訓練はほどほどに
全身が映るほどの大きな鏡を見る。平坦に広がる世界には、最近ようやく見慣れてきた少年が映っている。
両親の色をちょうど混ぜ合わせたかのような、薄い薄い水色の髪は癖がなくまっすぐだ。双眸は、父譲りの瑠璃色。
これが――自分だと、ようやく言い切れる気がする。覚悟を決めたせいかもしれない、とも少し思う。『他人』ではなく、『自分』なのだと、今は違和感なく見ることができた。きっともう、「セイリオス」と呼ばれてもすぐに自分の事だと反応できるだろう。
(顔色は……まぁ普通だな)
姿見の中に映る自分の顔色を確認して、計都――否、セイリオスはうんうん、と頷いた。
両親と夕食をともにしたのは一昨日のことだ。考えすぎたせいというわけでもないだろうが、自室へ戻った後熱を出して寝込んでしまい、昨日は久々に一日中ベッドの住人となっていた。考えすぎて熱を出すなんて知恵熱かよどんな子供だよ、と思ったところで、実際に子供なのだから仕方がない。
おかげで、またもや激烈にマズい麦のミルク粥を食べさせられる羽目になった。もちろんおまけの、『マズイ』という評価さえ生ぬるい、地獄のような薬も付いていたことは言うまでもない。セイリオスはカペラに盛大に文句を言ったのだが、今回も華麗に聞き流された。正直、せめてミルク粥ではなく出汁茶漬けにしてくれたら、と思う。麦と米では違うだろうが、どうせなら慣れた味付けの方がいい。
(……に、しても)
じっと見返してくる自分の姿を見ながら、セイリオスは小さく眉をしかめた。
(我ながら目つき悪いなー)
よく言えば、6歳という年齢の割にはやや大人びた表情といえるが、セイリオス自身の正直な感想としては、「わりと可愛げのない顔つき」といったところだろう。顔立ち自体は両親のおかげで整っているのだが、そこに浮かぶ表情が、徹底的に愛嬌がない……ように、見える。セイリオスの中で比較対象といえば、天真爛漫・純真無垢な弟アルファルドなので、余計に差異が目立つ。
どこぞの名探偵のように見た目は子供・頭脳は大人なので、もう少し不審を抱かれないよう、年齢相応の可愛らしさを演出したいところだが……。
(うん、無理だな)
入社してすぐに営業に回されたこともあり、愛想笑いぐらいはできるが、子供らしい演技ができるかというと、断じて否だ。力量的に演技が出来そうにないということもあるが、それ以上に、精神的に恥ずかしくて出来そうにない。いい年した成人男性に幼児のふりをしろとかどんな罰ゲームだ、と思う。
鏡をみながら、両手でぐにぐにと目じりのあたりを揉む。鋭い目つきが若干、和らいだような気がした。ふっと口の端に笑みを浮かばせると、立派な「小生意気なガキ」が出来上がる。
(……なんか、違うくね?)
「セイリオス様、何か気になる事でもございましたか?」
「わああああああ!」
ひょいと横からのぞき込まれて、セイリオスは思わずのけぞった。その反応が意外だったのだろう、原因であるカペラが僅かに眉をひそめる。
「……その反応はいかがなものかと」
「びっくりしたし! というか、ノックぐらいはしてほしい!」
「しましたが、お返事がなかったので、勝手に入らせていただきました」
控えめにめいいっぱい抗議すると、さらりと言い返された。
カペラはセイリオスのほぼ専属侍女である。セイリオスが家庭教師について勉強している間は屋敷の雑事などを行っているが、基本的にはセイリオスの世話がメイン仕事だ。
今思えば、初日の一人でお屋敷探検は、カペラの隙をついたからこそできたことだろう。今まで熱を出した翌日はずっと、ベッドで微睡んでいることがほとんどで、すぐに部屋から抜け出すとは予想していなかったらしい。アルファルドと会った後、部屋に戻ったときにカペラからがっつり怒られた記憶は、まだ鮮明に残っている。
本来ならば屋敷で働く侍女といえど、主の許可なく私室に入ることは許されないが、専属であるカペラの仕事には、朝セイリオスを起こすことも含まれている。そのため、許可なくセイリオスの私室に入ることが許されているのだ。
ましてや今回は、一応声をかけられたのに気づかなかったわけだから、どちらかというとセイリオスの失態だろう。
そこまで思い至って、セイリオスははっ、と表情を変えた。気づかない間に室内にいたということは、セイリオスが鏡を相手にいろいろと表情を研究していたところも見られていたのかもしれない。
はた目から見れば、鏡を相手にうっとりしていると思われてもおかしくはない構図である。
そろりとカペラの方を見上げると、生暖かい視線とぶつかった。……ばっちり見られていたらしい。恥ずかしさで死ねそうだ。
「……あのね、カペラ」
「お気になさらず。セイリオス様も、いろいろと気になるお年頃になられたということで、カペラは嬉しゅうございますよ」
「いや、あのね」
「思えばセイリオス様も6歳になられたのですものね……。最近はお着替えの手伝いもさせていただけなくなりましたし」
(それは当然だと思うけど)
ほぅ、と頬に片手を当てたカペラが、わざとらしくため息をついた。
カペラに着替えを手伝ってもらったのは、着方がわからなかった最初の数日だけだ。それ以降は全て、セイリオス一人で着るようにしている。外見は6歳でも中身は成人男性なのだからして、妙齢の女性に着替えを手伝ってもらうのには抵抗があったのだ。身動きしにくい病人ならいざ知らず、まっとうな状態ではいささかどころでなく気恥ずかしい。
いくら、セイリオスがもっと幼い頃に湯浴みやらなにやらをしてくれた相手といっても、だ。
(……やめよう)
朧気とはいえいらないことまで思い出し、のっそりと背中に影を乗せながら、セイリオスは深々とため息をついた。
「……とりあえず、着替えようか」
「はい、セイリオス様」
ぐったりとした声音でそう告げると、カペラも素直に頷いた。