家族との出会い
(……ま、そんなもんだよなぁ)
寝て起きたら元の部屋に戻っているかと一縷の望みを託したのだが、そうはならなかった。目が覚めてもそこは広々とした部屋で、計都はひっそりとため息をついた。視界に入る己の手は、相変わらず小さいままだ。
これがゲームだったりすれば、クリアするためのわかり易い指針や方向性なんかが与えられるのだが、あいにくと現実ではそんなヒントなど無いのが普通だ。さて、これからどうしたものか。
そこまで考えて、計都は小さく眉をしかめた。
(やっぱ、『現実』なのか……?)
現実離れしているけれども。夢だと思いたいけれども。
それでも、うっすらと心のどこかで、これは紛れもない現実なのだと訴えかけるものがある。なんというか、夢のようなふわふわとした感じはしないのだ。
ともあれ、計都に自殺願望はない。ない以上、この世界で生きていかなければならない。そして、生きていくためには知って、馴染まなければならない。
基礎知識は『セイリオス』が持っているが、それとて子供が持つ小さな世界のものでしかない上に、だいぶおぼろげだ。うまく立ち回るには、やはり計都自身が周囲の状況を知っておいたほうがいい。
やりすぎて悪目立ちしては元も子もないので、そのあたりは加減が必要だろうけれど。
「……よ、っと」
するりとベッドを抜け出す。ベッド脇に置かれていたルームシューズを履いて、少し歩き出したところで計都はふと足を止めた。
なるほど。『計都』には覚えがなくても、『セイリオス』の体になじんだ行動はなんとなくやってしまう、ということか。もっとも、最初からあまりあてにしすぎると、いざという時に困ることもあるから、気を付けたほうがいいかもしれない。
「……ま、いっか」
おいおい馴染んでいけばいいだろう。適当に判断して、計都は部屋を出ることにした。
広い。というか、ぶっちゃけ無駄にでかい。
それが計都の正直な感想だった。どうも、お屋敷のレベルを見誤っていたらしい。言っても個人の家なわけだから、間取りを把握するぐらい楽勝だと思っていたのだが、それどころではなかった。ホテルとかショッピングモールとか、そんな大きさはあるのではなかろうか。
部屋を出た段階では、どっちに玄関があるか、食堂はあるか、などなどわかっていたはずなのだが、いろいろと階段を上がったり下がったり角を何度も曲がったりしているうちに、何が何だかわからなくなってきてしまった。おかげで、自室に戻る自信がない。適当に誰か捉まえて、案内を頼まなければならないだろう。自宅で迷子というのもいささか情けない話ではあるが、すべてこの広さが悪い。
「いい天気だなぁ……」
降り注ぐ陽光を見上げる。
適当な扉を開いてみたところ、どうやら庭に通じるものだったようで、現在の計都は敷地内の庭らしきところに居た。下手に建物の内部をさまようよりも、一度外に出たほうが知っているところに出られるかもしれない、という判断だ。
さすが貴族のお屋敷、周りの植物はきちんと手入れされているようで、広いわりには荒れたような印象は一切ない。下手な公園より、よほど整備されているように見えた。屋敷に加え庭まで含めた敷地全体なら、ちょっとしたテーマパークぐらいの面積はあるのかもしれないと思う。
ともあれ、瑞々しい緑で満たされた空間は、腰を下ろして一休みするには、ちょうど良いように思えた。ほどよい枝ぶりの木によろよろと近寄ると、その根元に計都はぽてん、と座り込む。日影がいい塩梅で差し掛かり、休憩にはもってこいだ。
(てか、『セイリオス』、体力なさすぎだろ……)
大人だった『計都』の感覚と、子供である『セイリアス』の感覚の違いか。あるいは、単純に病み上がりだからか。
屋敷内をうろついただけにもかかわらず、かなり歩き疲れた感がある。実際のところ、確かに子供の足には厳しい広さではあるが、それにしても疲労感が半端ない。
「筋トレ、すっかな……」
学生時代からろくに運動しなかったため、筋トレといってもどうしていいのかわからない。まずはウォーキングからだろうか、などとつらつら考えていた計都はふと、気配に気づいて視線を動かした。視界を遮る茂みの向こうに、誰かいる。
と。
「……あ、れ?」
計都よりもさらに幼い声が、上がった。同時に、勢いよく茂みがかき分けられる。
出てきたのは、計都よりもさらに幼い少年……というよりも、幼児だった。幼稚園児ぐらいか、もう少し下ぐらいだろうか。やや癖のある黒髪に薄い緑の瞳が印象的で、なかなかに愛らしい顔立ちである。あまり子供に興味はない計都でも、同僚や友人が連れていれば「おー、可愛いお子さんですねー」と、9割本音で言ったに違いない。
計都と目があった瞬間に、幼児の顔がぱっと輝いた。
「あにうえだー!」
そのまま、とととと、と駆け寄ってくる。途中でこけるのではないかとはらはらしたが、ちゃんと無事にたどり着けて計都はこっそりほっとした。こけて泣き出しでもしたら、どうやって慰めていいのやらさっぱりわからないから助かった、と正直思う。
「えーっと……」
何かを期待しながら満面の笑みを浮かべて見上げる幼児に、そろりと手を伸ばす。ぎこちない手つきで頭を撫でてやると、さらに笑顔がさらに深まった。
「元気だったか? ……アルファルド」
「うん! アルはげんきだよ!」
何もそこまで全力で返事しなくても、と少しだけ思うものの……これはこれで可愛らしい。大人になるとなかなか全力で感情表現とかできないよな、と少しだけ遠い目になる。
そっか、と呟いて、計都はもう一度アルファルドの頭を撫でた。
2つ下の弟。大事な家族。
「あにうえー?」
「……うん」
わさわさと撫で続ける。『セイリオス』の感情が、じんとしみこんできて、それが計都にも実感できた。
きっと、セイリオスは寂しかったのだ。周りの大人は優しいし親身にはなってくれているが……結局は『仕事』だからに過ぎない。カペラが尽くしてくれていることを知っているけれども、それでも、『家族』ではないということも、セイリオスは知っている。両親も、愛してくれているけれども、帝国屈指の貴族ということもあり、そう頻繁に顔を合わすこともできない。
その中で、セイリオスにとってアルファルドやその妹たちは、わかり易く大事な『家族』だった。兄と慕ってくれているアルファルドたちがいるから、手本になれるような人間になろうとしていた。
小さな子供なりの、小さな誇り。
「あにうえ、あそんでー!」
「今日はちょっと無理だから、明日な」
「あした! やくそくだよ!」
にぱっ、と笑うアルファルドに、思わず計都も笑みを浮かべて、そう約束した。