第47話 ヤタガラス(3)
「おいおいおいおい。そんなんじゃ隠れているうちに入らないよ?ぼーや。」
乾いた笑い声が、森に響く。しかし男の呼び掛けに対し、森の中は静まり返ったままだった。
「……んだよ、出てこないのかよ。じゃあ――」
紫苑の刃が風を斬る。水を撫でるように滑らかに、紙を斬るように鮮やかに、男は腕を振っただけで森を両断した。そびえる大木はゆっくりとその巨体を傾け、破裂音を響かせながら周りの木々を押しつぶす。
「さーさーさぁー!出てこねーと次にこうなるのはお前らの首だぜぇ?」
「あいつは――」
男の気色の悪い笑みが、高木の背筋を凍らせる。以前にも感じた、“人ならざる得体のしれない気配”。およそ常人が持っていていいものではない、明らかに“何かが違う”という感覚。言葉で言い表せない恐怖に、彼の体は震えた。
「アレは……ダイバーズ、だよな?」
「……たぶん。」
「……」
山田は己の発した返答に、思わず苦笑する。
漆黒の闇の中で、蝋のような白い顔が笑っている。息が詰まる様なプレッシャー、吐気すら感じる怖気を放つ、どんな肝試しよりも恐ろしい化け物が、立っている。その現実を受け入れられない自分がいることに、彼女は嗤うしかなかった。
「ああ、あんたが怖がる理由、よくわかったわ。
どう見たって人間なのに、何か違うモノを見ている気がする。」
「ああ……」
「……でさ、この状況、どうする?」
震える山田の問いに、高木は生唾を飲み込んだ。
「優華。あいつから逃げられると思うか?」
「……無理ね。」
「……」
「あれだけ広範囲の攻撃を、しかも一瞬で森を切り倒すほどの威力で繰り出せるなら、たとえ逃げても背中を撃たれるのが落ちよ。せめて何の能力かさえ分かれば、対策も立てられるのだけど。」
「やっぱそうだよな……」
高木はチラリと綺麗な切断面をした切り株をみやり、今にも凍え死にそうなため息をつく。
「悪いが、俺はあいつと戦って勝てる自信がねぇ。情けないことに、膝が震えている。」
「勇人?」
山田はその言葉に、思わず高木を見た。
額には汗が吹き出し、震える体が息を詰まらせている。恐怖によって目は見開き、瞳孔は小さく絞まっていた。
けれどその目は、まっすぐに化け物を見据えている。
「――あんた、まさか自分が時間を稼ぐとか言うつもり?」
「それ以外に何かやれることがあるのか?」
「正気!?あんなの、一人で立ち向かったって10分ももたないわよ!?」
「分かっている!だから10分だけだ!それだけなら、なんとかなる……いや、してみせる!だからーー」
「その間に、あんたを置いて逃げ出せって?ふざけないで!」
息が感じられるほどに間近に迫った顔に、負けじと山田は言い返した。
「あたしは言ったわよね?あたしは戦えるようになりたいって。」
「それは分かる!だが、早すぎる!アレは本気でヤバいやつだぞ!?仇打つ前に死ぬぞ!?」
「――あんた、あたしのこと分かってないわね?」
山田は自分を押し倒している男の首の後ろに手を回し、そして――
「いたぁ!」
――思いっきり、頭突きを喰らわせた。
「いででで!何するんだよ!」
「あんたね、あたしが仇を討ちたい理由は、家族を大切にしているからって言ったわよね?」
「あ、ああ。そうだが――」
「そうよ。あたしは、家族が好き。家族が大切だから、仇が打ちたい。けどね、それとおんなじくらい、友達だって大切なのよ!!」
「……!」
目を見開く高木に、山田はため息をこぼす。
「――あんた、あたしを守るために時間を稼ぐって言ったわね。そっくりそのまま返してやるわ。」
彼女は、強く叫んだ。ためらいなく、迷いなく、己の心に正直に。
「あんたを逃がすために、あたしが時間を稼ぐ!」
「!?」
「あたしは友達を見捨てて逃げるなんてことはしない!」
「だ、だが――」
「けれど、無謀な戦いもしない!あたしは自分の実力がどのレベルか分かっているし、どう行動するべきかも分かっている!だから、とる手段は1つだけ。」
「!?それは――それじゃ、お前……」
彼女は震える口角を、小さく上げた。
「一緒に、戦うわよ。」
その言葉に、高木は異論などできなかった。恐怖を堪えて導きだした答えに、なんの異論を唱えることが出来ようか。ましてそれが“友”の言葉ならなおさらだ。そして、高木という人間は、そういう“想い”を何より尊重する男だった。
「――わかった。」
「……うん。」
◇
「私に、用がある?」
大原は男の言葉に、一歩後ずさる。
「ええ。特秘能力者『ククリヒメ』。世界10大能力が一つ、感情を操る力を持つ貴方に、この国の未来を変えるために是非とも協力していただきたいのです。」
「!あなた、どうしてそれをーー」
その言葉に、勝輝は彼女の怯えた瞳を睨みつける。自分から情報を相手に渡してどうするのか、と。
そして案の定、男はニヤリと笑い、言葉を連ねた。
「やはり、そうでしたか。情報は得てはいたものの、私個人としては情報源が信用ならないモノでしたので、些か不安だったのですよ。貴方の口からそう言っていただけて何よりです。」
「!」
ようやく事態に気が付いた大原だったが、時既に遅し。その一言で、男が知りたい情報は全て揃ってしまっていた。
「世界10大能力そのものの情報は得ています。対人類種用に開発された、特殊能力。旧約聖書『生命の樹』に名を冠する、最強の10種……。誰がいつどうやって生み出したのかは分かりませんが、今の我々にとってはその理由よりも用途の方が重要です。」
「……用途?」
「ええ。貴方の力は他人を無意識下で支配できる。いえ、煽動する、と言った方がいい。」
「……」
「先の大戦において、同じく『ネツァク』を保有していたアトランティス側のダイバーズ、『ハニエル』。彼は制圧した中東諸国の人々に、煽動能力としての極地『命樹:アジテーション』を用いました。その結果、数十万の人間を一瞬にして能力至上主義者へと変貌させ、支配することに成功したそうな。」
「……」
「貴方がその力を遺憾無く振るえば、万単位のーーいえ、この国に住まう全ての人々を、我らが兄弟にすることができます。」
「あなた、そんなことを本気でーー」
「まさか。そんなわけ無いでしょう。」
「!?」
男の言葉に、大原は眉を顰める。
「私は理想主義者ではありますが、現実から目を逸らすほど愚かではありません。勿論、貴方の力を用いてそれを行えば、血を流さずして我らの悲願は達成される。この国が第二のアトランティスとして生まれ変わることが、たった一度の能力行使で可能になるのであれば、それは願っても無いことです。ですがーー」
男の眼光が、鋭く光る。
「あなたに、その実力はない。」