Opening of the tea party いつかの場所
視界を埋め尽くすのは、どこまでも続く暗闇と色とりどりの花々。夜を独り照らし続けている月の光が、私の庭園に咲く花を引き立たせていた。
花たちはいつも通り美しく咲いていた。それもそのはず、私は半日以上もの時間をガーデニングに費やしているのだから。とは言っても、この退屈な屋敷じゃ、花たちの世話か日本の偉大なる文化に浸るくらいしかやることがないんだけど。
私は背もたれに身体を預け、遥か遠くの闇の、そのまた向こうにあるものを視ようとじっと空と地のぼやけた境目を眺めていた。
「……たまにはテラスで夜を過ごすのもいいわね」
思わずそんな言葉が口から漏れる。
時計を見ると既に真夜中の十二時を廻っていた。今日は昼過ぎまで寝ていたせいかまだ目が冴えてしまっている。
「お嬢様」
不意に背後から少年とも少女ともとれる少し高めの声が響いた。顔だけ後ろへと向けると、そこにはワゴンを押した中性的な顔立ちの青年がニコニコとしながら立っていた。
「お茶の準備が出来ました。ティータイムといたしましょう」
「ありがとう、一二三」
笑顔を絶やさない青年――高橋一二三は、私の前までワゴンを押して来ると、ティーカップにゆっくりと紅茶を注いでいった。ダージリンのいい香りがする。
「今日のお菓子は僕お手製のスコーンです」
「一二三のスコーン!? ほんと!? やった!」
はっとして口元を押さえる。一二三はニコニコ……というよりニヤニヤして私を見ていた。とたんに私は恥ずかしくなり、ごまかす様に髪の毛を弄りながら俯いてしまう。耳の端まで熱くなっていくのが嫌でもわかった。
「べ、べ、別に私はそこまで食べたい訳じゃないし! た、ただ喜んであげないと一二三が可哀想だと思っただけでっ!」
「そうですか。お気遣いありがとうございます。ですが、お嬢様のお口に合わないものをお出しするのは僕のポリシーに反します。ですので、これは処分して別のものを――」
「ああっ!? 待って、私のスコーン!」
はっとしてまた口元を押さえる。一二三はおもしろ半分、呆れ半分といった表情を私に向けていた。
「食べたいのでしたら素直にそう言えばいいじゃないですか」
「うぅ……一二三のいじわる……」
「ツンデレ乙、ですね」
「うるさい!」
あまりの恥ずかしさに耐えられずうなだれていると、大きくて柔らかい手が私の頭にぽんっと置かれた。そのまま前後左右へとゆっくりと動かされる。
「いやあ、相変わらずラスクお嬢様は小さくてかわいいですねぇ」
ぐりぐりと頭を撫でられる。むぅ……なんとなく気持ちよくなってきた――って、ダメだダメ! また一二三のペースに乗せられるところだった。いつもいつも振り回されっぱなしだけど今日こそは私が主導権を握ってやる!
「なー! 子ども扱いするなー!」
頭に乗っけられていた手を振り払う。特に気にした様子もない一二三は、
「いえいえ、ただ愛でているだけじゃないですか。しかし、お嬢様を愛でるのは楽しいですねぇ。一日中やっても飽きませんよ」
などと言いながらはふぅ、と恍惚の笑みを漏らした。うおい。
「うるさい! 私はもう十六歳なの! いつまでも子ども扱いしない! 第一、一二三だって私と二つしか変わらないでしょ!」
「はいはい、ワロスワロス」
「軽く流さないで! 大体、一体なにがそんなに可笑しいのよ! 私が十六歳だってこと? そんなに私は幼児体型かー!」
「正直言いますと、僕はお嬢様が僕の二つ下だということが誠に信じられません」
「にゃ――――!」
もういやだ……勝てる気がしない。そういえば口で一二三に勝ったことって一度もなかった……。
そんな私に向かって面白そうに、
「お嬢様、そんなに頭をかきむしっては、せっかくの綺麗な髪が台無しです」
「誰のせいよ、誰の!」
「それにほら、早くしないとお茶が冷めてしまいますよ」
「それもあんたのせいだ!」
負けじと文句をぶつけてみる。しかし私の反論も虚しく、何事もなかったかの様に涼しい顔で隣に腰掛けてきた。もうひとつ持ってきていた空のティーカップに紅茶を注ぐと、彼は何の躊躇いもなく口へと運ぶ。今度は大皿にこんもりと盛ってきたスコーンの山に手を伸ばすと、そこからひとつ取ってもむもむと可愛らしく頬張った。
「いやあ、僕の作ったスコーンは美味しいですね、お嬢様♪」
と、邪気のない笑顔を向けた。まったく能天気だ。……見ていて癒される。
別に勝手に食べたことを怒るつもりはない。昔から彼はこうなのだ。主君と執事という関係以前に、私たちはただの幼馴染みでしかないのだから。
そんな一二三に少し呆れながら、私も山の様に盛られたスコーンへと手を伸ばす。
「……その自画自賛っぷりはどうにかならないの? 聞いていてこっちが恥ずかしくなるわ……。……まあ、美味しいのは認めるけど」
手に取ったスコーンを口へと運ぶ。うん、甘くて美味しい。この絶妙な甘さとバターの香りがクセになってやめられないんだよね……。
しばらく二人で黙々と頬張っていると、一二三が思い出したかの様に私に質問をしてきた。
「お嬢様、今日が何の日か分かりますか?」
声を弾ませて期待するように目を輝かせているその姿は、実年齢より幼く見えて少し可愛かった。
「なによいきなり……私と一二三が一緒に暮らし始めた日でしょ」
覚えていてくれたんですね、と嬉しそうに微笑んだ。そんなの当たり前。忘れるはずがない。これからも、あの日を忘れることはないだろう。
一二三は遠くにある空と地の境目を眺めながら、少し寂しそうな表情で呟いた。
「もう十年ですか、あれから。早いものですね」
「あら、本当に早いと思ってるのかしら」
「それはもちろんです。お嬢様と過ごす時間は楽しくて時が流れるのが早く感じられますからね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「それはそうとお嬢様。いい加減そのキャラはなんとかならないのですか? 見ていてなんだか寒気がします」
「~~~~っ! う、うるさいなぁ。私はこういう路線でいくことに決めたの! もう子どもっぽいなんて言わせないんだからっ」
「いやあ、止めておいたほうがいいと思いますよ。現にもうボロが出てしまっていますし。なにより、お嬢様のその容姿ですと無理があると思います。ロリババアキャラでよろしいのでしたら別ですが」
「うぐ……」
心に深い傷を負いそうだ……。
そんな私とは対照的に、一二三は相変わらず楽しそうだった。このS気質もどうにかならないのかな……。そのうち大変なことになりそう。主に私の心が。
「ですから」
彼は真っ直ぐと私の目を見据えた。
一二三は、相変わらず笑顔で。
相変わらず少女みたいな声で。
相変わらず温かい手を私の頭に置いて。
だけど、その瞳には悲しい光を宿して。
「ですから、お嬢様は何も変わらず、子どもっぽくて小さくて可愛いお嬢様のままで、ずっと、僕の傍にいてください」
「一二三……」
その顔は笑顔だけど、今にも崩れてしまいそうな、そんな儚い笑顔で。
私はその顔を見ているだけで、心の奥がざわついて、思わず目尻に涙が浮かんだ。気付かれないように拭って俯く。
一二三は、私の頭をぐりぐりと撫でながら再び視線を空と地の境目へと戻した。
「やっぱり……気になるの? あのこと」
無言で頷いた。
私も何も言わず、空と地の境目へと顔を向ける。
そこは相変わらず、ぼやけた線が横へ一直線に延びていて。その向こうを視ようとしても、相変わらず深い闇が邪魔して、何も視えなくて。
相変わらず、背もたれにあるクッションはふかふかで。
相変わらず、スコーンからは甘くていい匂いがして。
相変わらず、私の隣には一二三がいてくれて。
私は時々考えてしまう。
この『相変わらず』は、いったいいつまで続くことができるのだろうって。
「いつまで……いつまでもつのかな、この世界は……」
相変わらず、花たちは月明かり照らされて、美しく輝いていた。