魔王と勇者 ~畜生世界を生き抜きしサバイバー~
よくある異世界召喚モノで書いていましたが、いっそのこと以前の空想科学戦艦伊吹とは違った、メッセージ性のあまりないライトな物を目指して書いていましたが、いつの間にか大変なことになってしまいました(笑)
結構胸糞でガチキチ畜生世界ですが、何かが皆さまの中で残ればいいなぁとは思っております。
※追記 ~訂正~(17/6.11)
オッツダルヴァのルビが二十九に誤植していたのを二十八に修正。(グルジア語で二十八の意味)
一部の勇者《彼女》のルビが機能していなかったため修正。
※追記 ~訂正~(17/6.17)
・ルビの振られていなかった箇所へのルビの追加
・ハイドリヒの髪の毛の表現を微修正
・二十九を二十八に修正
・句読点の振られていない箇所への句読点の追加および加筆修正
昔っから、俺は正義感が強いと言われてきた。もちろん、自覚症状なんかない。
西で腰痛に苦しむ老婆がいれば病院にまで連れて行き、東に泣く子供があればあやしに行き、南に疲れ果てた青年があればバイト先を斡旋し、北に襲われそうなソープ嬢があればヤクザ者であろうと張り倒してきた。宮沢賢治さまさまだ。
そんなだからか成績は中の上だし、何度かヤクザ者に絡まれたりもした。実際命の危機もあったが、それでも自分の正義感に従ってとにかく戦った。
そんなあるとき、目に見えてヤクザ者が運転してそうな派手派手しいトラックに轢かれて俺は死んだ、いや死にかけた。
最後に見たのは、組の全員を伸され、組長の手前で大恥をかかしてやったとある幹部の下卑た笑い顔だった。相変わらず、気持ち悪い。
「だから言ったろぉ?おじちゃん達を敵に回しちゃいけないってよ。まぁ、もう遅いがな!おい矢萩、俺の代わりに出頭しろ。この餓鬼引き潰しちまった、どんな刑罰でも受けるってよ。お前まだ初犯だから執行猶予取れるさ。さっさと行け」
それからの記憶は曖昧で、俺はいつの間にか、噂にだけは聞いていたとあるWEB領域御用達っぽい実験施設の様な場所の培養漕で残りの一生を終えた。
人体実験とでもいうのだろうか、弄られているという実感も何も無く、何処かに身体の内にある大事な何かを置いて来てしまった気がしたが、失敗作という言葉と処分という言葉の意味するところを理解する暇なく目の前が真っ暗になったことが何より幸福だったのではないだろうか…………。
そう思っていた時期が俺にもあった。
「な…………勇者は必ず男と決まっているのでは?」
「失敗だ――儀式は失敗したのだ」
「いや、儀式で呼び寄せられた以上、某かの理由があろうときっと、多分、およそ、恐らくは勇者である可能性が高くも無くも無くも無くもないかもしれない――かもしれない」
内心どっちだよと思いながら、俺は大理石の様な素材で作られた神殿にペタリと内股気味に座った。
おぉ、というどよめきが上がるが、それより気になる発言が合って、俺は自分の体をマジマジと見ていた。恐らくは培養漕の中で作りかえられただろう変わり果てた俺の体を余すところなく、とまでは行かなかったが。
カツコツという底の馬鹿みたいに高いヒール特有の音を鳴らしながら、純白の衣装のこの上なく似合わない黒い気配の女が、愕然として動けない俺の目の前に回り込み悪意の透けて見える残酷なまでに美しく醜悪な笑みを浮かべた。
人はこの笑みを見て天使のようだと形容するのだろうと思ったが、不思議な実感とともに俺はこれが大層碌でもない奴だと本能で理解できてしまった。
「ようこそおいで下さいました、勇者様。私この熱月王国の王位継承権第一位、正室の王女、マクシミリアン・マリアンヌ=ド=テルミドールにございます。詳しいお話を、と思いましたが、まずはお召し物をお召しになって下さいまし、可愛い可愛い勇者様――――フフッ」
怖気が奔る感覚と言うのを実感しながら、俺はその何と形容すればいいのか分からない酷薄な響きのある笑みに魅入られる事無く、一つの事実にただただ驚愕するしかなかった。
俺は、女になっていた。
■
生誕歴1341年7月18日、召喚された勇者はただ戦うことだけを求められ、召喚されて半年も経たぬうちに多大なる戦果をテルミドール王国に齎した。
魔族軍との戦闘において、勇者含むたった五人のパーティを以て一個軍団を退ける。
王国軍の騎士曰く、勇者は穂先を光に染める槍を振るうと言う。
この報はあっという間もなく大陸中に伝播して行き、膠着が続いてきた人類軍は息を吹き返した。
だがその賞賛の多くは勇者のパーティメンバーへと向き、勇者そのものに対する賞賛は無かった。
勇者が最前線で戦うことは当然の務めであり、パーティメンバーはその勇者に付き合わされるのだから、まず第一に賞賛され労われるべきはパーティメンバーだと言うテルミドール王国の一声によって、そして大多数の人間はその考えに否と申す事は無かった。
所詮は代替可能かつ安定的に呼び出すことのできる力の行使者にすぎない。賞賛するならば使命を果たしてからであり、故に勇者は戦って当然であり、傷ついて当然であり、死すらも当然である。
呼び出した方であるという事実をすら忘れ、その力が無ければ戦力を拮抗させる程度しか出来ぬ体を隠し、後ひと押しすれば瓦解寸前であると言うことを彼方へと追いやり、傲岸不遜にも勇者にさっさと死んでこいという。
誰も労わず労力に見合わない報酬は殆どが装備品に消え、自然と戦力のほとんどは勇者の華奢に過ぎる双肩に委ねられることとなった。
そんな中、憔悴した勇者が誰か頼れる存在、ないしは自分の事を知り自分のことだけを見てくれる存在を欲するようになるのに時間は必要が無かった。
生来の正義感も、これほどまでに酷使されればもはやどうしようもない。疲れを癒す間もなく機械の様に魔族を殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し続けて行く。自身の精神が疲弊して異常行動を行っていることにすら気が付かなくとも、その異常な様を見て人は彼女を恐怖する。あれは人間の皮を被った悪魔であると。
生きる理由どころか戦う意義すら摩耗して分からなくなってしまって、その上で戦わなくてはならないというジレンマと常に人々に監視されていると言う恐怖、少しでも休めば罵声と鞭の様な悲鳴に突き動かされ、何も分からないままに敵を貫き殺し、そうして鏖殺していくしかなかった。
「卿が、此度の勇者か。たしか第13356代目か。良くもまぁ、飽きずに別世界から呼び出し馬車馬が如く使いきろうと思える物だ。感服するよ、テルミドール王女――卿らにこそ、悪魔という言葉が似合うだろう」
漆黒の大外套の下に着用された軍服調の服装は、人類軍とは別の発展をしている魔族軍らしいと言えばらしいと言える。
黄金の獣の如く靡く煌びやかな黄金の鬣はそれ一本一本が長い時間を掛けて職人の手によって編み上げられた金糸が如くに輝き、勇者は一目見て、その黄金の瞳に魅入られていた。
「お初にお目にかかる。私の名はラインハルト・イゾルデ・グラーフ・フォン・デア=オッツダルヴァ=ハイドリヒ。第二十八代目人類革新連合王国軍最高指揮官であり、有体に言えば国王に値する。卿らに合わせるとするならば『黄金の魔王』が伝わりやすいか」
天より見下ろすのは、最早それが当然と言わんばかりに様になっていて、その哀れむかのような瞳はただ一直線に勇者、彼女の瞳を貫いていた。
勇者は本能より悟った。彼はただ本当に、本気に己を見ているのだと言うことを。それがどれほど悲しいことかを理解出来ぬまま、誘蛾灯に誘われるがままに勇者はその黄金の影を追っていた。
力量にいかほどの差があろうと関係ない。ただこの世界にやって来てから初めての充足を感じていた。
黄金の彼との鬩ぎ合いは一撃一撃がまさしく女体の自慰の果ての果て、その更に果てに位置する至高の快楽でありただ一つの娯楽となっていた。そう、戦っている間こそ彼と、そして勇者の間を隔てる物は何も無く、言葉の不要ず、呼吸と心音と手にずしりと響く衝撃こそ世界を彩る全てだった。
だが弊害はやはりあった。
魔王と勇者の生き死にを掛けた逢瀬はそれから半年もの間続き、勇者が魔王にかかりきりになったことによって魔族の攻勢は激しさを増し、やがて勇者パーティは魔王城にて孤立無援となった。
「あぁ楽しい、胸が躍る――これが恋か……これが愛か」
エキサイトし過ぎてこっ恥ずかしいことを大声で言う辺りに魔王らしさを感じながらも、二人の闘いはすでに絢爛なノイシュバンシュタイン城を半壊させていた。
爆風暴風吹き荒れる中、立っていられたのは魔王の側近中の側近である四天王や勇者パーティメンバー位な物で、それでも身動ぎひとつでもすれば暴風の刃に切り裂かれることは分かりきっていて、誰も動くことが出来ず、二人の逢瀬を見守らざるを得なかった。
「私のこの三四半世紀にわたる倦怠に終止符を打ち、その上狂おしいまでに愛おしいと思わせる――――あぁ、この美しくも醜い世界に祝福を!」
両者隙なく相対し、けれど本気で殺すような間柄でもなく、適度に力を抜き適度に本気で幾合も打ちあって行く。その姿はまるで瞬間移動めいていて、四天王を含む彼らはその姿に魅入られていた。
そして戦いは意外でも何でもない終わり方を見せた。
三四半世紀、約七十五年ほどを生きてきた魔王と、十数年ほどしか生きてこなかった勇者とでは地力に埋まらない差があった。それを埋め切れるほどの技術がなかった、いや足りていなかったと言った方が正しいのか。
確かに技術は、変わり果てた身体に秘められた能力と数多くの戦闘で身に染みていた。それこそ条件と場所が整ってさえいればパーティメンバーと四天王を全員相手取って、次の瞬間に勝利できるほどには。
だが戦乱の中で武技を、能力を、そして軍と国を磨き上げて来た生粋の軍人であり政治家である魔王を打ち破るには勇者の力は脆弱に過ぎた、ただそれだけなのだ。
遥か上空から全身をノイシュバンシュタイン城の、崩れ去った玉座の間に墜落する姿はまるで第五天より墜落する魔王のようで、そして魔王は傲岸不遜且つ尊大な台詞回しで、他の者の目線など意にも介さずにただ彼女だけを視線に収め、ただ彼女のためだけに言葉を発する。
敗北の汚辱と屈辱。後味悪く、まるで土でも噛んでいるかのような気持ちだというのに、掛けられる言葉は、労いの言葉は彼女の思考を蕩かせていた。
「勝負あり、か――――中々に楽しめたぞ、勇者。生まれてから今に至るまでのこの三四半世紀の倦怠を打ち破り、よくぞここまでやってくれた。卿の健闘を讃えよう」
ボロボロの外套の襟を直しつつ、優雅に降り立つ黄金の姿の何と雄々しいことか。魅入られることは運命だったとでもいうかのように、勇者の熱の籠った眼差しは一直線に魔王を射ぬき、魔王の瞳もまた勇者を射ぬいていた。
決着はついた。付いてしまった。ならばあとは殺されるだけだ。それが召喚されてから通算一年で学んだ、戦場の論理だった。
勝者は凱旋し、敗者は大地に眠る屍の一つとなる。彼らがそうであるように、勇者もまた散るのだ。既に形骸したパーティ諸共に、墓を同じくするのだと。諦念のうちに勇者の心の中が錆つくような音を立てるのを、本人はなんとなしに理解していた。
いや、すでに錆ついている。とすれば己は何か――それは錆びて溶けた鉄の塊に過ぎない。
一生分の献身だ。全人類と言う物を背負った、割に合わない献身だ。黄金には悪いが、もうここで壊れてしまっても良いだろう?
「だが、ここでむざむざ死なすのも惜しいな――なぁ、卿も彼奴らのような人畜どもに顎で使われるのには飽きただろう?その力の絶大なのを求め、依存し、搾取し、労われないどころか感謝もされず、そのくせ人のために死ぬのが当然の身分であり義務で、故に国民のために死んでこいなどと言われて、そんな人民を守る理由があるか?本来ならば感謝し、その勇猛果敢な様を礼賛されねばならないところを」
馬鹿らしいと感じながらも、あぁそう言えばこういう奴だったと思い返し、その尊大な台詞回しに安堵していた。そして期待していた。
ただただ認めて欲しかった。己が生きている意味を、己のやってきたことの意味を、忌憚なく評価してくれる存在、そういう意味で魔王は間違いなく勇者にとって最も安心できる最も近しく最も遠い存在だった。
魔王にとっては当然の行為であっても、勇者にとっては必然でもなければ偶然でもない好意だった。
この宇宙には彼らしか存在しないのではないかという、そういう特別感が安心感へと変わり、その特別感は媚薬のようで、その特別感は酒のように五臓六腑に染みわたり勇者の全身を心地よい酩酊感に包みこんでいた。思わず手を伸ばしたくなるくらいに。
「あぁ、こんなもので卿が釣れるとは私も端から思ってはおらんよ――――率直に言おう、勇者よ……私は卿を愛している。それも狂おしいほどに――!他の誰もが卿を認めぬなら、私が卿を認めよう。他の誰もが卿を否定するなら、私が肯定する。他の誰もが必要とせぬなら、私が必要とする――裏切りなどせんよ」
一世一代の告白と共に招かれるかのように勇者は手を引かれて立たされた。今にも踊りだしそうな、そんな風情の中の告白は唯でさえ曖昧だった勇者は、存在を許された様な喜びと何かが壊れる音と共に、何かが彼女の中で形作られた様な気もして、名状しがたい感情と共に惹かれていった。
ただ、巡り合わせというべきなのかそれとも原点回帰と呼ぶべきなのか、往々にして彼女は運が悪い。悪かった。
轟く雷光、貫く雷撃。神の杖とは名ばかりと思われてきたそれは、それの持てる最大出力を以て勇者の胸を貫いた。
両膝から崩れ落ちる勇者は何を想っているのか、それは分からないことだったが、崩れ落ちる彼女を受け止めたのは間違いようが無く魔王で、三四半世紀の人生で初めて感じ理解した恋慕は悲しみを伴って魔王の胸を打っていた。
放ったのはテルミドール王女、その人だった。
どうせ惹かれて堕ちるのだろうと予想していた。ならば、役目を全うせずに堕落した敗北主義者を処分して何が悪いのか。大任と大役を果たせなかった、ならば勇者は勇者たりえない。
政敵を排除し、王族にとってよりよい未来へ。その為なら三千大千世界の遍く全てを燃やしつくす黒い鳥となって貰わなければならない。それが召喚理由であり、それが勇者の存在理由だ。それに叶わないなら、死して当然だ。
利己主義的であり、排他主義的であり、王権神授説的だ。だがそうでもして王権は維持されなければならない。そしてそれを存続するためにも、人類革新連合王国、魔族には死んでもらわなければならない。
戦争、そう戦争しかない。人々を一つのことに集中させ文明を押し上げるためには戦争それ以外に取る手段はない。
彼女にとって不幸だったのは、人類軍の支援の受けられない孤立無援の土地だった事が頭から抜け落ちていたことだろうか。気が着いた時にはすでに遅い。金髪の偉丈夫が王女の目の前まで迫り、視線だけで殺せるのではないだろうかというほどの鋭い眼光で睨みつけていた。
胸に抱く勇者の体が冷たくなっていく感触は得も云えぬ不快感を掌に残し――王女を殺すことは簡単だったが衝動を抑え込み、優先するべきを優先した。
王という大任を預かるものである以上、短慮を起こすわけには行かなかった。
「卿が其処まで堕ちているとは思わなんだよ、テルミドール王女――――アドラメレク、勇者をマルバスの下に連れて行ってくれ。よいか、絶対に死なすなよ?」
「かしこまりまして――我が王」
「――卿は我が全権を以て絶対に死なせん。約束しよう。そして『黄金の魔王』の名の通りに卿に泡沫ではない本物を与えると確約する」
「ま――おぉ…………愛してる――――」
「――――――――あぁ、私もだ」
まるで一国の姫君を扱うかのように仰々しく、太陽王と呼ばれた旧支配者は無言のままに勇者の軽い身体を抱えて玉座の間を去り、幾許もしないうちに玉座の間は元の絢爛な様を取り戻した。それはまるで時間を巻き戻すかのようだった。
裁判が始まった。
□
夢を見ていた。男だった過去、家族や仲の良かった親類縁者の悉くを抗争に巻き込まれて失い、現場でただ一人生き残った己は何があろうと生き残らなくてはいけないのだと、たとえそれが歪んでいようとそれを信じて他人の事を想って尽くしてきた。
一緒に死ぬことが出来なかったのは、現世にやらなくてはならないことがあるのだと只管に信じた。そうでもしなければ心を保つことは出来なかった。己の心を守るために、他者を利用していたのだ。
それでも、人の手助けをすることは同時に快楽でもあった。感謝されお礼を言われる度に存在することを許された様な気がして、故にその快楽を得るためにただ助けた。
召喚されてからの一年は苦痛だった。
勇者とはゲームやおとぎ話に出てくるように敬われたりする存在ではなかったのか、これではまるで奴隷だ。
性別が変わり混乱していると言うのに殺しを強要され、今の性しか知らないから仕方ないとは言え、それが当然として扱われるのは己のアイデンティティを否定されているようで、やがてそう考える自分がおかしいのだと思うことにした。
勇者のパーティメンバーが勇者に付き合わされていると言うのなら同行しなくとも良いと言ったが、お目付役として同行した彼らは、戦闘に参加するわけでもなく常に勇者としての己の背に矢を番えていた。不穏な動きをすれば撃ち抜くというように。
呼び名もまた、役職だけでは味気ないと言う意見は一蹴され、結局最後まで役職名で呼び合うことになった。
手柄の多くはパーティメンバーのモノとされ、逆恨みによってまともに抵抗する余地も無く路地裏に連れ込まれ囲まれて乱交された。
それでも人の為になるならと我慢し続け、いつしか後ろ指を指されるようにすらなっていた。
魔物を、魔族を殺す度にそれらの声は高まり、気の休まる場所は何処にも無かった。この世界は、根本から己の存在を否定していると理解すれば、ただでさえ性別の曖昧な己が更に曖昧な存在となってしまったような気がして、頭痛を伴うそれはやがて収まりを見せると、己を無感情にさせた。
そんな中で、零れんばかりの黄金を湛えた彼と出会った。
尊大な台詞回し、全力でありながらどこか気遣いを感じさせるそれは、単純に癒しとなっていた。
いつも変わらずに全力で己に相対し、勇者という存在を肯定し認め、戦闘はただ殺すための手段から逢瀬へと変わり、そして必要とされた。
召喚される以前から求めてやまなかった。私はただ必要とされたかった。生きていいよって抱きしめられたかった。それだけだったのだ。普通の人生なら当然のこととして享受される筈のそれが、堪らなく愛おしかった。いっそ狂おしいほどに、それが羨ましかった。略奪してでもそれを得たかった。私に足りないのは、ただそれだけだったのだ。
だから、求められれば嬉しいし、手を差し伸べられたならば縋りつかずにはいられない。魔王以外に、己が愛されることなど今後一切ないであろうから。
代わりのある存在ではなく、代わりの存在しない存在となりたかった。誰かに必要とされたかった。必要とされる為なら身体をすら売る気概があった。それは以前から変わらず、以前よりもより強い思いとしてそこにあった。
その果てに死があるなら、誰もに必要とされて求められて終われるのなら、だとしたら忌憚も貴賎も無く認めよう。だが、必要とされず求められもせずに終わるなら、それは認められない。
大層我がままだと理解していても、心より渇望するそれを、一度掛けた梯子を外すなんてことは出来なかった。
知らない天井だった。
パーティメンバーが宿屋で眠り、己が寝起きするのはいつも馬小屋だった。それでも馬小屋の馬達は己を邪険にすることも無く率先して枕となってくれた。そんな慣れ親しんだ馬小屋ではなく、召喚された当初に寝起きしていた王城の様な天井は果てしなく美しくほど良い優美さを伴っていて、なるほどここはノイシュバンシュタイン城かと理解させた。
テルミドール王国の王城は権力を前面に押し出し、調度品は統一性なく兎に角値段が高いだけの悪趣味かつ安い贋物を飾っているだけの、風情も何もない。
それに比べてこの城はどうだろうか。
シックな色合いに合わせられたアンティーク調の調度品の数々はこの部屋のためだけに誂えられたかのようで、趣味の良し悪しは主に準ずるのかと見当違いな得心を得ていた。
しばらくぼーっと過ごすと、まるで自分がこの部屋の調度品の一部と化したかのような一体感と安らぎが与えられ、茫然自失し呆けていた。それほどまでにここは優美で、いつまでもその空気に触れて埋没して居たかった。
静謐としていて淀みがなく、まるで南海のような穏やかさとほんの一握りの悲傷は内包される人間の心すらも落ち着ける作用でもあるのか、勇者と呼ばれた彼女の心は波間を漂うかのように平生としていた。
これはある種の余裕と言い換えていいのかもしれない。背後から付け狙う影もなく、安らぐことを許容し、抱擁されているような安心感がある。それは何物にも代え難く、故にそれの登場は予期していなかった。
「目が覚めたか。案外早かったな、勇者よ」
ボロボロの外套をそのままに、新しく仕立てられたのだろう軍服からは新品特有の糊の利いた臭いがして、やがて自分が負けたことを理解した。
だが後味の悪さは無く、清々しい敗北感が勇者を包み込んでいる。
そう、負けた。負けてしまった。だが誰かに必要とされ誰かを必要とする行為は一年ぶりの充足を感じさせて、少なくとも魔王を裏切ろうとは思えなかった。
その感情をどう表すのか、召喚されて以来薄れゆく記憶から思い起こそうとしても分からなかったが、一般的に愛情と呼ぶのだろうと漠然と理解していた。
性別という垣根を越えてしまった。その先を見たなら、どちらが先でどちらが後かなんてものはどうでも良い。要するにそう思ったことこそが重要なのだから。
「何を警戒する必要がある。私は私が愛する女を保護し治療を施しただけのこと。それとも敗者は死ぬべき、とでも考えていたのかね?ならば、卿にはこの言葉を贈ろう。Vivere disce, cogita mori.先代国王の遺した言葉だ。それを卿に贈ろう。強迫観念と恐れによって続く生は生ではない。それはただの動く躯に過ぎん。そして、そんな躯の身体では感じられる物も感じられぬだろう。故に、Vivere disce, cogita mori.――生きることを喜んで学べ、死を恐れてはならん」
そして以前、元の世界において悪友が散々口走っていた言葉の意味を知った。何ともラテン人らしく、何とも情熱的と言えなくもない。
Amor vincit omnia et nos cedamus amori.(愛は全てを制圧し、我らは愛に制圧される)
ならば、そして、最後に人の守護者がやるべきことは決まっていた。守護するに足る大義は無くとも、最後に義理立てするくらいはしてやろう。
「さぁ勇者よ、答えを聞かせてくれ。卿の、卿自身の言葉で」
Fiat eu stita et piriat mundus.(正義を行うべし、たとえ世界が滅ぶとも)
Non mihi, non tibi, sed nobis.(私だけではなく、貴女だけでもなく――私たちのために)
「――――じゃあ………………」
Memento mori.(死を想え)
Libertas inaestimabilis res est.(自由は全ての価値をも超越する)
「――――世界の半分を頂戴――――」
この自由に、万歳――――
□
魔王を討ち果たすという約定は成就せず、箱詰めにされた勇者パーティの亡骸は灰も残らぬほどに燃やされた。
早く次の手を打たなくては――保身と官僚主義、大衆主義の入り混じる議会は紛糾し、やがて内乱が発生しようかというときにそれは始まった。
もとより、人類軍に人類革新連合王国を押し留められるほどの力は残されていなかった。勇者召喚とは即ち、いずれ訪れる滅びを遅滞させる多大な矛盾を孕んだ延命装置に過ぎなかったのだ。その戦力のほとんどを勇者召喚に頼っていた人類軍が弱体化し壊死して崩れ落ちて行くのは自明であり、すでにあとの祭りだった。
人類軍、いや熱月王国の常勝無敗伝説は、まさしく薄氷の上の邯鄲の夢枕に過ぎなかったのだ。
そして人類軍の最大の失策は、勇者がいまだに存命し反旗を翻しているという事実。勇者がそこに存在する以上、勇者を召喚することはできない。一度召喚したのち、召喚対象が死するまで、という制約が守られている以上再召喚は絶望的で、故に打つ手がなかった。
生誕歴1342年7月18日、熱月王国は人類革新連合王国に敗戦。以降、人類革新連合王国は勢力を伸ばし、ついには星の半分をその領土に加えた。
国王ラインハルト・ハイドリヒの横には勇者が並び、彼らを知る者は『二人は大層幸せそうであった』と語る。
演説に居合わせた民衆はそろってこう言った。
『魔王の横に勇者あり』
この数カ月後、勇者によって返還された世界の四分の一に人類軍を名乗る旧貴族連合が駐留。二度目となる人類軍との大戦が始まるが、人類軍を名乗る旧貴族連合は急速に衰退し、再び人類革新連合王国に併合されることになる。
如何だったでしょうか?最終的に世界の半分を手にしてどうするのかは、文中から判断していただければと思います。
ほんと、昔のラテン語圏の人たちはすごい格言を用意してくれたと思います。I'm a thinker(意訳:私は思想者だ)とまでは云いませんが、そういう考える材料をいっぱい用意してくださった先人はある意味ですごいと再認識させられました。
もともとは息抜きでよくあるRPG物を書いてみようと思いついて書き始めてみたら、なんだか異世界から勇者を召喚して魔王にけしかける構図ってまさに『虎の威を借る狐』よな、と思ってしまって、そういうひねくれた考え方しか出来ないのかなとか思ってしまいましたけど、逆説的に勇者や勇者パーティを単身死地に放り込むってことは余程戦力が枯渇しているか相手によほど舐められているか、それか召喚先がクズかったかのどれかしかないよなぁと思って、そこで一番最後の選択肢を選びました。
一番最後のあたり、これでよかったのかなぁとか思いつつも、勢いとノリに任せて書き切りました。