夢の末路
じっと、見ていた。
その青年は随分とくたびれていた。現代日本において、くたびれていない社会人などかなり少数だろうけれども、それにしてもその青年は『くたびれすぎて』いた。
「……はぁ……」
家路につく後姿は、ふらふらと頼りない。右に左に、蛇行しながら歩く彼の姿を、遠巻きに見る者はいても話しかけるものなどいない。はた目から見ればただの酔っ払いにしか見えないのだから、都会の薄情さを攻めても仕方のないことだろう。誰だって、面倒なことには関わりたくないのだから。
風邪を引いて。熱を出して。
家族が居ればまだ誰かに看護を頼むこともできるのだろうが、あいにくとその青年は一人暮らしだった。侘びた佇まいのアパート(築45年と相当に年季が入っている)に戻るや否や、適当に靴を放り投げて畳に倒れこむ。鍵をかけていない、と不用心を咎める声もなく、青年は畳にほおずりをした。
「はー……」
もし。
もし、彼に、「体調が悪いので早退させてください」と会社に言える勇気があったなら。あるいは、上司か同僚の誰かが、「具合悪そうだから早めに帰っていいぞ」と言ったなら。
あるいは、家族や……彼女でもいい、身近な人間が見ていてくれてたなら。
こうは、ならなかったのかもしれない。けれどそれらはすべて、無意味な仮定に過ぎなくて。
「……」
青年の呼吸が浅く、緩くなってゆく。
家族は、いない。兄弟はおらず、両親は大学在学中に事故で揃って亡くなった。
仲の良い同僚もいない。もちろん声をかければ答えるし、共に飲みに行くことも無いわけではないが……結局は、仕事において潜在的なライバル同士なのだ。どうしても、弱みを見せることはできない。
親友や友人たちなら、居る。けれど、彼らも皆、社会人として忙しい毎日を送っている。風邪を引いたから見舞いに来てくれ、だなんて、学生のときのように気軽に言うわけにはいかない。
結局のところ、たかが風邪と侮ったのが運の尽きなのだろう。
「……」
ことり、と弱弱しい鼓動をひとつして、彼は眠りにつく。夢も見ず、覚めることのない――永遠の眠り、というやつだ。
それを、ずっと見ていた。夢の中で、最期までじっと。