第17話 これも一つの冴えないやり方 ~Reason for her tears~
ここは……どうやら悠さんの精神に入ることは成功したようだ。
体は浮いていて、自分の周りにはいくつものモニターのようなものがあり、その中で悠さんがほほ笑んだり、悲しんだり、喜んだり、怒ったり。これが記憶なのかな……。
「空君」
不意に自分の名前が呼ばれ振り向くと、悠さんがいた。
「いらっしゃい、ようこそ私の中へ」
おかしい、奏音ちゃんは中に入ったら僕一人だと言っていた、それに何か引っかかる。
「どうしたの空君? 私のデバイスにお願いに行こうよ」
なるほど、わだかまりの正体はこれか。
「なんで悠さんの格好をしてるんだ? お前、デバイスだろ?」
悠さんは自分のことを「ボク」と呼ぶ、今までに一度だけ「私」と呼んだことがあるが、それは僕の父さんに自分を紹介するため。僕と話すときには必ず一人称は「ボク」のはずなのだ。
「うーん、まぁそうだな。確かに俺は悠のデバイスだ。よく気づいたな、褒めてやるよ」
「それで、分かってんなら話が早い。悠さんの僕に関する記憶を返してほしいんだ」
「ああ、もちろんだ」
「マジで! ありがとう」
思っていたよりもすんなりいって、少し物足りない感じがするが、記憶が戻れば問題ない。
デバイスは一呼吸置き、はっきりと言った。
「ああ、もちろん無理だ」
「はっ!? どうしてだよ!」
「ところで空君、どうして君は悠を『悠さん』って呼ぶんだ? ルーナは呼び捨てなのに」
なんでそんなことを今訊くのだろう、そんなことより記憶なのに!
「そんなことはどうでもいいじゃないか! 記憶を返してくれ!」
悠さんの格好をしたデバイスは激昂し叫ぶ。
「いいわけねぇだろぉが! お前がルーナや奏音の名前を呼ぶたびに、悠がどんな気持ちになってたか分からないのか!? なんで自分は呼び捨てや『ちゃん』ではなくて『さん』なんていうよそよそしい呼ばれ方なんだろうって思ってたんだよ悠はっ!」
デバイスに告げられる悠さんの気持ち、僕はちっともそんなことは考えていなかった。ただ、いきなり彼女ができて、女の子の下の名前を呼ぶのなんてほとんど初めてで、恥ずかしかった。でもルーナは悠さんのおかげで親しみやすくて、いつの間にかそう呼んでいた。まさか悠さんがそんな風に思っていたとは……
「まだお前は『悠さん』って呼ぶんだな」
「く、それは……。僕が悠って呼べば記憶は返してくれるのか?」
「いいや、返せない。記憶を戻すと死にかねないんだよ、あいつは」
「――ッ!? 死にかねないってどういうことだよ!?」
『死』という言葉に僕は動揺を隠せない。
「あいつはな、お前に会うのが初めてじゃない、それには気づいていたか?」
「ストーカーしてたってあれか? それには気づかなかった」
「まぁ、無理もない。俺が記憶を消したんだもんな、でもあの猫の話から思い出してもいいと思ったんだがな」
記憶を……消した?
「何言ってんだよ、お前。僕の記憶を消したってどういうことだ……?」
「正確には封印しただけどな、少しのはずみで思い出せるようなもんだったんだけど。見せてやるよ、あの時の記憶を」
デバイスはそういってパチンと指を鳴らす。
――辺りは一変し、モニターから僕のよく知る土手へと変わった。
ただ、今の土手とは違い少し昔……僕が小学校の頃の土手だった。僕は登校のために毎日ここを通っていたからよく覚えている、ヒメルを拾ったのもこの川だ。
「ここがどこだかは、分かるよな?」
不意に現れるデバイス
「ああ、家の近くの土手だろ?」
「来るぞ」
土手を歩いてきたのは……小さい女の子、少し悠さんの面影がある。おそらく小学生の頃の彼女だろう、髪にリボンをしていて可愛い。悠さんは川をみていると、何かに気づいたようで走って坂を下りる。そして川に飛び込み泳いでいった。
「おい! 悠さんが危ないぞ!」
僕が彼女を追いかけると
「無理だよ、これは記憶だ。触れない、悠は今でも生きてるだろ? こんなところじゃ死なないよ、ていうか俺が死なせないよ」
その言葉に安心するが、悠さんは明らかに溺れそうだ、すると一人の男の子が――
「これ、僕だ……」
小学生だった頃の僕は木の板を取り、悠さんを助け出していた。だが何かおかしい、僕の記憶ではこの時助けたのは人ではなく猫、つまりヒメルのはずなのだ。
名前を聞かれた小さい頃の僕は『僕は通りすがりのヒーローさ!』なんて恥ずかしいことを言っている。確かにこのころの僕は何でもできると思っていた、だからヒメルも何も考えずに飛び込んで助けたのだ、本当は悠さんだったようだが……。
――ッ! そこで記憶がつながる、何故悠さんがヒメルの名前を知っていたか……、『ヒメル』という名前は彼女と一緒に考えて付けた名前だった。
「思い出したか?」
いつの間にか最初にいた空間に戻っていた。
「ああ、全部思い出した、この後僕の家に行ってヒメルの世話をしたんだよな」
「ああ、そうだ。そのあと悠が帰るときに言った言葉、覚えてるか?」
「……、悪い。覚えてない」
「まぁ仕方ないよな、八年も前のことだ、気にするな」
「それで、なんて言ったんだ?」
『空君、今日はありがとう。ボク大きくなったらまた来るよ、だから待っててね。ちょっと記憶は消しちゃうけど我慢して。今度会ったときはボクが君を守るから』
「悠はまだ小学生で、ティエラの人間との必要以上の接触は禁じられていた。だから記憶を消さざるを得なかったわけだ」
「それは分かったけど、それが悠さんが死にかねないのとどういう関係があるんだよ!」
「悠がお前に会ってから毎日晴れてただろ?」
「確かに、毎日雲ひとつなかった……まさかっ!?」
「そうだよ、お前が昔『僕は晴れが好きなんだ』って言ったからだ。毎日クラフト使って天気をいじってたんだよ」
「それだけでか? しかも八年も前のことなのに……」
「悠にとってはそれだけのことじゃなかったんだろうよ、それだけじゃないぞ。お前の周りの確率を操作して、何があっても事故に遭わないようにしていた」
「でも、ジェットコースター事故は起きたじゃないか!」
「それまで使い過ぎてたんだ、体力もほとんどなかった。だから一瞬集中が切れて事故は起きた。それでもお前は生きてるだろ? あいつは凄いよ、自分が死ぬのを覚悟で力を使ったんだからな」
「そんな……僕なんかのために」
「悠が寝ている間俺と話していたんだよ」
「何を話したんだよ?」
「お前、つまり『東雲空輝』の記憶を封印するってことをだ。そしたらあいつは、空君の記憶だけは消さないでくれって泣いてたよ」
「それでも消したんだな」
デバイスは悠さんの顔で笑う、自嘲的に。
「俺はあいつのデバイスだ、これ以上あいつに危険なことはさせられない、お前がいるとあいつは力を使い続ける、このままだと本当に命に関わるんだよ。それでもお前はあいつの記憶を返せって言えるのか?」
デバイスの真剣な表情に、僕は言い淀む。
「何か、何か方法はないのかよ! 悠さんに記憶を戻しても彼女が危険にならないような方法は!」
「あるよ、空君」
「じゃあそれをすれば――」
「君がいなくなることだよ♪」
デバイスは言う、悠さんの声で。最も確実で簡単な方法。そう僕が消えること。僕がいなくなれば悠さんはクラフトを使う相手がいなくなるし、デバイスにとって僕をこの世界に閉じ込めるのは容易なはずだ。しかし、それはできない。
「……悪いなデバイス、それはできない」
「だろうな、人間なんてそんなもんだ。死ぬのは怖いよな」
「違うんだ、僕は悠さんと、いや悠と約束したんだよ、必ず帰るって」
「そんな約束なんて……関係ない!」
そういって向かってくるデバイス。どうすれば悠の記憶を取り戻せる? いや、それは後だ。まずはこのデバイスを何とかしなければならない。僕の装備は服だけ、太刀打ちすることはできない……服だけ? 自分の体をみていると『これ』があったことを思い出す。これなら何とかなるかもしれない!
僕はそれを手に取り走ってくるデバイスに――
「ごめんね悠っ!」
「なっ!?」
デバイスから放たれる拳を避け、悠のおでこにそれを押しあてる。押し当てた物、それは彼女にもらったプレゼント。僕のデバイスだ。吉野がICカードを取り込んでいたのを思い出したのだ。こうすればもしかしたらと思ったが。
「……お前はそれでいいんだな? この方法なら俺も文句はない、確かにこれが一番良かったかもしれない、名案だよ。お前しか苦しまないからな」
どうやら成功したようだ。
「ああ、だから記憶は返してくれ。これからも悠を守ってくれよ」
「当り前だ。これからは悠がクラフトを使うたびにお前の体力が消費される。分かってやったんだよな?」
「も、もちろんだ……」
そんなことは微塵も考えていなかったのだが……
「デバイスの共有なんて考えるとは、大したもんだよ空輝、まぁお前はクラフトを使うことはできないけどな。これからよろしくな相棒」
ナンテコッタ! 悠さんのデバイスは手を差し出す。
「どうした? 握手だよ」
悠と固く握手し、男と男(?)の闘いは幕を閉じた。
――目を覚ますと白い天井、隣には天使のような女の子が、可愛い寝息をたてて寝ている。
「帰って……、来れたかな」
「おっ、東雲起きたか。って事は成功したんだな?」
「ああ、もちろんだ」
「それにしても三年は長くないか?」
「三、年? 三年間も僕は悠の中にいたのか!?」
隣にいたルーナが吉野の頭を叩く
「なに嘘言ってるんですか」
「なんだ、やっぱり嘘か……」
「三年ではなく五年です」
「増えちゃった!? 僕、今何歳だよっ!?」
「安心してくれ先輩、三時間くらいしか経ってないよ、全く二人ともおふざけが過ぎます」
「ありがとう奏音ちゃん、かなり焦った」
隣で寝ていた天使ちゃんが目を覚ます
「ふわぁ、うーん」
「おはよう、悠」
やはりまだ恥ずかしいが、彼女がそう呼んで欲しいならするしかない。
悠は一瞬驚いた顔したが、すぐに笑顔になり僕に抱き着いてくる
「やっと、やっと呼んでくれたね……」
「うん、ちゃんと約束守ったでしょ? 今までありがとう、これからは僕が君を、悠を守るから」
目から溢れ出す涙。
悠は泣いていた。
とびっきりの笑顔を浮かべ泣いていた。
そして――
「うん♪」