第44話 足立の秘密(後編)
「せんぱーい。陽子の話、聴いていました?」
「え?あ、ああ。」
「あ、やっぱり聞いていませんでしたね!先輩、なんだかとっても難しい顔をしていましたし。」
「ははは。ちょっと考え事をね。」
「むぅ。」
「いやぁ、ごめんごめん。」
井上は肩を竦め、頬を膨らませる彼女に謝罪する。
(……流石に、今そう決めつけるのは早計だし、勝手すぎる。根拠なく彼女の両親が『黒箱』と同じ考えの人、というのは失礼極まりないだろう。何かしらもっと大きな事情があるのかもしれない。
まったく、教員を目指しているとはいえ、人の事情をあれこれと深く考えすぎるのは僕の悪い癖、だな……)
彼は再びふくれっ面の足立をみやる。
無邪気で裏表のない、子どものように不満を訴える一人の女性。頬を膨らませていながらも、その瞳にはキラキラとした輝きが宿っている。
どうみても虐待を受けているようには見えない、一人の女の子が、そこにはいた。
「――――――」
「??先輩?」
井上は大きく息を吸い込み、違和感のないように質問した。
「足立さん、ちょっと気になったんだけれど、一つ聞いてもいいかな?」
「なんです?改まって。」
「足立さんは、どうやって能力をコントロールできるようになったの?」
(誰かが足立さんに“条件付け”の訓練をさせていたのは間違いない。この2090年代現在において、能力の条件付けは虐待に分類されている。
彼女のトレーナーとしてというのももちろんだが、ダイバーズを教え導く教員を目指す者として、虐待の可能性を見過ごすことはできない。それが『黒箱』のような思想に似通っていると言うのならなおさらだ。
だが、かといって今踏み込み過ぎるのも得策じゃぁない。ひょっとかすると、彼女が自身の能力を使いこなすために行われた特殊な治療による副作用的な効果なのかもしれない。彼女にとって、あまり触れられたくない琴線である可能性だってある。そういう個人的な領域に土足で踏み込むのは、人を不快にさせるだけだ。)
「うーん。」
足立は井上の言葉に皺をよせ、難しい顔をしてみせる。
「これが、実のところよくわからないんですよね~。小さい頃に親がおっきな施設に連れて行ってくれて、そこで能力を使う練習をしたんですが……」
「ですが?」
「密室でいくつか音叉を鳴らして、ある特定の音の鳴る音叉の音が聞こえた時だけ能力を使おうと思ってみて、って。」
「わざわざ密室で……?」
「はい。密室ってエーテルが外部と断絶されていますから、外の音が何も聞こえないんですよ。」
「ああ、なるほどね……」
「まぁ、それを繰り返しているうちにできるようになった、というところですかねぇ。だから原理とかはよくわからないんですよね~」
「……」
井上はやはり自分の考えすぎだったのではないかと思った。確かにそれなら音の聴き分け方の練習になるし、元々神経に直結する感覚系の能力であるが故に、繰り返しの量が多ければそれが彼女の“条件付け”になる可能性は十分にある。音叉ということなら、半径100メートル以内にある特定の波長に反応している、ということも考えられなくはない。
彼は胸を撫で下ろした。
こんなに長く考察していたが、杞憂に終わったようでよかったと。
「そうだったんだね。びっくりした……」
「びっくり?何がですか?」
「いやぁ、何でもないよ。」
「ならいいのですが……もしかして、陽子の背後に幽霊がいるのかと思いましたよ。」
「え?なんで?」
「だって、先輩、こーんな怖い顔してるんですもん。」
足立は目じりを指で釣り上げ、井上の顔を真似て見せる。
「そんな顔していたの?僕?」
「はい。それはそれはもう、やばい!この子の背中にでっかい悪霊がっ!みたいな顔でした!」
「なにその虫がくっついているみたいなノリ。」
井上は彼女特有のテンションに頬を緩める。
「うん。やっぱ、考えすぎか。」
「ん?何がです?」
「いやぁ、君の行動は摩訶不思議だなぁって、そう思っていただけだよ。」
「ふぅーん?……ん?それ大分失礼では!?」
「あははは。だって、『疲労』の対策にケーキを食べるって言いだす人、初めてだったよ?」
「それは先輩が、“何かエネルギーを補給すると言い”って言うからじゃないですか!
わたし、昔はおなかがすいたらケーキを食べるっていう生活だったので。」
「どこのお姫様なのそれ!?」
「あー、その……」
驚愕する井上に、足立はしまったと言いたげな、言いにくそうな表情を浮かべた。
「じつは昔、母がつくってくれていたんです。」
「?」
「母はパティシエになるのが夢だったみたいで、それで仕事から帰ってくると、いつか夢をかなえて見せるって言って、毎晩練習していたんです。」
「へぇ。とっても勤勉なお母さんなんだね。」
「ええ。……結局、母は夢を叶えられませんでしたけど、ね……」
足立の悲しそうな笑みを見て、井上はギョッとした。
何か、自分は大きな勘違いをしているのではないかと、そう思った。
「それは……夢を、諦めてしまった、のかい?それとも――」
恐る恐る尋ねたその問いに、足立は力なく笑った。
「ええ。そんな感じです。」
「……」
悲痛な、笑みだった。普段の彼女からは一切想像もできないような、哀しい笑みだった。
井上は、その笑顔に心を痛めた。故に、それ以上どう話をしていいのか、分からなくなった。
「で、だから母の試作品をよく食べていた、という訳ですよ!決してお姫様じゃぁ、ありませんよ~。」
「あ、ああ……」
「さあさあ、早く行きましょう!実は陽子、密かにおっきな人2号くんたちより先について、みんなを脅かしたいと、そう思っているのです!」
いつもの口調に戻そうとする足立に、井上は焦った。掘り起こしてはいけない傷を開いてしまったと、そう思った。だから彼は話をそらそうとした。
なんでもいい。家族の話し以外であれば、なんでもいいだろうと、そう思った。
だから、彼は失敗した。
人は無理に話題を切り替えようとする時、その話題に何を選ぶだろうか?直近の出来事?いつかの思い出話?そういうこともあるだろう。
だが、井上という人物は博識であり、些細なことに気が付く人物だった。人の細やかなしぐさや口調から、相手の性格を読み解く人物であり、疑問に対しては徹底的に考察する人物であった。
故に彼は、新たな話題に、“疑問”を提示してしまった。
ただ本当に些細で、特段なんの問題もないような、ちょっと気になった程度の疑問を、口にした。
「あー、えーと、そういえば、何だけど。」
「ん?どうしたんですか?まさかまた幽霊が!?」
「いや、そうじゃなくてちょっと気になっていたんだけどさ――」
幽霊を探す仕草をする足立に、彼はその疑問を突き付けた。
「なんで、“2号君”なんだい?」
「――え?」
足立は予想外の質問にぴたりと動きをとめ、ゆっくりと井上を見た。
「――え?なん、です?」
「いやぁ、ほら、足立さん、高木君のこと、ずっと“おっきな人2号君”って呼んでいるでしょ?」
「ええ。そう、ですね。」
「なんで、2号君、なんだい?」
「どうして、ですか?」
「え?いや、だって、言わないけれど“おっきな人1号”って、もしかしなくても吉岡君、だろ?」
「……そう、かもですね……」
「でも、君と他の4人は、この大学で初めて出会ったんだよね?」
「はい。入学式の日にやった、学科別のオリエンテーションが最初、ですね。そこで学科全員が先生に言われて順番に自己紹介をしたんですが、そこで――」
「だったらさ――」
井上の言葉が、足立の心臓を、強く打った。
「なんで、五十音が先の“高木”が1号じゃなくて、後に来る“吉岡”が1号、なんだい?」
「――」
「それってさ、もしかして君は、吉岡君には会ったことがあるんじゃないのか?」
後に、井上は日記にこう記した。
その時の彼女の顔を、生涯忘れることができない、と。
「――――――――」
初めて、見る顔だった。
それは彼女の表情として、ではない。
20年生きてきて、おおくの人々と接してきて、初めて見る表情だったのだ。
一瞬の硬直。急速に縮まる瞳孔とは反対に、目は大きく見開かれ、凍り付いたように動きを止めた。
その後に来たその顔を、僕は決して忘れることはない。
「先輩――」
「な、なに?」
彼女は一度瞼を閉じ、その瞳孔を元に戻した。
そして彼女は穏やかに口角を少し上げて言ったのだ。
「女の子の秘密を探ったら――駄目ですよ。」
けれど、その瞳は笑ってなどいなかった。
読んでいただきありがとうございます。
さて、誠に遺憾ながら、更新日を9月末まで毎週日曜日に変更したいと思います。
理由は次回章分が書ききれていないことと、
仕事その他が忙しく全く余裕がないから
です。
再び皆様にご迷惑をおかけしますが、気長に待っていただけますと幸いです。
次回「ヤタガラス(1)」お楽しみに。