第30話 新婚旅行前の話
朝、ナリアルと朝食の並んでる部屋に出てくる時はかなり気まずかった。
とくにシュリがすごく冷たい顔をしていたのだ。
「昨夜はお楽しみでしたね」
棒読みでシュリが言ってきた。
神格の眷属としては無茶苦茶汚らわしいことなのかもしれない。
いや、何もしてないんだけどね。
手つないだだけなんだけどね。
「まあまあ、自然の営みじゃ。止められぬ部分もあるわい」
妻がなだめてくれた。
なお、マルファは昨日はシュリとヴィナーヤカの部屋で寝ていた。
「そうですわよ。まあ、わたくしも抱きつくだけ抱きついていて悪いとは思っていましたから、ちょうどよかったですわ」
ヴィナーヤカはこういうの楽しむキャラだから、問題はないが恥ずかしくはある。
「おい、ちなみに手を握っただけだからな……」
ヴィナーヤカが露骨につまんなさそうな顔をした。
「な~んだ。面白くありませんわね」
まあ、俺よりはるかにナリアルが恥ずかしがっていたが。
「今すぐ逃げ出したいぐらいだ……」
そんなことを言っている。
「逃げ出す前に『新婚旅行』の護衛をお願いしたいわね」
シュリがまだ冷たい響きを残して言う。
「予定が立ってきたわ。魔王の城を目指す旅のね」
「あ、ああ、そうだな……。いい旅にしたいな」
「いい旅っていうか、凄惨な旅になると思うけどね」
シュリはため息をつく。
ただ、何かを危惧するという雰囲気自体はない。
「魔族も荒れるわよ。かなり壮絶な殺し合いになると思うけど」
「それは仕方あるまい。魔王に刃向かう者は処刑するしかないからのう」
気楽な調子でマルファは言って、ジャムのついたパンをもぐもぐと口に入れた。
◇ ◇ ◇
★魔族の陣営の動き
魔王の一時不在の報は当然魔族全体には行き渡っていたが、それで平穏を保てる期間にも限界があった。
とはいえ、魔族といえども命は惜しいから、勝算のない反乱を起こすような者はいない。
魔王マルファがほかの魔族を凌駕した力を持っているのは周知の事実である。
魔王は代々、即位の際に特別な儀式を行う。それにより、ほかの魔族が到達できないような力を手に入れる。
だが、その魔王に背ける力を持つ者は一切ないわけではない。
それが魔王の親類に当たる者たちだ。
「まさか、お姉様がみずから地位を危うくするような失態を犯してくれるとはな」
魔王マルファの弟、ベルエールは自分の砦でほくそ笑んでいた。
このまま魔王の不在期間が続けば、必ず不満がくすぶる。
当然の結果だ。王の職務放棄なのだから。
その時、次の王位に最も近いのは自分だ。そう、ベルエールは思う。
マルファの弟ではあるが、その容姿は二十歳ほどの貴公子然とした男だ。
頭の二本の角さえ隠せば、深窓の皇女をすぐに恋の魔法にかけることができるほど、顔も整っている。
王位継承戦争の時、多くの兄弟姉妹は争いの途中に斃れた。
マルファに討伐された兄も姉もいた。
だが、ベルエールはその戦争に参加するのに出遅れたのが幸いして、挙兵することもなかった。
結果として、危険分子になることもなく、表面上は姉に当たるマルファの与党という顔をしていた。
だから、今も砦の城主をしていられるのだが――
かといって、野心がないわけではない。
取り巻きたちは、新たな魔王であると挙兵するべきではと言う者もいた。
だが、まだ早いとベルエールは連中をなだめた。
「今は兵の準備だけにとどめておけ。お姉様がどこで何をしておるかわからんようでは気味が悪いからな」
魔王マルファは人間の世界に旅立つことを公言してはいない。そのため、どこに消えたか正確には把握されてなかった。
「あと十日ほどして動きがなければ、まずは政務運営のために魔王代理になると称するのだ。あくまでも魔王のためを思ってという立場でのぞんだほうがいい。あとは、そこから権限を正当化していく。もし、お姉様に不実ともとれるような行為があれば、そこを追及するのだ」
もう、ベルエールは魔王になったつもりでいた。
ただ、まさか彼も魔王の姉が人間と結婚しているなどという、とんでもないことをやらかしていることまでは想像できていなかった。




