな恐怖を覚えた。
あの声は、もう戻らないという覚悟のこもった声であった。自分を人間として認めている、唯一の人。その彼が、もう自分の元には戻らないと、アレはそう告げていた。
少年の体が、悪寒に震える。
(今、ここで斗真さんと離れ離れになったとしたら、
自分を人間として認めてくれる人間が、いなくなってしまう。
この先誰が自分を人間として認めてくれるのかは分からない――)
自分を今人間として認めている斗真を失うことは、少年にとって大黒柱をとられた家に住むことと同じことである。少年は震える足に鞭を打ち、立ち上がった。
「斗真さんを――助けなきゃ――」
落ちた懐中電灯に手を伸ばし、明りをつける。そして、その光の先を、暗闇の支配する廊下に向けた時だった。
「誰!?」
人が、立っていた。人生に疲れたような顔をした、幽霊のような男だ。少年は、斗真以外の人間がこの施設にいるのなら、『黒箱』の仲間だと直感した。
「っつ!!」
少年は後ろに飛び退き、左手に力を込めようとする。
だが――
「――??」
眠るように、少年から全ての力が体から抜けていく。何も考えることが出来ない。
何も、感じることもできない。
少年の手から、懐中電灯が落ちる。暗闇の中にあったその視界は、さらなる深みへと少年をいざなう。
「とう――ま――」
そして、彼の意識は消えた。
◇
「すまない――」
男は、少年の体を抱きかかえ、慙悔の念に駆られた声を上げる。
彼は、自分の成していることに恐怖を感じていた。
(これから自分が歩むことになる道を考えると、足が震える。
それでも、もう後戻りはできない。
それでも、もう先に進むしかない。)
彼はそう自分に言い聞かせ、左腕に取りつけたホログラムを起動する。
「こちら吉野友継。少年――『ホムンクルス』を、確保しました。」
読んでいただき、ありがとうございました!
さて、最後の狼もいよいよ終盤。
まさかここまで長くなるとは思わなかった。ちょっと冗長的な気がするので、いずれ改稿せねば・・・・・・
それではまた次回。
次回は明日更新予定です。
悪魔は言った
“人の命?――そんなものは、ただのおもちゃだ。”




