第22話 小さな客人
その日、俺はいろんなお経やマントラの確認をしていた。
虚空蔵菩薩の力で一度でも聞いたものは引き出せる。
それでも俺が聞いたことのないお経もたくさんあるので、それについてはシュリに教えてもらっていた。というか、お経の内容を聞けばそのまま丸暗記できるので、シュリに書いてもらってるだけって感じだが。
「今日は何をしていらっしゃいますの?」
ヴィナーヤカが不思議そうに訪ねてくる。
「ある意味、修行だ」
修行っぽさは薄いが、それぐらいしか言葉が思いつかない。
「魔王軍が本格的に俺たちに目をつける可能性が高いからさ、そうなったら俺たちもタダじゃすまない――いや、俺だけか……。俺はタダじゃすまないかもしれないから、そのための対策」
「そんなことしなくても簡単に勝てると思いますけれど」
とはいえ、魔法のある世界だからな。神格すら封印するような魔法を向こうが使ってこない根拠なんてない。
「勉強熱心なことは評価するわよ。さあ、次はなかなか変わったお経よ」
シュリは教えたがりなので、けっこう好意的にこちらに付き合ってくれていた。なんか教育ママみたいな性格だな。
「また将軍クラスのが来たら、どうするの? 追い返す?」
「それでもいいんだけど、次はもっと別の方法を試してみたいんだ」
上手くいくか、まったくの謎だけど。
「相手の耳元に近づいてさ、囁くんだ。日本人なら誰でも誰でも知ってるような言葉なんだけど――」
しかし、想像以上に敵の到着が早かった。
――体がぴくぴくっと反応する。
センス・エヴィルの効果だ。
モンスターが近づくと自動的に発動する魔法だ。
しかし、どうにも反応がおかしい。
これ、とてつもなく遠くにいるモンスターを察知してないか?
前にナリアルに気づいた時でもこんなに遠くではなかった。何か今回はおかしいのが来ている気がする。
「ナリアルよりすごそうなんでしょ。これは本命が来たかもしれないわね」
シュリも気合が入ったぞという顔をしている。
「じゃあ、誰かがいらっしゃる前にごはんでも食べますわよ」
ヴィナーヤカがマイペースなことを言ったが、たしかにまだまだ食事ぐらいできそうなほど反応が小さいのだ。
その反応もじわじわと大きくなってくるが。
戦いに勝つということで、その日は調理師のマハーカーラに豚肉を揚げたものを作ってもらった。もちろん、敵に「勝つ」と「カツ」をかけているのだ。
「魔王って、どんな奴なのかしらね」
カツをかじりながら、シュリが言う。
「長い牙とか生えた化け物みたいな奴なんじゃないのか。イメージとしては閻魔大王みたいな」
「それ、閻魔天に失礼ですわよ」
あ、そうか、閻魔様も神格なんだよな。
「わたくしとしては、ドラキュラ伯爵みたいな、かっこいいおじさまみたいな人をイメージしていますけれど」
たしかにそういうのも魔王っぽくはあるな。
とにかく、なんらかの威厳のありそうな奴だろうと話をしているうちに食事は終わった。
モンスターではない普通の鳥たちがギャーギャー鳴き出した。
生き物も何か禍々しいものを感じているらしい。
俺たちも戦闘準備をして、外に出る。俺の場合は鎧もつけている。
そして、わずかな手勢を連れて、ついにそれがやってきた。
先触れ役はナリアルがつとめていた。
ということはその先にもっと偉い奴がいるということだ。
「ふはははっ! 魔王マルファ、わざわざ出向いてきてやったぞ!」
という声が十歳ぐらいの幼女から聞こえた。
…………。
……………………。
「ああ、魔王ごっこか。子供ってそういうごっこ遊び好きだよな」
まさか、ナリアルがこんな冗談をやってくるとは思わなかった。
意外とジョーク好きなのだろうか。
「待つのじゃ。今のごっこ遊びというのはどういうことじゃ?」
幼女が聞き返してきた。
角も用意しているし、かなり熱心なんだな。
「だから、魔王ごっこだろ? じゃあ、俺は魔王の部下の役をやろうか? それとも勇者役のほうがいい?」
「違うぞ!」
「違う? ああ、もしかして魔王ごっこじゃなくて勇者ごっこなのか」
そういうコンセプトは大事だよな。子供だからこそ、そのへんにこだわるのかもしれんし。
「否定しておるのはそこではない! ごっこの部分! ごっこじゃないのじゃ!」
文句言いながら、幼女は下馬した。
この歳で馬を乗りこなすとはかなり運動神経いいんだな。
あわてて、ナリアル含むほかの連中も下馬しだした。
「わかってる。ごっこの気持ちじゃなくて、真剣に演じるからな!」
仏教説話の中には、子供時代にしたお地蔵さんごっこの縁で、死後に地蔵菩薩に救われただなんて話もある。
純真な子供のごっこ遊びにも悟りや救いは含まれているのだ。
「ああ、もう! 全然、言葉が通じんな! おちょくるのもいいかげんにするのじゃ!」
「お菓子いる?」
ヴィナーヤカ用に揚げ菓子をけっこう作っているのだ。マハーカーラが作っているので味も一流パティシエクラスの味である。いや、一流パティシエより確実に上のはずだ。
「お前、いいかげんに――じゃが、お菓子はもらおう」
なんだ、やっぱり、子供だな。
「じゃあ、せっかくですし、お茶にいたしませんか」
ヴィナーヤカが外にテーブルを出して、お菓子とお茶を持ってきた。
その間、シュリがすごく何か言いたそうな顔をしてたけど、まあ、あとで聞こう。小さな客人もいるし。
「悪いが、わらわは味にはうるさいからの。そんじょそこらのお菓子では納得しな――――うまっ! うまい! うますぎる!」
幼女は埼玉県銘菓のテレビCMみたいなことを言った。
さすがマハーカーラのお菓子。魔族の幼女も納得のクオリティらしい。
「甘さとこうばしさ、それに食感、すべてが完璧なのじゃ……。外はさっくり、中はもっちり。ハチミツの甘さにクルミの歯ごたえが混ざり合っておるし……。伝説じゃ、このように美味な菓子を賞したことはないぞっ!」
「お気に召していただいてうれしいですわ」
ヴィナーヤカも子供の客人にはやさしい。
歓喜天を熱烈に信仰するのって欲深い人間が多いからな。
無欲な子供と接するのは新鮮なのかもしれん。
ナリアルもなんか言いたそうだが、何を遠慮してるんだろう。
「うむ。本当に美味であった。では、また来るぞ!」
幼女が楽しそうに席を立った。
それで馬に向かって三歩ぐらい歩いたところで振り返った。
「――って、違うのじゃ!」
「お土産にお菓子持って帰るか?」
「それはいただく――が、それはこの際どうでもいいのじゃ! わらわは戦いに来たのじゃ! いいかげん聞け!」
「戦争ごっこ?」
「だから、ごっこじゃないのじゃ! わらわが本物の魔王マルファなのじゃー!」
「本当です……」
ナリアルも同意した。
「どうやら、そうみたいね……」
シュリもあきれながら言った。




