第42話 本当の願い(3)
「――――――」
風が魂を吹き抜けた――そんな感覚を、山田は覚えた。
感じていた不快感も、何もできない悔しさも、嫌いな全てを掻っ攫っていくように、彼の言葉は彼女の心を吹き抜けていった。
どんなに声を上げても、決して叶うことのなかった願い。それを、他人から言われたのは初めてだった。
守るために戦う――そう、兄は言った。
それは兄の信念だったから。
兄の、志だったから。
だから、自分の願いは絶対に叶えられない。それが叶う時は、兄が志を曲げた時。兄がその信念に挫折した時に他ならない。
――そんな姿は、見たくない。
憧れた兄の背中に、挫折という文字を見たくない。
……でも、本当は、戦ってなんか、ほしくなかった。
ただ、生きていて、ほしかった。
相反する願いに葛藤し、遂に、願いを口にすることは無くなった。
決して両立はしない願い。それを声に出しても、兄を困らせるだけだと、兄の顔に泥を塗るだけだと、そう言い聞かせた。
だから、口にはしなくなった。
たとえ、その兄がもうこの世にいないとしても――
「…………」
己の言葉を口にした男を、山田はじっと見つめた。
彼は、まっすぐと彼女を見ている。その姿は威圧するわけでも、自信に満ち溢れた堂々たるものでもない。兄の信念に似ているけれど、それとも違う柔らかさがあると、彼女は思う。厚かましくも他人の心に土足で踏み込んでくるくせに、なんで苦しいほど暖かいのかと、そう、彼女は思った。
「これまで、優華が能力を使う所をみて、ずっと思っていたんだ。」
高木はゆっくりと、静かに言った。
「きっとお前は、召喚体を命としてみているだけじゃない。何か特別なものとしてみているんだって。」
「……」
「今のお前の叫びを聞いてはっきりした。お前はあのアンを、家族だと思っているんだ。」
「……」
「お前は、自分の家族のことを誰よりも大切に思っている奴だ。じゃなきゃ、お兄さんの仇を討ちたいなんて言い出さない。
だからこそ、だ。家族を大事に思っているお前だからこそ、お前は召喚体を――いや、あのアンという家族を、戦わせたくないんだ。」
「……」
「試合で呼び出すことがあっても、それ以上のことはしない。オドの占有以外の役目を負わせない。きっとあれがフラッグ・マッチ以外の試合でも、お前はアンを呼び出すことをしても、それ以上は絶対にさせない。」
山田は唇を噛んだ。
「……だから、何よ。」
「それはきっと、お前の生み出す召喚体全てに当てはまる。
分かっているだろ?
俺達ダイバーズは、自分の中にあるイメージを形にできる能力者だ。」
「そうね……」
「お前にとっての召喚体のイメージは、たとえ戦闘力を持つ召喚体を生みだせたとしても、家族なんだよ。だから、言いにくいが……お前が“戦闘のできる召喚体”を作れないのは――」
「召喚体を、戦わせるイメージを、持っていないから……」
「そうだ。」
「……」
山田はうつむいたまま、しばらく何も言わなかった。
(薄々、感じてはいた――)
大原が“自分には感情を操るイメージがなかったのだ”と、そうついに悟った時の顔を見て、やっぱり自分もそうなのだと、確信してしまった。自分には戦闘を行える召喚体はつくれないのだと、そう悟ってしまった。
(けれど――だからと言って、仇を討つことを諦めるなんてこと、絶対にできない――)
彼女は小さく震えながら、大きく息を吸った。
「……で、なに?」
「え?」
「あたしが召喚体を戦わせるイメージを持っていないから、そういう召喚体を作れないって言い分は分かった。けれど、それであたしが本当にしたいことは敵討ちじゃないっていうのは、どういうつながりがあるのよ。」
「それは簡単だ。優華、お前は、どんな気持ちで召喚体を生みだすんだ?」
「――」
あっと、山田は小さく口を開いた。彼の口からそんなに簡単にその言葉が出てくるとは、彼女は思っていなかった。高木はもう全てを理解した上で聞いているのだと分かって、彼女は小さな驚きを抱いた。
けれど同時に、なんとなく彼は分かっているんじゃないかとも、そう思っていた。彼の答えに期待している自分がいることに、彼女は少し、驚いていた。
「会いたいから、だろ?」
「……」
「見ていたら分かる。お前が最初に授業で能力を使ったあの時から、お前がアンをどれだけ大切に思っているか、なんてな。」
「……」
「それに、一緒に大学生活を送っていて分かったこともある。」
「……なによ。」
「楽しいだろ。能力を使うの。」
「……楽しい……?」
山田は幽かに首を傾げ、その続きを待った。そしてそれに応えるように、彼は穏やかに続けた。
「確かに、お前は召喚体に思い入れがある。間違いなくそれは俺や陽子や、勝輝がもっていない感情だ。けれどそれを持ちつつも、お前は、俺や陽子のように、能力を使えることを楽しいって、思えているんだ。」
「……何それ、マッドダイバーズ?」
「そうじゃないさ。別に快楽的になっているって言う訳じゃない。」
高木は朗らかな笑みを浮かべる。
「ただ、俺はさ、思ったんだよ。たった1ヶ月しか経っていないけれど、お前が能力について語る時、みんなと試合の計画を練る時のお前の表情は、仇を討ちたいっていう時の顔よりも、輝いているなって。」
「…………」
「確かに、お前は仇が打ちたいのかもしれない。けれど、それだけじゃない。お前だって言っていたじゃないか。大学を楽しみたいんだって。」
「…………」
「だから思うんだ。お前の本当にしたいことは、敵討ちじゃないんじゃないかって。もっと、普通の大学生活を送りたいんじゃないかって。」
「……何、それ。そんなの、あんたの勝手な願望じゃん。」
小さく、山田は言葉をこぼす。
「……」
「別に、確かに大学生活を楽しみたいとは、言ったわ。けど、仇を討ちたいってのも本当。どっちも、本音よ。
本当は普通の大学生活を送りたいんじゃないのかって……それは……あんたが、あたしが敵討ちをすることを望んでいないから……。結局、そういうだけの……話じゃないの?」
視線を落とした山田に、高木は静かに言った。
「……まぁ、そう、だな。とどのつまり、俺がいいとは思えなかったからってだけ、だよな……」
「なら、どうして?」
「え?」
キョトンとする高木に、山田は問う。
「どうして、そうおもったの?」
「うん?いや、さっきそれは説明し――」
「そうじゃなくて……なんで、その、あたしがみんなといる時の方が……ほら。」
「え、ええと……?ああ、ええっと、良い顔しているってやつか?」
「……なんで、そこ変えてくんのよ。」
「え。な、なんでちょっと怒っているんだよ。」
少し焦る高木に、山田は小さな笑みをこぼす。
「ねえ。どうして?」
「ん?」
「どうして、そう感じたのよ。」
「それ――は……」
答えを待つ彼女の瞳に、高木はたじろいだ。視線をそらし、落ち着きのない奇妙な足踏みをし始める。
「それは?」
「あー、いや。なんていうか、さ。」
「なんていうか?」
「いや、その、たいしたことじゃないんだが――」
「言いなさいよ。」
「えーと、それは、な……」
高木は小さく咳払いし、少し赤くなった顔をそらす。
「その、少なくとも俺は……敵討ちをしたいと言うお前の表情よりも、みんなと明るくしている時の方が――」
そこまで言って、突然、彼は口を閉じた。
「……何よ。そこまで言ったのなら最後まで言いなさいよ。」
「――まて。」
「はぁ?あんた、まさか肝心なところで自信なくし――」
「隠れろ!」
突如、高木は山田の口をふさぎ、茂みの中に転がり込んだ。
「んん~~!!ちょっと!何すんのよ!」
「ちょ、まてまて!声を出しちゃだめだ!」
「??」
冷汗の滲んだ額。震える腕。これまで見せたこともない動揺を、高木は露わにしていた。故に山田は何かただ事ではないことが起きていると、瞬時に悟った。
「何?何があったのよ。」
高木にしか聞こえない声で山田は問う。
しかし、彼にその言葉は届いていなかった。彼は目にしたものから、視線をそらすことが出来なくなっていた。
「嘘、だろ……?」
「?」
茂みの中から、高木の見ているものを見る。
そして、山田も同様に目を見開き、全身に怖気が走るのを感じ取った。
「何――あれ――」
「な、なんでこんなところにいるんだ――」
――“眼帯の男”が。
次回は水曜日更新予定です。