第23話 秘密(7) 少年とペンダント(前編)
少年の前に、ひとりの男が現れる。それは――
目を覚ますたび、ガラスを割るほどの絶叫を部屋に響かせながら、少年は暴れた。
そしてそれを取り押さえるかのように、男たちは少年を殴った。
少年は体が崩れていく恐怖に耐えきれなかった。目を覚ませば、全身を虫が這うように恐怖が足の先から頭へと伝わってくる。体についた見えない虫を振り落とすために、少年はベッドの上で右へ左へと転げまわり、周りの機械や布団を投げ飛ばした。それでも、その恐怖は少年から取り払われることはなく、その状況は結局4日間続いた。
口もきけぬほどに枯れ切ったのどは、5日目にしてついに叫び声を上げなくなった。恐怖は少年の思考を完全に低下させ、その顔から生気を奪っていた。少年は動くこともなく、乳歯が抜け落ちるように崩れていく目や腕を、その髑髏の虚で眺めている。叫んでも叫ばなくても変わらない体の状況に、少年は絶望を通り越して何も感じなくなっていた。白衣の男たちが腕や目玉を回収し、少年の体に触れ何かしらの検査をしていても、少年は何も言わなかった。声を発したところで、自分の声は今の自分の状況を改善することにならないと、少年はこの4日間で味わっていた。
恐怖によって食いつぶされ、穴の開いた心は無気力と無力感によって埋められていた。
少年のその無の中に、人の温かみが注がれたのは、10日くらい後のことだった。
「やあ、坊や。起きたかい?本日の食事は栄養満点のおかゆだ!いつものおかゆとは一味違うぞ!なんと醤油味だ!」
無精ひげを生やした白衣姿の男は、毎日朝昼晩と少年に食事をもってきていた。そのすべてがおかゆだったのは、きっと少年が固形物を食べられるのかどうか判断がつかなかったせいだろう。男は少年をいつも殴りつける白衣の男たちと仲間ではあったが、彼は一度も少年を殴ることがなかった。だから少年は、思考の停止した中でも、彼を他の白衣とは違うというあいまいなカテゴリーに入れて区別することが出来た。
「ほら、起き上がれるかい?」
彼は少年の背中と腹を支え、ベッドの上で起き上がらせる。不用意に力を加えれば彼の腕や目玉が衝撃で落ちかねない。
「よし、だいじょうぶだね。自分で、食べられるかい?」
「……」
少年は男が差し出す白いスプーンを手に取る。震える手で、膝の上に置かれた御粥をすくう。もう何度か握っては落としていたスプーンだったが、その時初めて、少年は自分の口におかゆを最後までもっていくことが出来た。
その様子を見て少年よりも喜んだのは、その男だった。彼は我が子が初めて立ったとでもいうような、喜びに満ちた笑みを浮かべて言う。
「おお、いいじゃないか。その調子その調子!『リハビリ』にもなるからね!」
その瞬間、少年の腕は肩からボロリと外れて落ちていった。少年はその様子を見て小さく体を震わせ、腕からすぐに視線を外した。
男は哀しそうに微笑むと、少年に気にすることはない、と言って代わりにおかゆを口に運んでいった。
◇
ちょうど2週間が過ぎたあたりには、少年は会話ができるほどになった。と言っても、おかゆを持ってくる男にだけではあったが。
「白井斗真?」
「ああ。ぼくの名前だよ。白井斗真。歳は今年で38だ。君の名前は?」
「……吉岡、勝輝」
「勝輝君か!いい名前だね。輝くって字がまたいい。男の子って感じだね!」
中背の男はにこやかな笑顔を見せて右手を差し出した。
「遅くなったけれど、僕が君の主治医だ。よろしくね、勝輝君」
白井斗真という男は、時間をかけて少年が置かれている状況を説明した。10月1日に起きた『黒箱』によるショッピングモール爆破事件で、少年は『体』を失ったということ。そしてその失った体を、エーテルが細胞化してできた『創造体』によって補っているということ。医療チームはまだ『体』のどこまでがエーテルでできているのか、判断できていないのだと言った。
「でも、怖がることはないよ。実はこの世界には、ダイバーズがかかる『エーテル化喪失症』という病気があってね。能力を使っていると、能力をよく発動させている体の部位が、オドによって浸食されてしまうことがあるんだ。そうなるとオドと細胞が結合し、水晶や宝石のように結晶化してしまう。そして、結晶化した部位はいずれ肉体から剥がれ落ちてしまうんだ。」
少年は驚くとともに、それはやはり恐ろしいことだとおびえたような顔を見せる。
「ああ。ごめんよ。怖がらせてしまったね。でも安心してくれ。確かに30年前までは『エーテル化喪失症』は治せない病だったけれど、世界中のダイバーズと医療関係者が協力して、治療方法を編み出したんだ。完治には時間が大分かかるし、難しいところはある。けれど、決して治せない病ではないんだ。君の体は結晶化していないけれど、これと似た現象がみられる。だから君の体も、しっかりとした治療を行えば、きっといつか治すことが出来るかもしれないんだ。」
その言葉に、少年はここ数日の中で最大の安堵を覚えた。
『病名』があるのであれば、理解できるものなのだと。何も分からない得体のしれない『何か』ではなく、世間に知られる『病気』であるのなら、まだ救われる道があるのだと、彼は思ったからだ。
「そう、なんだ。」
少年のほっとした様子を見て、斗真は様々な話をした。最初は最近見たテレビの話だとか、同僚の話など、本当にたわいもない話だった。
それから日がたつにつれ、彼は少年に『大事な話』をしていった。斗真は少年に大きな負荷を与えないようにしたかったのだ。彼が話したのは両親の死、これから施設に預けられることになるだろうということ、そして、事件の内容についてだった。
少年は、本当は初日の時点で、自分の両親が死んでいるということをなんとなくだが理解していた。だから、両親が死んだことを聞いても、最初の日のように叫んで暴れるようなことはなかった。ただ、普通の子どもと同じように、悲しみで頬を濡らした。
「大丈夫かい?」
「……うん。」
落ち着きを取り戻した少年に、斗真は聞いた。
「僕は医者だけど、所属しているのは『能力者特殊部隊第10隊』っていうところで、ええと、つまり、軍人なんだ。」
「軍人……」
少年はあの日出会った2人の人物を思い出す。あの宗次と結子と呼ばれていた2人は、スパイごっこをしている訳ではなく、きっと本物のスパイだったのだろうと、そう思った。
「おじさん、ダイバーズなの?」
「ああ。そうだよ。僕の能力は『疑似治癒能力』。けがをした人の体を創造体でできた細胞で、応急処置を施す能力なんだ。」
「応急処置?完全には治せないの?」
「ああ。そうだよ。何故なら、エーテルで作られたものは何であれ、時間が経つと霧散してなくなっちゃうからね。それはつくられた細胞も同じ。僕が能力でケガをした人を治しても、傷を覆った細胞は創造体。いずれ保存時間が切れてもとのエーテルに戻ってしまう。そうなると――」
「また、傷口が開いちゃうんだ。」
「そういうこと。勝輝君、頭いいね!」
少年は斗真の言葉に照れくさそうに小さく微笑んだ。少年のその微笑みを見て、斗真は安堵した。そして話を進めることが出来ると判断した彼は、すぐに真剣な表情をして言った。
「それでね。僕は君にいろいろ聞かなきゃいけないんだ。無理をして話してくれる必要はないから、分かる範囲で、でいい。僕の質問に、答えてくれるかな?」
「……うん。いいよ。」
「そうか――」
彼は再び微笑むと、手に持っていた薄いガラス製のタブレットを起動させた。それをテーブルの上に置くと、少年の小さな丸い顔と斗真の薄いひげ面の顔が映し出される。彼は録画の準備が整うと、少年の顔をまっすぐに見つめる。
「それでは、まず1つ。君のお父さんとお母さんについて聞きたいんだけど、大丈夫かい?」
「……うん。」
「君のご両親は、どんな仕事をしていたのかな?」
「うーん。よくはわかんない。お父さんもお母さんも、お仕事ってしか言ってなかったから、なんの仕事しているかまでは……」
「そうか――」
斗真は視線を一瞬外してから、さらに続けた。
「お父さんとお母さんは、何か君に言い聞かせていることはなかったかい?たとえば、能力を使いこなさなければならない、とか、ダイバーズはすべての頂点に立たねばならない、とか。そして――『セカンド』と『アトランティス』とかね。」
少年は小さく首を傾げた。そして険しい顔をして、曖昧な記憶をたどろうとする。どうにも思い出そうとすると、まるで穴があけらたようにその光景が掻き消えてしまう。まだ完全に回復していないせいかもしれないから、無理をする必要はないと、斗真は言う。だから、少年ははっきりと思い出せた内容を答えた。
「うーん。言ってたような気がする。たしか、お父さんとお母さんが二人でいる時に言ってたと思うよ。あ、そうだ。アト……なんとかっていうの、電話で言ってたのを聞いた……と思う。」
「――その、電話の相手はわかるかな?」
少年は斗真があまりに深刻な顔をして聞くので一瞬口を詰むんだが、小さく答えた。
「え、ええと。結構毎回いろんな人としゃべってたと思うよ。糸川さんとか、黒岩さんとか。」
「――そうか。」
斗真は確信した。十中八九、この少年の両親は『黒箱』の構成員であったと。
『セカンド』『アトランティス』。それは、『黒箱』のメンバーがお互い同じ『黒箱』に所属する仲間であることを示す合言葉だった。そして、彼の両親が組織の中でかなり上位にいる存在だとも分かった。幹部の1人、糸川秀則、そして『黒箱』リーダー黒岩豪鬼。彼らと直接連絡の取れる人物は少ない。少年の家はとっくに捜索されていたが、『黒箱』に関する痕跡が一切残されておらず、あとは少年の事情聴取のみが頼りであった。だから、彼のその発言は今後の『黒箱』への対処に大きな貢献を果たすことになると、斗真は確信した。
そして斗真はあることに気が付いた。
第10隊は監視カメラだけでなく、被害に遭った一般客が撮っていたビデオ映像も解析した。そして、そのうちの一つに、少年の両親と糸川が会話している姿が写っていた。その口の動きを第10隊は解析し、彼の両親が何を言っていたのかを明らかにした。
その内容の1つに、少年の母親が『そんなものは知らない』『持っていない』というセリフがあった。斗真は、もしかすると何か少年に託していたのではないか、そう考えたのだ。
斗真は少年に向き合い、尋ねた。
「もしかして勝輝君、なにかご両親から大事なモノを受け取ったり、どこか隠し場所を聞いていたりしないかな?」
「……あ」
少年は思わず声を上げてから慌てて口をふさいだ。
流石に、まだ知り合って間もないこの男に、あのペンダントのことを言うのははばかられた。だが――
「なにか、知っているのかな?」
「――」
「ああ、いや、無理に答える必要はないんだ。でも、もし、お父さんとお母さんから何か言われているのであれば――」
「ペンダント」
「え?」
少年はあることに気づいた。
いま、自分はあのペンダントを持っていない、と。あれだけ苦心して探し出した、唯一母親から守ってくれと言われたあのペンダントを、今、自分は持っていないと。それが少年にとって何よりも問題だった。だから、少年はあのペンダントがどこにあるのかを斗真に聞いた。
「え?ぺ、ペンダント?」
「そう。お母さんに大事にもってろって言われたペンダントがある。星の形をしたやつ。ここにない!?」
「ええと、ちょっと待っててね。あの爆破の時にその場にあったものは、別の場所に保管されているんだ。これから同僚に聞いてみるよ。」
斗真は右腕に付けたホログラムを操作し、同僚に連絡しようとする。
だが、その動きは少年のある言葉で止まった。
「そう。その真ん中に、真っ赤に光る石があるんだ。」
「え――なんだって?」
斗真が目を見開いて少年を見る。口は空いたりふさがったりとまるで魚のようだ。
「うん。赤い石だよ。」
「そ、それって――何か、ご両親たち言っていなかったかい?それが、何かを。」
「言ってたよ。とっても大切なモノだって。確か――」
『賢者の石』って。
読んでいただき、ありがとうございます!
まだすっきりしない部分も多いですが、これからどんどん勝輝の秘密に近づいていきます。
賢者の石・・・・・・ざわざわ!
さて、この白井斗真ですが、少年にとって非常に大きな意味をもつ人間の1人です。
そして、彼は『主治医』と言っていますが――?あれ?変ですね。『主治医』といえば『飯島』という老人がいたはずですが・・・・・・??
そして、白井斗真の持つ『疑似治癒能力』に関して一言。
彼の能力名が『疑似』になっている点に注意していただけると、今後のこの世界における『能力』の面白さを楽しんでいただけるかと思います。この話を読んでいただいている方の中には、もう予想している方がいらっしゃるかもしれませんが(笑)。
それでは、次回『少年とペンダント(後編)』お楽しみに!
明日零時更新です!
勝輝の秘密まで、後、4話――




