第40話 本当の願い(1)
顔を合わせると、無条件に怒りがこみあげてくる。お互いの瞳を睨み付け、無言の圧が場を張りつめさせる。それがこの合宿での勝輝と大原のやりとりだった。
勝輝の理由は単純だった。“相手をダイバーズとして認めていない”。ただこの一点が、大原典子という人間をけっして相容れない存在として確立させていた。あの夕食会の後で感じた奇妙な苦しみを含め、説明のつかない違和感を周りと関わることで度々覚えていたとしても、その定義だけは揺るがなかった。故にこの合宿中、彼は彼女と会話などしなかったし、極力会わないように努めていた。
「……先に行く。」
彼女の後ろはおろか、肩を並べることすら、彼は忌避した。故に勝輝は大原の返事を待たず、彼女の数歩先を歩いた。
「……」
一方の大原の怒りは、複雑であった。彼女は自分に対しても怒りを覚えていたからだ。
当然ながら、勝輝という人間に対しての怒りはあった。彼の振りかざす言葉は心を切り裂き、踏み躙る。それに怒りを微塵も抱かないという人間はそういるものではなく、彼女もその例外ではない。
しかしーー
「……」
彼の前を歩くのは恐ろしかった。
背中に突き刺さる、見下ろすような視線に耐えられない。
彼の隣を歩くのは嫌だった。
肩を並べたいとも思わないが、その資格すらないと、彼の歩みが告げて来るのが怖かった。
だから彼女は、彼の後ろを歩くことを選んだ。そうすれば会話をする必要もないし、置いていかれることを卑下する必要もないだろう、と。相手も自分が視界から外れれば自分を気にすることはないだろう、と。
けれど、会話のない気まずい時間は、彼女に余計な思考を巡らせてしまっていた。
(吉岡勝輝……私と同じ年、同じ『特秘能力者』。それなのに、私と彼の間には大きな差が存在している。重心の移動、能力の応用、戦闘技術に能力の知見。そのどれをとっても私は彼に敵わない。彼は今のように、自分よりも先を歩いている……)
そう思うと、彼女はたまらなく情けなくなった。
胃を痛めるストレスに対して苛立つような、空回りしかしない怒りを抱いてしまう。なんで自分はできないのか、そしてなんで自分はいつも劣等感と後悔ばかり考えているのか、と。
彼女は無駄に自分の神経をすり減らす行為を止めようと、足元に目を移す。
「それにしても、ここは参道というより……獣道ね。」
天然由来の坂道に石畳を申し訳ない程度に並べたような、古びた参道。石畳の上には苔がむし、木の根が足をからめとろうと罠を張っている。盛り上がった土は一歩にしては長く、小股にしては広すぎるほどの間隔で起伏を繰り返し、無駄に体力と気力を奪ってくる。一歩を踏み出しても平地の半分ほどしか進まないから、ますます気まずい時間が長くなる――
「はぁ。」
そうして、やはり彼女はため息をつく。悔恨交じりの無駄な怒りを抱く。
いつだってそうだ、と、彼女は心の中でつぶやく。結局、この怒りは意味がないのだ、と。
(……彼の意見は正しい。自分が全く実力のないダイバーズであることは変わりないし、試合で戦おうともしていなかったことも本当。それは紛れもない事実。だから言い返す資格なんて、私にはない。もしこの怒りがそれを言った彼に対する怒りだと言うのなら、私はとんでもない大ばか者だわ。素直に事実を受け入れられないのは、傲慢に過ぎる。)
彼女は前方を歩く男に目をやった。
(……彼は、一体何をイメージして能力を使っているの?彼の本当の能力『能力破壊』はエーテルに入力された情報を破壊、消去する能力だと言っていたけれど、それは、何をイメージしているの?)
そうしてから、彼女は昨夜のことを思い出し、再びその瞳に影を落とした。
(……私には、『ネツァク』のイメージがない。私が最初に能力を発動させたとき、何が起こっていたのかおばあさまに聞きたかったけれど、昨日はいらっしゃらなかった。
……姉さんは、いたようだけれど……)
あふれ出る深いため息に、彼女は嫌気がさした。
(……また、ね。私はまた、他人と自分を比較している。自分が何でこんなにできないのかと、勝手に自分で落胆して、勝手に自分を責めている。
何を今までしていたの?
何をしてこの18になるまで過ごしていたの?
そんな考えばかりが、あふれてくる。
意味なんてないなんて分かっている。勝手な落胆を繰り返し考えたって、何一つ解決しないなんてこと。
それを分かっているはずなのに、また堂々巡りに後悔している。どうすればよかったんだろうって、思っている。どうすればよかったかなんて、分かっているくせに。
なんで私は素直に――)
「あ……」
ふっ、と彼女は嗤った。
「……やっぱり私は……大馬鹿者だわ。」
彼女は頭の片隅に居座る女を追い出すように、大きく息を吐き出した。
「……優華たちは、どうしているのかしら。」
大原は親友の姿を思い返す。友人から、先輩から、部員たちと共に訓練をしていた彼女の姿を。
裏表のない彼女なら、この肝試し、誰と一緒になったところで仲よくやれるのだろう。むしろ相手を驚かせようと、自分から悪戯を仕掛けるにちがいない。
「…………」
そう思うと、彼女は息苦しくなった。
◇
「なんかつまんないわね。」
「そうか?俺はさっきの草むらから飛び出てくるアレ、結構ビビったんだが。」
「あんたの反応、いまいちわざとらしいのよね~。
あたしの人影だ!とか、あそこに幽霊が!とかいうのにはビビるくせに、なんで本物のおどかし役には驚かないのよ。ほんとにこういうの苦手なの?」
何故か不満そうな山田の問いに、高木は苦笑する。
「いや、その。人は大丈夫なんだよ。人は。」
「どういう意味よ。あたしも人なんですけど!」
「いや、そういう意味じゃなくて。ええと……」
自分を睨み付けてくる山田に、彼は慌てて弁明した。
「ほら、おどかし役は人だろ?だから気配で分かっちまうんだよ。そこの茂みに隠れてるな、とか、そこの物陰から出てくるな、とかな。
けど本物の幽霊って、人じゃねーだろ?そういう本当に“分からないもの”ってのは、そういうものを感じない。そういう人の気配を感じないのにそこにいるっていう矛盾がこえーんだよ。」
「じゃあ、なんであたしのには驚いているわけ?」
「お前のそのあてずっぽうなおどかし方は、指す方に気配がない分、本当に“何か”がいる可能性がありそうでよ。だからさっきのおどかし役よりもこえーんだよ。」
「ふーん。よくわかんないわ。どっちも似たようなものな気がするけど。」
「まぁ、そういうと思ったよ。ただ……」
急に口ごもる高木に、山田はむっとした。
「なによ。言いたいことがあるなら言いなさいよ。」
「いや、その……昔、ちょっと怖い思い出があって、そいつがトラウマになっていると言うか……」
「なにそれ。あんたのトラウマとか、ちょっと興味あるんだけど。」
「……なんで急に目を輝かせているんだよ。」
「あんたみたいな筋肉の塊が怖いものなんて、良い“調味料”じゃない。」
「おまえ本当に……」
高木はため息をつくと、ためらいながらも口にした。
「あれは、高校上がった頃、春の夕暮れ時の交差点だ。信号待ちで退屈だなって思ってふと向こう側に目をやったらよ、いたんだよ。やべーのが。」
「何、幽霊でも見えたの?」
にやつく山田に、高木は答えた。
「いや。形は人だったよ。両目を包帯で覆った男の姿だった。けど、中身が違った。」
「?」
「お前もわかるだろ?道って名の付く武術を究めようとしていたら、相手がどれだけ腕が立つかとか、どんな奴なのかとか、そういう気配がさ。」
「ええ。ある程度なら、一応?なんかオーラみたいなもんがあるわね。」
「そいつ、気配が全く違ったんだよ。」
高木は思い出しただけでも寒気がすると、そう言いたげに息を吐く。
「あれは……あれは、死そのものが形をつくってやってきたって感じだった。人がそこに立っているのに、全然人の気配がしないんだよ。そのかわりに冷汗が滝のように出るくそやべえ気配を持っていたんだ。そいつが、なんでか知らねーけど、俺を見て笑っていたんだ。」
「なにその気持ちの悪い話。死がどうとかはよくわかんないけど、最後のは普通に鳥肌だわ。」
「ま、そんなことがあったからそういう人の気配していないのにそこにいるってのは、苦手なんだよ。まぁ、他にも学校でいじめにあっている子を助けたら、実はその子は存在しなかった、なんてこともあったりしたってのもあるが。」
「いや、しれっと最後に怖い話混ぜてこないで。」
「お返しだ。ははは。……って、自分で言っていて怖くなってきたな。」
「なによ、それ。」
八重歯を見せて笑う山田を見て、高木は足を止めた。どうしても、その笑顔を見るたびに脳裏によぎってしまう。彼女が兄の仇をとると、血走った眼で口にする姿が。
「ん?どうしたのよ。さっさと行かないの?」
「……やっぱ、俺、お前に話をしなきゃいけない気がする。」
「何?まさか告白?」
「は、はぁ!?いやいや!んな訳あるか!」
「いや~まさかそんな目であたしを見ていたとは~。」
「おい、いや、ちょっとまて。」
「はいはい。冗談冗談。で、何?話って。」
「それは――」
高木は生唾を飲み込んだ。自分がこれから口にしようとしていることが、どれだけ“重い”ことか分かっていた。決して軽く口にしてはいけないことだと、分かっていた。彼女がどんな思いでこれまで生きてきたのか――血を分けた家族を失った痛みを知る者として、よく理解していた。
それでもなお、いや、だからこそ、高木は言った。静かで優しい、けれどはっきりと強い口調で。
「優華。おまえ……本当に、仇を討つつもりなのか?」
次回は14日土曜日更新です。