愛ある拉致事件
重い重い重い重い重い溜め息を溢す。
結局、秀介は泊まった。あたしの部屋で、あたしのベッドでだ。
勿論、過保護組が二人きりで寝かせることを許すわけもなく一同であたしの部屋で寝た。
何故だ。
ベッドに潜り込んで、あたしの身体に腕を回す白瑠さんと秀介を眺めて溜め息を溢す。
秀介は興奮してなかなか寝てくれずあたしはそれに付き合うはめになった。
寝たら何されるかわからないからだ。
と言うことで寝不足。
あたしはベッドを這い出て部屋を出ようとした。
あれ。
床に敷いた布団には藍さんしかいなかった。幸樹さんは表の仕事か。由亜さんも自宅にでも帰ったのかな。
部屋を出てリビングに行けば、由亜さんがテーブルでコーヒーを啜っていた。
「椿ちゃん、おはよう」
にっこりと微笑む由亜さん。
幸樹さんがいつもいる場所にいるのが、ちょっとムカついた。
あたしは軽く会釈して挨拶を返して、ソファに座りテレビをつける。
「椿ちゃん、椿ちゃん。秀介くんのことなんだけどぉ」
「彼とは付き合うつもりはありませんよ」
どうせ好きかどうかを訊きたいんだろう。あたしはチャンネルを回しながら先に答えた。
「えー、でもでも。嫌っていないじゃん」
「嫌ってはいません。いい友人ではありますから。それに彼は狩人なんですから付き合うなんてあり得ないでしょ」
隣に座ってきた由亜さんに溜め息混じりに話す。
なんで秀介は狩る対象のあたしなんかに交際を求めてくるのだろうか。
「……椿ちゃん。言い訳ばっかりしてない?」
それを聞いてテレビから由亜さんに目を向ける。彼女はきょとんとした顔であたしを視ていた。
「“表だから”とか“狩人だから”とかで…椿ちゃんは片付けちゃってる。じゃああれかな?殺し屋の中に、椿ちゃんの“いい恋人”がいるの?」
真っ直ぐな瞳はまじりけのない意志で貫こうとしてくる。焦りを胸の中で感じた。
言い訳…。
「本当の理由は」
別に言わなくていいことなのに。
云うからややこしくなるのに。
あたしは答えてしまった。
「あたしが彼らを好きになれないからです。ただそれだけです。そう言えば納得でしょう?それとも、好きになる努力がいるとか言うのですか?」
刺々しく、感情を出してしまった。だけど由亜さんは怯まない。純粋なまま、素直にありのままのことを口にした。
「ううん、好きになるために努力なんて必要ない。でも椿ちゃん。椿ちゃんは自分で制御しちゃってるんだよ。好きにならないように努力してるんじゃないのかな?」
聞きたくなかった。
あたしは立ち上がり、廊下をスタスタ歩いて部屋に戻った。
聞きたくなかった。
あの人から。
あの純粋な人から。
聞きたくなかった。
嗚呼、そうだ。
あたしは好きにならない努力をしてる。
好きになる資格なんてない。
人を殺め続けるあたしが人を好きになるのは間違っている。
あたしは殺戮者。血に濡れている手。無感情の眼。
その手で好きな誰かに触れられない。
愛しそうになんて見つめられない。
そんなの知ってる。
でも、他人に言われたくなかった。
あの純粋な人に言われたくなかった。
幸樹さんに愛されるあの人から聞きたくなかった。
───アイサレナカッタ。
嫌な記憶が蘇って気持ち悪くなった。
ズルズルとドアにそってその場に座り込む。立てた膝に額を置く。
椿お嬢の父親は?
そんなの、あたしは。あたしは、知らない。
───ダッテ、ウマレルマエニアタシヲステタカラ。
継父には嫌われてた。母親だけが好きだって。母親だけを愛してるから。
───アタシハ、アイサレナカッタ。
今まで忘却していたのに、蘇って気持ち悪くなった。吐きそうだ。何かが聴こえる。耳を塞げ。嫌。嫌、嫌。
嗚呼、そうだ。
あたしは好きにならない努力をしてる。好きになる資格なんてない。人を殺め続けるあたしが人を好きになるのは間違っている。あたしは殺戮者。血に濡れている手。無感情の眼。その手で好きな誰かに触れられない。愛しそうになんて見つめられない。そんなの知ってる。
でも、他人に言われたくなかった。あの純粋な人に言われたくなかった。幸樹さんに愛されるあの人から聞きたくなかった。
───アイサレナカッタ。
嫌な記憶が蘇って気持ち悪くなった。
椿お嬢の父親は?
そんなの、あたしは。あたしは、知らない。
───ダッテ、ウマレルマエニアタシヲステタカラ。
継父には嫌われてた。母親だけが好きだって。母親だけを愛してるから。
───アタシハ、アイサレナカッタ。
今まで忘却していたのに、蘇って気持ち悪くなった。吐きそうだ。何かが聴こえる。耳を塞げ。嫌。嫌、嫌。嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌。
嗚呼、そうだ。
あたしは好きにならない努力をしてる。好きになる資格なんてない。
───ダッテ、アイサレナカッタカラ。
「椿?」
掛けられた声にハッとして顔を上げる。起き上がった秀介があたしを見下ろしていた。
「椿…?どうした?」
秀介はベッドから降りてすぐにあたしの前にしゃがんで顔を覗く。あたしはそれを避けるようにまた顔を伏せた。
「椿?」
顔を見ようと秀介があたしに触れる。
「───触らないで」
潜めたような掠れた声で言う。
「え?」
「触らないで。嫌い。秀介なんて嫌い」
視界を歪ます涙を溢さないように堪えながら、あたしは言った。
「優しくしないで。秀介なんて嫌い。だいっ嫌いよ」
「…………椿…」
「大嫌い。大嫌いだから、もうあたしに…付きまとわないで。あたしは嫌い。大嫌いなの」
嫌い。嫌い。嫌い。嫌いだから。好きじゃない。好きじゃない。好きになれない。好きにはなれないんだ。愛せないんだ。だから離れて。
「わかった」
秀介のその言葉に掌から聴こえた心音が、ピタリと止んだ。
「触らない。優しくしない。ここにいるから、どうしたのかを話して。これ、優しさじゃないよ。俺の気が済まないからただ聞くだけだ」
「─────…」
嗚呼、なんて────バカらしいんだ。この子は。
嘘つくな。
あたしへの優しさだろう。
それは君の愛なんだろう。
君の優しさが──愛。
やっぱり無理だ。
この子に嫌いと言っても、諦めてはくれない。
そんな些細な言葉じゃあその真っ直ぐな想いを打ち消せない。
あたしなら、心折れる言葉なのに。
嗚呼、でも。
視えないだけで、あたしは。彼を傷付けたかもしれない。
「椿」
「……あたし」
嗚呼、もうあたしは。
「ここから…消えちゃいたい」
消え去りたい。
跡形もなく。
存在したことすら。
全て消えて、無くなりたい。
「よし!じゃあ俺が連れ出してやる!」
「…え?」
顔を上げればニッとした笑顔の秀介。そしてウィンクをした。
有言実行。
本当に秀介はあたしを連れ出した。
あたしの座っていたそこから。あの部屋から。あの家から。
あたしを連れ出し、そこから消え去った。
寝巻き姿のままのあたしを抱えて、パンダのハチロクで走り去ったのだ。
ここで拉致事件発生。
嗚呼、どうしよう。
白瑠さん達、大慌てだろうか。
………………。
まぁ、いいか。
とにかく、考えたくなかった。
秀介が走らせる車の中でぼんやりとする。何も考えず、頭の中を空っぽにした。
しっかりと忘却しなきゃいけないことだから。
ぐちゃぐちゃのめちゃくちゃになってしまうから。
「おっはよーさん!椿を拐ってきたッス!」
「…………」
あたしを抱えて入ったマンション。辿り着いた部屋から出てきた人物に気軽に報告する秀介。
報告をされた篠塚さんはパリーンと持っていたマグカップを落とした。
「…………おはよ、ございます」
無言も何なので一応会釈して挨拶をしたが篠塚さんは呆然。
血塗れの姿を見せた後だもんな。
会うつもりはなかった。
表札に目を向ければ、篠塚と書いてある。
行き先ぐらい聞けばよかった。
「拐った…!?ら、拉致!?…通報!?いや、白瑠さんに電話!?」
「あー、大丈夫大丈夫。同意の上だからさ。それよりあったかいもの作ってよ、椿が風邪ひいちまう」
硬直した篠塚さんを尻目にあたしを抱えたまま秀介は上がり込み、あたしをソファに降ろした。
やっと起動した篠塚さんは大慌て。
白瑠さんの番号知らないじゃないかっ!と一人ツッコミをしたものだから、思わずクスリと笑った。
それを目を丸めて篠塚さんが反応する。
あたしはサッと顔を伏せた。
「……椿、コーヒーで…構わないか?」
「…………お願いします」
篠塚さんは、あたしに訊いた。あたしは顔を伏せたまま、頷いておく。
数秒立ち尽くしていた篠塚さんは直ぐにキッチンに向かった。
「ほら、椿」
部屋を見回していれば、秀介は毛布を運んであたしにかけた。
2DKの部屋。殺風景で、男の一人暮らしといった感じだ。
「ねぇ……どうして、篠塚さんのとこに来たの?」
「あ、言い忘れてた。俺今、篠塚刑事と住んでるんだ」
住んでる?
よく見れば寝室に若者の服がハンガーで吊るしてあった。
「なんでまた……」
「ああ、それは」
「待て!俺から話す!」
話そうとした秀介を遮り、慌てて篠塚さんはマグカップを持ってあたしの前に来た。
そのマグカップを受け取る。
「はいはい、わかってるよ」と秀介はあたしの隣に腰掛けた。
「……まさか、篠塚刑事。貴方、裏に首を突っ込む気ですか?」
あたしは冷ややかに見上げる。
白瑠さんから詳しく聞いて、自分から首を突っ込むつもりなのか。
あたしは次に秀介を睨み付けた。その手助けをしているのが秀介。
「俺から頼んだんだ」
「意味わかんないんですけど」
「白瑠さんから聞かなかったのか?俺の……記憶を失くす前の俺のこと」
篠塚さんは静かに言う。
聞いたことは聞いた。
以前の篠塚さんが一体どんな人だったかは、聞いていない。
「俺は……俺も裏現実者だったそうだ」
目を見開いて顔を上げた。
「なんですって…?」
「白瑠さんがそう言っていた。嘘をつくはずないだろう」
篠塚さんも。
否、以前の篠塚さんが裏現実者。
何故白瑠さんは教えてくれなかったのだろうか?
「それで…秀介に手伝ってもらい、裏現実を知って記憶を取り戻そうとしているところなんだ。そっちの世界ならばきっと思い出せる」
記憶を取り戻す。
その為に、裏現実へ踏み込もうとしている。
秀介の手を借りて。
「……何故、そうするんです?」
あたしはやっぱり冷ややかに見上げる。
「何故、記憶を取り戻そうとするんですか?まさかろくでなしの警察官に戻りたいとか?」
皮肉を吐き捨てた。
「自殺志願者だって聞いてないんですか?嗚呼、まさか…実は人を殺したくなった?警察だったけど裏は殺し屋だったとか?あたしが人を殺したのを見てうずうずしてきましたか?」
「おい、椿!」
「煩い!」
止めようとする秀介を一蹴する。
あたしは一点に篠塚さんを睨み上げた。
「あのね、篠塚さん。貴方はバカです。いい刑事になったのに裏に戻るなんて、馬鹿げてる!自殺志願者だ!アンタは記憶を取り戻したら死にたくなるんだぞ!?見ただろ!?あたしの殺戮を!アンタはそこに足を踏み入れるんだ!記憶なんか取り戻」
過去の自分を覚えてもいないくせに、あたしを助けるなんて笑わさないで。記憶を取り戻してからほざいてください。その時……同じような意志で言えるでしょうか?
自分で言った言葉をふと思い出して言葉を止める。
笑えない。笑えない。
「……あれは挑発です。忘れてください」
「いや、椿の言う通りだ。過去の自分さえも知らない俺が…椿を救えるわけがない」
奥歯を噛み締めた。
あたしの為だ。
まだあたしを救う気だった。
見せ付けたのが逆効果を生んで彼を裏に引き込んだ。
全部、仇になる。
全部、狂い出す。
「…─────っやめてよ!!!!」
あたしは持っていたマグカップを床に叩き付けて割る。コーヒーは零れ、マグカップは大きな音を立てて粉砕した。
「あたしに構うなっ!!あたしがいつ助けてなんて言ったっ!?」
「つば、き!?」
「救いなんて要らない!!構うな!!やめろ!!気色悪い!!」
「椿っ!」
「触るな!!優しくすんな!!助けなんて要らない!!」
あたしは毛布を振り回して叫んだ。クッションだって投げ付ける。
寄るな。触るな。優しくするな。助けようとするな。救おうなんてするな。
「助けてと言っただろ!」
篠塚さんが言う。
公衆電話での会話。
レストランでの会話。
「だからあれはっ…!」
「嘘じゃない。助けてほしいんだろう」
血塗れを見せた前と同じ瞳で、篠塚さんはあたしを真っ直ぐに視る。
「俺が助ける。椿」
「……助けなんて…いらないっ!」
「椿。落ち着け。落ち着くんだ、八つ当たりをするな」
あたしに触れようと伸ばした篠塚さんの手を振り払う。
次に秀介があたしの肩を掴む。
胸が苦しい。痛い。
「八つ当たり…?何かあったのか?」
「それで連れ去ってきた」
秀介は悪気なく篠塚さんに答えてもう一度あたしの隣に座る。
「椿。話を聞くから。どうして、優しくされたくないんだ?どうして、助けを拒むんだ?」
静かにそう問い掛ける秀介。
胸が痛い。
「…………助け……なんて………要らない…」
胸元の服をキュッと握り締めて、あたしは呟く。
「…助けなんて、要らない…。あそこがあたしの居場所なの。あそこじゃないとだめなの。表じゃあ……生きれない」
視界が滲んでいく。
それでも篠塚さんを見上げた。
「表じゃあ…存在意味も存在価値もないの」
アイサレナカッタカラ。
愛が見えない、表の世界。
「裏じゃなきゃ…生きられない」
愛が見えそうなんだ。
居たいと思える家。
笑えて温かい食卓。
顔を合わせて挨拶。
たまに雑魚寝する。
血塗れのくせに、温かい場所。
「…あんなところに…連れ戻さないで…」
冷たい場所なんかに。
愛さえもわからなくなる場所なんかに。
「もう…大丈夫…だから」
涙が頬を伝って落ちる。
あたしは顔を伏せた。
「…お願い…優しくしないで……優しさを貰う資格はない。愛を貰う資格もない」
人を殺してる。
無情に殺戮。
そして愛せない。
「ごめん…秀介。貴方を愛せない。愛せないよ。愛せないんだ」
あたしは秀介の目を視て、はっきりと告げた。
胸が、気持ち悪い。
涙がポロポロと落ちる。
嗚呼、気持ち悪い。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
「───…気持ち、悪い」
胸元を押さえてソファの背凭れにすがり付いた。
至極気分が悪い。
「え、お…おい?椿?」
慌てて秀介はあたしの顔を覗く。
あたしは、意識を手放した。
あまりの気持ち悪さに気を失う。
気を失ったはずなのに、夢を見た。ぼやけた白い部屋。白いベッドにあたしは横たわっている。
その目の前に、誰かが立っていた。
顔は伏せていてわからない。黒ずくめ。
「ぅ………あぁ…」
目を覚ますと、二日酔いの朝みたいな気分だった。
「ん?」
何故か手にはナイフを握っていて、それに血がついている。そのナイフの向こう側には、コーヒーテーブル。そこに血を流す死体が一体あった。
あれ?あたしが殺った?
顔を上げてみれば、篠塚さんと秀介が立ち尽くしていた。あたしを凝視している。
「…何かあった?」
「何かって……つばきゃん、正気?」
「こいつ誰?」
「俺の敵だって言ったじゃん!」
「いつだよ」
「椿が起き上がった時にだよ!覚えてない!?」
何を言ってるんだかわからない。あたしは首を傾げた。
一体このナイフは何処から出したのだろうか。謎だ。
「って、あたし殺しちゃった?やだ…一週間は殺すなって師匠命令だったのに…」
慌てて死体の脈を確認した。死体と称してる時点で死んでいる。
「怒られるぅ!白瑠さ……んは怒んないな、寧ろ幸樹さんだ。嗚呼、外出禁止の上に殺っちゃったよぉ」
あたしはソファにバタンと倒れ込んだ。嗚呼、怒られちゃう。
ああーやんなっちゃう。
項垂れながら篠塚さんを視る。唖然としていた。
…あたし、何やったんだろうか。全く記憶がない。
「椿……今のは…一体?」
「はい?殺しました?」
「いや…それは見ていたが………今、言ったよな?」
言った?
「“お前を知っているぞ”……そう言った。覚えていないのか?」
“お前を知っているぞ”
そんな言葉を言った覚えない。この死体が現れたのも、殺したのも覚えない。
「……あたし………そんなことを喋ったんですか?なんで…何があったんです?」
まさかが過る。何度も掌を握って感覚を確認した。
「え?椿が寝ちゃったから毛布かけて…それから…これ…何だろうと思って…とったらそいつが入って来たんだよ。そしたら椿が起き上がって、ソファの下に隠した俺のナイフで殺った」
秀介が戸惑いがちに説明した。これ、とは蓮の指輪。あたしの指輪から抜き取ったらしい。
「勝手に取らないでよ」とあたしは手を伸ばして返してもらう。
人差し指に嵌めて、一息つく。
「その記憶がないんだけど…まじで……。あたし、他になんて言ってました?」
「記憶がないって…はっきりと喋ってきっちり殺したのに…」
「例えば、喉で“ククク”って笑わなかった…?」
笑った。なんて解答は欲しくない。
だってそれが意味するのは。
「笑った」
篠塚さんが頷いた。
それが意味するのは───|悪魔に身体を乗っ取られた《、、、、、、、、、、、、》。
ドッカ!といきなり扉が蹴り破られ大きな音を立てる。
扉には、白瑠さん。
「椿ちゃん、返して」
にっこりと笑う白瑠さんは、普段通りに視えた。
秀介と篠塚さんを視てからあたしに目を向ける。その前に死体を視たがそれは空気のような扱いでスルーした。
「白瑠さん………迎えに……来たんですか…」
「……椿?」
まさか迎えに来るなんて思わなかったから呟けば、きょとんと白瑠さんは首を傾げる。
「クラッチャー!一日くらい椿を自由にしやがれ!」
「自由?俺、拘束してないけどぉ」
「椿はあそこからっ…!」
ジャキンと三又槍を出して戦闘モードの秀介に対して白瑠さんは相変わらず丸腰だ。
言いかけて秀介はぐっと押し黙った。
そしてあたしに目を向ける。
気を失う前にあたしが言ったことを思い出した。
「椿……資格なんてもんはねぇよ、要らねぇよ、必要ない」
哀れんだような苦しそうな瞳で、秀介はあたしを見据える。
「俺だって愛される資格なんてないかもしんないけど、俺は椿が好きで愛してるから」
愛される資格。
あるよ、君には、ある。
ただ、あたしが愛してあげられないだけ。
もう罪悪感に押し潰されて消え去りたい。
「椿は椿の居たい場所に居ろ。俺はいつまでも想うから」
いつまでも。想う。
心変わりしてくれない。
秀介も篠塚さんも。
「……」
救えないよ、あたしのことなんて。
救って欲しい心は罪悪感と劣等感と罪に埋もれちゃっている。
あたしはただ、無言で首を横に振った。
それからナイフを置いてソファから立ち上がって白瑠さんの胸に飛び込む。
「椿………」
ギュウと抱き付いてみた。白瑠さんは何も訊かず、あたしを抱えて篠塚さんの部屋を後にする。
マンションを出てから白瑠さんはあたしを降ろしてから自分のジャケットを脱いであたしに渡した。バイクだからだ。
寝巻き姿のままのあたしは白瑠さんのジャケットを着てバイクの後ろに股がった。
ノーヘルで颯爽と幸樹さんの家に戻る。
いや、帰った。
「………………………」
玄関に入るなり驚いた。
由亜さんが土下座をしている。正座をして頭を下げていた。何してんだ、この人。
あたしと白瑠さんは沈黙。
とりあえずあたしは飛び越えた。後から真似して白瑠さんが飛び越える。
「おかえりなさい、椿さん」
二度目の驚き。
幸樹さんがいた。
大方、自分のせいだ!とかなんとか言って幸樹さんに通報したんだろう。由亜さんが。
どうしよう。怒られる!
硬直したが幸樹さんは微笑を浮かべたままあたしにカーディガンをかけた。
「…た、ただいま…」怒られないことに戸惑いつつ返事をしておく。
「由亜さんもそんなところに寝ていないでこちらで話しますよ」
「由亜っちぃ、つばちゃん帰ってきたよぉん」
「はうっ!?あ、あれ!?椿ちゃんおかえりなさい!!」
寝てやがった!?
土下座に見せ掛けて寝てたよあの人!
それよりも幸樹さんが肩を掴んだことにギョッとした。捕まった!話すって…拷問!?
嫌がったが幸樹さんにリビングへと連行された。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
爽やかな笑顔で待ち構えていたのは藍さん。
何故か燕尾服を着ている。執事コス。
くそう、変態のくせに決まってる。変態のくせにかっこいい。変態のくせに似合ってる。変態のくせにイケメンだ。くそう、変態じゃなければメロメロだった。
つか、なんで執事コスしてんだ。この人が自分でコスプレしてるのを見るのはハロウィン以来だ。
ハロウィン。個人的にウキウキする日。せっかくだから吸血鬼のラトアさんとデートをしようとしたらコスプレをしていた白瑠さんと藍さんに「トリックオアトリート!」と出迎えられた。お菓子を持ち合わせていなかったあたしは悪戯にコスプレをさせられたっけ…。猫耳付き魔女っ子。
「…かっこいいですね、藍さん」
「何故か冷ややかな目で長い沈黙がありましたが……お嬢様にお褒めの言葉を頂けて有り難く思います」
キラッと爽やかな笑顔で藍さんは執事になりきっていた。新しい拷問かなにかだろうか。
「え?かっこいい?俺も着るぅ!」
「えぇー、白くんは似合わないよー」
ちょっと想像してみる。
……似合わない。
そうこうしていれば、無理矢理幸樹さんにソファに腰を降ろさられた。
目の前には由亜さんが座り、周りに白瑠さん達が囲うように立つ。
……なんだろう、この状況。
「すりませんでした!!」
「噛みましたよ、由亜さん」
「スリませんでしたぁだってぇ、うひゃひゃあ」
「すまません!!」
「すももせん!スモモ千個!ぐふふっ!」
「ごめんなさい!!」
白瑠さんと藍さんに笑われながらも、由亜さんはあたしに謝った。
「あ、アタシが…傷付くことを言っちゃったんだよね?怒らせちゃったんだよね?ごめんなさい!」
涙目で謝る由亜さん。
嗚呼、この人ってば。
本当に嫌。
あたしは肩を竦めて溜め息をついた。
「別に傷付いても怒ってませんよ。単に秀介にラチられただけであって貴女が謝ることではないです」
「えっ……でも、椿ちゃん……好きにならない努力をしてるって…言ったのを怒ってるんじゃないの…?」
きょとんと首を傾げた由亜さんはあたしとは別の方に目を向けた。その目線を追ってみれば、あたしの後ろに立つ藍さんに辿り着く。
藍さんはあたしと目が合うなり、ぐりんと首を後ろへと曲げた。
……この人。まさか。狸寝入りしたな?
秀介に拐われる前の一部始終を聞いてやがったな?
殺気だって睨み付ければ、ちょこちょこと藍さんは下がった。
そうすれば幸樹さんがあたしの肩を叩いて、由亜さんと向き合わせる。
「ええ、カチンときました。あたしは好きにならない努力をしてました。いえ、寧ろちゃんと好きになれないんです。愛せないんですよ。あたし、実の父親に捨てられていて、継父にも愛されずに育って、愛せないんです」
もう白状をした。
早口にさっさと吐き捨てる。
「愛される資格なんてない。愛されるような人間じゃなくって、愛するような人間でもない。そう思っていたのですが、他人に言われたら腹が立ったんで部屋に逃げ帰ったんです」
言い終われば、シン…と沈黙に包まれた。気まずさがビンビン伝わる沈黙。突き刺さる視線。目の前の由亜さんが目を見開いている。
言うんじゃなかった。
後悔して言葉を探す。
こんなことを言っても無意味じゃないか。寧ろ迷惑だろう。そんなのずっと昔から知っているのに、どうして言ってしまったんだ。
篠塚さんのバカ。秀介のバカ。
「じ、事実なんですから…由亜さんが気にかけることないです…!」
ギョッとした。
ポロポロと由亜さんの目から大粒の涙が落ちる。ポロポロと溢れ出す。
えっ、えっ、ええっ!?
泣かしたのか。あたしが泣かせてしまったのか。パニック。
ぶふっ!?
いきなり抱き締められる。がばっと由亜さんが抱き締めてきた。
「ごめんっ!ごめんっ!椿ちゃん!!…いっぱい、いっぱい苦しい思いをしたんだね!いっぱい、寂しい思いをしたんだね!」
泣きながら由亜さんがあたしを目一杯抱き締めて言った。
あの、今、苦しいんですけど…。
「大丈夫だよっ!ここの皆、椿ちゃんが大好きだから!幸樹さんも、白瑠くんも、藍くんも、アタシも、椿ちゃんが大好きだから!椿ちゃんを愛してるよ!」
ギュウと、苦しいくらいに由亜さんは抱き締める。
泣きながら言う。
……嗚呼、やめてよ。
「アタシ達に愛されてるから!怖くないよ?ちゃんと誰かを好きになれるよ、愛せるよ!大丈夫だよ、椿ちゃん!椿ちゃんは愛されていいんだ、すごく愛されるよ、大丈夫!アタシが保証するんだから!椿ちゃんに酷いことを言う奴はアタシがぶっ飛ばすんだから!」
やめてよ。
視界が滲む。歪む。
やめてよ。
必死に堪えた。
また人前で泣いてたまるか。必死に堪えた。落とさないように堪える。
「そうですよ、椿さん。愛してますよ」
幸樹さんが、あたしと由亜さんを抱き締めた。ギュウと、あたしは二人に抱き締められる。
涙が落ちそうになった。
「お嬢!大好き!!」
後ろから藍さんが抱き締める。嗚咽を飲み込んだ。
「椿、愛してる」
最後に白瑠さんが皆を抱き締める。
もう、堪えきれなくなった。
涙がポロポロと落ちる。
嗚咽が零れ落ちた。
震える背中を誰かが擦る。
誰かが頭を撫でる。
何か皮肉でも言ってやろうとしたけど、情けない泣き声を出しそうだから唇を噛み締めた。
胸が喉が、苦しい。
苦しいくらいの温かい抱擁。苦しくて、痛い。痛い。
「愛されないなんて言っちゃだめだよ、皆愛してるんだから!アタシが許しません!」
「っ……お母さん…みたい…」
「じゃあ、幸くんがお父さんだね!」
「私がですか?…では椿さんを養子にしましょうか」
「じゃあ白くんと僕がお兄ちゃんだねー」
「うわぁあい!あったかい家族だねぇ?椿」
あたしだけ震えた声。
皆いつもと変わらない声音だ。
白瑠さんの言葉の“あったかい家族”がじわっと胸に染み付いた。
血が繋がった家族とさえ感じたことない温かさを感じる。
ただ一緒に住んでいた。
仕事仲間が家族。同居人が家族。
家族。家族愛。
涙を流しながら、思い出す。
クリスマスの写真。
家族みたいな写真。
温かな写真だった。
温かい家。温かい場所。
あったかい家族。