初顔合わせ
きちんと問題なく書けたことに内心安堵する。良かった、まだ日本語は覚えている。
「お家騒動はなぁ……ダメだよなぁ……」
今はまだ、アルファルドが幼いから気づかないだろうが、大きくなれば屋敷内の使用人たちの態度に気づくだろう。諦めるのか反発するのか、どちらにせよあまり健全な環境とはいいがたい。そして隙間が生まれれば……利用する者も、出てくるかもしれない。たとえば、アルファルドを傀儡にすることで権力を得ようとする者とか。
帳面に、「アルファルドと屋敷の距離を縮める」と書き込む。
「否応なく当事者だしなぁ」
戦国時代や江戸時代を見ていると、相続の跡目争いなんでものは珍しくもない。他人事なら「大変だなぁ」の一言で済むが、計都の立場は侯爵家の長男だ。否応なく当事者として巻き込まれるだろうが、計都としては面倒くさいことはご免被りたい。
『爵位』自体に関しては、日本人である計都にはもともと縁遠いものなので、特段執着はない。爵位を継げなければ死ぬ、となったらまた話は別になるが、今の段階では、アルファルドが父の跡を継ぎたいと主張するなら別にそれはそれでどうぞどうぞ、と思う。もっとも、それはあくまでスムーズに混乱なく譲渡されるなら、という注釈付きだ。
現代日本のように統治システムがかなり確立された社会なら、政争が起きて即一般市民がばたばた餓死する、などということはあり得ない。だが、『統治者』という、人にわりあい依存する統治システムの場合は、権力闘争と付随する政治の混乱が、一般市民の生活をダイナミックに直撃してしまう。そして、計都の感触では、現在の社会状況はどうも後者のようだった。
「……あと、どういう意図でアルファルドたちを引き取ったのか、まず確認しないとダメか」
「親に引き取った意図を確認する」と書き込む。
よくわからないところで大きな行動を起こすなら、情報収集は必須だ。「『仕事に集中できる素敵なオフィス』と言われたところが、よそ見する間もないブラックな職場環境だった」などということだって、ありうるのだから。
「……」
微妙に嫌な記憶を、頭を振って追い出す。
「あとは……」
「他に継承資格を持つものがいるか」、「継承の順位はどう決まるのか調べる」と続けて書き込む。「爵位継承に際して試験等はあるのか」と書いてから打ち消し線を引こうかと一瞬迷ったが、そのままにしておくことにした。
ブレインストーミングの基本は、否定しないでとにかく案を出すことだ。「無いなー」と思っても本当に選択肢を消すのは、案が出尽くしてからのほうがいい。
他にやるべきこと・やったほうがいいことをつらつら考えていると、部屋の扉がこんこん、と軽く叩かれた。
「セイリオス様? 夕食の支度ができました」
「あ、うん、わかった、すぐに行く」
扉の外からかけられた声に、慌てて返事する。帳面に書いた文字はほぼ乾いたようで、軽く指で触ってもインクはほとんどつかない。ぱたんと帳面を閉じると、机の引き出しの中に乱暴に突っ込んだ。
見られたところでどうせ読まれないだろうが、いらぬ疑いはかけられたくない。
(それにしても……ブレインストーミングはやっぱ苦手だな)
さほど案が浮かばなかったことにため息をつきながら、計都は部屋を出た。
「若様はこちらに」
「あ、うん」
いつも使っている食堂は、小さな家族専用のものである。屋敷の他の部屋に比べれば比較的こぢんまりした空間に、6人掛けのテーブルと椅子が置かれている。
可愛らしいメイドさん(まだ名前を覚えていない)の案内に従って、下座につく。素直に座ってから、計都は少し首をかしげた。
(……ん?)
今まで毎日この食堂を利用していたが、場所を指定されたのはこれが初めてだ。基本的に計都ひとりで食事をとっていたので、どこに座ろうと問題はなかったのだ。もしかして、と思うのと同時に、扉が開いて初めて見かける男女が連れだって入ってきた。
男の方は、笹代計都より少しばかり年長のように見えた。30代に差し掛かったかどうかといったところか。深い青の髪は緩いウェーブがかっている。優し気な表情を浮かべた顔立ちは整っており、清潔感があった。すらりとした長身で、どこぞの貴族の御曹司のような上品ないでたちと気品ある佇まいだが――実際、大貴族なのだから計都の感想はおおむねあっている。
女性のほうは、計都とほぼ同年代か下のように見えた。金とも銀ともつかない薄い色合いの髪を、ふんわりと結い上げている。美人というよりは、総務のマドンナとかそんな感じの可愛らしい顔立ちだった。シミひとつない、美しいドレスを纏ってはいるし、ところどころ光を跳ね返すのは何らかの宝石を縫い付けてあるのだろうが、身分を考えると意外なほどに装飾が控えめに見える。
心のどこかで『セイリオス』の記憶が囁く。
(これが……)
父マルフィク・ヴィントミューレ。そして母シュケディ・ヴィントミューレ。
間違いない。
「父上、母上……」
椅子から立ち、軽く頭を下げる。計都として初めて見る『両親』に、なんと挨拶して良いかわからず、計都は曖昧に言葉を濁した。セイリオスとしても久々に顔を合わす両親なのだが、同じひとつ屋根の下に住む家族に「お久しぶりです」というのも、どこか違う気がしてならない。
そんな息子の複雑な心境を読み取ったのか、傍らに控えるメイドが引いた椅子に腰を下ろして、マルフィクが柔らかく苦笑した。
「久しぶりだね、セイリオス。……20日ぶりぐらいかな?」
「あら、もうそんなに経ちましたの?」
同じように座ったシュケディが、可愛らしく小首をかしげた。おっとりとした仕草が実によく似合う。「箱入り娘」という言葉を3次元化したらこうなるのではないか、と思えた。
視線を交し合うマルフィクとシュケディはなんというか、絵に描いたような美男美女カップルだ。別次元すぎて、リア充爆発しろという気すら起きない。
(それに、なんか……いい人っぽい感じもするしな)
計都が想像する『貴族とその奥方』は、もっとこう……年を取って脂ぎった嫌味な親父と、高慢でヒステリックなババ――もといおばさま、といったイメージだったのだが。
とりあえず、両親が嫌な人間ではないようで、まずは一安心である。もっとも、まだどちらも人間性の部分では第一印象でしかないわけだが、まずは第一関門突破といえるだろう。
『計都』にしてみれば、縁もゆかりもない……わけでもないが、ともかく直接的に関係はない。だが、『セイリオス』にすれば実の父と母だ。そして、計都はセイリオスの気持ちが、感情が理解できる。いや、今となってはかなりの部分、同化しつつあると言ってもいい。
好きでも嫌いでもなかったキノコ類がなんとなく苦手になったり、甘いお菓子がなんとなく好きになったり。少しずつ、純粋な『笹代計都』とは言い難い何かになりつつあることを、計都自身自覚している。
だから。
「会えなかった間の話をしてくれるかい? セイリオス」
「わたくしたちも土産話がたくさんありますの。楽しみにしてくださいね」
「はいっ」
にこりと微笑まれて、計都は弾んだ声音で返答した。