指切りの切り指
「何言ってるんですか、白瑠さん。あたしが不要なら殺しくださいと頼んだでしょう」
あたしは、そう答えた。
白瑠さんは、そっかとだけ頷いて退いて「夕飯作ろう」と笑顔で部屋を出る。
あたしは暫くベッドの上にいた。
不要なら殺してくれと、前から言ってる。だから、白瑠さんに殺されても構わないと思っているんだ。
こんな頭を粉砕してくれるなら礼だって言う。
でも。何故だろう。
白瑠さんはあたしを殺さないだろうと、何処かで思っている。
どうしてだろう。
それは多分。白瑠さんにはもう情が移っているからだと思う。
あたしが蓮真君と秀介を殺せないのと同じ理由だ。
翌朝はぐっすり眠れてすっきりした目覚めをした。背伸びをして、残りの眠気をとってベッドを降りて顔を洗う。
リビングに来て、きょとんと首を傾げた。
いつも用意してあるはずの朝食が、テーブルの上にない。
あれ、どうしたんだ?
休みでもちゃんと朝食を作ってくれているのに、帰ってきてないのか?
あたしは幸樹さんの部屋に向かった。いないと思ってノックをせずに開く。
幸樹さんはちゃんといた。
ベッドの上に幸樹さんはまだ眠っている。幸樹さんでも寝坊はするのか。
あたしは起こそうと近寄ったが、机の隣にある棚に目がいって留まる。
彼の妹の写真が───ない?
この前見たときはあったはず。なんでないんだろう?
と、思ったがただ写真立てが落ちていただけだった。
あたしはそれをしゃがんでとる。
写真に写るのは笹野咲さん。純白のワンピースが似合いそうな女の子が笑っている。
殺された女の子。
兄を裏に引き込んだ妹。
「何してるんだい?」
「ひゃあ!?」
耳元に息とともに吹きかけられてあたしは悲鳴を上げで震え上がった。
振り返れば、幸樹さん。
髪を掻き上げて微笑んでベッドからあたしを見下ろしている。
何も悪いことをしてないのにギクリとしてしまう。
「おはよう、ございます」
「ふふ、男の部屋に入るなんて。いけない子ですね」
ちゅ、と耳に幸樹さんはキスした。ぴっきーん、と硬直。
そんなあたしをクスクスと笑いながら写真立てを取り棚に戻す。
欠伸を洩らす幸樹さんの着ているYシャツはボタンがつけていなくはだけている。
蓮真君と違うこれまた大人なお色気を醸し出した雰囲気にあたしは動けない。
あたし、この人が苦手だ。
どんな女の人も落とすであろうこの人が苦手だ。
いや、だって、あたしも一応女ですから。
「あー、寝坊してしまいました…。お腹空きましたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。幸樹さんも寝坊するんですね」
「昨日はオペで患者を殺してしまいましてね…」
「…………………」
「ああ、間違いました。患者を助けられなかったんです」
疲れたように溜め息を吐いて額をさする幸樹さん。
裏は殺し屋。表は医者。
裏は命を奪い、表は命を救う。
表裏一体の人間。
「かなり瀕死な状態で運ばれたので仕方なかったと割り切れますが……その数が、ね」
「数?」
「テレビをつければわかります。ニュースになっているでしょう」
大事件が起きてかなりの患者が運ばれたみたいだ。
幸樹さんの部屋を出てリビングのテレビをつけてニュースを探した。
やっていたのはホテルの火事のニュースだ。
物凄い爆発で泊まっていた人間もそのホテルの従業員もかなりの数が怪我を負ったらしい。
「火傷ですか?」
「ええ。あと無理に飛び降りて骨を折った患者もいました。色んな病院に運ばれたらしいです、私の病院には十五人運ばれ死んだのは十人です」
「……幸樹さんの病院とずいぶん離れてますよ」
距離が離れている。これは助けられない可能性が高い。仕方ないのではないだろうか。
医者じゃないあたしに慰めの言葉なんてかけられないだろう。
「おや?慰めてくれるんですか?なら抱き締めてください。その方が効果的ですよ」
そう言って幸樹さんはあたしの肩に凭れた。うっ……。
あたしは躊躇したが、幸樹さんの頭を包むように腕を回した。
恥ずかしさを紛らわす為にニュースを見て思考する。
死亡者は、二十一人。
レストランの厨房が爆発して引き起こした大火事だとかで詳しいことを調べている最中だそうだ。
最近の日本は危なすぎる、とキャスターがそう意見を述べる。あたしも同感だ。
まぁ、最近どころか遥か昔からこの血塗れの人殺しが蠢く裏の世界が存在してるが。
きゅるるる。
お腹が鳴った。誰の、とはあえて言うまい。
「ご飯、作りますね」と幸樹さんは小さく笑いながら立ち上がった。
赤面しつつも手伝おうと立ち上がったら。
「ぎゃああ!?なんで気配消してそこにいるんですか白瑠さん!」
真後ろに白瑠さんがいた。じぃーと黙ってソファに隠れてあたしを見ていたらしい。ホラーか!ビビったわ!
「ずぅるぅいー。どうしてこうくんには抱き付いて俺に抱き付いてくれないのぉ?」
「えぇーと………」
「日頃の行いのせいでしょう」
だらだらと“抱きつき”の話を白瑠さんにされている最中に幸樹さんは一人で朝食を作った。
それを食べてから裏の仕事についての話をする。また大仕事をするそうだ。
白瑠さんが乗り気なだけ。
今度は情報一つも漏らさずに収集して挑もうという話をした。
前回、白瑠さんの大仕事をしてあたしが大怪我を負ったことを気にしているようだ。かなり三人は悔やんでいた。
そういえば、とあたしは思い出す。
あたしに怪我を負わせた弥太部矢都は、白瑠さんを怒らせていたような。
この人の地雷はイマイチわからない。ひねくれた策略家はその地雷の位置を知っているようだがあたし達はどうもわからないのだ。
藍さんはそれを心が狭いからと言っていたがそれこそイマイチわからない。
心が狭いなら地雷は踏みやすいだろうが。
そう思っていれば藍さんがやってきた。噂をすれば。
「お嬢!再会のハグー!」
「あれ、ラトアさん。いらっしゃい」
「え…まさかのスルー!?」
藍さんと一緒に項垂れたラトアさんが来た。
「ああ…邪魔する」とソファにどすんと座るラトアさんはサングラスとフードをつけて完全に紫外線防御をしている。
「おや?ラトアが呼んでもないのに来るなんて珍しいですね。どうしたんですか、今日は」
確か今は藍さんの家に泊まっていると言っていた気がする。藍さんの家は、家と言うよりアジトだが。
幸樹さんは陽射しを遮る為にカーテンを締め切って電気を付けた。
「仕事の話を持ってきた」
フードだけを外してラトアさんは言う。
「ラトアさんからの仕事?」
「ああ、仕事だ」
「お嬢お嬢、先ずは僕の話から聞いてよー」
ラトアさんとは逆側にある一人用ソファに腰を下ろして藍さんは口を尖らせる。
「え?なんです?皆して仕事の話ですか?」
「大丈夫大丈夫、僕の話は殺しの話じゃないよ」
ラトアさんのソファの肘掛けに座って首を傾げた。仕事=殺しじゃないのか?
「多無橋氏が、お嬢を食事に招待したいんだって」
………………。
沈黙した。
脳内に浮かぶのは人のいい笑顔を向ける悪魔。
幸樹さんと別の意味で苦手な人。
「断ってください」
「断って」
「お断りください」
ほぼ同時に三人の声は重なった。
あたしと白瑠さんと幸樹さんだ。
目を丸めて顔を合わせる。絶妙なハモリでした。
「だよねー。やっぱり断っておくね。相当つーお嬢が気に入ってるみたいだ、最近仕事は全部お嬢名指しだよ」
「らしいねぇ。つーちゃんの十一月の仕事の二つはそうだもん」
藍さんに白瑠さんが返す。相変わらずにこにこ。
多無橋さんにはあたしもムッとする相手だが白瑠さんはそんな彼にも変わらない態度なんだよな。
二人して玩具であるあたしを取り合っているようなものなのに、どうも白瑠さんは“形だけ”相手しているよう。
「なんで食事に誘うんですか…」
映画でよく見る高そうなレストランを思い浮かべつつもあたしは青ざめる。残念ながらあの人と会話を楽しむなんて行為はしたくない。
あの人は他人をおちょくるのが趣味に決まっている。絶対にお断りだ。
「つーお嬢に紅色のドレスを着せたいとか」
「セクシーなドレスが見たいとか」
「それは貴方達でしょ」
キラッと眼を輝かせる藍さんと白瑠さんを一蹴する。
「単に食事をしたいか、或いは直接話したい仕事があるのかもしれません」
幸樹さんはまともなことを言った。直接話したい仕事?それは気になる。
「………やっぱり行きます」
ちょっと迷ってからそう言えば、二名から嫌な顔をされた。
「兄としては、許可できませんね」
「だめだよぉ、だめだめ。デートなんて」
「お兄ちゃんの言う通りにしなさい。……ぐふふ」
幸樹さんも入って反対した。
「藍さんの妹になった覚えはありません。変な妄想してにやけるのもやめてください…」と藍さんに釘を刺す。
「仕事なんですからいいじゃないですか」
「単に食事に誘ってるだけかもしれませんよ」
「どうして十代の餓鬼を誘うんですか…」
「いい年頃じゃん」
未成年に手を出すなんて犯罪だよ。あえて言わないけど。言えないけど。
「いつに食事をしよって多無橋さんは言っているんです?」
「今夜だって」
「えー!今夜は俺と添い寝する約束だよ!」
「いつそんな約束したんですか!」
「私とデートの約束ですよね」
「二人して出鱈目をつかないでくださいよ!」
「オレがついていけば問題ないのだろう」
デートはともかく、なんじゃ添い寝って。
ぎゃあぎゃあ口論していれば、ずっと黙って聞いていたラトアさんが口を開いた。
「本人が行きたいと言ってるなら行かせればいいだろう。もしもの時はオレが盾になれば安心だろ。何か可笑しな雰囲気ならば強制して連れ帰る。それでいいだろ?お前達は過保護か」
呆れたようにラトアさんは言う。言われた過保護組は口をぽっかーんと開ける。まさかラトアさんに言われるとは思いもしなかったらしい。
「うひゃひゃひゃひゃ!」
「うお!?」
どこから出したのか、ナイフを白瑠さんが取り出して哄笑しながらラトアさんの心臓目掛けて放つ。
左隣に座っていたあたしは驚いて離れる。
「ぐっ…何しやがる、貴様ぁ」
「ひゃひゃひゃ、いやあ面白くて面白くて、つ・い」
語尾にハートマークをつける白瑠さんは超笑顔。心臓からナイフを引き抜くラトアさんは超怒っている。
多少の出血が見られた。ナイフについてる血は紅。吸血鬼も紅い血のようだ。
「やめてくださいよ、白瑠さん。そうやって遊ぶのは。大丈夫ですか?ラトアさん」
「そうですよ、白瑠。家を血塗れにするのはやめてください」
「えー、つーちゃん血塗れ好きじゃーん」
「だからと言ってラトアさんを刺す意味がわかりません」
ラトアさんが怒り任せに投げ返す前にあたしはナイフを取り上げた。言いつつもナイフの紅に見とれていたりする。
「つーちゃんラトアに優しい…」
「お嬢ラトアに優しい…」
白瑠さんと藍さんはつまらなそうに唇を尖らせた。
「いやだって…趣味あうし、自由にさせてくれるお兄ちゃんだし」
「ラトアだけお兄ちゃんって認めるの!?僕は!?」
「いや、ラトアさんは親戚のお兄さんで、藍さんは近所の変態です」
「身内にはいらない!?せめてお兄ちゃんとつけてよ!」
「ねっ、幸樹お兄ちゃんいいでしょ?」
「僕もお兄ちゃん攻撃を受けたいー!!」
「藍、黙らないと出入りを禁じますよ」
一人騒ぐ藍さんを幸樹さんは冷たくあしらう。
あたしは落ち込む藍さんなんて無視をして幸樹さんと白瑠さんをしゃがんで見上げた。
「おやおや、行きたいんですか?椿さん」
「仕事の話じゃなかったら行こうとは思いません。仕事の話じゃなかったら即帰りますよ。ラトアさんもついてるならいいでしょう?お兄ちゃん」
ねっ?とせがむ。
そうすれば、こしょこしょと顎を白瑠さんに撫でられた。
玩具、よりペット感覚なのだろう。あたしの存在は。妹、よりペットだ。絶対。
「んーじゃあしょうがないなぁ。今回だけだよぉ?」
「そうしましょう」
折れたのは二人だった。
ひゃっほい!二人に勝ったぞ!
「お願いしますねっ、ラトアさん!」
「おう」
「あれ?ラトアさんも話があるんじゃなかった?」
「オレの話はあとででいい」
ふぅん、そっか。と頷く。
実はラトアさんの仕事も気になっていたりする。が、ラトアさんと二人きりのお出掛けが楽しみだったり。
蓮真君と同じノーマルだから、この人。
ノーマルはいい人。ノーマルは癒される。ノーマルは不快じゃない。ノーマル大好き。
「で?お嬢の服装はどうするの?」
復活した藍さんがピカンと眼を光らせて話を持ち出した。
「え?ドレスの話ですか?」
「セクシーなの駄目だよぉ、反対」
「何もドレスじゃなくてもいいでしょう」
「えー、椿お嬢のドレス見たかったなぁ」
「依頼者相手にそんなサービスは不要でしょう」
ドレスなんて着れるか。却下されて胸を撫で下ろす。また藍さんが用意するつもりなんだろうが、露出の多いドレスなんて御免だ。
「じゃあタイトだね!」
「へ?」
きっらぁーん、とるんるんな笑顔で白瑠さんは身を乗り出した。タイト?とあたしは首を傾げる。
あたしは溜め息を溢した。重く長い溜め息を吐く。
「どうせこうなるんだ…全く、家出しようかな…」
「そんなことを呟いたら監禁されるぞ」
呟けばラトアさんが忠告した。
夜になってレンタカーでラトアさんが運転して待ち合わせ場所に向かっている最中。
あたしの格好はスーツ。レディーススーツ。紅色のスーツ。
「普通の格好にしてくれればいいのに」
「普通の格好では入れないレストランなのだろ」
「あたしっていつも武器を軽量に持つと痛い目を見るんですよ」
また一つ溜め息をつく。
タイトスカートだしあまり武器を入れられていない。腕に短剣、タイトスカートの中にナイフ。
何とも動きにくい高いヒールを履かされてしまい、ナイフは三つだけ。
「マシンガンに囲まれても命だけは助けると誓ってやる」
「せめて傷一つ、と言ってくださいよ。嘘でいいから」
「吸血鬼は嘘を吐かない」
「おや、好意が膨らみますねぇ」
「吸血鬼好きだな、お前は」
「ええ、すっごく。何かアクションの入った吸血鬼映画ってありません?新作の」
「それならアメリカで一足先に公開してる映画がある。お前の好みにあうかもしれん」
「まじですか?題名教えてください、日本で公開するのを待ちます」
「アメリカに行けばいいだろう。仕事のついでに」
「英語弱いんです」
「お前幾つだよ…」
「十八です、ラトアさんは?」
「答えるもんか」
思った通りラトアさんとほのぼのと趣味の合った話が出来た。
吸血鬼が吸血鬼映画が好きなんて傑作だが話が合うならよろしい。吸血鬼映画が好きな友達って一人もいなかったんだよな、あたし。
ラトアさんはそれなりに打ち解けてくれたらしく口元に笑みを浮かべたまま話をしてくれた。
「あ、今月に公開するラブストーリーの吸血鬼映画なんですけど一緒に観に行きません?」
「ん?ああ、あれか。確か小説からヒットしたものだったな。全米では大人気の」
「そうそう。日本でヒットしないのが本当残念です。…で?一緒に行きます?一人で行くつもりだったんですけど、ほら観終わったあとに楽しく思い返しながら話とかしたいし」
「そうだな。一緒に行ってやる。ただし夜にな」
「やったー!」
映画観賞に行く約束も果たした。やったね。一人寂しく行かなくて済んだ。
ラトアさんとなら楽しんで観れる。
「あ、ラトアさん。一つお訊きしたいんですが、“黒の殺戮者”をご存知ですか?」
二人きりなので、名前を出せないひねくれた策略家の話題を出してみる。
そしたらラトアさんは怪訝な顔をした。
「そりゃあ……当然に知っている」
それがどうしたんだ?とあたしをチラリと見る。
意外にも安全運転をしてくれる吸血鬼さん。観に行く吸血鬼映画の吸血鬼みたいにスピード狂ではないらしい。寧ろスピード狂は白瑠さんだったりする。
「いえ、ただ名前を知らないかなぁと思いまして。白瑠さんとは宿敵の仲らしいし、藍さんも幸樹さんは名前を出そうとしないから聞けなくて。名前を言っちゃいけないあの人でも名前はあるんでしょう?」
白瑠さんの前では訊けないが、常に白瑠さんがいるから二人には訊けず仕舞い。だから今、ラトアさんに訊いた。
「本名を知る必要があるのか?」
ラトアさんはそう問う。
「知っていても損はないでしょう?」
「……どうだか。お前はクラッチャーの弟子なんだから知る必要などない。黒の殺戮者という通り名を知っているだけで十分だろう」
「弟子だからこそ知っておくべきなんじゃないんですか?何も黒の殺戮者だって名乗るわけないし」
「アイツはそう名乗るんだ」
はっきりとラトアさんは断言した。
あれ?そうなんだ。あ、普通殺し屋は通り名を使って仕事をするか。
「心配しなくても弟子だからと言ってアイツがお前に自己紹介する日など来ないだろう。自らクラッチャーの元に来ない。アイツらは仕事が被った時にたまたま会って取り合うだけだ」
仕事。殺しの標的。
つまりはプライベートで会うような仲ではないってことか。
「あたしとの仕事が被って会う可能性はありますよね?」
仕事で被るなら白瑠さんと仕事を続けていけば会う可能性があるだろう。
「まるで会いたがっている口振りだな。やめとけ、ろくなことにならないぞ」
「何故です?幸樹さんは冷酷な人ではないと言ってましたが」
「………言いたくはないが。クラッチャーがオレにナイフを刺すように、アイツもオレを怒らせるんだ。恐らくお前もアイツにそんな扱いを受けることになるぞ」
ちょっとラトアさんを哀れんだ。
そんなことを言わせてごめんなさい。
「なんですか?白瑠さんが二人いると考えるべきですか?」
「嫌だが、そんな感じだ。二人は奇しくも似た者同士だからな」
似た者同士。
白の殺戮者が脳味噌をぶちまけるなら、黒の殺戮者は身体中の血をぶちまける。
ぶちまけるのが好きな似た者同士。
今までの情報からして、あれか、ひねくれた策略家は全くの同類──というか鏡のように似た者同士なのではないか?
あたしと白瑠さんは同類だと思っていたが、ひねくれた策略家は同類の中で一番白瑠さんに似た人物なのかもしれない。
会いたい気が、しなくもない。
白瑠さんと同類なら、あたしとも同類。同じ殺戮者。イカれた殺戮者。
車は停止した。目的地についたのだ。待ち合わせのホテルの近くに停めたのはラトアさんが付き添いに来たのを見られないため。
あたしが先に降りてラトアさんは車を適当な場所に置きにいった。
慣れない高いヒールで一人ホテルに行けば、多無橋さんは出口に立って待ち構えていた。
短髪の人が良さそうな笑みを浮かべた眼鏡の男。秘書もボディーガードもつけずに一人で立っていた。
「やぁ、椿ちゃん。ドレスを着てくると期待したんだが残念だ。まぁ、来てくれただけ嬉しいがね。大人っぽくてセクシーだよ、その格好」
「……どうも、多無橋さん。本名で呼ぶのはやめていただけないでしょうか」
「ああ、これは失礼。黒猫ちゃん」
明るく話し掛けてきたが不快に思って言えばすぐに笑って謝り多無橋さんは呼び直す。
苦手なんだよなぁ、この人。
藍さんのお得意様だから断りにくいから回される仕事を引き受けているが、どうも腹黒そうなので関わりたくない。
早速、ホテルの一階にあるレストランへと誘導された。
ラフな私服では入店を断られそうな高級感溢れるレストランだ。三ツ星かな。
こんな店じゃあ落ち着いて食べれそうにない。率直に話だけ聞いて帰ろう。
席について「何を食べるかい?」と問われたので首を振る。
「いえ、あたしはただ話を聞きに来ただけなので結構です」
「話なら食べながらでいいじゃないか」
「食べながらじゃなくとも聞けます」
「遠慮しないで」
「仕事の話がないのなら、帰らせていただきます」
そういえばメニューを見ていた多無橋さんはクスリと笑った。
「仕事の話があると思って来たのかい?」
「Iさんには聞かれたくない話があるのかと思いまして。ないなら失礼します」
立ち上がれば笑ったまま多無橋さんは手を上げて制止の指示をする。
「君は仕事以外では会ってくれないのかな?」
「ええ、必要ないでしょう」
冷たく答えても多無橋さんの笑みは消えず、クスクスと笑い声が漏れる。
「冷たいね、ふふ。まぁ来てくれただけでも感謝しよう。仕事の話はちゃんとある、腰を降ろしてもらえるかな」
嘘ではないだろうと思い、あたしは腰を降ろした。
「来たのは仕事の話が気になったからかな?それとも師匠さんが行けと命じたのかい?」
「前者ですよ」
「そうかそうか。とりあえず料理を頼もうか、魚がいいかな?寿司は好きかい?ここの寿司は絶品なんだ」
「……生物は苦手なんです」
「そうなのかい?好き嫌いはよくないなー。鳥はどうだろう?好きかい?」
仕方なくあたしは「好きです」と頷いた。しつこいな、この人。
もう帰りたい。仕事なんてどうでもいいから帰りてえ。面倒くせえ。
多無橋さんはウェイターに注文をしてからあたしと向き合う。
「黒猫ちゃん、偽者の件はお疲れ様。見事目論み通りにできたね」
一々不快な言葉を選んでくる人だ。
「その話をする必要はないでしょう」と返す。
「そんなつれなくしないでくれよ、傷付くね」
ボロボロに傷付いてくれるならあたしは喜ばしいのだが。微塵も傷付いてないし、逆に楽しんでいるだろう。
「どうやって追い詰めたのかを是非聞きたいんだ」
「…………」
「…残念だね。気になって夜も眠れなかったんだけどなー」
………帰りたい。
「赤ワインでよかったかな?君に赤が似合うからつい」
「……構いません」
もう何でもいい。つか、帰ろうかな。本当は仕事の話なんてないのかもしれない。
そう思っていれば、やっと多無橋さんは本題に入ってくれた。
「君は世間をよく知ってるかな。つまりは裏の、だけど」
「………いえ、あまり」
「そうか。なら知らないかもしれないな。指だけがなくなっている死体を」
裏現実での話。
指だけがない死体。
白瑠さん達からは聞いていない。あたしは横に首を振るう。
「大事な取引相手が指だけ無くして死体で発見されたんだ。とても困ってしまってね、取引相手が持つブツまで持っていかれちゃったんだ」
肩を竦めて多無橋さんは困った素振りをした。表情はかなり困ってなさそう。
「相手はブツを狙う者ですか?」
「それは定かじゃない。どうにも無差別で殺られただけ、の可能性が高いんだ。指なしの死体は他にもあってね、多分連続猟奇殺人だと思われる」
そこで料理がきて、美味しそうな鳥料理が目の前に置かれた。美味そうなんだけどなぁ食欲ねぇよ。
「指を集める趣味のそいつを殺って、ブツを回収してほしいと?」
「簡潔にはそうだ」
「どうしてIさんに通して話さなかったんです?複雑な事情でもあるんですか?」
「単純な事情ならある。君個人にやってもらいたいんだ」
あたしは眉間にシワを寄せた。単純な事情じゃなくて単純な私情じゃないのか。
つまりはIさんこと藍さんにも知らせず、師匠こと白瑠さんにも協力を煽らずに、一人でやれとのことだ。
「多無橋さん。あたしを過大評価しないでください。仕事は師匠とやりますから」
「過大評価かどうかは、君が遂行できるかどうかで決まるさ」
たった一人でやるように話を進ませようとしてやがる。
この人は何かとあたしを試したがる。何故だろうか。
試すってことはそれなりに無茶な仕事になるだろうことは安易に予想できる。
「お断りします。前も言いましたが一人で仕事をするのはまだ早いですから」
「しかし、いつかは一人でやるのだろう?この仕事を機に一人でやってみればいいじゃないか」
「それは師匠が決めることです」
「君はいつも師匠さんの意見に従うのかな?君にとって師匠さんはそれほどの存在なのかい?」
もうそっぽを向いて帰ろうとしたが、多無橋さんはその名を口にした。
「頭蓋破壊屋ならば、偉大だね」
一口サイズに切ったチキンを口に入れて、そう微笑む。
前会った時は、白瑠さんが頭蓋破壊屋だと知らなかったはずだ。藍さんが話したのだろうか。別に隠す程でもないことだ。
しかし、それでは話が可笑しくなる。
「何故あたしなんです?クラッチャーさんなら確実に遂行するでしょう」
若いまだ成り立ての殺し屋よりも、超有名の凄腕殺し屋に依頼した方がいいに決まっている。
「そんなの、つまらないじゃないか」
…訊いたあたしが悪かった。
この人は、あくまであたし指名。
紅色の黒猫を指名しているのだ。
新しく見つけた魅惑の玩具のような、お気に入りなのだろう。
あたしは一息ついてからチキンを一口、食べた。
「大事なブツならば、確実に遂行できる殺し屋がいいはず。失敗しても構わないのですか?」
「失敗は困る。大事なブツなんだよ、ほんと。Iには秘密にほしい………ふふ、とある貴重なプログラムが入ったメモリカードなんだ。君がちゃんと遂行すると信じているよ」
身を乗り出して、そう囁いた。
藍さんには話せないプログラム?それこそ、藍さんに話して危険度などを訊かなくてはいけないニオイがする。
どうにもくさいぞ。何かを隠していないか?この人。
「指切り魔の実体は…?調べはついたんですか?」
「いやいや、それは無理だ」
…………は?
掌を見せてお手上げのポーズをする多無橋さんは「そう嫌な顔をしないでくれ」と言う。
「あたしに……自分で探せと言うんですか?」
「偽者を探し出したじゃないか」
「っ、それはあたし一人の力ではありません。尚更」
「情報ならこちらが全て集めて提供しよう。仕事の条件は一人で遂行すること、他言しないこと」
あたしの台詞を遮って多無橋さんは勝手に話を続ける。
あたしが反論しようとすれば「嗚呼、それから」と付け加えた。
「“付き添いの彼”には口止め料を支払うよ」
顔を近付け、指差す。
あたしのずっと後ろにあるバー。あたしは振り返らない。カマかもしれない。
だって。あたしは一度も付き添いの彼の姿を確認していない。
幸樹さんにもラトアさん本人にも注意をされていたからだ。
眼を向けるな。探すな。
ラトアさんだって、バレるような監視はしないはず。
だから、カマのはずだ。
「いけないな。Iと一人でくると約束させたのに…これでは針千本を飲んでもらわなくてはいけなくなる」
藍さんは言っていた。一人でくる約束だから。絶対にラトアさんに気付かれてはいけない。
仲介者である彼は信頼がモットーだ。
唇を噛む。藍さんに何かをやるつもりなのか?と睨み付けた。
「冗句だよ。君がこの仕事を引き受けるならそれでいいんだ」
人の良さそうな笑みで、軽い調子で脅してくる多無橋さん。
「引き受けましょう」
ほぼ考えずにあたしは答えた。選択肢はそれしかない。
藍さんのお得意様を潰すわけにもいかないし、敵に回すには怖い人だ。
とても殺したい。殺してしまいたいが堪える。
「それは有り難い」
にっこり、とぬけぬけと彼は笑いかけた。それから懐から一つの携帯電話を差し出す。
「これで連絡を取り合おう。盗聴されないように細工してあるから、バレないように持っていてくれ」
「…了解。では失礼します」
あたしはそれを掴んでさっさと出ようとしたが、その手を多無橋さんに掴まれた。
「乾杯がまだだ、黒猫ちゃん」
そう笑いかける。
あたしは仕方なく、赤ワインの入ったグラスを手にした。
「紅色の黒猫に」と多無橋さんはグラスをカラーン、とぶつける。
あたしは黙って一口、飲んだ。
飲んですぐに席を立って後ろを振り返った。そこにはこちらを見ているラトアさん。
彼も立ち上がって、一緒にホテルを出た。
「なんでバレたんです?」
「知らん。言っておくがオレはへましていない。背を向け聞き耳を立てていただけだ」
「あたしだってラトアさんを探しませんでしたよ」
「お前、まさか引き受けるつもりなのか?」
「引き受けると言ってしまいました。藍さんのためです」
「おい、そんなんじゃ今後そうやって無理矢理仕事をさせられる羽目になるぞ」
「もう二度とあの人と食事をしません」
早歩きでホテルを離れてふと気付く。握った瑠璃色の携帯電話。
「盗聴器……ついてませんよね?」
「盗聴防止がつけられているならついてないだろ」
「………まぁ、悪口くらい聞かれても構いませんが、発信器は嫌ですね」
「依頼人はあくまで仕事をやらしたいだ。家を突き止めたりしないだろう。念のため電源を切ればいい」
そっか。あたしは電源を切った。更に念のために発信器がないかとラトアさんが確認する。ないそうだ。
連絡時は家じゃない場所でとればいい。
「もしかしたら単にお前と直接連絡できる手段を設けたかっただけかもしれんぞ」
ラトアさんは嫌なことを言った。
「指切りの殺人鬼など、聞いたことない」
不機嫌なまま家へと帰宅。
上着を取りソファに投げ捨ててどっかりと座って、一言。
「お腹すいた!」
それに呆れながらも幸樹さんは夕飯を用意してくれた。
「レストランにいったはずなのにどうしてお腹を空かせて帰ってきたんです?」
「くそ不愉快な会話をして仕事の話がないと言われたので帰ってきたんですよ」
「なーるぅ。ラトアぁ、どうだったのぉ?」
「特に何もない」
あたしは怒り任せに答える。ラトアさんはこれでも仕事のことは伏せてくれるらしい。ただし絶対にバレるなときつく言われている。
──バレたらどうなるかわかってだろ?
意味深な発言で浮かぶのは、笑顔のお兄ちゃん二人。背筋が凍る。
だから怒り任せに愚痴った。さもなきゃ気付かれる。ひたすら怒っていればいい。
偽者が出てきたあの時みたいに。
「なんなんですか!?あの多無橋さん野郎は!殺していいですか!?」
「お嬢、ご飯粒飛んでる。てか殺しちゃだめだよ!彼は大企業の社長さ、んでもって裏でもやり手な裏社長なんだ」
あたしが飛ばしてしまったご飯粒をさりげなく食べていく藍さんに拳を振り落とす。
「裏の大企業の社長はみんなああなんですかぁ?」
「多無橋氏はー、ふえ、なんかしたの?」
「あの人の態度が気に食いません…殺し屋をおちょくるのが裏現実なんすか?」
「いやあ………僕あまり依頼人と会わないからよくわかんないなー」
「たまにいるんだよぉ。こぉ肝が据わったって感じかなぁ?生まれつき裏現実者にゃありがちだよ、ひゃひゃ。つーちゃんは対等に渡り合えるようになんなきゃだねえ?」
藍さんの頬を伸ばしていれば、白瑠さんが隣に座って笑いかけた。
あんな人間が他にもいるなんて嫌だ。あたしも肝が据われるだろうか…。
「それで?その多無橋さんとはどんな会話をしたんですか?」
幸樹さんがお茶を淹れてくれたコップを置いて訊いた。
「あたしの話です。偽者の件とか……ちょっとだけ交わして帰りました」
唇を尖らせながらあたしは肩を竦める。疲れさは真実なので、三人に伝わって笑われた。
幸樹さんには頭を撫でられ、白瑠さんには顎を撫でられる。
顎を撫でられる…。
なんかカンに障ったのであたしは白瑠さんの指に噛み付いた。
指。指切り。
指切り殺人鬼。
かぷり。
指を噛んだ仕返しに、白瑠さんは頬に噛み付いてきた。
えーと。どうしたものか。え?自業自得ですか?微妙な空気が流れてんですけど。
「ツボ!僕もお嬢に噛まれたい!」
「噛み殺すぞ」
カシャン、じゃない。今すぐ今撮ったやつを消しやがれ。
すると、かぷり。
反対側の耳に幸樹さんが噛み付いてきた。流石に冷静に考える暇はない。
何故なら、あたしは。
耳が弱いんです。
「んきゃああ!?」
「うひゃっ」
幸樹さんを避けようと離れたが、逆には白瑠さんが頬に噛み付いたままのため、必然的にぶつけた。痛い。
「いひゃーい、つーちゃん」
「だ、だって…だってぇ…」
「あー、耳がイイトコだもんねぇ?つーちゃんは」
「うっ」
「おやおや、真っ赤になって……可愛いですねぇ?」
操の危機!
面白がっている二人に挟まれてしまった。どうにかこの状況を切り抜く方法を考えて、見付ける。
「し、仕事ですか?幸樹さん」
そう訊けば止まった。もうちょっと近付いていたらナイフを出すとこだ。
「ええ、そうです」と離れる幸樹さんの格好は仕事用の黒いジャケット。
ああ、だから休みだったのか。
「じゃあ、行ってきますね」
「いってらっしゃい」
「いってらー」
そういつも通りに全員で幸樹さんを見送って夕食を平らげた。
そのあとに慣れないヒールで足が疲れたと言えば、藍さんがマッサージをすると名乗り出たが大半は猥褻行為に近かったり。にやにやしながらぐふふと笑って足を揉む行為を、訴えてもいいだろう。涎を垂らすな。
それからホラー観賞をしようとラトアさんと仲良く話していたら白瑠さんがナイフを片手に乱入。
うひゃひゃひゃ、と笑う白瑠さんと頭にナイフが刺さったままでぶちギレたラトアさんの鬼ごっこが開始された。
白瑠さんに吸血鬼と殺し合えばホラーを味わえるじゃん、と言われたが生憎あたしはラトアさんを刺すなんてことしない。だから即答しておく。
幸樹さんが帰ってくるまで起きていようとしたがラトアさんが帰ると言い出したので諦めて寝ることにした。藍さんと白瑠さんと三人では居たくないので。
あたしが寝るなら自分も帰ると藍さんはラトアさんと帰った。
白瑠さんにおやすみのハグをねだられたが丁重にお断りしてあたしは部屋に入り、自分のベッドに潜って眠りについた。
翌朝の目覚めは最高とは言い難いものだった。ピピピと鳴り響く不細工なアラーム音を消して起き上がる。たらりと垂れる髪を掻き上げてうんざりした溜め息を溢す。
寝たい。が、幸樹さんが作った朝食が台無しになる。
気だるい身体で這うようにベッドから降りて部屋を出てリビングに出た。
「…………あれ?おかしいな…」
リビングのテーブルを見て、あたしは首を傾ける。
昨日と同じで何も置かれていないテーブル。早起きし過ぎたか?と壁の時計を見たが、八時前。
書き置きがないところを見ると、昨日と同じで寝坊か?
まさかと思い幸樹さんの部屋に入る。幸樹さんはいた。
二日連続で寝坊なんて…。
裏の仕事が長引いてしまったのだろうか。とりあえず一言声をかけて起きなかったら寝かせておこう。そう考えて近付けば、顔色が悪いことに気付く。
冷や汗が出ていたから風邪なのかと思ったが、あたしは足元にあった血塗れのガーゼを踏みつけて悟った。
掛布団を引き剥がせば、露になる。
包帯で巻かれた腹部はまだ乾いていない血が滲んでいた。