第36話 能力の仕組み(後編)
「健太。さっきの話なんだけど、足立さんが能力を使い続けているってことは、相当『疲労』するのも早いわよね。」
「咲っち、正解。」
井上は小平にウインクすると、説明を始める。
「足立さんの『疲労』は、“入ってくる情報に対する脳の処理能力不足が原因で起こる眠気”、だったよね?」
「はい。」
「これはもっと厳密にいえば、脳の活動に必要なエネルギーが、能力行使の度に無くなっていくことが原因なんだと思う。」
「ホーウ?」
フクロウのように首を曲げる彼女に、井上は続ける。
「僕たちダイバーズは能力を行使した瞬間に『疲労』を負う。
足立さんの場合、能力を常に発動し続けているからどんどん『疲労』が蓄積、つまりはエネルギーが枯渇して、『疲労』が限界に達すると眠くなる、というプロセスを踏んでいるとおもうんだ。」
「はい。なるほど?」
「それを考慮すると、足立さんは絶えずエネルギーを摂取していれば、『疲労』をある程度緩和できるようになると思う。」
「おおっ!そ、それは魅力的です!」
足立は目を輝かせ、ひらめいた画期的な方法を、声を大にして報告する。
「で、ではええと……あ、わかりました!常におやつを食べていればいいんですね!陽子、好きです!甘いケーキが特に!」
「いや、そんな食っていたら太るぞ?」
「大丈夫だよ、おっきな人2号君。お菓子。お菓子なのです!ケーキは別腹なのです!だから、大丈夫です!!」
「いや、説明になってねーよ!ケーキとか米よりカロリー高いだろうが!!」
高木が足立にツッコミをいれている様子を見ていた勝輝は、やはり原因が分からなかった。他愛もなさ過ぎて、なんの重要性も見いだせなかった。彼等の言葉を一言一句聞き漏らさず聞いていたが、怪しげなところは何もない。それどころか、特になんの不快感も、違和感も覚えなかった。
(……?)
どうして?
そう、疑問に思った時だった。不意に、談笑から離れた井上が、耳打ちするように勝輝に話しかけてきた。
「そういえば吉岡君。山田さんと大原さんとは、仲直りはできたのかい?」
「それは――」
勝輝は彼に返答をした後で、自分の行動が理解できなかった。何の警戒もなく、ごく自然と会話を開始してしまったことに、違和感を覚えた。井上が発した「仲直り」という単語が何を意味しているのかを理解し、それはいつか誰かに言われるのだろうと予測していた自分に、違和感を覚えた。
そして何より、自分が言わんとした言葉が有り得ないものだと分かり、自分の思考に違和感を覚えた。
その違和感は彼の思考を混乱させ、瞬く間に脳からその言葉を掻き消した。
――いま、俺は、何を考えた?
仲直り?なんで?
いや、分かっている。そんなことは。
――ん?
いや、そんなこと、とは、なんだ?
なにを、分かっているんだ?
そもそも、なんの話を、していたんだっけ――?
「……」
硬直する勝輝に、井上は苦笑する。
「まぁ、あんなことがあってから顔を合わせづらいのは分かるけれど、君と彼女たちはこの修行が始まってから、一言も会話をしていないじゃないか。」
「……え?あ、ああ。そう、ですね?」
「このままじゃぁ、せっかくできた友達をなくしてしまうよ?」
「友達?」
その言葉に勝輝の思考は引き戻され、途端に怪訝な顔になった。
「そうそう。大学の友人は一生モノだって、僕の父がよくいっているからね~。大切にしないと、いけないよ?」
友達など、存在しない。思わずそう口にしそうになって、彼は唇を閉じた。そんなことを言えば、また面倒くさい話が広がるだけだと、彼は危惧した。
だが同時に、高木に言われた時のように、何かが胸のうちで引っかかっていることも、感じ取った。口を閉じたことに安堵している自分がいる――そんな不可解な現象に、彼は気が付いた。
(またか。なんなんだ、これは。)
理解できないものに対する苛立ちばかりが募っていく。理路整然とあらねばならないはずなのに、全てを理屈で証明しきってしまったはずなのに、言葉にすることすらできないぐちゃぐちゃとしたものが胸の内から湧き上がっていく。彼の理性を掻き乱し、平常心を破壊する奇怪な化け物に、彼は心底苛立っていた。
「……そういえば、なんだけれど。」
そんな彼の苛立ちを掬い取るかのように、井上が話題を変えた。
「せっかくの機会だから、1つ聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「――はい。なんでしょうか?」
勝輝はこれ幸いとその話に乗った。会話を続け、他人と関わることは嫌であったが、それでも説明のつかない苛立ちに向かい合うよりはましだと、彼は考えたのである。
だから、井上の表情が少し強張っていることに、すぐには気が付かなかった
「うん。君は君達5人の中で最も能力に詳しいとみた。だから、君の視点からでいいから、彼女に関して聞きたいことがあるんだ。」
「彼女?誰です?」
「足立さんだ。」
「足立さん、ですか?」
「ああ。」
足立に向ける井上の表情に、勝輝はようやく事態に気が付いた。その表情は、何かを確かめようとしているもの。すなわち足立に対して、何らかの深刻な疑念を抱いている顔だったのだ。
しかし彼が問うたその内容は、勝輝にとって全く予想していなかったもので、彼の真意を見破ることは、出来なかった。
「彼女、自分の能力を“条件反射的に発動する”って言っていたんだが、どう見える?」
「どう見える、とは?」
「その言葉通り、だと思うかい?」
「……」
勝輝は一瞬、足立を見やる。猫のように目を細め、子犬のように周りにじゃれつく一人の少女を。そして一通り観察を負えると、素直に自分の意見を言った。
「ええ。特に違和感はありません。彼女の言う通り、条件反射的な物だと断言できます。」
「―――――――」
しばらく、井上は口を噤んでいた。そして瞼を閉じ、大きく深呼吸してから、小さく頷いた。
「……そう、か。君もそう見えるんだね。……僕の思い過ごしなら……よかったんだけれど……」
「?」
「ついでに聞きたいのだけれど、何か彼女の家庭について聞いていることってないかい?」
「家庭ですか?いえ?全く?」
「そうか……」
勝輝は首を傾げた。自分の足立に対する能力の評価については間違ってはいないと、そう断言できる。であれば、そこに何か問題があるのかというと、別段そこまで問題は感じられなかった。これまでの自分の経験と知識を総合しても、彼女の言と実態は、特に何の違和感ももたなかったのである。
故に、彼は井上が何を疑問に思っているのか、それを確かめたくなった。
「何か、気になることが?」
「ああ、いや、僕は彼女から彼女の能力の説明を聞いたとき、“反射”の間違いだろうと思ったんだ。まぁ、なんというか、こういってはなんだけれど、彼女、そこまで科学が得意ってわけには見えないから……」
「まぁ、それは同感ですが……?」
「うん。だけどどうにも見ていて彼女の能力は……“反射”じゃないような気がしてきて……。でもそれはとても奇妙なことで、そうなると彼女が“条件反射”といった言葉が随分と気になってしまってね。しかも実際、彼女の能力は条件反射的なもののように思えてきて……」
「はぁ……?」
「いや。なんでもないよ。気にしないでくれ。」
「???」
いまいち歯切れの悪い井上の言葉に、勝輝は結局、彼が何を疑問に思っているのか分からなかった。そしてその疑問を分析する間もなく、井上はありがとうと一言礼を言い、高木たちの輪に戻ってしまった。
「……」
おそらく何かしら事前に考えを持っていたのだろうと、勝輝は推測する。ただ、それが何で、どれほどの重要性をもっているのかは、この時の勝輝には全く分からなかった。
そして当然、自分に礼を言って去るときに、何故井上が冷汗を掻いていたのかも、分からなかった。




