二. 伊吹揺胡、学び舎に来る
二. 伊吹揺胡、学び舎に来る
夏も終わり、始業式を前日に控えた頃。
藤堂はドアの前に屈んで困り果てていた。
その日藤堂は友人宅を訪ね、残った宿題の確認をしていた帰りだった。
そして学園の男子寮にある自室の扉を開けたら、そこには有り得ない人間が居たように見えた。
人間と言う事も疑わしいが少なくとも藤堂の良く知る人物が居たように見えた。
「待て待て待て、うちは男子寮だありえない」
ブンガブンガと首を横に振ってそう自分に言い聞かせる。
そして深呼吸を一回済ませるともう一度戸を開く。
――果たして、そこには鬼がいた。
藤堂の通う学校の女子制服に身を包み、バンダナを頭に巻いてエプロンをかけている。
鬼の居ぬ間の洗濯と言う言葉があるが、その言葉の元になっている鬼本人が人の居ぬ間に掃除をするというのは如何な物だろうか?
伊吹揺胡は好い汗をかきながら藤堂の部屋を掃除していたのである。
いずれにせよ藤堂の眼に映った光景において何より見過ごせなかったのは秘蔵の雑誌、それらが机の上に礼儀正しく整理整頓されて並べられている事であった。
「あ、今度こそお帰りぃやぁ……ぁ?」
揺胡は警戒も何も無く、ほんの数日ぶりに会う藤堂に再会の抱擁を交わそうとした。
しかし藤堂は部屋から出て来ようとした揺胡の頭を掴み部屋の内側へ押し込むように入って行って戸を閉め鍵も閉めた。
「お帰りぃやぁ……じゃないだろ!?」
藤堂は両手の拳を握ると鬼の頭を拳で挟み圧力をかけた。
所謂、梅干しの刑である。
いくら鬼と言えど宇宙人と言えど、頭を万力のように二点で締めあげられる痛みには耐えられずに悲鳴を上げた。
「いたたた! あいたたたたた! 待って藤堂さん、ドメスティックバイオレンス反対やぁ!
挨拶に来ただけやさかい勘弁してぇなぁ!」
「挨拶?」
藤堂が揺胡の言葉に訊き返す。
「あうぅ、いたいぃ……」
「まったく人の部屋を勝手に荒らすからだ……で、何の挨拶なんだよ?」
両手から解放すると、揺胡は締めあげられた頭を抱えて残る頭痛に唸る。
「おとーさんから東京で暮らす許可を貰って来たんですえ~……さてぇ」
そして痛みが落ち着くと、まるで嫁いできた押しかけ女房のように両手を地について頭を下げた。
「この度わたくし、藤堂さんと同じく水御門学園高等部二年しぃ組に転入することと相成りました。これからも何とぞよろしゅうお願い申し上げます」
「…………は?」
◆
「というわけで、転入生の伊吹揺胡さんです。C組の皆さん仲良くしてあげて下さいね?」
教師の言が終わると同時に、揺胡は元気よくクラスメイト達に頭を下げた。
そんな嬉しそうな揺胡を、片肘を机に突いて冷ややかに見る藤堂が居た。
「夏休みに奈良で藤堂さんと知り合いまして、東京に引っ越す際彼の傍に行った方がやりやすいかなぁ思いまして……」
嘘は言ってない、嘘は。
伊吹揺胡は嘘が嫌いだという、だから出来る限り嘘をつく事がないように藤堂と話を合わせて欲しいのだと言う。
それもそうだ、藤堂は揺胡の無難な自己紹介を聞きながらそう思った。
藤堂は延々と考えていた。
――家は元々非常識な人間の集まりだからこそ揺胡の存在を受け入れられたが、学校ではそうはいかない。
奈良からやってきた鬼ですと言ったらまず信用されないし、まして宇宙人ですなどと名乗ったら殆どの人間が俺や揺胡の頭を疑うだろう。
しかし、逆に多くの人間に知られれば揺胡自身の身に何が起こるかわからない。
宇宙人と知ればエックスメンや何かのような組織が来るとか、そういう期待はしないにしても……少なくとも特異な存在を奇異の目で見るような人間は東京に沢山いるだろう。
それに宇宙人達……揺胡が《天津神》と呼ぶ連中が揺胡の事を知れば、何か面倒くさい事が起こる、彼女達の事情にそう詳しくは無いがそれは何となく感じる事が出来る。
では何故、揺胡は急に東京に来たんだ? ――
藤堂がそう考えている内に、いつの間にかホームルームは終了していた。
「ねぇねぇ、その髪染めてるの? 勇気あるネェ―」
「やー、海外とのハーフでしてぇ? 地毛やよぉ」
教室のあちこちで生徒たちが好き勝手する十分間、殆どのクラスメイト達が揺胡の席に集まって質問しては上手くはぐらかされていた。
「げんすけ」
そんな揺胡を眺めていた藤堂に後ろから、肩に手を置いて体重をかける女子が一人。
長い前髪で目元を隠した少女、彼女は御森凪。
藤堂の親しい友人の一人であり、大のオカルトマニア。
エキセントリックの代名詞的な少女である。
「俺は源次だ、ヘンなあだ名つけるな」
「真名で呼ぶのは危険」
因みにオカルト趣味をこじらせ少し中二病が入っている。
「あの女の子、何?」
ややいぶかしむように呟く、意外に重い重圧を肩に感じながら藤堂も困り果てたため息をついた。
「何なんだろうな?」
「誤魔化さないで」
藤堂の机の上に落ちて来たのは藁人形、その胴体には既に藤堂の髪の毛がセッティングされている。
「何時採った?」
「この前、宿題見た時に」
意味不明な脅迫行動に観念して、藤堂は御森の手を退けた。
「大江山の鬼が美少女だった」
「ふざけないで」
ふざけていない、断じて。
「奈良で知り合ったんだよ、お前と同じで放っておけない状況にあったから助けたらこのざまだよ。」
「……………………」
暫くの間、御森は黙っていた。
しかしほんの少しの間をおいて、御森は藁人形から髪の毛を抜いた。
「…………やや納得いかないけど、納得」
「有り難い、ていうか捨てろ?」
藤堂が手を伸ばそうとするが、御森は藁人形を胸元に隠して後ずさる。
「まだ疑いはある」
「何の疑いだ!」
藤堂が藁人形を取ろうと御森に手を伸ばす。
その時、胸ポケットからこぼれた花弁が藁人形に触れた。
その時、バチン! と音を立てて藁人形が爆発四散した。
「……!?」
「御森!大丈夫か!?」
藤堂が慌てて御森の胸元を見る、幸い御森は胸元のボタンが幾つか外れただけで、あとは藁にまみれたくらいで外傷は全くなかった。
「よかった……藁人形の呪いか? ……あ……」
藤堂は脚元に落ちた花弁を見る。
「………………まさかな」
「良く…………ない……」
震える御森の声に向き直った藤堂はぎょっとした。
御森が前髪の隙間から目を見せてこちらをひたすらに睨んでいる。
それだけでも珍しい事だが、その貌はエキセントリックな彼女にしてはいつも以上に感情的で、真っ赤に染まっている。
ふと胸元を見ると、間近にいる藤堂にだけ見えるようにして、ボタンの取れたシャツはその内側からの圧力に負けて大きく開いていた。
意外に大きいな、藤堂は場違いにもそんな感想を抱いたと言う。
パァン! と、激しい打撃音が教室に響いた。
◆
市立、水御門学園。
都内でもあり触れた教育機関でありながらその歴史は古く、御森の家が先祖代々から持つ土地をそのまま更地にして建てた校舎は風水的にも環境的にも評判が良い。
その屋上からの景色は設置された公園の癒し効果も相まって毎日の昼休み人気を総取りしているのだが、今日は人一人いない。
「ほんっまに堪忍やぁ!呪い返しとか色々仕掛けがあるんよそのお守り……」
「そうだよな、お前ら宇宙人以前にガチの神様って事忘れてたよ。」
手を合わせて頭を下げる揺胡を前に、花弁を手でいじりながら藤堂は納得していた。
真っ赤に腫れた頬の事を除いて。
「いやぁ、幽世を探っとったらなぁ……厄介な連中が藤堂さんの周りをうろついとるいう情報が入りましてなぁ」
「わかる言葉で頼む」
屋上の公園で二人弁当を食べながら、揺胡は藤堂に説明を始めた。
周囲には札が貼ってあり、これが人払いになっているらしい。
「幽世いうんはそうやなぁ、霊子で作ったインターネットのホームページみたいなもんや。肉体が戻ったさかい藤堂さんちのパソコンに霊子端子を接続して、昔のなじみを色々尋ねてみたんやよ」
いつの間にか実家のパソコンが改造されていた……
「それで、この前ようやく知り合いの神籬をみつけて話を聞いてみたんやけど……どうやら厄介な奴が私を助けた藤堂さんに目をつけとるって教えて貰いまし……にゃあ!?」
藤堂の手刀が揺胡の額に極まった。
「お前なんでそんな重要な事を真っ先に言わない! というか結局厄介な奴って何なんだ!」
「うぅ、月裏領に居る《天津神》ですえ……」
痛みに頭を抑える揺胡の答えに、藤堂は首をひねった。
「《天津神》? そいつらはこの地球から手を引いたんじゃなかったのか?」
「あはは、私は罪人やさかい……それに、その神ちょお私に関わりがあって……」
藤堂は聞きながらもふと視界の端に奇妙な物がある事に気付いた。
「それでなぁ、月に残ったその子が最近動いとるようやから藤堂さんには気ぃつけてほしいなぁって……どないしたん?」
揺胡の真後ろ、茂みから頭を出している奇妙な物体。
ディフォルメされたような白い二頭身ボディに逆関節の脚、頭から立つ二本の耳に赤くて丸いつぶらな瞳。しかしこれらの特徴に反して、それは機械のカメラのようなモノアイで蒼いどてらを羽織っている――そういった余計な特徴を除けばその物体はまさしく……
「うさぎ?」
藤堂がそれに漠然と思いついた小動物の名称を呟いた瞬間――
「…………!」
揺胡は何も無い所から長刀を抜いて藤堂めがけて振りおとした。
その切先に、何か重く堅い何かが突きあたり、藤堂の耳元で不快な金属音を鳴らした。
「……………………ッ」
藤堂が今までにないくらいに目を見開いて突然の凶行と雑音に目を白黒させていると、揺胡はそのまま刀を押し込んで突きあたった硬質物を押し返した。そして藤堂が振り返ると目の前に迫るのは、木槌。
「避けぇ!」
揺胡の声に反応してか、それとも本能的な回避行動か、藤堂は上体を反ってその直撃を避けると転がってそのまま身体を叩き潰される寸前で回避した。
ドゴォ!と、木槌らしきものがコンクリートの地面を叩き砕く。振り下ろしたのはやはり、二体目のうさぎ。
「揺胡、避けろ!」
そのまま砕けたコンクリート片の中、大きいものを拾うと藤堂は揺胡の背後に目がけて投げつけた。そして揺胡の後ろから音も無く近づくうさぎの脳天にコンクリートがぶつかり、勢いに乗って再び茂みの中へ飛びこんでいった、そして茂みの中から天高く青い閃光が放たれ空気を焼いた。
「厄介な奴ってこれか?」
「堪忍な、気付けへんかった……こいつら月裏領の自律神使や……」
神使、しんし、つかわしめ、神々が人間に使わす動物等の使者のこと。
稲荷神宮では狐、北野天満宮では臥牛像などのようにその言い伝えには動物等が多く見られる。
「通常、単に《天津神》の神使は霊子工学で作られた人間達に正体を悟られへんように使わされるメッセンジャーなんやけどな……こいつら、自律戦闘用に改造されとる」
ウサギ達は木槌を構えなおすと、バシャンと木槌が分解し中に仕込まれた紋様から追加されるような部品が湧きだし組み合わさって行く。
その間動きが止まっていることを確認した揺胡は、すぅと息を吸って叫んだ。
「おい迦具夜ぁ! 使いばかりよこして顔見せへんつもりか!」
その顔には僅かに怒りが見える、おそらく本来無関係である藤堂をもその攻撃対象に加えていた事に対する怒りだろう。
揺胡は普段の幼い面影を残す表情から、鬼と呼ばれる生き物としての威厳を持った表情へと豹変してウサギの操り主を挑発した。
ウサギのモノアイがチチッと光り瞬き、同時に美しい少女の声が発された。
『あら、下賤な罪人に見せる顔がないだけよ?』
その言葉に藤堂は眉を顰める。
「随分やなぁ、昔は結構仲良ぉしとったやん? ちょお封印されとる間に性格悪ぅなった?」
『貴方こそ、随分と図太くなられましたわね』
木槌を持つウサギは肥大化した杵を構えると揺胡に目がけて駆けだした。
その木槌を刀で抑えると揺胡は片手を離して、指を器用に動かして印を刻む。
それを起動キーとして空気中の霊素が発火し火球となる。
「『焔瑞三つ巴相克し怨敵を討て!』」
火球はウサギと揺胡の間合いから飛び出して藤堂の背後から飛び出した二体目のウサギを焼いた。
「少なくとも藤堂さんは関係者やないねんで、あんまり巻きこまへんでくれるか!」
『脱獄補助は同罪です、巻き込んだあなたが悪いのではないですか?』
揺胡は舌打ちする。
ウサギの操り主は知っているのだ、揺胡がこんな状況でも藤堂を庇いたいという事を。
揺胡がそういう人物であると言う事を知っているのである。
『最大級刑である自我漂白シークエンスを途中で脱獄、あまつさえ神使にまで抗性霊子を放つ始末……罪人は罪人らしく裁かれればいいのです。そうすればそこな葦原人は粛清の対象外に入れて差し上げましょう』
藤堂はウサギの物言いに、ぴくりと指先を動かした。
「……おい揺胡、刀貸せ」
「はいな……え?」
藤堂の言葉に、揺胡はつい言われるがままにもう一本の刀を霊子で精製して渡してしまう。そんなこと揺胡にとって「つい」でできてしまうほど簡単なことだったからだ。
しかし渡した後で、おかしい事に気付いた揺胡は目を丸くした。
「ちょ、藤堂さん?」
「…………お前ら何様だ? 神様だっけな? ……まぁ知らないけどさ」
藤堂はウサギに話しかけながら、刀を素振りして重さを確認する。
そして両手で構えウサギに向き直った。
『よ……揺胡から話はきいているようですわね? それなら話は速い……何をするつもりかは解りませんが、そんな罪人の肩を持って罪を被る事は』
そう言っている間に、ウサギは木槌を持つ両腕を地面に落とした。
『………………!?』
「ふぅっ」
既に藤堂はウサギの間合いに入り、刀を振り下ろしていた。
『な…………ざい』
「罪人罪人、やかましい」
そのまま刀を持ちかえて逆袈裟に斬りあげた。
「その上俺を人質にするような事言ってたが……生憎俺、そういう扱い嫌いなんだよ」
『ぴ……ガガッ』
藤堂が言い切ると、斬られたウサギは動力を失い機能を停止した。
もう一体のウサギが大きく後ろに跳び、警戒の為に片腕を先程の光線を放った銃の形に変形させながら同様の声が放たれる。
『あなた、何をしているのかわかっているのですか!?』
「わからないね、お前が何をしたいのかも俺のは良く解らん……その辺の説明ないからな」
『説明なら……! そいつは罪人なのですよ!? 人を殺したのです! それも朝廷の最重要大臣に纏わる方で……』
ウサギが言いかけた所で、揺胡はビクリと身を震わせる。
しかし、それを聞き終わる前にウサギに迫っていた藤堂はウサギの首をはねた。
「聞いといて悪いが、俺はコイツを助けた側だ。その責任は俺にもある、だからやれるもんならやってみろ……宣戦布告したのはお前だ」
『………………! ………………!』
操り主はウサギの視線の向こうで悔しがっているのだろう、首だけで女性の唸り声を上げるウサギは、地面に叩きつけられるように落下した。
『後悔しますわよ』
そう言い残して、ウサギの首は自壊した。
「……んー、やっぱり鈍ってるなー……久しぶりに自主練再会するかー」
そう呑気に呟きながら背伸びする藤堂を前にして、呆然としていた揺胡が口を開いた。
「な、何しとるんですか藤堂さん!」
「ん? なに、こいつら斬ったら自爆するとかそういう機能でもついてんの?」
何事もな下げに応えた藤堂に、揺胡は冷や汗を垂らす。
「いや……そういうんは無いけど……藤堂さん、あんた何したん?」
「あぁ……昔から剣の腕だけは覚えがあってな、物理効く相手ならお化け以外怖くない」
「そうやなくって!」
揺胡がそう言うと、藤堂は少し困った風に首をひねる。
「……あんまりな、俺が関わっておきながら救えてないってのは嫌なんだよ」
藤堂のその言葉に揺胡はまだ納得できないようで
「藤堂さんって、割と王様気質やねぇ……ぁぅ」
「うるせ」
そう言った所で、藤堂におでこを指ではじかれるのであった。
「やぁやぁ、グッドイブニーン」
ぱち、ぱち、ぱち、と拍手の音が聞こえると揺胡はそちらの方に振り向いた。
隠し事の為に張った簡易的なものとはいえ、人払いの結界に足を踏み入れられるものは限られる。ウサギの追撃を受けるとすれば自分よりも、ウサギ二体を容易く葬った藤堂に向くと考えたからだ。
しかし、揺胡はその視線の先に居る人物を見て拍子が抜けたように目を丸くした。
「良いモノ見させてもらったぜぇ? あのお姫様の悔しそうな声と言い、その見事な剣さばきと言い。流石は《神童》、藤堂源次だぜ」
拍手を送るは綺麗な茶髪をポニーテールに結った、何より綺麗と言う感想が最も的を射ていると思えるような女性だった。服装からして水御門の生徒である事はわかるが、その豊満な肢体を包む制服は白く清楚そうな意匠に改造されている。
彼女はその清楚そうな身なりに反して、けっけっけと気品に欠ける笑い声を上げながら屋上の入口に寄りかかっていた。
「あぁ、御前生徒会長。何でこんな所に?」
「けっけっけ、察しが悪いぜ藤堂書記ぃ。俺様も関係者だからに決まってんだぜ?」
彼女の名は御前玉藻、次期生徒回総選挙に向けて引退を前にした現生徒会長であり、学園きってダントツの個人的人気を誇る超越的なカリスマの持ち主である。
しかしそこで意外な反応を見せたのが揺胡だった。
「た、玉藻ぉ!?」
「ん? 知り合いなのか?」
揺胡のそんな反応に、けっけっけとご機嫌に笑う玉藻は扇子で顔を隠すとぶわりと舞って首から上の総てを服の袖で覆いかくした。
そして、翻った袖の後ろから顔を出したのは輝かしく純白にすら近しい金髪とその先端には黒い淵。
頭から生えているのは狐の耳である。
「聞いて驚くなかれ、そこな美少女酒呑童子は俺様の旧友。俺様の本当の名は金毛玉面玉藻御前……そいつと同じ日本三大妖怪の国津神なんだぜぇ?」
「……茶髪に染めるのも校則違反だぞ生徒会長」
正体を聞いて藤堂から直後に出た感想がそれだった。
「……あのさ、他に何か驚く所ないんだぜ? 確かに揺胡にばれないようにスタンバってて今日一日会ってないけどさぁ……だってあれだぜ? お前の愛しの生徒会長が妖怪で九尾のキツネだぜ?」
「いや、なんとなくそんな気がしてたって言うか……揺胡で慣れたと言うか。悪戯好きだし悪い意味で傾国の美女だし、権力もったら酒池肉林とか作りそうだなぁと日頃から思ってたし。というか好きなのは生徒会長のおっぱ」
藤堂が其処まで行ったところで、御前の扇子が藤堂の頭を地面に叩き伏せた。
「な、なんでこんな所で生徒やってるんや?」
「忘れたか揺胡、俺様は永遠の十七歳だぜぇ? 十七歳が高校通ってないでどうするよ……まぁ気分で色々職変えたりもしたけどなぁ」
「年齢詐称も……校則違反…………」
藤堂は御前の脚によって頭を地面に半分埋められ完全に沈黙した。
「まぁ、この学園へは推薦入学って名の強制だけどな。こっちは色々と裏の事情があるんだよ、陰陽師連中との条約によるものだぜ。おかげでこっちは人生の一割がハイスクールライフエンジョイだぜ」
人生と言うのも色々とおかしい気がするが。
「この水御門学園はな、陰陽領……今でいう内閣陰陽科が出資しててな。国津神どもが人間と違う事でコンプレックスを感じないようにって名目で……その実悪さしないように監視する為の施設なんだぜ。まぁ普通入学してくる人間もいるし、稀に藤堂みたいな化物じみた人間が推薦入学で来るんだぜぇ?」
「化物じみたって……」
揺胡がそう言いかけた所で、起き上がった藤堂が口を開いた。
「何で今それを明かしたんだ?」
藤堂の問いに御前はにかりと意地悪に笑い、藤堂に携帯電話を投げてよこした。
その画面には、美しい黒髪の少女と黒服の男たちが竹のラインが無数に通う和室……月裏領の客室で談話する場面が映されていた。
「そのウサギの飼い主が、転校して来るって決まったからさぁ」
◆
御森家――木は水より生じる、木生水の思想からこの土地の管理を任された一族、それが御森家である。
御森の屋敷もまた、古く格式ばった屋敷であった。
その三十五代当主、御森凪の自室だけが無数のオカルトグッズに包まれている。
そんな奇妙な部屋も元は和室だったのだろう、入口である障子をあけて黒子のような仮面をつけた侍女が、寝間着姿で部屋中央のベッドに横たわる御森に頭を下げる。
「御当主様、月裏領より《天津神》の降神準備が整いましてございます」
ベッドから起き上がった御森はふぁと欠伸すると侍女に問う。
「符術隊には儀式の経路を再確認するようにして、審神者は私がやる」
「整いましてございます」
侍女がそう言うと、御森は面倒くさそうにベッドを下りて寝巻をその場に脱ぎ落した。
侍女は何も言わずにその寝巻を回収すると、背後の台に用意していた衣装を御森に可視づきながら差し出した。
「……四百年振りの降神要請、これは嫌な予感」
髪をかき分けて、御森は昼間のアクシデントを思い出し赤面するのだった。
月明かりの照らす、屋敷の中庭中央に位置する儀式場の中央に座して御森は目を閉じる。
中庭には誰もいない、しかし屋敷の全方位――鬼門遁甲の指す意味での全方位から一律の祝詞が聞こえてくる。
屋敷の地下を流れる霊子の流れを意図的にくみ上げるように操作して、指向性を与えた上で御森の座する場所へと誘導する。その霊子の集積回路となって望む奇跡を願う役目を負うのが審神者――御森の役目である。
御森は組み上げられた霊子が身体に満ちて行く有様を感覚で知ると、逆に天の月から流れるように頭の中へと霊視されて来る祝詞を唱え始めた。
「『掛けまくも畏き月詠大神、この神籬に天降りませと恐み恐みも白す』」
御森の祝詞に合わせて中庭の大気が霊子に支配される。
儀式場の四方に配置された杯から水が不自然な形で糸を引き、御森の眼前に集まって行く。尤も、目を閉じて霊視される情報を読み上げるだけの寄り代と化している御森にはそれを見る事は出来ない。しかし、感じる事は出来る。
霊子の重層から物質情報の転換度数を算出し、カウントダウン……否、カウントアップするように数えて行く。
「『ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と』」
御森はダン! と儀式場を踏み鳴らすと眼を見開いて儀式の最終工程を告げる。
「『ももちよろず! いざや召しませ、月詠大神!』」
ビシ、バシ、バリバリバリバリバリバリバリ! と、人間大になった水の塊が蒼白く発行して過剰な霊子反応を表す放電を起こした。
「はぁ……はぁ…………」
「大義である、御森の審神者よ」
息を切らして膝を突く御森に、水塊だった物は少女の声で語りかける。
「掛けまくも畏き月詠大神……要請に応え降神を務めさせてもらった。御森……凪。何の用で地球に降神したのか、要件をお申し付けください」
それは袴姿の上に十二単を行動しやすい様式にまでアレンジした様なコートを羽織った少女に姿を変えていた。
そう、月裏領に居た少女、ウサギを揺子たちにけしかけた張本人。
月に残った地球唯一の《天津神》、迦具夜である。
「この時代の人間は、畏れを知らない愚か者が多すぎますわね? しかし……御森の審神者でさえもこれ……世も末ですわ」
やっぱり……と、御森は髪の上からは見えない目をこっそりと細めた。
御森の先祖の代からあまり人格として《天津神》は誉められたような評価ではなかった。
尊大な態度を、格式と信仰、そして今の世界の根幹を作ったと言う資源的事実によって地球上における権利の殆どを握っている事で許される存在、法上の化物。
「この葦原で、自我漂白シークエンス途中で脱獄した鬼の存在が確認されましたわ、それを再封印する手伝いを頼みたいのだけれど……」
しかし
「お断りします」
御森の答えに、迦具夜は目を丸くした。
「……よく聞こえませんでしたわね、何を言っているのかしら? どういう了見で……」
「こういう了見」
ガシャッ、と迦具夜に複数の殺気が向けられる。
屋敷内から向けられた数十もの刀、ただの刀ではない。
御森家が抱える内閣陰陽科の抜刀隊が持つ呪的装備であり、一人一人の持つ威力はそうと言う事も無いが、複数で発動すれば神殺しをも発動できる条件が揃っている。
「貴方こそ勉強不足、四百年前の不可侵協定に基づき《天津神》の治外法権はここで適用されない事になっている。その上勝手に神使を学園にけしかけたとなればこれは立派な領地侵犯」
「くぅ…………っ」
迦具夜にとってそれは屈辱以外の何物でもなかった。
西歴1600年の不可侵協定、世界の裏で戦いながらも《天津神》の不条理な不平等条約を解き続けた御前ら《国津神》の努力によって地球に秘密裏に敷かれた惑星間交流条約。
それまで《天津神》により法的な圧力をかけられていた地球人類の歴史はこれによって本当の意味で人類の手に戻る事となった。
それ以前の《天津神》である迦具夜にとっては敵によって成された忌まわしい法である。それで怒り狂い抜刀隊を駆逐した上で、力技によって目の前の御森を永遠に服従させる
事も迦具夜には可能である。
しかし、迦具夜はそのような事を実行する程精神的に幼くは無かった。
「良いでしょう、時代は移り変わる物……人は己の道によって成長する機会を得た、という事でしょう」
「いや、《天照大神》がこの惑星に飽きただけ」
即答された答えに、迦具夜はがくりと項垂れた。
《天津神》の現最高権力者、太陽運営を司る世界各地の最高神が一柱――天照大神。
彼女が古事記にも記されたとおり非常に面倒くさい性格をしているのは迦具夜もよく知っている。
しかしなまじ会話している場所が整地された真四角の舞台上である、まるでコントのような有様に刀を向ける抜刀隊達の中から隠れて笑い声が聞こえてきた。
その笑い声についに堪忍袋の緒が切れたのか、迦具夜はヒステリックに叫び始める。
「えぇい誰だ笑うのは! そこに直れ!」
「それで、何の用?」
段々とこの色々と抜けた神様に対して緊張感が無くなってきたのか、遠慮のない口調になって行きながら御森は迦具夜に問う。
「ふんっ…………罪人が葦原に設置された牢獄から抜け出したのですわ」
「それは、この子?」
御森はぺらりと一枚の写真を迦具夜に見せた。
「……! そう、ですわ」
『大江山の鬼が美少女だった』
くすり、と笑みを浮かべる御森に気付かず迦具夜は首を傾げる。
「では、共同戦線と行きましょう天津神様」
かつてないほどにはっきりと、御森は迦具夜に提案した。
髪の隙間から見える目には、狂気ともいえるような思いが渦巻いているとも知らずに迦具夜はその手を取った。
「一つ訊きたい事がありますわ、あの葦原人……忠人ではありませんわね?」
共に舞台を降りる迦具夜の問いに御森は思案してから何事でもないかのように答えた
「藤堂源治……試合では《怪童丸》と呼ばれて畏れられた、こと剣の扱いに特化した才を有する元世界レベルの剣道有段者。自覚をしていないだけで十分こちら側の人間」
三. 月詠迦具夜 策を弄する