第32話 特秘能力者(1) 動き出した狼(前編)
第一章、最終幕、開演です!
※2019/07/03 大改稿
・長すぎるため前後編に分割。新たに後編として新規「第33話」を作製。
・登場人物の会話に“無理”があったが、それを解消
グラスの割れる音が、静寂を引き裂いた。テーブルクロスは紙吹雪のように宙を舞い、食器は見る影もなく床に散らばっている。
そしてその砕け散った平穏の上を、一人の男が這っていた。
「ひいいい」
「おい、どこ行くんだよ。話は、終わってねぇぞ。」
玄関へと逃げようとする太った男の襟首を、その男は片手でつかんで放り投げる。
「あああ!」
太った男は本棚に投げつけられ、落ちてきた本の下敷きになる。
「だ、だから、お、オレは何も知らないっていったじゃないか!」
太った男は、震える手でひび割れた眼鏡を拾う。しかし腫れ上がった顔には上手く掛けることができず、結局眼鏡は男の顔からずり落ちる。
「ああん?『情報屋』のテメーがしらない訳ねぇだろ?」
襲来者は太った男の腕をとり、後ろ手に取り押さえる。
「あだだだだだ。や、やめでぐれ!侑真さん、オレはほんとに何も知らないんだ。『黒箱』が『賢者の石』もってたなんて、そんな情報初耳だ!」
太った男の変わらない抗弁に辟易した侑真は、男の耳元に口を近づけて言った。
「本当にそうなのか~?お前は『レリック』収集家だろ?絶対に知っているとおもったんだがなぁ。『賢者の石』なんて代物、のどから手が出るほどほしいだろ?『レリック』以上の値打ちもの。お前が『賢者の石』の動きを知らない訳がないよなぁあ。しかもお前は『情報屋』。お前が『黒箱』相手にも商売してるの、知っているんだよねぇ。だからさ、『黒箱』はどうやって『賢者の石』を手に入れたのか、俺に教えちゃくれないか?いやあ、悪いようにはしねえって」
侑真の妙に優しげな声が、男の全身に響き渡る。
「ひっ!い、いや、だ、だから、ほんとにしらないんです!!」
ガクガクと震える男に、侑真は声に出すほど大きなため息をついた。
侑真は焦っていた。
斗真と連絡が取れなくなって半年。家にも半年帰っていない。軍からは重要な事件に関わっているため帰省できないという連絡が来ていたが、斗真の妻は彼の身を案じて、兄である侑真に相談を持ち掛けた。
その話を聞いて侑真は、特殊部隊の背後に『黒箱』の存在を感じ取った。
(何が起こっているかは分からないが、『黒箱』の仲間の息子と関わってからこの事態。明らかに『黒箱』に繋がる何かが起きている。)
そう思った侑真は、『黒箱』と『特殊部隊』に関する情報をかき集めた。が、どんなに調べても何の手がかりもつかめない。困り果てた侑真は、『黒箱』が『賢者の石』を持っていたという話を思い出した。第10隊は科学チーム。もしかすると、これに関する研究か何かでつながるかもしれない。そう考えた侑真は、『賢者の石』に詳しい裏社会の人間から、昔ながらの手段で情報を仕入れようとしていた。
侑真は男から手を放し、汚物を見るような顔をしていった。
「そうか。本当にしらないか。」
「はい。そうです!本当にしらないんです!」
半ば泣きながら言う男に、侑真は低い声で言った。
「そうか。それなら仕方ない。悪かった。」
「へ?」
「なんだよ。俺が謝っているのが気に食わねぇのか。」
「い、いえ、とんでもないです!そ、そんなことはありません!」
『情報屋』は首を大きく横に振る。
侑真は口角を上げて男に声をかける。
「ほら立てよ。手を貸してやる。」
「……は、はい。」
あまりにも不気味な笑顔に、『情報屋』は差し出された手を握るのをためらった。だが、飢えた狼のような瞳が自分を見ている。この手を握らなかった時に何が起こるのか、『情報屋』には容易に想像できた。
だから、男はおそるおそるその手を取った。
ズブリ
鶏肉を包丁で刺したような、湿度のある音がした。
男は一瞬何が起きたか分からなかったが、握られた手を見て悲鳴を上げた。
「ああああああああ」
「おいおい、うるさいぞ。豚野郎。」
侑真は手をしっかり握ったまま男を離さない。
「てが、てがてががががが」
男は今にも死にそうな顔をして血だらけの手を見る。今までなかったはずの刃が、侑真が握る己の手の甲を貫いていた。
「ふん。どうだい?これが俺の能力、『手刀』だ。俺は手の平からエーテル体の刃を創り出すこともできる。こんなかんじになああああ!」
侑真は左手を男の脂肪がたまり切った太ももにあてる。
「ぐああああああ!」
男の悲鳴が一段と強くなる。侑真の左手から黒い刃が現れ、男の太ももを突き刺す。
「どうだ?話す気になったか?お前が知らない分けねえだろ?あれから『黒箱』にも情報ながしてんだろ?知ってるんだよ。俺たちの家族構成やらなんやら暴露したのテメーだろ。裏切り者が!」
なおも泣き叫ぶ男を、侑真は蹴りつける。彼はまるで腕の中に刀を収めるかのように、その二本の刃を格納する。そして男の顔面を、右手で鷲掴みにした。
生暖かい血の感触が、太った男の鼻に伝わってくる。そうしてようやく、男は泣きわめくのをやめた。その瞳は恐怖に染まり、全身をガクガクと震わせている。
「ああ。ようやく話す気になったみたいだな。」
「そ、それは――い、いや、だめだ!話したら殺される!」
「そうか。話さなかったら、今、ここで、俺に殺されるぞ?」
「ひいい!わ、わかった。分かったから殺さないでくれ!」
「じゃあさっさと言え!!」
「わ、わかった!わかりました!はなすから、はなすからこの右手をどけてくれえええ」
涙を流しながら懇願する男を、侑真は手放した。
「ようし。いいだろう。さっさと話せ。」
「わ、わかった。『黒箱』は5年前の『北海道研究所襲撃事件』の時に、研究施設から持ち出したって言っていた!」
「研究施設?軍が最初から『賢者の石』を持っていたのか?」
侑真は眉を顰める。
(もし軍がそもそも『賢者の石』を持っていたのだとすれば、科学チームである第10隊が関わっていないはずがない。だが、そこに所属していた斗真は一度も関わったことがないと言っていた。さすがに軍の研究施設にあるということは信じられねぇが……)
「嘘ついてんじゃないだろうな?」
「こ、この期に及んで嘘なんかつかない!」
男は右手を抑えながら涙ながらに訴える。
「お、オレだってそれはおかしいと思った。だから、全く信じちゃいなかったんだ。あんたから聞くまで、『賢者の石』を持っているなんて知らなかったんだ!」
「――」
侑真は疑い深く男を見下ろす。その様を見て男は悲鳴を上げながら懇願した。
「うそじゃない!かけてもいい!だから助けてくれ!」
男の顔を見る限り、どうやらそれは本当のようだった。
そしてそれが分かると、侑真は言った。
「で。それで、『黒箱』はお前に何を要求したんだ?」
「――」
男が口をつぐむ。
「おいおい。お前は『情報屋』。情報を提供し、金を得る。お前のところに『黒箱』が来たということは、“情報を奴らは求めていた”ということだ。何の情報を渡した?」
「そ、それは……」
口ごもる男に、侑真は両手から刃を出す。
「わ、わかった。言う言う言う!」
男は叫び、大きく深呼吸してから言った。
「『黒箱』はあるものを探していた。」
「あるもの?『賢者の石』ではなく?」
「そ、そうだ。それは――」
◇
「はい、宗次君。これが頼まれていた資料よ。」
「ああ、ありがとう結子。」
ベッドの上で上半身を起こした宗次が、結子から資料を受け取る。
「いつも悪いな。わざわざ病院まで来てくれて。」
「たいしたことじゃないし、構わないわよ。あ、でも、申し訳なく思うなら、今度何かおごってほしーなー。もう半年もこんな感じなんだから。」
「あはは。まぁ、いつかのときみたいに、目玉が飛び出るほど高い場所でなければね……」
「ふふ、楽しみにしているわ。」
宗次は渋柿でも食べたような顔を見せる。
事件から半年が経った今でも、宗次は入院が続いていた。彼はその間任務から外れることになったわけだが、ここ2ヶ月は体調もよく、「ベッドの上で寝ているだけでは退屈」といって特殊部隊がこなす事務的な仕事を自ら進んで引き受けた。
「でも結子、わざわざ直接来なくてもメールで送信してくれてもよかったんだが?しかも毎日なんて、仕事があるのに大変だろ?」
宗次が少し不思議そうに結子を見る。結子は一瞬の間をおいてから答えた。
「いや、一応顔みておかないとじゃん?ほら、ぽっくり死んじゃっても困るしさー」
「いやいや、もう今週末には退院の予定なんだけど……」
「ダメダメ!宗次君はいつもへらへらしてるくせに、急に無茶したりするんだから。誰かが手綱を持って見張っていないとね。ほんとはもう一人くらい見張ってる人がほしいところよ。」
「僕は犬かな?」
宗次と結子はお互いに小さく笑った。赤坂隊長の辞任の件や仕事に追われる状況ですっかり心身ともに疲労していた彼らにとって、その些細なやりとりは心落ち着くものだった。
「そういや、優華とはあれからどうなんだ?」
宗次の言葉に、結子の動きが一瞬固まる。
「うん。大丈夫だよ。最初は、大変だったけど……」
「そうか……」
結子は茜色に染まる夕焼けを見ながら思い出す。
あの事件から数日の間、彼女はまともに優華と会話することができなかった。それでも赤坂の助言があってか、彼女はあきらめることはしなかった。時間はかかったものの、最終的には優華とは「仲直り」できたのだと結子は思っている。ただ、それは彼女の妹の典子の存在が大きかった。優華と姉妹同然の典子が、幼い少女の心を落ち着かせた。優華自身も、結子に対して理解を示したのも、きっと妹の存在があってこそだと、結子は思っていた。結局、自分だけでは彼女と心を通わせることはできないという事実に、彼女は家族の支えに感謝するとともに、小さな無力感を感じ取っていた。
「それで、なんでそんな資料を私に持ってこさせたわけ?」
話を逸らした結子に、宗次は資料に目を通しながら答える。
「……今回の事件では被害が甚大だったわけだけど、そもそもどうして『黒箱』はこのショッピングモールを狙ったのかと思ってさ。」
「え?それなら、軍の見解は伝えたはずだけど。」
結子が首をかしげながらベッドの脇にある椅子に腰かける。
「まぁ、人が多いって言うのは確かにその通りなのだろうが……だったらわざわざあそこじゃなくてもよかったはずだろ?東京ドームとかスカイツリー“跡地”とか。いくらでも他に標的としそうな施設はある。」
「まあ、確かに?」
「それに、あんな召喚体に爆弾仕込むなんてめんどうくさいことをした理由も気になる」
「面倒くさい?」
「ああ。大勢の人を殺すことが目的なら、もっと広範囲に爆弾を仕掛ける方がダメージを与えやすいはずだ。召喚体の体に爆弾を詰め込むのは非効率だ。広範囲に仕掛ければ今回の人数の5倍の犠牲が出たはずなのに、彼らはそれをしなかった。」
宗次が目を細めて資料を見つめている。結子は、彼が何を考えているのかを理解した。
「――宗次君、あなたは、『黒箱』が不特定多数を狙った訳ではなくて、特定の『誰か』を狙ったと思っているのね?」
「ああ。だから、この死亡者リストを見れば何か分かるかと思ったんだが……」
宗次はずらりと書かれた死亡者リストを見てため息を出す。
「だめだ。さっぱり分からん。『黒箱』に関係していたと思しき人物の名前はない。これは一人一人調べるだけで骨が折れそうだよ。年齢性別、職業もバラバラ。何も一貫性なんてない。」
「でもそれなら、やっぱりこの吉岡夫妻が怪しいんじゃない?」
宗次は腕を組んでうなる。
「確かに『黒箱』幹部である糸川秀則と接触していたから、その線が濃厚なんだが、決定打がない。吉岡夫妻は『獅子王』に殺されたと報告書にあった。だったら、あの『蜘蛛柄の女』を創った理由が分からない。最初から『獅子王』で殺せるのに、『蜘蛛柄の女』を用意する理由は何だ?
それに、吉岡夫妻と『黒箱』のつながりは認められなかったんだろ?こないだ持ってきてくれた資料にはそう書いてあったけど?」
「ええ。吉岡夫妻の自宅を捜索したけれど、一切『黒箱』に関係する物的証拠は見つからなかったわ。それに、第10隊の報告でも、少年からも『黒箱』に関する証言は得られなかったとあったし。」
結子の言葉に、宗次は安心したように言う。
「吉岡勝輝、かぁ。彼が一命をとりとめたと聞いたときは安心したよ。目の前にいた少年が死んでいたというのは――流石に堪えるからね。」
「彼は遠い親戚に預けられることになったそうよ。」
「そうか……」
「――まあ、彼だけじゃないけれどね……。家族をあの事件で失い、親戚の元に引き取られた子供たちは……」
「そう、だな。俺たちが、もっと早くあの爆弾に気が付いていれば――」
宗次は街並みに沈みゆく太陽を見た。既にその形はほとんどなく、夜の闇が街に覆いかぶさろうとしている。
(そうだ、もっと早く、気づいていれば――)
彼の後悔が、濃い藍色の空とともに、ゆっくりと部屋に染まっていった。
読んでいただき、ありがとうございました!




