第43話 足立の秘密(前編)
「さっきの、心臓が止まるかと思いました……」
「そうだね。僕もびっくりしたよ。」
「むぅ。またそういって。井上先輩、全然驚いているようにみえなかったのですが。」
「あははは。」
作り笑いを浮かべる井上に、足立は不服そうに頬を膨らませる。
「なんだか一人で遊んでいるみたいで、陽子は面白くありません!」
「いや、ごめんよ。どうにもこういうのは慣れていてね。だいたいおどかしにくるタイミングって言うのが分かるんだ。」
「むうう。私もこう、先輩みたいに知的になればわかりますかね!」
「いや、そんな深くは考えていないのだけど……」
眼鏡を指でグイッと押し上げる様な仕草をして見せる足立に、井上は苦笑する。
「どっちかって言うと経験、かな。昔から学校や家族でもこういうのはよくやっていたし、おどかす役にもなったことがあるからね。」
「経験、ですか。それは……私には、ないものですねぇ。」
「ない?」
肩を落とした少女の背中に、井上は一抹の不安を覚えた。
「……へぇ。そうなのかい?」
「はい。今まで一度もないんですよ~。」
「一度も……?」
その言葉に、不安が染みのように広がっていく。
それはこの合宿期間中、彼女の担当教官として見てきたが故の、彼女の独特な能力の有り方から導き出されたものだった。
そして彼は、その不安を払拭すべく、足立にさりげなく探りを入れた。
「……僕は、高校の途中までアメリカにいたけど、あっちじゃよくみんなとゲームセンターや公園に出かけて遊んだりしていたんだ。足立さんは、そういうことはなかったのかい?」
「うーん、能力があるって分かるまでは、多少はやっていましたよ~。」
「……能力が、あると分かるまで……?」
「はい。確かに地域のお祭りや学校でそういうのはありましたよ?けど、わたし、小学2年のころに能力が発現して、コントロールが上手くできなかったんですよ。
特定の音だけを聞き分けるってことができなくて、世界中の音が全部雪崩のように押し寄せてきているみたいになって、もう、それはそれはうるさくて……」
「Oh……大変、だね。」
「はい。だから大きな音の出る行事や、感情が急激に変わる様なイベントには参加するなって、親に止められていたんですよね~。ってことで結局、コントロールが出来てもこの歳になるまでそういうお祭りとかイベントごとには参加したことないんですよ。」
「親……」
その言葉に、井上は目を細めた。
「だから、遊べるようになった今!陽子は!みんなで!楽しみたいのです!
で、す、か、ら~!」
足立は井上の顔を覗きこみ、再び頬を膨らませる。
「私だけ驚いているというのは、なんだか一人で浮ついているみたいで、納得が出来ないのです!」
「……」
「だから先輩も驚いてください!」
井上がちいさく「そうだね。」と相槌を打つと、足立は満足げに「そうです、それがいいのです」と謎の持論を展開しながら、蝶が舞うようにふわりふわりと足を進めた。
そしてその後ろを、井上は妙にゆっくりとした足取りで歩みを進める。
彼には、どうにもぬぐいきれない不安があったのだ。
(彼女の能力は、“音が聞こえる能力”ではなく、“音を聴こうとする能力”だ。
遠方の音が聞こえたから能力を発動させているんじゃない。遠方の音を聴こうとして能力を発動させる、能動的なものだ。)
彼は前を行く狐耳の少女の耳を、じっと見つめる。
(これは“音ありき”で音を聞き分ける普通の人間の耳とは、根本的に仕組みが違う。
彼女は本来人間には聞こえないはずの遠方の音を、エーテルの波を固定させて聞き分けている。故に、音が聞こえる前から対象のエーテルを固定させておかなければ、そもそも遠方の音が聞こえないはず。
だからどう考えても、彼女の能力は“反射”的なものでは絶対にないのだ。本来、彼女の力は、自分の意思がなければ発動しない能力のはずなんだ。
なのに――彼女は自分の能力を“反射”的だと言い、確かにバランスボールに載っている時、明らかに自らの意志にも、感情にも依らず能力を発動させている時があった。)
井上は足立の話を半ば聞き流しながら、思案にふけった。
(――これは、異常だ。
確かに能力が初めて発現した頃であれば、無意識的に能力を発動させることはある。ちょっと離れたところにいる人の話が気になって耳を傍立てていたら、本来聞こえないはずの距離だったはずなのに鮮明に話し声が聞こえる、なんて形で能力を持っていることに気が付く人は多い。
だが、それでも意志はある。聴こうとする意志は存在する。
だからこそ、無意識だろうが意識的だろうが、原理的に「聴こうとする意思」がないと発動しないはずの能力なのに、彼女は「能力を使おう」という意識もなしに、力を発動させている。
これは、一体どういうことか?)
井上は蓄えた知識から、即座にその答えをはじき出す。
(結論――彼女が能力を発動させるなんらかの要素が、“彼女の外”にある。
何かもしくは誰かが能力を誘発させている、といってもいい。これはすなわち、能力が外部から何らかの刺激を受けて「条件反射」として発動していること意味する。
能力を使いこなしている吉岡君も同じ結論に達していた。僕以外にも同じ結論に至る人がいるということは、これは間違いない。それに実際、彼女も「自分の意志以外に、条件反射的にも、感情の起伏によっても能力が発動する」と言っていた。
だけど「条件反射」で能力が発動するなんてことは――本来あってはいけないことだ。)
「条件反射」という言葉を、ダイバーズを指導する立場である井上は無視できなかった。なぜなら、熱いものに触れたら手を引っ込めるといった先天的な行動である「反射」とは違い、「条件反射」は後天的に獲得する行動を指すからだ。
ロシアのパブロフは1904年、条件反射についてノーベル賞授与式で演説を行った。それによれば、犬にメトロノームを聞かせて餌を与え続けた結果、メトロノームが鳴っただけで犬は唾液を出すようになったという。
このように生来持っている性質ではなく、メトロノームという「刺激」に「唾液を出す」という新たな反応を、自動的に示すようになることが「条件反射」だ。日本人に最もなじみ深いもので例えるのなら、梅干しを見たら唾液が出てくるようになったと言えば分かりやすいだろうか。
しかしこれが『能力』になると、話は途端に危ういものへと変化する。
もしも能力を条件反射的に発動するようにしたければ、“専用の訓練”が必要になる。しかし、そのような特定の刺激に対して能力を発現させる、もしくは発現させない、といった“訓練”は、普通の一般家庭はもちろん、軍でも行われるものではなかった。なぜなら、基本的に自らの意思で使用していた能力が、本人の意思でコントロールできないものへと変わってしまうからだ。
つまり、本人の意思を尊重させない訓練であり、それは“虐待”として扱われるのである。
そして能力への見識が深い井上は、彼女のこぼした一言とその能力の特徴から、その結論をはじき出していた。
そう、井上の不安。それは端的に言えば、“足立は虐待をうけていたのではないか”というものだったのである。
ダイバーズへの虐待。それは他人の能力をコントロールしようと、無理な教育や過度な制限を課すこととして定義されている。
虐待の事例は様々だが、最も多いのは、ダイバーズでない親がダイバーズである子どもの能力を危険視することによって引き起こされるものだった。子どもは無邪気で自由奔放だ。自分にはない特別な力を持った我が子が、己の言うことを聞かない――そんな状況に恐怖を抱くのは割と自然だ。誰かを傷つけてしまわないか、人様に迷惑をかけないか、そして我が子が、自分自身の力で自分を傷つけてしまわないか……。そういった“大人の心配事”は、子の親であればだれでも抱いてしまうものだ。そして不安が極端に肥大化し、対策が過分になると、しつけという名の虐待が引き起こされる。
“何か分からないもの”を恐れて攻撃的になるのは、人間の獣性ともいうべき本能の一側面だ。特に『能力』という存在への恐怖心は、普通の子どもが起こす奇奇怪怪な出来事や、言いつけを守らない子どもの行動よりも大きい。だから“何か分からないが無理やりにでもコントロールしよう”と思う人がいるのである。
「ん~?先輩、聴いています~?」
自分の顔を覗きこむ足立を、井上はまるで真相を追う探偵のように考察した。
(ただ“虐待”があったとしても……足立さんの状態は、普通の家庭にある虐待とはどうにも状況が異なっている。
最も有名な虐待は、能力を発動させるタイミングに苦痛を味合わせて“これで能力をつかうと怒られる”という印象を与え、“能力を行使させない条件付け”を行うというもの。これをされたダイバーズは特定の刺激だけでなく、根本的に能力を行使することを恐れる。
けれど、足立さんにこれは当てはまらない。足立さんの性格はいたって陽気、能力行使も恐れてはいない。
一方、特定の刺激に対して確実に能力を行使させようとするもの……おそらく足立さんの条件反射はこれだが、これは先の虐待発生の原因を考えると、そんなことをする理由もメリットも、一般家庭においてはほとんどない……)
井上は生唾を呑んだ。
(だからこそ、余計に恐ろしい。
なぜなら、それをするのは、条件反射的に能力が行使できることを“能力の極地”だと、そう考える思想があるからだ。
そういった思想を持つ集団は、『アトランティスの戦い』のさなかにダイバーズを強化させるという名目で非人道的訓練を行った国と――)
――『能力至上主義』を掲げる、犯罪組織だけなのだから。