第44話 特秘能力者(13) 最後の狼(3)
一人の男が、公園の木にもたれかかっている。
滝のように汗を流し、息を荒げて腹部を抑え込む。
「さすがに……無茶をしすぎたか……」
斗真は天に輝く月を見る。白銀に輝くその球体は、ただ一人夜空にポツンと浮かんでいる。その光は冷たく、手をかざしても何の温もりも感じない。斗真はその月に向かって蒼白い息を吐き出し、ふっと笑う。
と――
「斗真さん、水です。」
斗真の視界に、一つのコップが差し出される。
真っ白な飾り気のないマグカップに、並々に水が入れられている。
「ああ、ありがとう勝輝君」
斗真は力なく微笑んで、その水を一気に飲み干す。口元からあふれ、したたり落ちた水を袖口でぬぐうと、斗真は少年にマグカップを渡した。
「すまなかったね。水を汲みに行ってもらってしまって。」
「いえ。これは創造体ですし、特に問題はありません。それよりも――」
少年は斗真の体に視線を移す。斗真の服には、汗と赤い血がにじんでいた。
「その、体は大丈夫なんですか?」
「ん?ああ、これかい?」
斗真は服を指でつまんで答える。
「大丈夫だ――といいたいところだが、正直この状態ではあまり歩き回りたくないというのが本音だな。
今までは僕の疑似治癒能力で傷を覆っていたから良かったけれど、保存時間が切れてしまってね。ちょっとその間は動くのは避けたいかな。」
斗真はそういって咳き込む。口を手で覆い、その咳とともに口から出た血を眺めて、斗真はため息をついた。
――限界が近い……
斗真は不安げな顔をする少年に微笑み、そして言った。
「僕は大丈夫さ。それより、君は大丈夫かい?最初は……すまなかったね。あんな乱暴な方法でしか君を連れ出せれなかったこと、情けない限りだ。」
「いえ、大丈夫です。それに――体が創られれば……傷は無くなりますから……」
「――そうか。」
一呼吸置いた斗真は、少年に確認をとった。
「……勝輝君、ここに来るまでに大体の経緯と状況については説明したけれど、それについては覚えているかい?」
少年は小さくうなずき、斗真を見下ろしながら答える。
「はい。その、伊豆大島研究所ではなく、斗真さんが信頼できると言っている飯塚さんという方の元へ助けを求めにいくのですよね。そのために、この先にある一宮医療センターに行くのだと。」
「ああ、そうだ。飯塚修二、現在60歳になるご老人だが、今でも現役で医学の第一線で活躍する人だ。そして、俺の恩師でもある。
あの人は俺に命とは何かを示してくれた人だ。俺の命に対する考え方は、あの人の考えを参考にしたんだ。だからきっと、草薙や大島とは違って……君のことを人間として認めて接してくれるはずだ。」
「……」
少年はカップに視線を落とす。
能力が使えるということ自体が少年を人間であると自覚させてはいたが、それは少年の心に巣食う『自分が人間でない』という恐怖を払拭することにはなっていなかった。少年にとってその“自覚”を“自信”に変えてくれるのは、自分が人間であると認める斗真という存在だ。例え大島たちが少年をホムンクルスとして認めていなかったとしても、斗真という存在が少年を認めている限り、少年は人間であることに自信を持てた。だから、新たに自分を人間として認めてくれる人がいるのなら、それは少年にとって願ってもないことだった。それを拒否する理由はない。
だが、だからこそ少年は分からなかった。
何故、自分を人間として認める準備があると言った、草薙――『フウジン』を斗真は拒絶しているのかと。その飯塚修二という人物が自分を人間として認めてくれるのであれば、それはそれでありがたいが、それがどうして草薙の元を離れなければならないのか、理解が出来なかった。
それに、もう一つ気になることがあった。
「あの、斗真さん。1つ聞いてもいいですか?」
「うん?ああ、大丈夫だよ。ただ、ちょっと息が続かないところがあって聞き取りにくいかもしれないが、そこだけ許してくれ」
斗真は汗だくになりながら微笑んだが、少年の一言で、その笑顔は消えた。
「あの――『銀狼会』って、なんですか?」
少年と斗真の間に、冷たい風が吹いた。
斗真という人間を信じるために全てを知りたいという、願いを込めた眼差しが斗真に注がれている。そして、自分と家族をひどい目に合わせた『黒箱』とは違うことを確かめたいと、そう思っている目だった。
(すべてを話せば、少年にとって自分は『敵』になるかもしれない。だがそれでも、ここで嘘を言うよりかはましだろう。
もし嘘を言えば、きっと少年は今後自分を信じなくなる。『嘘』という虚構を塗りたくった張りぼての信頼の方が、少年にとって毒にな――
……いや。)
斗真は、一瞬あざけるように口角を上げた。
(ああ、そうか。これは“言い訳だ”俺は結局、今の今まで、自分に正直になれていなかったのか――)
斗真は大きく息を吸い、その冷気を体いっぱいに吸い込む。そして、まっすぐ少年の瞳を見て、こう答えた。
「俺は『銀狼会』という、犯罪者組織の――仲間だ。」
◇
「『銀狼会』。横浜を中心とした暴力団組織。
『BIG MUTATION』以降、ダイバーズで構成された戦闘員を増やし、その組織としての力は比類なきものになった。拠点は横浜のみにとどまっていたが、その影響力は、北は北海道、南は沖縄にまで及び、日本の裏世界を牛耳っていた。」
白衣姿の男が、眼鏡を拭きながら言う。
「『銀狼会』は商業組織だ。海外から麻薬や武器を密輸し、その倍額で日本中にそれらをばらまく。そりゃダイバーズなんて『わけわかんない力』を持った人間が突如として街に跋扈し始めたんだ。自分の身は自分で守らなければならない、という意識が高まっていた時代だ。うまい商売だったに違いなさ。麻薬なんて、快楽と安堵をもたらすってことで、もうそれはそれは飛ぶように売れたらしいよ。なんせ夜寝るのも不安になるような時代だったからね。不安を吹き飛ばしてくれる薬って、とってもいい気分になれるんだぜ?」
男は眼鏡をかけなおし、ニヤリと笑う。
「『アトランティスの戦い』が終わってしばらくすると、さすがに戦時中ほどの売り上げはなくなったらしい。
しかし、だ。
その当時に築き上げた人間関係はきっちりと残ったままだ。政府官僚の大物に取り入り、大企業の社長や警察や軍――当時は『自衛隊』っていう別物なんだが、ま、そういったお偉いさんの首と心臓をがっちり捕まえていたんだ。だから、つい最近まで政治やありとあらゆる業界に対して、それらが求める品を提供する密売をしていた。
だから彼らは、日本最強の犯罪組織として君臨していたのだ。僕たちが現れるまではね。」
男は机の上に置かれたコーヒーを手に取り、その机に腰を下ろす。
「そんな銀狼会には二人の強力なダイバーズがいてね。それが『双狼』という訳だ。分かるかな?お嬢さん。」
「……」
男の質問に、問われた人物はその小さな首を傾げる。
「あはは。やっぱり分からないよね~。なんせ銀狼会を潰したのは12年くらい前だからね。君がちょうど生まれるくらいの年なのかな?」
男はコーヒーを一口飲むと、意気揚々と語り始める。
「『双狼』とは、銀狼会の組長の二人息子のことだ。
彼等は非常に強力な力を持っている――いや、能力が強力、という訳ではなく、能力の扱い方が非常にうまかった、といった方がいいね。彼等の家系――白井家はどういうわけか代々ソーサラーが出やすい傾向にあるらしく、それゆえソーサラー特有の戦闘技法や能力の使い方を『開発』していった。
その最終傑作とも言うべき存在が『双狼』だ。
二人ともソーサラーにクラス分けされるダイバーズで、一人は『疑似治癒能力』。一人は『手刀』と呼ばれるエーテル体形成能力者だ。
大した能力ではないように思えるかもしれないが、驚異的なのはその『保存時間』と『含有率』だ。」
「『保存時間』――はなんとなく分かりますが、『含有率』??」
首を再び傾げる少女に、男はおや、と驚いて見せる。
「あー、そうか。今の時代、大学に入らないと『含有率』の説明はされないのだったか……僕が中学の頃じゃ教科書に載っていたんだが……」
男は1つ咳をすると言った。
「そうだね。ええと、『含有率』は――ま、今は『エーテルの密度』って考えてもらえばいいよ。正確には違うがね。おいおいこの糸川秀則が教えてあげよう。」
糸川はコーヒーを机の上に置くと、指を鳴らす。
「こい、『獅子王』」
その言葉が終わった瞬間、糸川と少女の間に、金色の毛並みを持つ巨大な獅子が現れた。
「こいつは私の召喚体、『獅子王』だ。君も知っていると思うが、能力は『エーテルに自身のイメージを情報として入力して』発動する。私の場合、獅子という情報をエーテルに与え、このような召喚体を構成する。」
糸川はその獅子の頭をなでながら言った。
「ダイバーズはね、生まれつきその能力の『発動条件』・『発動速度』・『エーテルに情報を付与できる範囲』が決まっている。だが、練習することで変えられるものがある。それが、『エーテルに入力した情報の保存時間』と、『含有率』だ。その時間が長いほど、含有率――、ま、密度ってことにしてその密度が高いほど、能力の熟達度が上がる。一言で言ったらレベルアップだ。
まあ、『疲労』も訓練すれば軽減したりできるらしいが、その話はまた今度。
私は、その保存時間が5時間もある最高レベル、所謂SSSランクのダイバーズだ。もちろん、含有率もだけどね。」
「SSS……」
少女が小さく体を震わせる。その様子を見て、糸川はあざ笑うように言った。
「おいおい、そんなに怖がらないでよ~。おじさん、ショックだよ~。」
そうしてから、糸川は眼鏡の奥で不敵に笑う。
「それで、だ。さっき言った双狼は、その保存時間も、密度も最高ランク。すなわち、彼らもSSSランクのダイバーズだ。
彼等が殺した人数は23人。けが人なんていれたら数えきれない凶暴な犯罪者さ。情報の隠ぺいも完璧。かつての『黒箱』リーダーたちよりもそこは徹底していた。だからこれまで特殊部隊も『双狼』を捕まえることはできなかった。」
糸川は歯をむき出して笑う。
「つまりね。『双狼』という人物は、日本で最も恐れられた、最悪のダイバーズの1人ということさ。」
◇
「俺は、君くらいの年の頃はただの悪ガキだった。
兄と一緒に悪ふざけをして遊んだこともあったし、近所の子どもと外で遊ぶ普通の子どもだった。だが、ある時、自分が普通の家の子どもではないと知ったんだ。
それが、兄が人を殺したときだ。」
「人を――」
少年の瞳に、恐怖が映る。その様を見ながらも、斗真はつづけた。
「兄が初めて人を殺したのは、高校に入ってしばらくたった時だった。
家に、スーツ姿の男たちが押し入ってきてね。手に拳銃やナイフを持った、明らかに泥棒とは違う存在だった。当時、僕はおびえるばかりで逃げるしかなかった。戦うなんて勇気、なかったんだ。
だが、兄は違った。兄は、俺を守るために包丁を向けてきた男の首を、その包丁で切ったんだ。」
「――」
斗真はまっすぐ少年を見つめる。
「その日、俺たちは知った。自分の父親が、『銀狼会』という犯罪組織の組長であるということを。
その後俺達は『組長の息子』として扱われるようになった。それまでもある程度普通の家とは違う感覚はあったが、それは家政婦や執事がいたせいだと思っていたが、そういう『ぼっちゃん扱い』ではなくなった。
人を殺すための技を教え込まれ、人を殺める覚悟を仕込まれた。
そうして出来上がったのが、『銀狼会』きっての戦闘構成員、『双狼』だ。」
「戦闘構成員……」
「俺達は『双狼』として、銀狼会に敵対する勢力を倒していった。話術で丸く収まらない場合、ある時は相手を全員病院送りにしたこともあったし、必要であるならば、その命を奪うこともあった。」
「――」
少年と斗真の間に、冷たい風が再び吹き上げる。斗真は目を閉じ、さらに続けた。
「けれど、俺はずっと分からなかったんだ。」
「――分からなかった?」
「ああ。
俺と兄は、二人とも学校で問題を起こす問題児であったことには変わりはないが、『双狼』となってからは違った。
兄は、それをすんなりと受け入れた。きっと、俺より覚悟ができていたのだと思う。
『双狼』としての自分を楽しんでいたことも事実だが、兄の根底にあるのは覚悟だった。『双狼』として生きていく――『銀狼会』の新たな頭として生きていくことを受け入れ、その中で生きると兄は決意したんだ。
だけど、俺は分からなかったんだ。」
斗真は瞼を開け、空に浮かぶ月を見てつぶやいた。
「どうして、自分は『双狼』として生きていかなければならないのかと」
読んでいただきありがとうございます。
ようやく、斗真と少年の二人にお話が戻ってきました(^^;
次回はこのお話全体を通しても重要な内容になっていきます。
お楽しみに!
次回 最後の狼(4) は水曜日零時更新予定です。




