第10話 彼女の記憶
次の日――
悠さんが心配でほどんど眠れなかった僕だが、朝は誰にでも平等にやってくる。ちくしょう学校爆発しないかなぁ……
昨日はあの後、悠さんをお姫様抱っこして彼女の家のベッドに寝かして家に帰った。これでききききキスしたら目覚めないかな? なんて馬鹿な妄想をしてしまったことは誰にも言えない、そんなことを考えてしまう自分が腹立たしい。
それからのことは僕は知らない、おそらく奏音ちゃんが上手く取り計らってくれただろう。
というわけで今日、僕は一人で登校する。今日は終業式、明日からは春休みだ。
「はぁ……、鬱だ。悠さん大丈夫かな……?」
一応なにかあった時のために、奏音ちゃんとケータイ番号とメールアドレスを交換しておいた。
早速今朝メールがきたんだったな『や、やあ先輩、おはよえ。ねーさんはまだ起きないっほいから、今日は一人ていってください』
所々濁点が抜けていたり押しすぎたりしていた……
奏音ちゃんはあまりケータイに慣れていないのかな? おはよえって何だ……
そんな愉快なメールに僕は『おはよえ。了解、連絡ありがとう』と、返信した
とまあそんなことを思い出しながら電車を乗り換えた。
扉に背を向けて吊り革に捕まった。扉が閉まりますとアナウンスが流れそして――
『たったったったっ』と後ろから聞こえる軽快な足音、僕は振り返り――「どいてぇーー!!」
「ぐふぁ!」
扉が閉まる寸前に女の子が飛び込んできた。
「ちょっと、駆け込み乗車はやめ――ッ!?」
駆け込み乗車をして僕の腹にアメフト部よろしく見事なタックルを決めたその女の子は――悠さんだった。
「ゆ、悠さん……」
僕は消え入りそうな声でそう呟いた、目から水滴がこぼれるがこれはタックルが痛かったからではない。
「おぉっと失礼、申し訳ない、お詫びにボクが貴方の……ってそんなに痛かった? おかしいな、極力被害は小さくしたつもりなんだけど」
そういって彼女は光っているリングを確認する。
「悠さんっ!」
僕は抱き着いていた、抱き着いて……抱きしめた。
「ちょ、ちょっと! こんな人前でななななんて事を!」
悠さんはあわあわと手をバタバタさせた。
「落ち着いた?」
「うん、ありがとう」
「どうしたのかな? いきなりボクに抱き着いて、何か悲しい事でもあったの?」
「よかった、ホントによかったよ、悠さんが無事で……」
悠さんはきょとんとした表情で
「えーと、ボクの事どこで知ったのかな? ああ、隠れファンか! さすがだなボク、いつの間にかファンを作ってしまっていた!」
は? なに言ってんだか、僕は苦笑する
「ははは、何言ってんのさ、僕は悠さんのかかか、か、彼氏じゃないか」
ボンっと悠さんは真っ赤に顔を染めて
「ふえぇ~!? たしかに君はボクの、その、好みのタイプではあるけど、そういうことはちゃんと順序を……」
「え、あの、ちょっと悠さん、僕の名前は?」
「天野原悠ファン一号!」
「……冗談、でしょ? 空輝だよ? いつも空君って呼んでくれたじゃないか!」
僕は取り乱す、自分でも分かるくらい動揺している、背中には冷や汗をかき、心臓の鼓動が早まる。
「空君? うーん、覚えがないなぁ、二酸化――」
「炭素じゃないっ!!」
僕は電車の中ということも忘れて叫んでいた。
「ご、ごめん。そんなに怒るとは思わなくて。本当にごめんなさい」
深々と謝る悠さん
「ちがう、違うんだ……、ごめん悠さん。そうだ、さっき何て言おうとしてたの!? お詫びに貴方の――の後!」
「ああ、あれは……、何て言おうとしたのかな? 多分貴方の願いを叶えてあげる だったと思う、あれ? でも前にもこんなことあったような……」
どうやら紛れも無い事実のようだ。悠さんの記憶がない――
最寄り駅に着き悠さんと二人で登校する
「おっ、悠ちゃんに東雲君じゃん!」
後ろから声をかけられた
「あ、理沙ちゃん! おはよー」
「藤永さん、おはよう……」
実のところ二日ぶりに会う藤永さんだが、ずいぶんと久しぶりな気がする、なんでだろう?
「東雲く~ん、テンション低いぞ~? 私のツインテ専用技『ツインテビンタ』をお見舞いしてやろうか!」
そう言って首をブンブン振りツインテールが空を切る。この場合の『空』は僕ではない、これなんて補足説明?
「いや、いいよ、遠慮する」
待てよ? こんな補足説明よりもっと大切な事があることに気付いた。
悠さんは藤永さんの事を覚えている――
「ゆ――、天野原さん、藤永さんとはいつ知り合った!?」
「えーと、土曜日だから、二日前かな?」
「何言ってるの東雲君? 私と悠ちゃんが友達になったとき君もいたじゃん」
悠さんはその言葉に驚いた表情で
「えっ、嘘、空君いたの?」
「……いた」
「ケンカでもしたのかな~?」
とりあえず、悠さんに一緒に帰ろうということだけ伝えて二人と別れた。
終業式、体育館に集められ延々と繰り返させる校長のありがたい無駄話を聞きながら僕は焦っていた、まさかとは思うけど、僕だけ忘れたのか? そんなに都合よく、いや、この場合悪く僕だけを忘れた?
とりあえず放課後だ、奏音ちゃんに聞かなくては、どうしてこうなったかを――
生活指導部の教師の「髪染めるなー、や、事故に気をつけろー」なんていうもはや恒例とも言えるいらない注意で終業式が終わり、クラスに戻る
すると後ろから真野が
「どうした、空? 元気無いじゃないか。ところで今朝のニュース見たか? あの遊園地のジェットコースターで事故があったんだってさ、でも死者どころか怪我人すらほとんどいないらしい、奇跡だな」
「ああ、ホントに奇跡だよ。サイコロ十回連続同じ目を出すのとはわけが違う」
「何言ってんだお前? ところでよ、今日も天野原さんと帰るのか? 俺もいいよな!」
「ああ、勝手にしろ……」
「空、お前ホントどうした? 具合でも悪いのか?」
「いや、体調は完璧、今なら三時間で世界一周できる」
「じゃあなんで?」
「三時間で世界一周なんてできるわけないだろうがっ!!」
「お前元気だな、自分で自分に突っ込むとか」
真野は苦笑する
「いやさ、精神がズタボロなのよ」
「どのくらい?」
「消しゴム落としただけで、命を落としそう……」
「そうか、大変だな」
「消しゴム落としただけで命落としてたら、命が何個あっても足らないだろっ!?」
「やっぱお前元気だわ」
このままだとボケとツッコミのハイブリッドになってしまう……
春休みの課題なんていういらない物や、過ごし方なんていう余計なもの、通知表なんていう恐ろしいものを配り終えホームルームは解散した。
廊下へでると悠さんが待っていてくれていた
「ごめん、待った?」
「うんうん」
首を横に振る
「時計の短い針が二周するくらいだよ」
「一日も待ってたのかよっ!? しかも昨日のこの時間は悠さんスパゲティー食べてたじゃないか!」
ドスンッ! と大きな音がして、その方向を見るとそこには穴が空いていた。コンクリートでできている柱に穴が空いていた……
「なあ空♪、なんでお前が一日前、天野原さんが何してたか知っているんだ?」
声を弾ませ、にっこりとした真野がそこにいた。いてしまった。
「そうだよ空君、なんで知ってるのかな?」
「ごごご、ごめんなさいでしたぁ! ぐふぉえっ!」
謝っただけでは許されず、真野に一撃頂いた。天井に叩き上げられ亀よろしく床に落下した。
真野はいつからこんなに強くなったんだろう……ガクッ……
「真野君! 前にも言ったじゃないか、暴力はよくないと思うって」
「ご、ごめんなさい……」
「でもあれ?あの時はどうして二人で帰ったんだったかな?」
まさか、真野を覚えていて僕を忘れたしまっただなんて……
真野は僕が事実上空気となったことに憐れむとともに喜んでいるようだった。まったく、器用なやつめ……
帰り道ケータイを確認すると奏音ちゃんからメールがきていた。
『せ、先輩 バカか?(笑) バカなのか?(大笑)おはよえってなんだよ?(大爆笑) やっぱり先輩バカだな!(水素爆笑)P.S.空気なだけに……ぷぷっ 』
あのやろう、水素爆弾の爆発くらい笑ったっていうことと僕の名前である『くうき』をかけやがった! 不覚にも笑ってしまった……
奏音ちゃんが間違えたのにな、おはよえ……。
「えーと、じゃあまた後で」
そう言って別れようとすると
「えっ! 空君、家隣なの!? そういえば美佳ちゃんの名字も東雲だったっけ、お兄さん?」
本当に見事に『東雲空輝』という存在だけが彼女の記憶から抜け落ちているかのようだった。いや、抜け落ちているのか。
「そう、僕は美佳の兄だよ」
「おお、じゃあ美佳ちゃんによろしくね」
そういってウィンクする悠さん、めちゃめちゃ可愛い……
とりあえず家に入る、話しはそれからだ
「なっ!?」
「お帰りなさいあなた! ご飯にする? お風呂にする? それとも、お・ひ・る・ご・はん?」
家の扉を開くとそこにはエプロンをした奏音ちゃんがいた。どうしてお前がココニイル?
昨日とは違い、エプロンの下にはどこかの学校の制服を着ているようだ。
「か、奏音ちゃんっ? どうしてうちにいるのさ!?」
「裸じゃなくて残念だったな! 先輩!」
「ああ! 心の底から残念だよっ!」
奏音ちゃんは一歩下がり
「せ、先輩。確かに先輩は思春期男子だが、そんなことを女の子に言うとその……引かれるぞ?」
「思春期女子のお前が最初に言ってきたんだろうがぁ!」
「それで、どうする? やっぱり昼ご飯だよな?」
「えっ、スルーなの? 僕のツッコミはするーなの!?」
「何の事だ空気先輩?」
「おまっ、もう一回言ってみろ! 今空気って言わなかったか!? 僕は空輝だぞっ!」
「紛らしいな先輩、文にすると分かりやすくなると思う、ラノベでも書いたらどうだ?」
「確かにラノベならわかりやすいな。って、主人公は僕かよ!?」
「誰もそんなことは言ってないだろう、先輩はモブキャラAだ」
「モブキャラAだと!?」
「モブ先輩、昼ご飯は何が食べたい?」
「あの、とりあえず僕の家に上がらせてくれないか?」
「モブ先輩って言われたことへの反応はなしですかっ!? ああ、これは失礼した、玄関を塞いでしまっていたか」
リビングへ移動し椅子に座る。奏音ちゃんはキッチンだ。
「お湯が沸いたら三分で出来るからちょっと待っててくれっ」
「奏音ちゃんまさかそれって……」
「ん? エルデ自慢のカップラーメンだぞ?」
「やっぱりか」
「そんなぽいぽい女の子の手料理食べられると思ったら大間違いだぞ先輩、ギャルゲやラノベの主人公じゃあるまいし、先輩はモブキャラなのさ」
「サラっと酷い事言うよね奏音ちゃん……」
奏音ちゃんがテーブルの上に、みたことのないパッケージのカップラーメンを置き僕の向かい側の席に座る。
「ちなみにこのラーメン、三分経つ前にふたを開けると歳をとる」
「玉手箱かっ!?」
奏音ちゃんはおもむろに僕の前に置いたカップラーメンのフタを――開けた
「うわっ!」
つい反射的に身構えてしまったが……何も起こらない。
奏音ちゃんはお腹を押さえて爆笑した
「あはっ、あははは! 信じてやんのっ! だいたいそんな危険なカップラーメン売ってるわけないじゃん、ていうかあるわけないじゃん! あはははは!」
「お前なぁ……、僕は今かなり精神が不安定なんだぞ? キレても知らないからな!」
奏音ちゃんは何かを思い出したような顔をして青ざめた
「す、済まなかった! 許してくれっ!」
「いや、うん。そこまで謝らなくてもいいけどさ」
エルデ自慢のカップラーメンは驚くほど美味しかった。エルデは食べ物が美味しいんだな。
ラーメンを食べ終わり奏音ちゃんが口を開いた。
「ねーさんの事、話していいかな?」
そう、この話しを僕は聞きたかったのだ。
「もちろんだよ、話してくれ。真面目な話しの前のふざけた話しはいらないの?」
「え? あああんなの嘘に決まっ――ひっ! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
僕の顔を見ていきなり謝りだした奏音ちゃん、さっき言ったことを思い出したのかな?
「えーとだな、ねーさんには会ったんだよね?」
「ああ、見事に僕だけ忘れられていたよ……。ジェットコースター事故のあれが関係してるんだよね?」
「おそらくね」
「悠さん、記憶、取り戻す……よね?」
つい言葉が震えてしまう。
「わからない、正確に言うとこのまま何もしなければ戻らない……」
「え、嘘でしょ……?」
確かに悠さんが元気なのはとてもうれしい。でもたった三日、三日だけだが彼女とすごした時間は、僕が今まで過ごしてきた中で最も楽しく、そして充実していた。この思い出を僕だけしか覚えていないというのはとても悲しいんだ……。
「いや、申し訳ないけど嘘ではないんだ先輩。だが手はある、あるんだけど……」
言い淀む奏音ちゃん。
「あるんだけど?」
「その、危険だし、失敗するとねーさんの記憶の保証ができない」
記憶の保証ができないということはつまり、失敗すれば記憶をすべて失うかもしれないということだ。
「えと、その方法って?」
「なんで先輩のことだけねーさんが忘れたと思う? 他のみんなのことは覚えてるのに、『東雲空輝』という存在だけ、忘れたと思う?」
「空気だからか?」
ペしっ! と頭を叩かれた。
「先輩、ワタシは珍しく、柄にもなく、なんとなく真面目な話をしているんだ」
「今なんとなくって?」
「うっさい。つまりだな、ねーさんの中で先輩が一番大切だったってことだよ。妬けるね、妹とか父さんとか母さんとかよりも、先輩の方が大切だったんだねーさんは」
どういうことだ? 出会って三日? いや、ストーカーをしていたらしいからもう少し前から僕のことは知っていたかもしれないが、そんな奴が自分の家族よりも大切だと?
「だからってどうして記憶がなくなるのさ!?」
奏音ちゃんは左手を突き出しリングを僕に見せる。
「デバイスはな、意思を持っている」
「え、意思? 考えたりするってこと? て言うか生きてるの!?」
「これは持ち主とともに生まれ、持ち主とともに死んでいく。つまり自分の分身みたいなものだ、でも意思は独立してるけどね」
「そうなんだ、大切なんだね」
「当り前だろう」
「ところでそれって記憶を失ったことと関係あるの?」
「おおありだ。あのなぁ、前にも言ったけど、クラフトを使うとそれなりに体力を消耗するんだ、デバイスだって疲れるのは嫌だろう? だからリミッターをかけることがあるんだよ、使いすぎて死なないようにとかね」
「確かにデバイスさんも死にたくはないよな」
「ここからは推測だけど、先輩の記憶があるとねーさんの生命に危険があると判断したデバイスが先輩のことを忘れさせたんだと思う。あくまで推測だけど」
「なるほどね、で、その方法って言うのは?」
「先輩がねーさんの記憶の中、正確には精神世界だけどとりあえずそこに入ってお願いする」
「はっ!? 無理だろ普通に考えて!」
「何のための奇跡の力だ?」
「できるの?」
「私ひとりでは無理だけど、何人か一緒でなら送りこめると思う」
「なるほどね……」
「あ、ティエラでは無理だよ? エルデに行かないと」
「は!? エルデって、そんな簡単そうに言うけどどうやっていくのさ!? 僕パスポート持ってないよ?」
「アホかっ!? 世界が違うんだ、パスポートなんていらない。ねーさんの部屋の押入れから行けるよ」
マジかよ……、あの夢と希望とぬいぐるみと下着しか詰まっていないという悠さんの部屋の押し入れは、別世界につながっているのか……
「で、どうする? ゆっくり考えてくれ、先輩ももしかしたらねーさんの記憶の中に閉じ込められてしまうかもしれないからな?」
「わかった、考えてみる」
「ワタシは一回帰ってねーさんの様子を見てくるけど、いいかな?」
「ああ、そうしてくれ。カップラーメンありがとう、おいしかったよ」
奏音ちゃんは慎ましい胸を張り当り前だという表情を浮かべ「お邪魔しましたー」と言って帰っていった。