第29話 おめかけさん
俺とマルファはオルドアの森を町のほうへ、てくてく歩いている。
町の名前はサリアラント。人口は四千人ぐらいで、この世界ではそこそこにぎわっている。
なお、マルファの隣には、もう一人知った顔がついてくる。
ナリアル――女オーガの剣士だ。
マルファの信望厚く、マルファが俺の嫁になったあとも近くに住んでいて、今日みたいに町に出る時などは恭しくついてくる。
まあ、王国と戦う要素が現状停止しているんだから、マルファについてくるぐらいしかやることもないか。
「ナリアル、疲れたのじゃ。おんぶじゃ」
「はい、魔王様、わかりました」
ナリアルがしゃがみこむと、ぴょんとマルファは飛び乗った。
ううむ、あんまり甘やかすなと言うべきか。
でも、王族なら歩き慣れてないのも普通かもしれんな。
おんぶのほどよい揺れが気持ちいいのか、町に着く前にマルファはナリアルの背中で眠ってしまった。
「俺の嫁が迷惑かけるな」
「魔王様にお仕えするのが私の職務だ。これが日常だ」
マルファが寝ている時でも迷惑そうな顔一つしない。そりゃ、マルファが信頼するのもわかる。
「しかし、平和になったものだな」
ナリアルが遠いところを見て言った。
「ほんの少し前まで、私は王国を滅ぼすために血道をあげていた。それが今では王国の都市に買い物に行くぐらいだ」
最初、オーガのナリアルが買い物に行って、町は拒絶反応を示さないかと不安ではあったが、ヴィナーヤカがついていってくれたらしく、いいところのお嬢様のヴィナーヤカの使用人か何かだろうと認識されたらしい。
当然と言えば当然だが、見た目が人間に近ければ、恐怖心も弱くなる。
そりゃ、ビヒモスが町に出てきたら、パニックになるだろう。
まあ、あと、できるだけいろんなところで高いものを買ってお得意様ってイメージも与えてくれたらしい。人間は顧客にはやさしくなる。
おかげで今ではナリアルが買い物に出ても露骨に忌避されるようなことはないという。まあ、魔王軍の将軍だと言っちゃうと、そうはいかないだろうけどな。
このあたりはヴィナーヤカさまさまだ。
「うん。この状況ができるだけ続いたらいいな」
人の苦しむ顔を見るのが趣味とかそういうサディスティックな性格ではないので、この日常には満足している。
ナリアルがごく普通に生きながらえて生活してくれているのもうれしい。
命を救いにいく決断をしてよかったと思う。
マルファをおんぶするナリアルを見て、ふと思った。
「でも、あれだな、こうやって歩いてると、お前と俺が夫婦みたいだな」
で、マルファがその娘だ。
「な、何を言うんだ、お前は……!!!!!!」
あれ、もしかして失礼なことを言ったか?
オーガは顔が赤っぽいとはいえ、その比じゃない気が……。
「悪い……。侮辱したつもりはないんだ……ごめん……」
「ち、違う! 気を悪くしたわけではないっ!!!!!」
やたら強く、否定された。
「むしろ、逆だ……。う、うれしい……」
顔を背けながら、ナリアルが言う。ちょっと照れた顔に見えた。
「お、おう……それはありがと……。え、うれしい?」
それはそれでなんか意味深な気が……。
ナリアルはやけに背中のマルファに意識を向けているように思えた。
「こほん……」
それから、わざとらしい空咳。
「はっきりと言うぞ。お前は人間ではあるが、責任というものをよく知り、本当に立派な男だと思う。剣の技量も申し分ない」
「あ、ああ……そんな褒められて照れるな……」
「正直なところ……お前のような男を夫に持てるなら、こ、光栄だと思ったこともあるぐらいだ」
ちょっとむせそうになった。
もう、歩いてられない。足も止まる。
「お前、それ、こ、告白みたいなもんだぞ……?」
ナリアルはできるだけこちらの顔を見ないようにしていたが、顔がすっかり赤くなっているのはすぐわかった。
あらためてナリアルを見ると、普通に精悍な体つきの少女にしか見えない。
一般人と違うところと言ったら、せいぜい八重歯が牙に近いところまで出てるぐらいだ。
「そ、そうだ……。ずっと、想いを告げないのも、自分の性分ではない気がしたのでな……」
おいおい、こんなところで告白されるとか予想外もいいとこだぞ……。
「けれど、すべては過ぎたことだ」
そこでふっと寂しげな顔になるナリアル。
「お前は我が主君と婚儀を挙げた。だから、お前と夫婦になることももうない。だから、そんなふうに過去に考えていたというだけのことだ」
ああ、こいつはマルファの忠臣だったんだな。
だとしたら、こういう結論になるのも当然か。
つまり、これって、アレだな。
同窓会とかで昔のクラスメイトに会った時に、人妻になってる相手から昔、好きだったのとか言われるアレだ。
まあ、大学出て一年目の俺の年齢だと、まだ結婚してる奴はほぼいないんだけど。
しかし、話はそんな昔の思い出では終わりそうになかった。
「なるほど。すべて聞かせてもらったぞ」
ナリアルの背中からマルファの声がした。
ナリアルが変な声を出して、マルファを落としかけた。
「ふっふっふ、これぞ魔王の血筋に伝わる奥義、寝たふりじゃ」
「ただの寝たふりじゃねえか……」
「さて、ナリアルよ。お前は我が夫に好意を抱いておったのじゃな」
もはや、言い逃れはできない。全部言ってしまったもんな。
「も、申し訳ありません、魔王様……。この気持ちはあくまでも魔王様がこの者に嫁ぐ前のことでして……けして背信では……」
「別に悪いとは一言も言っておらんぞ」
おんぶされたまま、マルファは声を出す。
「むしろ、その気持ち、形にするべきであろう」
「え?」
これは俺の声だ。
「ナリアルよ、お前は私に仕える身である。ならば我が夫も仕える対象も同然じゃ」
「はっ、はい……」
ナリアルも納得している。まあ、ここまではおかしな話じゃない。
「なので、ナリアルよ、お前には我が夫の夜伽を命じる」
俺は思わずむせた。
ちょっと、これはナリアルの顔が見られない。
「まあ、落ち着いて聞け。我が夫は魔王の夫、魔王も同然である。魔王にはこれまでも側室が何人もおった。それだけのことじゃ」
ナリアルは押し黙って、聞いている。
恥ずかしくて何も言えないのかもしれないが。
俺も似たようなものだ……。
「それに、我が夫のそばにいる女は神格じゃ。とても抱くわけにはいかぬ」
それは、ぶっちゃけ本当だ。
というか、これまでも毎日美少女のヴィナーヤカに抱きつかれてたからな……。
リアルに拷問だったと言える。
「まあ、もう、心変わりしてゴーウェンに興味がないというなら無理強いはせんが、どうじゃ?」
ていうか、俺にも聞けよ、マルファ……。
「わ……」
そのあと、ナリアルは小声でわかりましたと答えた。
「その代わり、あくまで夜伽の立場であることをお前は忘れぬようにな。ゴーウェンも自分の妻が誰かは忘れぬようにせよ。でなければ、ただではおかんぞ」
もう、全部決定事項になったらしい。
◇ ◇ ◇
その夜、ナリアルと同じベッドに入ったが――
手をつなぐだけで終わった。
「わ、私は……魔王様を裏切ることはできん……」
「ああ……もちろんそれでいい……」
その日はろくに寝つけなかった。




