6
腹をさすり傷の治り具合を確認する。傷痕は残っているがほぼ完治と言っていいだろう。
そろそろころ合いか。
その場で背伸びをして体をほぐす。一か月ぶりに樹海へ向かうとしよう。
目的地へ向かう途中でクマに遭遇した。
こちらを見て歯をむき出しにしている。体長は3メートル程だろうか。おとなしく引き下がってはくれなさそうだ。
そういえば今日は手ぶらだった。
前はシカを持って行ったんだっけか。
ちょうどいい、あいつに会う前に体を温めておきたかったところだ。こいつを仕留めて手土産にするとしよう。
こちらが動かないのに痺れを切らしたのか、クマは四足歩行のまま突っ込んできた。
まっすぐ突進してくるのを横に跳んでかわす。そのまま背中に飛び乗り、首に右腕をかける。
クマが吠えながら立ち上がった。前足で引きはがす気だろうか。
こうなれば絞め落とすような悠長な真似はしていられない。
左腕をクマの後頭部に絡めて力任せに首の骨をへし折る。ゴキリという嫌な音が森に響き、クマは沈黙した。
初めてクマと遭遇した時はひどい目にあったものだ。
頭を吹き飛ばされて、生きながらに食われた。
最後は火薬で自分もろとも吹き飛ばしてようやく撃破。そんなお粗末な成果にも関わらずクマに勝った、クマに勝ったと調子に乗っていたころが懐かしい。
あいつに出会ったのもそのすぐ後だったか。
クマの前足を肩にかけ、掛け声とともに担ぎあげる。
自分の何倍もの重さが加わり、背骨がきしむ。病み上がりの体にこれは少々堪える。
獲物を半ば引きずるようにして歩きながら、私は初めてユニコーンに出会った時のことを思い出していた。
目が覚めた時、日はすでに落ちかけていた。
何があったんだったか。直前の記憶が混濁している。
起き上がろうとすると、腹に激痛が走り、何があったのかを思い出した。
辺りを見渡すが、ユニコーンは見当たらない。
腹に目を移すと、私が来ていた服が巻きつけられている。これは手当のあとか。だとしたらいったい誰がこんなことを。
しばらく考えていると、蹄の音が聞こえてきた。あわてて足音がした方向を振り向く。
ぼんやりとした光が徐々に近づいてきて、やがてユニコーンが姿を現した。
口に何かを咥えている。
直前の記憶がよみがえり、額に脂汗がにじむ。
逃げようにも体が動かない。
せめてもの抵抗として思いっきり睨みつけるが、ユニコーンはそんなことを意に介さない様子で近づき、私に向けて何かを放り投げた。
見てみると私の背嚢だ。ユニコーンはその場に膝を折って座り込んでしまった。
とりあえず背嚢を確認する。
明らかに持ってきた時よりも膨らんでいる。手で引き寄せ、中身をひっくり返すと、食べられそうな木の実やキノコが転がり出てきた。
驚いてユニコーンのほうを見ると、食べろ、というかのようにそれを顎で指した。
おそるおそる木の実にかじりつく。しっかりとした歯ごたえだが、みずみずしい。甘い果汁が口の中を満たした。
うまい。
山の酸味が強い実とは大違いだ。こちらに来て以来、初めてのまともな甘味。あまりのうまさに続けざまに三つ平らげる。
ユニコーンの方を見ると目が合った。思わず視線をそらす。
まるで人間のような目だ。
先ほどから飼い主らしき人物は見当たらない。まさか怪我の手当もこいつがやったのか。もしそうならば、食料を運んできたことといい、かなり知能が高い。
それにしてもこいつの目的がなんなのか全くわからない。
いきなり殺そうとしてきたと思えば、今はまるで看病しているかのようなそぶりを見せている。
角で突かれた傷がいまだにふさがっていないのも謎だ。
確かに重症ではあるが、今までの怪我に比べればどうということはない。
火薬で腕が吹き飛んだ時、完全に再生するのにかかった時間は約2分ほど。
クマに頭を吹き飛ばされた時も回復にそう長くはかからなかった。
腹に巻かれた服には血がにじんでいる。絶えることのない鈍痛からも、傷が治りきっていないことは明らかだ。
ユニコーンの角には不死を殺す力があるのだろうか。
それとも、この世界に住む異形の者はみんな私を殺せるのだろうか。
物思いにふけっていると、何かが聞こえてきた。
ユニコーンのほうを見ると膝を折った姿勢のまま眠りこんでいる。
静かな寝息を聞いているとあくびがでてきた。
寝ているうちにとどめを刺されることはないだろう。そう判断し重くなった瞼を閉じた。
朝目覚めるとすでにユニコーンの姿はなかった。
腹の傷は完治はしないまでも、どうにか歩けるくらいには回復していた。
私は木の実とキノコが詰まった背嚢を背負うと、住み慣れた洞窟に引き返すべく歩きだした。
それ以来たびたびユニコーンに会うために樹海を訪れている。何度か接触するうちにお互い敵愾心は薄れていき、今ではまるで友人のような関係になっていた。
もう何年になるだろうか。洞窟の壁は正の字で埋め尽くされている。
以前いた世界よりもこちらの世界で過ごした時間の方が長くなってしまった。
水面に映る私の姿は来た当初と比べるとだいぶ変化しているが、年はとっていないように見える。
どうやら私は不老不死というやつらしい。それはユニコーンも同じのようだ。
目を見張るような美しさは初めて会ったとき以来変わっていない。
平均的な馬の寿命がどれほどか知らないが、それよりはるかに長生きしていることは確実だ。
私はいまだに樹海の外に出ていないし、人にも会っていない。
それでも平気でいられるのはユニコーンがいるからだろう。
親友や相棒という関係とは少し違う。ユニコーンに会うたびに色々と新しいことを学ぶ。ユニコーンは私にとって師匠と言っても過言ではない存在となっていた。
馬が師匠というのもおかしな話だが、あいつは常に私の上にいる。何においても勝てた試しがない。
樹海の中に入ってしばらくすると、ユニコーンがどこからともなく現れた。
この広い樹海でどうやって私を探しているのだろうか。謎はまだ多い。
背負ってきたクマを目の前に放り投げると満足げに鳴いた。
こいつは馬のくせに肉も食うのだ。つくづく不思議なやつである。
その日の夜は一人と一頭でクマ肉に舌鼓を打った。ユニコーンは肉の柔らかい部分だけ食うと寝てしまった。
贅沢な奴め。明日こそ、その鼻を明かしてやる。
翌日の朝、私たちは連れだって歩いていた。
しばらくして開けた場所にでる。周りに木が少なく広場のようになっている。
ここでいいだろう。
立ち止まると、ユニコーンは意外そうな顔で私を見た。
ここでいいのか、と確認するようなそのそぶりに対して、うなずき返す。
ユニコーンに教わることは多い。その最たるものであり、私の一番の楽しみがこいつとの決闘による戦闘訓練である。
最初に殺されかけて後、私は会うたびにこいつに喧嘩を吹っ掛けていた。
そのたびに角でつかれて肉を裂かれ、蹄で蹴られては骨を砕かれた。
傷が癒えるたびに樹海に行ってはユニコーンのもとへ行き、再戦をいどみ、また死にかける。
折れたことのない骨はないし、潰れたことのない内臓はない。
長年ユニコーンと戦ってきたが、今まで一度として勝ったことがなかった。
いつしかユニコーンとの決闘は私の生きがいとなり、ユニコーンに勝つことが私の目標になっていた。
間合いを取り、左足を後ろに引いて構える。
それに応じるようにユニコーンも姿勢を低くし、研ぎ澄まされた角を私に向けた。
最近は地の利やトラップを主体にした戦法をとっていたので、こうして真正面から向かい合うのは久しぶりな気がする。
前回はいたるところに爆弾を仕掛け、自分は木の陰に隠れて隙を窺っていたのだが、髪の毛をワイヤー代わりにしたお粗末なトラップにユニコーンが引っ掛かるはずもなく、あっさりと見つかり、木ごと串刺しにされてしまった。
さすがに恥ずかしかったのと、なんとなく自分の肉体がどれほどのものか試してみたいと思い、今回は真正面から小細工なしで挑むことにした。
ユニコーンの初手は突進だろう。こいつはそういう奴だ。
昨日クマにやったとおりの動きで行こう。突進をかわし、首をとる。
しかしそれでは足りない。こんな手は今まで何回もやってきた。これまでにない何かをしなければ決してこいつには勝てない。
ユニコーンと知り合って長くなる。
最初のころはこいつを本気で殺す気持ちで襲いかかっていた。
今ではそんなことは考えない。殺す気でいかないとユニコーンには勝てないのではないか。
逆に言えば本気で殺す気で挑めば、今の私なら倒せるのでは。
自己暗示をかけてみる。
ユニコーンをクマだと思い込んで気を高める。
あいつはクマだ。昨日やったとおりにやれば勝てる。必ず勝てる。首を取ってへし折って殺す。必ず殺せる。
唐突にユニコーンが後ろに飛び退いた。
私も虚をつかれて思わず構えをとく。
ユニコーンはほっとしたように息をはくと、そのまま振り向いて歩き始めた。
こんなことは初めてだ。
私はしばらく呆然と立っていたが、我に返りあわててその後ろを追いかけた。
追いついてもユニコーンはなお歩き続けた。私も黙ってそれに従って行った。
どれくらい歩いただろうか。すでに辺りは真っ暗だ。
ヒカリゴケがまるで道しるべのように光を放っている。ユニコーンの角もまた幻想的に輝いていた。
夜通し歩き続け、朝日がさしてきた。
今までと違いずいぶん明るいことに気づく。
振り向くと、遠くに樹海の出口があった。
切り立った崖に立つ。ユニコーンが立ち止まる。
視界にうつる空の色。どこまでも果てしなく続く大地。
私は初めてこの世界を見た。