プロローグ『世界最悪の主人公』
「──があっ…うぐ…ッ」
その時青年は、堪えきれない程の強い頭痛に襲われた。
青年の意識は刻一刻として遠のき、そして消えていく。
…いや、消えてなどいない。
その証拠に、頭痛は収まり、目の前に広がる暗い世界には、まばゆい光が度々灯されていく。
そして、青年が目を開いたその先には、驚きの光景が広がっていた。
※時は約30分前に遡る
すっかり暗くなった、寒く寂れた住宅街。
歩く青年の姿は、見るほど気分が悪くなる醜悪ぶりであった。
肩まで伸び放題の髪、みすぼらしい青のジャージ、目の下のクマには、日に日に濃さを増す隈がある。それが濃くなるにつれ、彼の笑顔は減ってゆくばかり。
彼の名は、嵐丸托生──17歳にして、コンビニで働くフリーターだ。
彼が主人公を名乗るのは、あまりにもおこがましいであろう。せいぜいおめおめと後ろ指を指され、笑われ役を買うのがお似合いだろう。
身震いするほど冷えた夜風は、托生を無情にも嗤笑して去っていった。
──托生は家に到着し、そそくさと中に入る。
彼の冷えた体は暖に包まれた。
玄関に並べられる小さな靴が托生の目に入る。
すると、二階から誰かが階段をかけ下りてきた。
パジャマを身につけた少女は、托生に気づき顔を明るくする。
そして、あろうことかぎゅっと抱きつきにきたではないか。
「おかえり兄さん!」
この少女は托生の妹、心花である。
小中不登校の托生とは正反対で、きちんと学校に通う小学3年生である。
托生なんかにこんな妹がいるのか──驚くのも無理はない。彼との共通点を見いだせというのが無理な話だ。
「今日すごく寒いよね!大丈夫だった?」
「…まあな」
「だからこうやって温めてあげてるの!どう、温かい?」
托生はうまく言葉を紡げない質だが、心花はそんな彼にも優しく接してやれる純粋な心の持ち主だった。
この妹こそが、彼がフリーターを止めない理由の一つである。
小中不登校の托生は就職ができるはずもなく、付近のアルバイトで生計を立てるしかないのだ。
※
二人は浴槽に浸かり深く息をつく。
体重でお湯は浴槽いっぱいに張り、そして窮屈になった。
托生の目の前の心花は全裸であったが、もちろん妹には欲情などしない。
「…?」
その時、心花は托生の腕に貼られていた湿布に気づき、心花は托生の表情を見る。
疲労が表情に強く顕れ、その目はさながら死人のように虚ろだった。
「…」
心花はぐったりと背中を托生に預けた。まだ子供の彼女は、一緒に悲しんでくれるだけで十分だった。
※
托生の風呂上がりの着替えも、変わらずジャージであった。
托生は食卓に食事を並べる。
まかないのコンビニ弁当とボトルのお茶という質素な食事。バイト先が親切に二人分くれるが、心花の分だけだ。ちなみに托生の分は、心花の明日の朝食になる。
「兄さんは、食べないの?」
「…別にいいだろ」
あっさりと返されたその冷たい言葉に心花は黙ってしまう。
托生はテーブルに座って、心花の学校教育費の書類にサインし、心花のほうに差し出した。
「…俺はもう寝る」
「う…うん、おやすみ」
家族なら、もっと話を交わしてもよかっただろう。だが托生は気にせずに、部屋に戻っていく。何とも度しがたい家庭である。
だが、その時──
──ズキッ!
「──があっ…!?うぐ…ッ!」
「兄さん!大丈夫!?」
その時青年は、堪えきれない程の強い頭痛に襲われた。
青年の意識は刻一刻として遠のき、そして消えていく。
…いや、消えてなどいない。
その証拠に、頭痛は収まり、目の前に広がる暗い世界には、まばゆい光が度々灯されていく。
そして、青年が目を開いたその先には、驚きの光景が広がっていた。
…──目の前には、広大な草原。
夜だったはずが太陽が昇っており、瑞々しい草花に反射されて目に突き刺さってくる。
寒い風も気配すらなく、穏やかなそよ風が托生の髪をなびかせた。