三杯目 世界はこんなにも狭くなり
「はい、おまちど~」
俺の前に八等分された卵焼きが置かれた。ユラユラと温かそうな湯気を出す黄色い物体に誘われて、まだかまだかと急かすように腹が低い声で唸る。
エプロン姿でせっせと動き回る桜來を眺めつつ、空腹をまぎらわす為にコップに入った牛乳を一口含む。手伝いたいのは山々なんだが、「台所は戦場なんだよ~」と言って洗い物はおろかキッチンに立たせてすらもらえない。仕方なく座って待っているとはいえ、彼女一人を働かせていると思うとどうも落ち着かなかった。
テレビから聞こえてくるニュースキャスターの声を聞き流しつつ、普段のトロそうなイメージとは掛け離れた動きをする幼馴染みに声をかけた。
「準備出来てたんじゃなかったのかよ」
「出来てたよ~下準備は。ごはんとかお味噌汁は大丈夫だけど他のおかず作り置きしておいたら冷めちゃうもん。サユキちゃんだってあつあつのほっかほかを食べたいでしょ~」
「確かに温かい方がいいけどさ、兄貴の残飯は?」
「ないよ~、真夏くんは出した食べ物は残さず食べてくれる天才だからね~」
「そっか。で、今日は一体何を出したんだ?」
「んっとね~、お味噌汁と~、目玉焼きと~、野菜炒めと~、ウィンナーと~、スクランブルエッグと~、納豆と~、鮭の塩焼き~。急いでたみたいだから食べたらすぐ出てっちゃったけどね~。でも笑顔で出ていったから忙しくても仕事は楽しいのかな~。あ、でも顔がちょっと青かったような気がするから心配だけど」
「そうかー、まあ大丈夫だろー」
流石兄貴。おそらくヤツは吐きそうになりながら通勤していることだろう。毎朝毎朝ご苦労なことだ、取り返しのつかなくなる前にやめればよかったものを。それで仕事に支障が出なければいいんだが。
「それにしても……」
暇だ。ただ座っているだけというのはここまで暇なものなのか。思わず箸で茶碗を叩きそうになる……が、寸でのところで思いとどまった。
そういえば……前に同じことやろうとしたときに桜來に物凄い勢いで怒られたっけ。笑顔で穏やかな口調なのにまくし立てるように叱る姿はある意味トラウマになりそうだった。そーっと顔を上げる。サラダにするためのキャベツを刻んでいたはずの彼女は、顔を上げ満面の笑みを浮かべて俺のことを睨んでいた。
心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。
まずいまずいまずいまずい! い、いや待った、睨んでいる……のか? そもそも満面の笑みで睨んでるっておかしくないか? だけど……どうしてだろう……人一人殺せそうな威圧感を感じるのは。
「サーユーキちゃ~ん」
無言で箸を置く。すいません行儀が悪うございました。
うんうんと大きく頷くと、まな板に向き直り彼女はまたキャベツを刻み始める。うん、大人しくしていよう。そうすれば何も被害はないはずだ。
膝の上に手を置き、つけっぱなしにしていたテレビをぼけーっと眺める。ちょうどその番組恒例の特集コーナーが終わったらしく、俺が顔を向けた時には既にキャスターが原稿を読み上げる映像に切り替わっていた。
『――男は容疑を否認していると言うことです。続いてのニュースです。えー、年内にも大阪府枚方市、交野市、京都府京田辺市のウイルス除去が完了するとして、ハウスから正式に発表がありました』
ピロンッという音と共に画面下にテロップが現れ、記者会見の映像に切り替わった。フラッシュのせいか眩しそうに目を細める初老の男性が記者たちの質問に丁寧に受け答えている。
『八尾駐屯地、信太山駐屯地の全駐屯部隊協力の元、我々ハウス関西支部は迅速にウイルスの除去活動を進められており――』
「お~良かったね~」
サラダを運び、自分の分の味噌汁をよそっている桜來が嬉しそうに微笑んだ。
「良かったってなぁ……行動範囲が拡がるのは関西だろ。俺ら関東住みは関係ねえよ」
「でもね~、国内のウイルス除去が進んでくれると土地が増えて畑や養殖場もいっぱい出来るから~。物価が安くなっていろいろ大助かりなんだよ~」
「とは言ってもな……」
全ての配膳が終わり、エプロンを脱ぎつつ向かいの席に桜來が座る。それを合図に俺たちはほぼ同時に手を合わせ、並んだ料理に手をつけた。甘い匂いを漂わせる卵焼きを頬張り、白くつやのある白米を口の中に掻き込む。正直個人的に卵料理の王様は卵焼きだと思っている。いくらでもアレンジ可能でなおかつ冷えても旨いという万能さにはいつも感服だ。
「ほうわいふがはふら、ほうへはらはんほうひほ」
「サユキちゃ~ん、口の中に物入ってる時は喋っちゃダメだよね~?」
「…………」
禍々しいオーラを感じ即座に黙る。うん、学習しようか俺。
殺意を感じる笑顔に気圧されつつも、口内で一つになった大きな塊を一気に飲み込む。コップの牛乳を飲み干し口の中を完全に空にして再び口を開いた。
「そ、そうは言うがな桜來、どうせなら関東ももうちょい無感染地域を増やしてほしいだろ」
「ん~、でも東京に無感染地域があるだけで奇跡的なんだよ~。二十三区は高い汚染濃度で人が入ってもどうなるかわからないし~。害獣もうじゃうじゃいるですしおすし~」
黒く焦げ目のついたウィンナーをつまみ口の中に放り込む。噛むたびに肉汁の旨味が口いっぱいに広がるが、今の俺は自分でも分かるくらい苦汁を飲まされたような顔をしていた。
桜來の言いたいことも分かる。ウイルスはまだ未知な部分が多いし、『害獣』が危険だと言うことは小学生の時からいやというほど教わった。だけどどうしても納得がいかないことがある。確かに東京二十三区の汚染濃度は国内最高だが、京都府南部から京都市にかけての汚染濃度は次いで二位の高さだったはずだ。二十三区よりか低いにしても、それほどの装備や戦力は備わっているはず。というかそれ以前に、無感染地域を造り出す技術はとうに開発されているのだから、それを応用すれば今より効率良く作業が進むと思うんだが……。
「まあね~、三十年でここまで科学技術も進歩したんだから、もう少ししたら空気中の細菌を一瞬にして全て消せる技術も開発されるよ~多分~」
「いやそれは色々とマズイだろ……」
三十年、か。
箸を止め、再びテレビに視線を向ける。先ほどのニュースは既に終わったらしく、代わりに大物アーティストの不倫騒動が大々的に報道されていた。
今からちょうど三十年前、二〇一二年。人類滅亡説が唱えられ、多くのテレビ局でも取り上げ映画化までしたことで有名な年。産まれる前の話とはいえ、俺もいくらか話を聞いたことはあった。……いや、誰もが皆、必然的にその年のことは頭の中に入っているはずだ。
信じる者も、信じない者も、日々刺激を求める人間たちにとってはいい話のネタになっていた。それでも、ノストラダムスの大予言こと起こることのなかった滅亡説という前科があるためか、大半の人間は信じてなどいなかっただろう。
だが、人類滅亡の危機は、予定していた日にちよりも二十日も前倒しして訪れた。
二〇一二年十二月二日、南アフリカにおいてUMAが出現したという情報が、あらゆるニュース番組で報道された。
当時の人びとは新たなネタができたと喜んでいたことだろう。マヤ文明の人類滅亡説に重ねて未確認生物が出現したとなれば、無理もない反応だろうが。
世界各地の学者達が『人類滅亡の前兆だ』なり『宇宙人が我々を救いに来てくれた』など、見たこともないのに馬鹿丸出しの議論を交わしていたらしい。その内テレビ番組でも『あのUMAは地球を滅亡させる使者だ』などと、信じてもいないくせに騒ぎだした。誰しもが、おもしろい冗談だと思っていたんだ。
まったく、その通りだとも知らずに。
その五日後、二〇一二年十二月七日、ロシアにある小さな村が一晩で壊滅する事件が起きた。
悪夢のような光景だったのだという。村の建物は全壊、半壊され、村人は全員一人残らず惨殺されていた。ある者は頭が潰れ、ある者は内蔵を引きずり出され、そしてある者は……まるで『獣』に喰い散らかされた様な状態で見つかった、と。
地元の警察は盗賊による大規模強盗殺人事件として扱ったそうだが、……それは間違いだと、捜査を始めて一日経たずで気づかされた。
二〇一二年十二月八日、人類の歴史に刻まれる、最悪の事件の始まりの日。
午前二時、エジプトのピラミッド周辺に南アフリカに出現したのと全く同タイプの未確認生物が出現した。
夜中ではあったが、世間を騒がせている『ネタ』を一目見ようとしたのだろう。大勢の人が集まり、まるでお祭りでも始まるのかという様な雰囲気だったそうだ。いや、みんなお祭り感覚だった、という方が正しいのか。
その一帯が血の海に沈むまでは。
南アフリカでは危害を加えなかった『それ』は、ピラミッド周辺にいた人を含め、油断していたであろう首都カイロの人々を貪り喰うかの様に襲い始めた。
そこから『それ』に侵略されるのにどれだけの時間が必要だっただろうか。瞬く間に世界中に別の『それ』が現れ始め、全人類はパニックに陥った。もちろん、日本も例外ではなく。
世界各国は軍を派遣し、日本も自衛隊を派遣して応戦した。しかし『それ』個体の破壊力、狂暴性は異常なまでに高かった。一個小隊は愚か、中隊で向かっても蹴散らされるほどに。
多くの犠牲者が出され、人類は絶望の淵に追い込まれた。もう神に祈ることしかなすすべがなくなっていた。
しかし、犠牲者が次々と出ていく中あることに気がついた。『それ』が出現しない、そして付近に近づいても決してその中に入ろうとしない場所があることに。
最初にその場所が発見されたのは日本だった。大阪市全域を始め世界各地に転々と散らばっている、後に『無感染地域』と呼ばれるその場所は人類にとっての唯一の避難場所であった。避難することでそれ以上の犠牲者は出なくなったが、最終的な死者行方不明者は世界人口の三分の二にまで昇る事になってしまった。
っと、ここまでが三十年前に起こった、今で言う人類史上最悪の事件の全貌。俺が歴史の授業で習った事の全てだ。
この後仕留める事の出来た未確認生物の細胞を調べた結果、ある程度変化はあったが、それぞれトラやゾウ、犬、猫、はたまたネズミなど、回収した全ての未確認生物から哺乳類の遺伝子が検出された。そこで初めて、突如出現した悪魔達の正体が、哺乳類の……地球の生物の突然変異だということが判明したんだ。
何故形体が変化したのか。何故あそこまで狂暴性が増したのか。何故哺乳類だけなのか。何故哺乳類である人間には何も変化がないのか。様々な憶測が飛び交う中、遂に原因が突き止められた。
政府からの発表は『新型ウイルスによる感染症』、しかも『全世界規模のパンデミック』。
無理もないだろうが、発表されたその瞬間は大パニックだったらしい。
だが、慌てたように付け足した当時の総理の言葉でなんとか国民は落ち着きを取り戻した。総理曰く、『人体への影響は現時点では皆無に等しい』『我々が避難している地域では感染した動物を含め、ウイルスも浸入してくることはない』とのこと。
調査が進むに連れ、ウイルスが存在しない地域ーー無感染地域を拡大させる技術が開発され、ウイルスは正式に『人外哺乳類寄生ウイルス』と名付けられ、病名を『狂獣病』と記した。誰が言い始めたのか、感染した獣たちを『害獣』と呼ぶようになり、世間もそれで定着してしまった。
……ほんと、いらん知識がついたもんだ。授業で習った内容はともかくとして、兄貴に散々っぱら聞かされたせいで頭から離れなくなってしまった。俺には無縁の世界の話なんて覚えても仕方ないってのに。
「まあまあ~この話はもうおしまいにしよ~。あたし達がどうこう言っても現状が変わるわけでもないしね~。今はほら、ご飯食べることに集中しなよ~。あたしもそろそろ出掛けるから早く食べてもらわないと片付けられないし~」
そんな俺の心情を知ってか知らずか、味噌汁をすすりつつ話題を変える桜來。
「あれ、どっか出掛けんの?」
「うん、図書館にちょっと~」
「ああ、今週も行くのか」
「受験まで日がないしね~、一日でも多く勉強しておかないと~。余裕かどうかって聞かれたら全然だし~」
自嘲気味に笑い、俺に聞こえるか聞こえないかくらいのため息を漏らす。桜來は学年の中でも五本指に入る成績のはずなんだが、それほど難しいのだろう、彼女は自分に呆れたかの様に肩を落としていた。
「大変だな、ハウス志望も」
「その前に大学に受からないとね……大丈夫かな……」
いつもの間延びした話し方ではなく、端から見ても分かるくらい自信が無さそうだった。自信が無いときはとことん自信がないのは昔から変わっていない。ううむ、進学校の学年トップをも唸らせる入学試験か……一体どんな鬼畜問題が出るんだろうか。後で過去問でも見せてもらおう。
「弱音吐いてても仕方ないだろ。ハウスに入りたいって言って猛勉強してたんだからもうちょっと自分を信じろ」
「うん……そうだね、今さら諦めたくもないしね」
小動物を思わせる小柄な身体を背もたれに預け、自分に言い聞かせるかの様に小さく笑った。その顔にはまだ不安の色が見てとれたがもうネガティブ発言をするつもりはなさそうだった。
よしよし、今回は早めに抜け出せて良かった。一回深くまで堕ちるとなかなか引っ張りあげることが出来ないからなコイツ。ほんっと感情の起伏が激しいというかなんというか……。まあ素直ってことなんだろうし、それがコイツの良いところでもあるんだけど。
「よしっ、じゃあ頑張る受験生に愛情一本っと」
「ん~?」
立ち上がり、部屋の隅に鎮座している冷蔵庫に歩み寄る。マグネットが不規則に貼られている扉を開け、納豆や豆腐の陰に隠れているやや大きめの箱を引っ張り出した。それを右手で宙に掲げ、腰に手を当てて見せつける様に天へと突き出す。
「おお~芋ようかん!」
まるでずっと欲しかったおもちゃを買ってもらう子どものみたいに目をキラキラと輝かせ、嬉しさのためか身体を左右に揺らしている。これぞ泣く子も黙る――もといぐずった桜來も黙る、竹松堂の芋ようかん。いくら安さが売りの竹松堂とはいえ、三十年前と比べると高めの価格設定だが、昔と変わらず今もなお全国の和菓子愛好者に支持され続けている一品だ。
それにしても、箱を見せただけなのによく芋ようかんだって分かったな。あと二つくらい似たような箱が入ってたはずなんだが......直感、だろうか。流石生粋の芋ようかん娘。
「頭を使うことには甘いものだしな。脳の糖分補給。これ食べて勉強頑張れ。今切ってやるから」
「わ~ありがと~サユキちゃ~ん。ん? ちょっと待って」
「どうした?」
「確かそれ、最後の一本だった気が~」
桜來の言葉に俺は今だ宙に掲げたままだった箱を置き、中身を確認するため蓋を開いた。彼女の言うとおり、その中には箱の四分の三ほどのスペースと、端に控え目に収まっている山吹き色の細長い延べ棒が一本存在するだけだった。
「やっぱり今はいいや~」
「え? どうした急に」
おかしい、店先のショウウインドウに芋ようかんが並んでいるだけでべったりと張り付いて離れないほどのマニアがどういう風のふきまわしだ? なんか悪い物でも食ったかな……。
「それ、真夏くんが帰ってきてから三人で食べようよ~」
「いいのか? これお前が買ってきたやつだろ? 俺と兄貴のことなんか気にしなくていいのに」
「いいの。それに、あたしが買ってきたんだからどう食べるかはあたしの勝手でしょ~」
にっこりと論破されてしまった。
「お前がそう言うんならいいけど……」
「そーそ。まあ、勉強の後のご褒美と言うことで~」
箱を冷蔵庫の中に戻し、入れ替わりでパックの牛乳を出した。テーブルの上の空になった牛乳パックをゴミ箱に放り込み、新たに開けた牛乳を内側が白くコーティングされたコップに注ぐ。
「そういやさー桜來」
「ズズズ……ん~?」
「お前なんでハウスに就職したいんだ? 一度も聞いたことなかったよな」
「ん~っとね~……二十三区に行きたいから……かな?」
味噌汁をすすっていた彼女は少し迷う素振りを見せてそう言った。
「いやなんで疑問系なんだよ」
「だって~入りたい理由はいっぱいあるし~」
「てかそもそも大学出てから行くなら研究員志望なんだろ? 調査員でもないのにどうやって行くんだよ」
「甘いな~サユキちゃん」
チッチッチッと指を振る。
「ウイルス全部取っ払っちゃえば入れるでしょ~」
「なるほど、根本的な問題を解決しちまうってことか。流石だ」
「はぁ~どんなところなんだろうね~。行ってみたいところが沢山あるんだよ~。渋谷や原宿は若者のファッション文化の発信の地と言われてたらしいし~、秋葉原なんて家電製品とアニメ文化の宝庫らしいよ~」
飲み干したお椀に味噌汁を注ぎ直そうとしていた桜來はまたしても瞳を輝かせ、すっかり自分の世界に入り込んでしまっていた。水を差すようで悪いけど、早い内にこっち側へ引き戻してやりますか。
「それ、もう三十年も前の話だろ。今じゃすっかり寂れちまってるよ」
「む~、そんな夢が壊れるようなこと言わないで」
頬を膨らませて抗議してきた。事実なんだからしょうがない。
「あたしは街を見れればそれでいいの。当時の雰囲気というか、旧首都がどういう所か知りたいだけ」
「もしかして……それだけでハウスに?」
「だから言ったでしょ~、入りたい理由はいっぱいあるって~」
「ふーん……そっか。ま、そういう理由で良かったよ。俺はてっきり兄貴を追っかけて入るもんかと……」
「ブフッ!!」
俺が何気ない一言を発した刹那、桜來の口から霧状のとなった味噌汁が俺の顔面に大量に噴出された。味噌に混じって海の香りがする。そういや今日の具はしじみだったなーじゃない待て。
「ケホッケホッ……な、なに言ってるのさ!?」
顔を真っ赤にし、あたふたと落ち着きの無い動きを見せる。よほど慌てたのか持っていた味噌汁を一気に煽るという良く分からない行動をしていた。ああ、この反応……図星だな。
「やっぱりな……そんなことだろうと思ったよ」
「なんでっ……じゃなくてあたしまだ何も言ってないよ~!!」
「見てりゃ分かるっての。それにお前兄貴のこと好きだろうが」
「なんで知ってるのじゃなくてそうじゃないの違くてぇ!!」
ぶんぶんと顔の前で交差するように手を振っている。煮え茹だったタコを思わせる赤面っぷりに思わず吹き出してしまった。
ああ、なんだろう……凄くいじめたい。
俺の中のS属性を垣間見た瞬間であった。
「そんなデレデレしてたら誰だってわかるって。何かあれば真夏くーんだし、兄貴の飯作るときは妙に張り切るし」
「な……! あぅ……うぅ……」
「学校の奴らにも兄貴のこと話してるみたいじゃんか。ニヤニヤとかっこいいだのなんだの。有名だぞ? 『お前の兄さん羨ましい』って学校中の男子から血の涙流されながら言われるし、女子なんてもう完全に思春期の娘を見る目だよ。まあ、鈍感野郎の兄貴にバレてないのが唯一の救いだが――」
「あ、あたしそろそろ行かないと~! 今の時期開館してすぐに行かないと席とれなくなっちゃうし~」
凄い勢いで立ち上がり、食器を片付け始めた桜來。ヤツめ逃げる気か。
「それじゃあ行ってくるね~。サユキちゃんも時間までにはちゃんと行くんだよ~」
「っと、ちょっと待て桜來」
あらかじめ準備していたであろう花柄のプリントが施されたリュックサックを背負い、そそくさと玄関に向かって歩いていく桜來を呼び止めた。
「な、なにかな~サユキちゃん」
まだ何か言われると思っているのだろう。明らかに顔がひきつっている彼女を手招きで呼び寄せる。
「出掛けるんなら、いつもの」
「ん? ああ~そっか~。そうだったね~」
先程までとは打って変わりニヤリと余裕の笑みを浮かべ、トテトテと歩み寄ってきた。なんとなく癪に触るが、俺も立ち上がり彼女と真正面から対峙する形になる。
「さあさあ、かも~ん」
両腕を広げた姿勢で固まる彼女を、俺は何も言わずに抱き寄せた。桜來も腕を腰に回し、朝と同じく、胸に顔を埋めきつく抱き締めてくる。十秒ほどそのままでいると、不意に桜來がギリギリ俺に聞こえるくらいの音量でボソッと呟いた。
「やっぱり……あたしと変わらないよ」
「はいはい。よし、あんがとさん。悪いな引き留めちまって」
回していた腕をほどき解放してやる。彼女も離れ、何も言わずにコクリと頷く。
「いってらっしゃい。片付けは俺がやっとくから、早く行きな」
「うん。あ、サユキちゃん。真夏くんには……?」
「あいつには昨日の内にやっておいたから大丈夫。いらん心配はいいから行った行った」
「そっか~。じゃあ、行ってくるね。ぽんずのことよろしくね~」
「ああ、じゃあな」
出ていく桜來に手を振って見送る。彼女も同じように手を振り返しドアの向こう側へと消えていった。
「さてと、俺も出る準備しないとな」
時計を確認したところ時間は十分余裕があったが、早いに越したことはないだろう。ちゃっちゃと済ませて休日を満喫したいし。
ひとまず俺は外出の準備をするべく、役目の終えた食卓の片付けから取り掛かることにした。