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空の端から日が登り、世界に色を付けていく。樹海から出て三度めの日の出だ。
二度寝しようとした瞬間にみぞおち付近に凄まじい圧力がかかり、閉じようとした瞼を限界まで見開いた。
腹の上にユニコーンが鎮座している。どうやら私を起こそうとしてのしかかって来たようだ。
幼馴染みが毎朝ベッドに飛び込んでくる……
そんなシチュエーションならば望むところ。
しかし、今私の上にいるのは馬である。馬に馬乗りされるとはこれいかに。
アバラ三本を持っていくのは目覚ましにしては少し過剰ではないか。
低くうめきながら睨み付けつけると、ユニコーンは悪びれた様子もなく私の腹から飛び降りた。ボキリと骨折一ヶ所追加。
吐血しながら必死に肋骨を再生している私を尻目に、ユニコーンは悠々と去って行った。
近くの湖に着く頃には骨折はほとんど治っていた。
ユニコーンから受ける傷は治りにくいのだが、最近体の一部を意図的に再生できるようになってきた。
普通の傷と比べるとやはり手間がかかるが、以前よりだいぶましである。
ユニコーンはうまそうに水を飲んでいたが、私が後ろに居るのに気づくと睨み付けてきた。
こいつはどこぞのスナイパーのように真後ろに立たれるのを嫌うのだ。そのくせ自分はどんどん先に進んでいく。まったく面倒なやつである。
私が横にしゃがみこみ、顔をあらいはじめると、ユニコーンはさらに深く首を曲げ、角を水の中に浸した。
しばらくして引き上げられた角は先程よりも強く輝いていた。
ユニコーンの角は水に濡らすことによって発光する。逆に乾いている時は輝きを失う。
輝きの強さはユニコーンの体調に直結している。角は常に潤っている状態なのがベストだ。そのため私は常に20本もの水筒を持ち歩かされている。
角が濡れていないと力が出ない。昨日、まるで河童のようだと言うと、あごの辺りをおもいっきり蹴られた。
遥か上空から、自分の胴体が横たわっているのを眺めながら、今後このことについては口にしないことを心に決めた。
竹で作った水筒に水をくみながらユニコーンを眺める。
湖畔にたたずむ白銀の一角獣。ひどく絵になる光景だ。こいつは見てくれだけは本当に素晴らしい。
ときおり馬であるにも関わらずなまめかしく見えてしまうことさえある。
むろん恋愛感情などはない。断じて否。さすがの私でも人外に欲情するほどトチ狂ってはいないつもりだ。そもそもこいつの性別すら私は知らないのだ。
しかし考えてみれば私は人生の大半をユニコーンと共に生きてきたのだ。その時間は他のどんな人といた時間より長いのだ。それこそ家族や友人と過ごした時間よりも。
私と意思の疎通ができる生物はこの世界に来てからこいつ以外見たことがない。
ユニコーンはお世辞にも性格がいいとは言えないし、人間ですらない。
しかし少なくとも嫌いではない。私はこいつに、知らず知らずのうちに惹かれているところがあるのかも知れない。
視線を感じたのか、ユニコーンがこちらを向き、何やら急かすような仕草をした。さっさとしろということか。まったく誰のために水を補充していると思っているのか。
こいつの目的はまだよくわからない。なぜ突然住み慣れた樹海の外へ出たのか、これから一体何をするつもりなのか。
正直な話、不安で仕方がない。
目的も知らずにただユニコーンが導くままに歩いて行く。それがどういう結果を生み出すのか、はたまたなにも起こりはしないのか。私には皆目見当がつかない。
それでもユニコーンについていくしかない。長い時間を共に過ごしたにも関わらず、私はこいつのことをほとんど知らない。
それでも今の私にはこいつしかいないのだ。信用できるかどうかではなく、信用しなければならない。
私は水筒を詰めた背嚢を背中に担ぎ、出発の用意ができたことをユニコーンに告げた。
見渡す限り平原だ。若草が青々と生い茂り、風にそよいでいる。ところどころに背の高い木が立っているだけで、見晴らしは最高だ。
ずっと鬱々とした森のなかで過ごしてきたせいか、遮蔽物がないというのは逆に落ち着かない。
もちろん人工物などは見当たらない。果たしてこの世界に人間はいるのだろうか。
今となっては大した問題ではないが、やはり同族には居てほしい気もする。
ただ黙々と歩く。樹海から出てからずっと歩き通しだ。
ユニコーンは、走ろうと思えば走れるのだろうが、歩くペースを早めようとしない。
理由は知らないが、荷物持ちの私にとってはありがたい。
欲を言うならば、ユニコーンの背に乗れたらだいぶ楽なのだろう。まあそんなことは不可能だということは分かりきっている。
序列は私のほうが確実に下なのだ。そんなことを頼めばこいつに跨がるどころか、こいつを背負って歩くことになりかねない。
情けないが私はまだこいつに勝てないのだ。
私が半分不死身なのをいいことに、ユニコーンの攻撃には容赦がない。逆らっても生き地獄を味あわされるだけである。
今の私は暴力で支配されている。逆に言えばこいつを力でねじ伏せることができれば、私が優位に立てるのだ。こいつの上に跨がることが当面の目標だ。
不意にユニコーンが立ち止まり、私はあわてて耳をふさいだ。ユニコーンは大きく息を吸い込むと高らかにいなないた。周囲の大気がビリビリと振動し、肌をたたく。
ユニコーンは大体一時間おきぐらいに立ち止まってはこのようにいなないている。もちろん理由は知らない。
今でこそ耳を塞ぐのが間に合うが、初めは何度も鼓膜を破られた。こいつが何かしら行動を起こすたびに私の体が破壊される。
他人に対する気遣いというものがまるでない。もしこいつが人間ならば確実に社会不適合者だ。
もっとも、前の世界にいた頃の私もベクトルは違えど似たようなものだったので強くは言えないが。
途中で出くわしたヤギを狩って夕食を調達。獲物を横取りしようとしてきた身の程知らずなオオカミの群れは、全て返り討ちにした。
私がオオカミ一頭を絞め殺しているうちに、ユニコーンは三頭ぐらいまとめて串刺しにしていた。
馬がオオカミを一方的に蹂躙する。たとえ相手がトラやライオンだったとしても、こいつなら余裕で突き殺すだろう。食物連鎖とはなんだったのか。
ちょうど日が落ちてきた頃に水場を見つけることができた。今日はここらで休憩しよう。相方に同意を求める。
ユニコーンはうなずくと、間髪いれず高らかにいなないた。
不意討ちを食らい私の鼓膜は破れた。
何かが歩くような音で目が覚めた。
ユニコーンが起きているのかと思ったが、横を見ると寝息を立てている。
足音が聞こえる方を見ると何やら影が動いている。どうやら二本足で歩いているようだ。
もしや人間か。あわてて立ち上がる。しかし、そんな期待はすぐに疑問に変化し、驚愕へと変わった。
月明かりに照らされたそのシルエットは人間とはかけ離れていた。
大きな頭を支えるには頼り無さすぎる細長い首、枯れ枝のようにひょろりと伸びた腕にそれとは対照的な太く短い足。全身骨と皮だけのようだが、腹だけが不自然に突き出ている。
闇夜に浮かぶ、真っ黒な二つの球体。それははっきりと私たちをとらえていた。
明らかに人間でない、化物。私はこいつに見覚えがある。
間違いない。この世界に来たばかりの時に遭遇した化物だ。あれ以来何十年と見ていなかったが、なぜ今になって。
やつは確かに私達に迫ってきている。あの時は無我夢中で殺してしまったが、実際はどう対処すればいいのか。
思案にふけっているうちに化物が目の前まで来てしまった。
まあこいつは弱そうだしどうとでもなるだろう。
そう考えていると化物は、その長い腕をこちらへ伸ばして来た。さすがに気味が悪いので、少し強めに振り払う。
たったそれだけで、ポキリという音を立て、化物の両腕は折れてしまった。だらりと垂れ下がった両腕から、血がしたたるのが見えた。
想像を絶する脆弱さに、思わず後ずさる。
あまりにも脆すぎる。弱すぎる。
しかし、真に驚くべき点はそこではなかった。
あらぬ方向に曲がった化物の両手が、パキパキと乾いた音を立てて治っていく。
呆然と突っ立っているうちにすっかりもとに戻ってしまった。
化物はその二つの眼球でじっとこちらを見ている。
全身からどっと汗が吹き出した。
こいつを殺さなければ。
謎の使命感にとらわれた私は、右手で手刀の形を作り、化物の左目に突き入れた。
生暖かいゼラチン質の物体が指に絡み付く。そのまま無心で腕を押し込み、奥に有った柔らかい物を握りつぶした。
化物の目から光が消える。どんな生き物だろうと、脳を潰されて死なないものはいるまい。
その時、突き入れた指先がなにか動く物に触れた。そのなにかは瞬く間に増殖し、私の手を包み込んだ。
ひぃっと情けない悲鳴をあげ、私は右手を引き抜いた。
あり得ない。なんで死なない。
怪物の残った右目が恨みがましくこちらを見ている。
無惨に潰された左目はグジュグジュと水っぽい音をたてながら再生しつつあった。
恐怖という感情を感じたのは何年ぶりだろうか。
私は化物がにじりよって来るのに、足を動かすことができなかった。
突然として私と怪物との間に白いものが割って入った。
ユニコーンが口を開くと、一泊おいて化物がその腕を振り上げるのが見えた。
闇夜に一筋の光が閃く。
ユニコーンの角で断たれた化物の首が、重力にしたがってポロリと落ちた。
その二つの目が光を灯すことは二度となかった。