一杯目 何も知らないあなたには
突如、爆発的に発生した蒸気と共に突風が吹き荒れた。
風に乗ってきた蒸気に抗う暇も与えられず呑み込まれる。熱いとかそういうレベルじゃない。焼けるような熱風が全身を包み込み、急激に上昇した湿度のせいで思いっきりむせかえった。
「うわぁ!?」
「熱ぅ!」
みんなの悲鳴が真っ白い濃霧のカーテン越しに響く。前後左右一面真っ白で、声は聞こえても姿は捉えられない。
熱風に怯みながらも辺りを警戒する。正直ヤツもこの中では動くことは出来ないだろうが、万が一ということもある。油断したところを突かれれば一貫の終わりだ。だって、この後ろには……。
襲い掛かってくる蒸気をひたすら耐える。露出した肌がヒリヒリと痛んできた。ここから抜け出したくて仕方がないが、アイツの意図が分からない以上むやみに動くわけにもいかない。
蒸気に包まれてからここまで何もないとなると、どうやら毒を含まれているという最悪の事態はなさそうだ。高温の蒸気による被害はあるにしても、攻撃として仕様するには致命的なダメージを与えられるとは思えない。逃げるつもりか、それとも奇襲のためか。
ひときわ大きな風が吹き、それと同時に一気に視界が開ける。クソッ、グズグズ考えてるヒマはないんだ! 早くなんとかしないと……!
俺は状況を確認しようと前を見――
「え?」
――が、目の前まで迫って来ていた。
訳が分からず、抵抗の暇も与えられないまま――に突き飛ばされる。
後方へと力を加えられた身体は宙を舞い、そのまま重力に従い落ちていく。
地から天へと大口を開けている『杯』に。
なんで。
――は、俺を……?
「――!」
近くにいた――が俺に向かって手を伸ばす。それに向かって俺も手を差し出した。
あと数センチ、あと……もうちょっと……!
これ以上伸びないってくらい、限界まで伸ばしきる。
だが、無情にも。
俺の手は空を切った。
「――――――――!!」
落ちていく中で見た、手を伸ばしたまま俺の名を叫ぶ――の泣き出しそうな顔が、ひどく頭に焼き付いた。
あ、俺……死ぬ?
吸い込まれるかのように落ちていく身体。一寸の狂いもなく、美しく透き通る水面へと。
どぷん、と『杯』の中に沈みこんだ。さっきまで眩しいくらい明るかったのに、入水した途端黒く塗りつぶしたかのような闇が視界を覆う。水面に上がるためにもがこうとしても、まるで四肢をなくしたかのように自由が利かない。そもそも、何も見えない上に浮力も感じられないせいか、もうどちらが上かすら分からない。
俺……死ぬのか……?
このまま何も出来ず、約束も果たせず、暗闇の中で独り……。
駄目だ……こんなところで終わったら駄目だ。まだ終わる訳にはいかない。だって俺は……俺は……俺……は…………?
……あれ?
俺……なにしようとしてたんだっけ?
……いや……何を言ってるんだ俺は。忘れていいはずがない。そうだ、俺はやらなくちゃいけないんだ。約束したから……!
……なんで。
なんで俺、こんなに必死なんだろう?
そんなに、大事なことだったのだろうか。
そうだ……確か俺は彼女のために……。
彼女って誰だ?
……ああ、そっか。さっき俺を助けようしてくれたあの子と……もう一人……。
もう、顔も思い出せないけど。
あの娘はいったい誰なんだろう? でも……わからないけど、あの娘の表情を見て……何故か……すごく後悔した……と、思う。
……そもそも何でここにいるんだ? ここに来る前なんてあったっけ? ずっとここにいたんじゃなかったっけ?
わからない……何もわからない。わかりたくても、わかろうとしても、わかりたいのに……『わかる』ということが何なのかもわからない……。
……俺の中の全て……が、外に流れていくような、感覚……。
ゆっくりと……ゆっくりと……沈んでいく……。
意識が……朦朧とする……。
俺は……、
…………誰だ?