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兄弟愛家族愛



「椿ちゃん!起きて!」

「んぅ……あと三十時間眠らせて」

「旅行先で一日中寝るつもりですか」

「きゃん!」


 襟を引っ張られて、慌てて起き上がる。危うく浴衣を脱がされるところだった。

もう眠っていたい。

温かい布団にくるまって振り返れば、由亜さんと幸樹さんのラブカップル。朝から落ち込むツーショット。

由亜さんと二人きりの部屋で警戒なしに眠れた。隣が男三人の部屋。男二人からブーイングを受けたが、幸樹さんがそう決定した。

由亜さんがいるから気軽に入ってくるのは幸樹さんだけだが、このツーショットと部屋にいるなんて追い打ちだ。


「寝かせてください……本当、電流のダメージが抜けてないんです」

「私だって気を失う一撃を受けたんですよ」

「あたしは三度床にへばりつきました」

「だ、大丈夫? ごめんね、アタシが早く連絡してれば」


 首を垂らす。眠ってまだ五時間じゃないか。身体も疲れが取れていない。

しゃがんで由亜さんが申し訳ない顔をした。

や、め、て、く、れ。


「情報の問題じゃありません。食らったあたしの責任です。だから責任とって寝ます」


 そう言って枕に戻ろうとしたがまた襟を掴まれて阻止される。


「今日は由亜さんと観光する約束ですよね?椿さん。針千本飲みますか?」

「あ゛ー……」

「い、いいんだよ! 椿ちゃん、へとへとなんだし…」

「大丈夫です……髪にまだ静電気が残ってるのでシャワー浴びてきます」


 約束したんだった。

あたしは肩を落としてから、立ち上がろうとしてよろけて後ろに倒れる。


「あいてっ……」

「だ、大丈夫!?」

「大丈夫ですか?」

「あい……」


 二人に手を貸されて、起き上がる。立ち眩みです、と答えてあたしは今度はしっかりと立った。

着替えを抱えて部屋から出れば、白瑠さんが廊下にいた。


「おっはよう、つーばちゃん」

「おはようございます、白瑠さん。こんなとこに突っ立って何してるんです?」

「寝起きで乱れた姿のつばちゃんを見るために待ってた」

「……はぁ、珍しく部屋に侵入しなかったんですね」


 珍しく。いつもはお構い無しにあたしの部屋にいつの間に入るくせに。まぁ、由亜さんがいるからだろう。白瑠さんも由亜さんのこと女と見てるし多少の常識があるのか。


「え?入っても良かったの?」

「そうは言ってないですよ、らしくないと思って。他に用件は?」


 無邪気な子供みたいな声を出す白瑠さんに首を傾げつつも問う。


「ん! 昼は由亜っちとお出掛けでしょ? 夜は仕事ないし俺とデートしよ!」

「んー……いいですよ。疲れてなきゃ暇ですし」

「じゃあ決まり!」


 喜色満面の笑みで白瑠さんは頷く。由亜さんとのお出掛けで疲れなければ行くって話はちゃんと聞いただろうか。

用件が済んでご機嫌に背を向ける白瑠さんを見てからあたしはお風呂場へと向かった。


「…………あ」


 シャワーを浴びて思い出す。

弾丸が弾いたあの瞬間。

曇った鏡を拭いて自分と向き合う。


「一体何の真似よ?」


 そう問い掛けても、悪魔は沈黙を守った。

この悪魔は何がしたい?

あたしの中に入り込み、傷を治して、弾丸から守って、一体何を企んでいるんだ。

チッ、と舌打ちをする。

そんなことしたって、取引なんて絶対にしないんだから。

身体と髪を洗い、温泉に使ってから、また身体を洗って、着替えた。

 由亜さんと蓮真君にあげるお土産探しだ。

予め由亜さんがお店をリストアップしてあるので迷わずに行けた。二店回って気に入った物を購入したが蓮真君のお土産が決まらない。

また移動している途中に、あるものを見付けて立ち止まる。


「……由亜さん、ちょっと先にいっててください」

「うん!」


 上機嫌な由亜さんは荷物を持って先を歩いた。それを確認してから見付けたある物に駆け寄る。

公衆電話。幸い国際電話が使える。

あたしはレネメンの名刺を出して、受話器をとる。硬貨を入れて、刹那考えた。

住みかとは離れたここからならば、別にかけてもいいだろう。

ただひねくれた策略家の伝言とひねくれた策略家の目的を訊くだけだ。

カチカチとボタンを押して電話をかけた。携帯電話か。


〔レネメンだ〕

「もしもし、レネメン」

〔悪いが今は電話に出れない、メッセージを残してくれ〕


 長いコールだと思ったら留守電に繋がった。勇気だして電話したのに出ないなんて。

どうしよう、メッセージ残そうかな。

そう迷っている間にピーと録音が始まってしまった。


「……あたし。紅色の黒猫だけど。生還したみたいね、おめでとう。黒の伝言が聞きたかっただけ、またかけ直すわ」

〔もっしもぉし〕


 カチッといきなり誰かが電話に出た。ギョッとする。レネメンじゃないのは確かだ。


「あっ、えっと」

〔ん? 日本人? ごめんね、レネメンは携帯電話忘れてお仕事しに行っちゃったよ〕英語で話していた謎の男がペラペラの日本語を使って答えた。



 お前…誰だよ。


「ああ、そう……」

〔君、レネメンのファン?〕

「ファン……?」

〔マジックの〕


 あ、そう言えばレネメンは表はマジャシャンなんだっけ。名刺に書いてある。


「いえ、ただの……友達」

〔ふぁあ、表の? 裏の?〕


 その質問には息が詰まった。

コイツ、誰だ?

裏現実者だろう。

否、悪ければ例の集団の一員。


〔その反応は裏だね。レネメンならショーに行ってるよ。表の仕事中さ〕


 暢気な声で男はあたしが何も言わなくとも悟る。緊張が伝わったようだ。情けない。しっかりしろ、落ち着け。


〔仕事場所、教えようか?〕

「いえ、いいの。会いに行ける距離じゃないのよ。かけ直すわ」


 凛として返す。怯まない。どんな質問でも、怯まないぞ。

〔ふぅん、そう……〕と男は意味深に少しの間、言葉を止めた。


〔君って、可愛い声してるね〕


 口を開いたかと思えばそんな事を言われる。そんな発言でも怯まない。


〔俺も電話したいなぁ、電話番号教えて〕


 気軽に男は言ってくる。

つか、お前誰だよ。


〔なんなら会いに行くよ、顔がみたいなぁ。居場所教えて? あっ、そうだ。俺は黒の殺戮者。君は?〕


 がちゃん。

思わず。流れるような動作で、受話器を戻した。

硬貨が返ってくる。

同時に我に返れば、バクバクバクと心臓が暴れだす。

 レネメンにひねくれた策略家の伝言を聞こうとしたらひねくれた策略家本人が出やがった。

駄目だった……。

効果覿面の爆弾発言に公衆電話の中で動揺しまくった。立ち尽くし、脳内で動揺中。

まさかひねくれた策略家こと黒の殺戮者の声を聴く羽目になるとは。

声を聴いた瞬間に死ぬと思った名前を出しちゃいけない例のあの人の声を聴いてしまった。

白瑠さんと似た暢気な口調。何処まで似てるんだろうか。

ショットガンで狙った時はフロント硝子でよく見えなかったから顔は見そびれているんだよな。

てか、直接黒と話せるなら直接訊くべきじゃないか?

ゴクリと息を飲んで高い壁に見える、寧ろ絶壁に見える公衆電話を睨む。

怯むな、あたし。

白の殺戮者の弟子だ。

腹決めてやる。度胸見せてやる。

 あたしは受話器を取り、硬貨を入れて同じ電話番号にかけた。


〔なんで切ったの?〕

「す、すみません」


 第一声に怯んだ。

いや、怒っている声音ではなさそうだ。


「その、あたしは……」


 名乗っていいのかな。

敵意剥き出しにされた暁には涙を流せると思う。


〔どうしたの? 緊張しちゃって。可愛い声だけど。何かなぁ?〕


 急かさないのんびりした緩い口調で問う。電話越しで笑っていそうだ。

白瑠さんみたいに貼り付けた笑みで。


「レネメンが貴方から伝言があると聞いてまして」

〔俺?〕

「貴方があたしを面白がっているのは遊太から聞いてます」

〔遊太?〕


 心臓が落ち着いて、自分を取り戻す。凛として、静かに問う。


「面白い、とかそんな些細な伝言ならば聞きません。今、貴方が白の殺戮者と何をやっているのかを教えてください。貴方ならば教えてくれますよね? 黒の殺戮者さん」


 落ち着ける。動揺しない。度胸はあるんだ。

これでも白の殺戮者と同等とほざかれているんだから、電話越しくらい対等に話せる。

受話器から返事を待った。心音を静めて息を潜めて、待つ。


〔……──────くくっ…〕 面白そうに喉で笑う声に、ゾッとした。戦慄が走る。



 まるで初めて白瑠さんの笑い声を聴いた時みたいだ。

だけどあの時みたいに、顔色を変えない。相手には見えてないけど。


〔くははっ! どうやら(はく)は何も教えてくれていないようだな、くひゃひゃっふふっ。何としても君に会わせないようにしてるんだぜ、酷いと思わないか?〕


 笑い声を堪えず、クスクスと笑う黒の殺戮者。

二人揃って笑うのが好きらしい。

機嫌はいいようだ。愉快そう。

どうやら白瑠さん側の人間が電話したことを笑われているようだが、不快ではない。


〔白の代わりに俺が教えてあげるよ。血がこびりついた甘い香りの────紅色の黒猫ちゃん〕


 そして、あたしが紅色の黒猫だってことに笑っている。

逃げているのは、あたしを彼に会わせない為だったのか。

あたしに黙って戦っていたのは、あたしに会わせない為だったのか。

やっぱりあたしのせいじゃない。

ラトアさんの嘘つき。


「あたしに何の用なんです? 黒の殺戮者。言っておきますが、あたしは白瑠さん程の存在でもなんでもありません。貴方のお遊びに付き合う気はない、迷惑なのであたしの存在は忘れてください」


 ムカついてそう返す。

色んなムカつき。

黒の殺戮者の話題が避けられ、あたしと会わせたくない理由はもうどうでもいい。

宣戦布告して勝てる相手でもないから、きっぱりと断る。

目の前で爆発しても死なない白瑠さんと違って、あたしは吸血鬼相手に勝てる気がしない。それが黒の殺戮者ならば尚更だ。遊ばれるのは、白だけで勘弁してくれ。


〔くひゃははっ! そんな事言うなんて、ますます面白いねぇ黒猫ちゃん!〕


 逆効果で黒の殺戮者は哄笑する。

なんでこのイカれた二人はあたしに構いたがるんだ。

あたしなんか面白くない。

苛ついてる時に白瑠さんが構ってと抱きついてくる時の苛立ちを感じる。

本当、マジ、構うな。


〔君の存在は忘れないぜ。君の可愛い声はあと百年はこの耳に残る。ふふ、謙遜する君に会いたいだけだ。駄目かい?〕

「貴方と会うと仲間が不機嫌になるんです、それが迷惑なのよ」

〔じゃあ君の仲間には秘密で会おう〕

「秘密なんて出来ません」


 会いたくはないし、この電話もバレたら金庫に監禁されかねない。流石に黒の殺戮者にそれは言えない。

嘘も隠し事もいつかはバレてしまう。

きっととてつもないお叱りを受けるはず。白瑠さんにバレたら……う゛っ。想像するのも恐ろしい。想像も出来やしない。


〔じゃあ堂々と会いに行く〕

「迷惑だって言いましたよね」

〔白の前で君に害を与えなければ迷惑がらないだろ?〕


 そりゃあ、害を与えないのならば幸樹さんだって会うくらい許すだろう。


「白瑠さんは嫌がります」

〔…………〕


 黒の殺戮者が黙った。

漸く諦めたのか。或いは別の手を考えているのか。


〔じゃあ、ゲームをしよう〕


 どうやら後者のようだ。


「遊びに付き合うつもりはありません」

〔ゲームの内容は、君と俺が会うか会わないかを競う。君は俺を避け続ければいいし、俺は君を探し続ける。参加しなくても俺は君を探し出すさ〕


 ゲームと称した宣戦布告のよう。

つまりは諦めない。

何があろうと、あたしに会うつもりか。


〔ルールはない。俺が君を捕まえるか、諦めると宣言するまで続くゲーム。人生楽しんだ者勝ちだぜ、紅色の黒猫ちゃん〕人生は楽しんだ者が勝ち。

口元が緩んで笑ってしまった。

返事に、迷う。


「いいわ、参加する」


 そう返事をしてしまった。

どうせ諦めないなら、そうゲームと称して逃げ切ってやろう。

愉快そうに黒の殺戮者は笑った。

策略に嵌まったかもしれない。が、白瑠さんがついている限りそう簡単に捕まらないはずだ。

ルールがないならあらゆる手段を使って逃げ切ってみせる。逃走心が燃え上がり意気衝天。


「勝った方には何が貰えるのかしら?」

〔んー、そうだなぁ。君が勝ったら俺は二度と君とはコンタクトを取らないと約束しようか?〕

「ええ、それでいい。じゃあ貴方は何が欲しいの?」

〔俺はぁ……君の血かな〕 その要求には少々顔をしかめてしまったが、勝てばいいんだ。大丈夫。あたしは頷いて了承した。

……ちょっと、ときめいた。

吸血鬼に「君の血が欲しい」と言われて胸キュン。吸血鬼大好き。


〔じゃあゲームスタート。ふふ、君に会えるのを楽しみにしてるよ〕

「逃げ切ってみせるわ。……ああ、一ついいかしら? 本名を教えて」


 受話器を置こうとしたが、ふと思い出して訊いた。こうして話せたんだ。本人にずっと知りたがっていた名前を訊いた。

本人なら忘れたなんて回答はでないだろう。


〔ん、俺はコクウ〕


 すんなりと、黒の殺戮者は名乗ってくれた。

────コクウ、か。


「あたしは椿」


 敬意を払ってあたしも名乗り返す。


〔椿、花の名前だ。綺麗で魅力的な花の名前なんて素敵だね〕


 コクウは名前を褒めてくれた。お世辞かな。


「じゃあ電話を切るわね、コクウ。くれぐれも電話で話したことを白瑠さんにチクらないでくださいよ」

〔勿論さ、霧みたいに消えられちゃ困るからね。あ、待って。俺からも一つ。俺の仲間を助けてくれてありがとう〕


 律儀にコクウは丁寧に礼を告げた。

レネメンを病院に送ったことだろう。しなければレネメンは確実に死んでいた。

仲間思いなんだ。改めてそう思った。

吸血鬼の仲間を身体を張って守った黒の殺戮者、コクウ。


「……いいえ。礼を言うのはあたしの方です。レネメンには守ってもらいましたから」

〔そうなの? それは聞いてなかった。でも君のおかげでレネメンは生き延びたから礼は受け取って〕


 カーチェイスで一般人の車をひっくり返していたが、幸樹さんの言う通り冷酷ではないようだ。

仲間は大切にする。

仲間まで見捨てる奴はどうしようもない。大義名分だ。裏に大義なんてなさそうだが。


「では、潔く諦めてください。勝つのはあたしです、コクウ」

〔俺は君を見付けて捕まえるよ。ふふ、勝つのは俺だ、椿〕


 二人して断言をして、あたしは受話器を戻した。

話を終わらせたあたしを褒め称えやりたい。

頭蓋破壊屋と同等はあながち嘘じゃないかも。あの黒の殺戮者とゲームをやると言ってしまうなんて。対等に話せてしまったなんて。

それにしても、黒の殺戮者の、コクウの好感度が上がった。

仲間意識は強いようだし、それほど横暴ってわけではないようだ。

会ってはいけないが、会ってみたいと好奇心が戻ってきた。

幸樹さん並の大人の魅惑ボイスにメロメロになりそう。やっぱりあたしは吸血鬼が好きだ。アイラブ吸血鬼。

 不意に受話器を握ったままの手に目を向ける。蓮真君から貰った銀色の指輪。

あ、蓮真君のお土産を買いに行かなくちゃ。


「コクウ、かぁ」


まさか本人から名前を聞けるとは。いい名前だ。

小さく笑いながら由亜さんが待つ店に行って、蓮真君とお揃いの物を購入した。

 宿に戻ってまた温泉。

それから夕食。豪華な蟹料理が並んで白瑠さんの箸は物凄く進んだ。殻からみをとって幸樹さんがとってくれたから手を汚さずに食べれた。蟹、美味い。


「つーばぁちゃん!行こう!」


部屋に戻ってもう爆睡してしまおうって布団に倒れる前に白瑠さんの声が廊下から聴こえた。

そうだった。約束してたんだ。

我慢して着替えて白瑠さんと出掛けた。


「どぉこ行くんでぇすかぁ?」

「んー?その辺」

「その辺って…散歩ですか。なら着替えなくてよかったのに…」

「そうだねぇ、浴衣デートいいね!うひゃひゃひゃ」


手を繋いでいるがデートではない。

少し強い冷たい風が吹く。浴衣では凍えていただろう。

そう言えばコクウと話して危険は感じなかったが、どうして白瑠さんは会わせたがらないのだろうか。

別に敵意されていない。コクウにも遊太にもレネメンにも。

やっぱり白と黒の戦争でも始めるのだろうか。

何故多士済済の集団を作ったのか、訊けばよかった。

またの機会にでも訊こう。

白瑠さんに今訊いたら通りが頭蓋骨の残骸だらけになってしまう。

コクウが迫ったあの時は恐ろしかったからな…。

 カサカサと落ち葉を踏んでいく。いつの間にか人気のない道にまで来た。というか山の入り口ではないか?ここ。茂った木々は暗闇に溶け込んでいて空をも覆い被さる。


「あの…何処行くんですか?人気のないとこに行ってあたしを殺す気ですか?」

「……その冗談面白くない」


……………。

怒らせてしまった。爆弾を受けても笑っていた人間を怒らせて、冗談をダメ出しされた。酔生夢死みたいな生涯を送ってやがるくせに。


「俺さ、椿を殺したりしないからね?」

「はい、わかってます。十分知っております。一度殺されかけましたけどね、わかってますよ。もう言いません」


あっはっはー、と笑って見たが横の白瑠さんは無表情で前を見据える。くそう、ダブーはこっちだったか。

少し白瑠さんは沈思黙考していたが、やがてにんまりと笑みを浮かべた。

機嫌は早く治るんだ。


「人気のない道に連れ込んで襲うつもり♪」

「はぁ…引き返します」

「冗談だよ!…いや、半分の半分だけ冗談」

「帰るわ、ど阿呆」


こんなことを言えるのもあたしくらいなんだろうなぁ。しみじみ思った。

そんなことを話していれば白瑠さんがあたしの目の前に立ちはだかる。あたしを羽交い締めにした。

え、本気で実行しやがった?

警戒態勢に入ろうとしたら白瑠さんは、あたしの後ろに回って手で目を隠された。


「みーちゃ、だめぇ」

「……この態勢で歩けと?」


後ろから目隠しされて歩かされる。何か見せたいものでもあるのか?不安だなぁ。


「あ、そこストップ」

「うわっと!」


先がなく危うく落ちるところだった。ぽちゃん、と水音が聴こえる。ん?なんだ?


「心の準備はいぃい?」


耳元で笑いを含みながら白瑠さんは問う。

心の準備が必要な光景が待っているらしい。何だろう。頭蓋骨の残骸が散らばった血の海の墓場か?

一応頷けば、白瑠さんは「うひゃひゃ」と笑って手を離した。

 あたしが視たのは、黒い世界。

森も黒い影にしか見えず、空に浮かぶ星が暗い紺色だ。満月も浮かぶ、綺麗な冬空。

それだけなら息を止めない。

その星空の下に、湖があった。黒い水に空が鮮明に映し出されている。

二つの星空がそこに在った。上も下も、瞬く星と満月。


「わお………───すごい…素敵……」

「んひゃひゃ、だしょだしょ?」


白瑠さんは隣で上機嫌に笑う。あたしの反応に満足してくれたようだ。


「こんな絶景、よく見付けましたね」

「散歩してたらね、見付けた」

「…いつの夜に見付けたんですか」


あたしが“見付けた”は雑誌だったりネットだったりなんだが、白瑠さんは発掘したらしい。まさか昨日寝てないのか?貴方、余裕過ぎだろ。


「はぁ……すごい…感動です……」


とにかくこの景色は凄い。素直に感動してうっとりする。


「椿、こっちぃ座っていいよ」


立ち尽くしていればいつの間にか座った白瑠さんが、膝に座るよう促した。膝に座るのか…。

やむ終えずあたしは膝に座った。後ろめたいことがある故に。

白瑠さんとの密着に慣れすぎたせいでもあるだろう。

白瑠さんの膝に腰掛けて眺めた。

暫くお互い黙って、その景色を見つめる。


「言い忘れたけどぉ」


あたしの腹に腕を回す白瑠さんは沈黙を破った。


「心配してくれて、ありがとう」


心配?なんのお礼だろうか。

一日に黒の殺戮者と白の殺戮者にお礼を言われるなんて、あたしの存在は伊達じゃないみたいだ。


「俺が死んだと、心配したじゃん」

「ああ……。礼を言われるものじゃありませんよ、無駄な心配じゃないですか。貴方が死ぬなんて、世界が終末を迎えなきゃ有り得ないと思ってます」


本気で。


「白瑠さんは死なないと思ってます」

「うひゃひゃ、俺も椿は死なないと思ってるよぉ」


死なない。…死ななかったんだよな。

二回程、撃たれて死ぬはずだったんだけど。

あたしは世界が終末を迎えなきゃ死なないのか?そんなわけあるか。


「嬉しいんだよねぇ、心配してくれると」


あたしの肩に顎を乗せて白瑠さんは穏やかに呟いた。


「嬉しい…?」

「ん」

「それってあたしに心配して欲しいと言ってるんですか?」

「んーんぅ、ただ嬉しかったぁって伝えてるだぁけぇ。これからは心配しなくていいよぉ、椿が死ねって言っても生きるかぁら」


嫌がらせか。

嫌がらせだろ。


「お礼にこれあげる」


そう言って白瑠さんはあたしの目の前に短剣のような物を出した。白い刃の短剣。

否、短剣じゃない。

白瑠さんが一振りすれば衝撃でジョキッと刃が伸びた。長剣になる武器だ。


「有り難く貰います。…これは昼間にでも買ってきたんですか?」


あたしは気に入り受け取る。

わざわざ用意するなんて、あたしはクスリと笑う。


「んひゃあ、元々あげるつもりだったんだぁ。それ、前の持ち主はねぇ、番犬だよ」


最近白瑠さんとの会話に出る番犬。裏現実の番犬。彼の遺品か。

秀介に悪いが番犬の武器が出回っているならば、やはり彼は白瑠さんの言う通り死んでるのだろう。


「ふぅん……ありがとうございます、白瑠さん」

「ん!ひゃひゃ、黒猫と番犬が名前を馳せてたら面白かったのぉにぃなぁ」

「真っ先に狩られて名を馳せるどころじゃあありませんよ…」


片っ端から名前が売れた殺し屋を狩って一掃した歴史上最強の狩人。白瑠さんレベルなんだろう。あたしは一捻りにされてしまう。

不意にあたしはバカな質問を思い浮かべた。白瑠さんの反応が知りたくてあたしはその質問をする。


「白瑠さんとあたし、どっちが強いですか?」


本当にバカな質問だった。


「お酒?」

「…いえ、力量…」

「ん!?く、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあひゃひゃっうひゃあひゃひゃひゃひゃっ!」


すぐ後ろで哄笑される。

バカな質問は忘却するべきだった。


「確かめてみる?」

「貴方が強いです、師匠様」


そろそろ自分の力量とやらが気になってきたんだ。

あたしの実力は果たしてどのくらいだろうか。

何処まで通用する?

なんて。そう思うのは図に乗ってきた証拠なんだろう。






「椿さん。そこに座ってください」


 幸樹さんにテーブルにつくように促された。

旅行から帰ってきた翌日。

白瑠さんが仕事のクライアントに会いに行って家にあたしと幸樹さんと由亜さんだけが残っていた。

どうせ二人はイチャイチャするだろうから、あたしは出掛けようとしたらこうなった。

幸樹さんは威圧感ある笑みを貼り付けていて、一歩後ろに由亜さんは立ち尽くしてオロオロしている。


「なんで……すか?」

「ある人がですね。貴女に脈があるかを訊いてほしいと言われ、由亜さんにそれを頼んだんです」


絶対になんかしくじった?

身構えつつも幸樹さんが何を言おうとしているのかを待つ。

誰かが脈を知りたがっている。だから由亜さんからそれを訊いてもらおうとした。

…………………。

え、まさか。まさかまさか。

あたしは由亜さんを見上げる。彼女は申し訳なさそうに何度も頭を下げた。


「恋人が────いるそうですね?」


その言葉が吐かれたと同時に空気が一度、下がった気がする。


「しかも相手は漫画喫茶で会った学生服の少年」


ササーと血の気が引く音が聴こえた気がした。気のせいだ。聴こえるわけない。

しゃ、喋りやがった!

約束しておいて!女同士の秘密だとか言っておいて!

名前まで喋りやがった!

恋人の存在を(嘘)を知ってお兄ちゃんお怒りだ!

くっ…!落ち着くんだ自分。

黒の殺戮者と対等に喋れるんだからお兄ちゃんくらいで怯んじゃだめだ。

今回だけは許そう。

あたしだって幸樹さんに詰め寄られたら白状するしかない。

軽率だったあたしが悪かった。しかし、次回は由亜さんに秘密を打ち明けたりしない。


「実は……なんとなく、付き合ってみようと思って…。二三回、デートした仲なんです」

「ほう?」

「でも、今日別れます!」


きっぱり言えば由亜さんがギョッとした。


「え、ええ!?」

「前から合わないなぁと思ってたし、彼は表の人間なんで。別れます。ついでにお土産も渡して」

「えっ、ええ!?いいの!?椿ちゃん!」

「はい。別れれば文句ありませんよね?黙っていたことは謝ります。では、いってきます」


嘘を並び立てて堂々と蓮真君に会いに向かう。幸樹さんは何かを言いかけたが、別れるというならばと口を閉じた。

とりあえず一安心だ。

蓮真君が那拓の末っ子だってことは、なんとしても隠し通してやる。

詳しい経緯は訊かれそうだがそりゃ仕方ない。

お土産を片手に電車に乗り込む。最初、兎無さんの店に行ってパグ・ナウを取りにいこう。

そのあとに蓮真君の家だ。

アポは取っている。

 松平の修理工。作業の音が響いている。それに負けないように声を上げて呼び掛けた。


「ああ!?借金とりかこのヤロウ!!」

「違います、客です」


車から這い出た作業服のポニーテールの兎無さんがスパナを投げてきたので避ける。この人の挨拶は毎回こうなのだろうか。


「あ、キャットじゃん!いらっしゃーい」

「頼んだ物を取りに来ました。遅れてすみません。それと投擲ナイフを買います」

「毎度あり!」


謝りもしないで笑いかけるくるところを見るとやっぱり兎無さん流の挨拶なんだろう。

買うと言えば目を輝かせられた。

前と同じ奥の部屋に通され、改良したパグ・ナウが出される。


「悪いね。アンタ、あの(、、)紅色の黒猫だなんて知らなかったんだよ」


苦笑を浮かべつつ兎無さんはあたしにパグ・ナウを渡した。

ついに兎無さんまで知ってしまったようだ。

頭蓋破壊屋と同等の存在。(今ではちょっと誇らしく思っていたりする)


「駆け出しの殺し屋には違いありませんよ。お構い無く」


あたしはパグ・ナウを左手に嵌めた。手首に長方形のコンパクトな箱。手の甲には刃で切れないようサポートを付属。

兎無さんの説明で爪を出す。強度は最高級。しなやかな艶がある。先が曲がってより掻き切れそう。

注文通り普通の服にでも隠せ、より軽い。サポートは手袋で隠せるし、工夫すればアクセにも見える。


「気に入りました、ありがとうございます」

「おぉ、例のお嬢チャンかい?」


奥の部屋に兎無さんと同じ作業を着た白髪で髭面のおじさんが覗きにきた。

紅色の黒猫のあたしを見に。


「こんなお嬢チャンが例の紅……なんだったかなぁ?」

「紅色の黒猫だって、親父!」

「いやいやぁ、紅色の黒猫がお得意様になるなんて」

「やらしいよ、親父。キャットが引いたらどうすんだ」

「やらしいもんか。おいおい、お前さん!欲しいもんが会ったら此処にこい!優れたもんを揃えて、この自慢の腕で作ってやる!」


おやじ。兎無さんの父親か。

歳の割りにはパワフルなおじいさんは自分の二の腕を叩いてみせた。それに呆れて笑う兎無さん。

愉快な裏現実者の家族だ。

「ええ、是非」とあたしクスリと笑って頷いた。

有名なお得意様が出来て大喜びの父娘のやりとりを見てぼんやりする。

父親、か。


「たのもう」


投擲ナイフを購入し、次は蓮真君の家に向かおうと店を出る。すれ違いに時代錯誤な格好をした男が入店する。

袴姿にポニーテール。眼鏡をかけていて顔は見えなかったが、あたしの視線は袴と一緒に携えた刀に注目した。

…………ラストサムライ?

まぁいいや。とあたしは那拓家へと向かった。


「はい。お土産とクリスマスプレゼントのお返し」


 那拓家の道場に入れてもらってから、プレゼントを蓮真君に渡す。

蓮真君はきょとんとした。


「別に要らないけど…。折角だから貰ってやる」


素直に受け取れよ。可愛い。


「手袋?しかも紅色って……まさか血で染めたんじゃないのかよ」

「いや、ペンキで頑張った」

「カチカチじゃねえか」


そんな冗談を言いつつも、蓮真君は手袋を嵌めた。


「指輪をやったから手袋?……あ、つけてんだ、指輪」

「うん、気に入ったから。イヴに会った時は手袋してなかったから……もう買っちゃったかな?」

「いや、買ってない。サンキュ」


蓮真君はチラリと一瞬だけあたしがつけた指輪を見て、手袋を脱ぎお土産袋に手を伸ばす。


「それは京都のお土産。夏なら蓮の花を撮ってきたんだけどね、グッズがあったから」

「……この高そうな刺繍をグッズと呼ぶのか」

「キーホルダーもあるよ」

「キーホルダーはともかく……この布はいくらしたんだ?」

「布とは失礼だ、ハンカチよ。金の刺繍だしね、でも忘れた。最近値段気にせず払っちゃうからさ」


金の刺繍をしたハンカチ。

豪華な蓮の花が黄金に咲いている。

それからキーホルダーも色付いた蓮の花。

お揃いであたしも持っている。キーホルダーは携帯電話につけて、ハンカチはポケットに。


「んな高いもんを寄越すなよ…ぼくは学生だぞ」

「だからなに?」

「ぼくがプレゼントに困るだろ」

「いいじゃない、別に。金を有り余っている人から貰える物は貰っちゃえばいいのよ」


有り余っているんだ。

銀行の金庫が欲しいほど財産は増える一方だから気にしなくていい。


「お前、本物の彼氏にもそうするつもりかよ」

「あは、そうだ。今日あたし達別れるから」

「………は?」


困った顔で考え込みながら蓮真君が洩らした。そこで思い出したから言う。


「由亜さんが恋人に白状しちゃって、だから別れるって言っておいた」

「早…一週間も経ってないじゃんか」

「嘘が下手な人だから。君が那拓だってことは隠し通すから安心して」


蓮真君はまだ何かを考えているようだった。

会話を進めても蓮真君は同時進行できる人だから問題ないだろう。


「遊太の話をしようか」

「あ、そうだ、宝石をやる。兄ちゃんから貰ったけど、ぼくが持ってても意味ないし」

「え?ああ、うん」


あたしへのプレゼントを考えていたのか。蓮真君は立ち上がって自分の家に戻ってしまった。

怪盗が盗んだ宝石と対抗されてはあたしが負けじゃない。…別に対抗するためにプレゼントしていないが。

じゃあこの指輪は学生が買える値段だったのか。高いってわけでもないよな。別にいいけど。

そう言えば貰ってばっかの白瑠さんにも何かをあげなきゃ。白瑠さんと言えば食べ物しか思い付かない。

今夜は春巻きでも作ってご機嫌をとろうか。幸樹さん、白瑠さんにチクりそうだしな。

大人に何をあげればいいんだろう。困るなぁ。

蓮真君に相談してみようか。

あたしは立ち上がり、道場を見回した。掃除が行き届いて真新しい感じだ。床なんてワックスをかけたみたいにぴっかぴか。靴下で擦ればキュッキュッという。

今日のニーソは黒。関係無いけど。

蓮真君と会う日はお洒落したくなるようだ。お洒落といっても女の子らしい格好。つまりスカート。

残念だな。もうちょっと蓮真君と恋人ごっこしてみたかった。

蓮真君なら付き合ってもいいんだけどなぁ。

付き合ってって言ってみようか。どんな反応するかな。ふふ。

あー、でも幸樹さんに別れるって言っちゃったんだ。

ん?幸樹さんは一体誰に脈があるのかを問われたのだろうか。

あたしに気がある人間は、秀介しか思い付かない。


「ん」


 がらがらと玄関が開く音が聴こえて振り返った。

蓮真君にしては方向が可笑しい。蓮真君じゃなかった。

袴姿の男。

さっき松平修理工ですれ違った男があたしと目を合わす。


「貴様────何者だ!!?」

「うわっ!?」


ギロッと睨まれたかと思えば飛び掛かり、真剣を振り下ろされた。

あたしは間一髪避ける。


「此処が那拓家と知っての不法訪問ならば!私が相手になろう!何処の馬の骨か知らんが、生かしてはおけぬ!」

「え、ちょ、待て」

「問答無用!!」


怒鳴り込みまた真剣を振ってきた。問答無用って。何者かぐらい訊きやがれ!

あたしは腰につけた番犬の剣を伸ばして真剣を受け止めた。

斬撃が三度打ち込まれる。

強烈だ。

それなりに蓮真君に相手をしてもらい長剣は克服したつもりだが、この男は蓮真君より強い。

押されている。

それはそうだ。

蓮真君に似た顔。蓮真君の兄だ。

それも蓮真君を鍛えている───那拓爽乃に違いない。

裏現実の危険人物。

形振り構わずぶった切る。

那拓を危険人物と呼ばせた存在。

くそっ!

剣で刀を押さえ込み、左足を振り上げた。

那拓爽乃はかわして後ろに下がる。息もつけなかった為、あたしは息が切れていた。一方那拓爽乃は平然と構え直す。


「おい、あたしは不法侵入してない!」

「言い訳無用!」

「聞けよ!」


話を聞かずにまた飛び掛かり斬りつけようとする。

遊太と上手くいかない訳がようくわかった気がした。

顔目掛けて振り上げられた刃を避ける為に仰け反る。

前髪が数本切られた。

あたしは顔目掛けて剣で突く。那拓爽乃も避けた。

あたしは態勢を整える為に後ろに回転して下がる。

両足を床につけてからそれをバネに今度はこっちから仕掛けた。

勢いをつけた斬撃はしっかりと受け止められる。


「む、貴様!ただ者ではないな」

「あたしは」

「何者であれ!一家の恥を晒すわけにはいかん!」


名乗らせやがれ。

コイツムカつく。

那拓兄弟喧嘩をしたならば、あたしは遊太の味方になる。

スパッ、横に振り上げた剣を那拓爽乃にしゃがまれかわされた。かわした爽乃は居合いの太刀で、あたしの懐に入って振り上げられる。


「っ!!」

「椿!」


下がって避けようとしたが二の腕が斬りつけられ、あたしは倒れ込んだ。

そこに蓮真君の声。

真剣を振り上げた爽乃の後ろに見えた。


「覚悟!!」

「待て兄貴!!」


蓮真君の声が聴こえていない爽乃が真剣を振り下ろす。あたしは目を瞑った。


「ぼくの恋人だっ!!!」


蓮真君の大声は道場に轟く。

ピタリと真剣はあたしの頬の上で停まった。

爽乃の眼鏡の奥の眼が見開かれる。

あたしもポカーンとした。

蓮真君はそんなあたし達の反応に顔をひきつらせたが、もう一度言う。


「真剣に付き合ってる……恋人だ」


…どうやらまた別れた直後にヨリを戻したもよう。

恋人ごっこ続行。



「ふむ、蓮真の恋人だったとは知らなかった」

「聞かずにまた斬りかかったんだろ」


 なんとか那拓爽乃が真剣を納めてくれた。三人でそこに座り、話す。

蓮真君は溜め息を吐きつつ、あたしの怪我を手当てしてくれた。


「自己紹介が遅れた、恋人殿。私は那拓爽乃と申す。蓮真の兄だ」

「こちらこそ、名乗り損ねました。笹野椿、蓮真君の恋人です」


あたしは軽く頭を下げた。

笹野椿。火都に名乗った名前をまた使うとは。


「中々いい筋だった。私が鍛えれば上々の腕前になるだろう。職業は何かな?」


偉そうにふんぞり返ってる爽乃。鍛える?なにそれ。あ、確か、那拓家に嫁ぐ女はそれなりに育てられるんだっけ。


「情報屋だよ」


蓮真君が代わりに答えた。

殺し屋って名乗っちゃだめなのか。


「情報屋には惜しい。狩人にならんか?」

「いえ……狩人には向きませんから」


つか殺し屋だし。全く逆の職業じゃん。


「蓮真、父上にも話さず交際とは何事だ。こんなところで隠れて会うならば紹介すればいいだろう!」


 交際イコール結婚。

お堅い考えの家系なら遊太も家出するだろう。

この時代錯誤の爽乃ならともかく、自由奔放な彼が大人しくいるとは思えない。

それを言うならば、蓮真君もそんなお堅い考えに縛られるような子じゃないと思う。


「兄貴達がまだなのにぼくが紹介するのは変だろ」

「式を遅らせればいい話だろう」


そうゆう問題か?

流石に嘘で親を紹介されては罪悪感が拭えない。

個人的には蓮真君の親の顔がみたいけど。


「父上と母上が認めないなら結婚は許されんぞ!」

「るっせーな!わあってるよ!」


爽乃の厳しい口調に蓮真君はムキになって声を上げる。

恋人って紹介したのは余計にややこしくしたかもしれない。


「あの…爽乃さん。あたしも心の準備が出来てないので、まだご両親には」

「心の準備が出来ずに交際を始めたのか?遊びで付き合うならば別れろ!」


…………うっぜー。

あたしは笑顔を貼り付けたまま手当てを終えた蓮真君を見上げる。


「兄貴、今日は二人ともいないんだ。次に椿を紹介する時間を設ければ文句ないだろ」

「ふむ……そうだな。それなら文句はない」

「それまで兄貴は黙っててくれよ」

「どぉーしよっかなぁ」


聞いたことのない声が割って入ってくる。廊下に目を向ければ着物姿の男がニヤニヤしながら立っていた。

びくっと微かに蓮真君が肩を震わせる。


神奈(かんだい)兄貴…」

「可愛い女の子を連れてきたね、蓮」


那拓神奈。蓮真君の話では六人兄弟だと聞いていたが、爽乃が長男ではないのか。

爽乃は頭を下げて挨拶。

それを気にせず那拓神奈は首を傾けてあたしと蓮真君を見下ろす。

蓮真君はそんな彼と目を合わせないように俯く。なんだ?

兄弟らしく似た顔の神奈の笑み。あのムカつく多無橋を連想してしまう。警戒するべきか。


「美味しそうな娘」


那拓神奈は俯いた蓮真君の背中に手を置いて、あたしの顎を掴んだ。


「味見させてくれたら、父さん達には黙っててあげる」

「なっ…!」

「はっ…?」

「………は?」


顔を近付けて、ニコッと笑いかける那拓神奈。

このお堅い家庭でどうやったらこんな人格が育ったのだろうか。あたしは不思議で不思議で仕方なかった。


「なっ、なに言ってんだ!!」

「何を言うんです、兄上!」

「口答えする気?蓮真」


ぐいっと今度は蓮真君の頬を鷲掴みにした。冷たい目で見下ろす。

蓮真君が強張るのがわかった。


「っ……!」

「一回ぐらい、お兄ちゃんにくれるだろ?蓮。前の彼女みたいにさ」


あたしは袖から短剣を出し、それを那拓神奈の首に突き付けた。それから蓮真君の首に腕を回して引き寄せて那拓神奈から離す。


「あたしは蓮真君の女。味見なんてさせないわ」

「椿…!」

「………」


蓮真君を挟んで、冷たく見据える。

短剣を突き付けられても那拓神奈は動揺を見せない。ムカつくなぁ。


「君、彼女を寝盗られたことでもあるの?」

「…ないけど家に来たクラスメートが……」


え?つまり、クラスメートで蓮真君を尋ねてきた女の子にコイツは手を出したのか?


「二人ね」


にぱっと那拓神奈は付け加えた。

とんでもないキャラが出てきたぞ。

幸樹さんだって同時に二人に手を出したりしない!多分!やってたらお兄ちゃんと呼ばない、二度と。


「いやぁ、なんか可愛い子だねえ。そんな目で見られると燃えちゃう」

「んにゃ!」

「にゃ?かーわーいー」


ニヤニヤと楽しんであたしの足を掴み引っ張る神奈。

だあー!なんなんだこの兄弟は!


「ちょ、やめてくれ!椿にっ触らないでくれ!」

「煩いなぁ、いいじゃん、ちょっとくらい」

「ちょ、重い…蓮真く」

「神奈の兄上!そんなやましいことを!」

「あはは、じゃあ皆で4Pやっちゃおっか?」


とんでもないことを言いやがった。

引っ張られ倒れたあたしの上に蓮真君。その上に手をついて見下ろす神奈、止めようとする爽乃。

耐えきれず、神奈の顔を蹴り飛ばす。

イケメンの顔を蹴ったことに胸が痛んだが、身を守るなら致し方ない。


「いくよ!蓮真君!」

「え!?」

「お邪魔しました!」


蓮真君を起こし、荷物を持ってその場を退散した。


「蓮真君、あの家出るべきだよ。あーなにあのうぜー兄貴!聞いてない!」


コートを着て荷物をまとめながら文句を言う。


「…会わせるつもりなかった。神奈兄貴は女癖悪いんだ。あの兄貴だけ」

「君は末っ子だもんね…パシられたでしょ」

「パシられた、かなり」

「挙げ句にクラスメートが寝盗られた」

「盗られてない」

「なんて最低な変態なんだ」

「へんた……変態なんだろうな」


溜め息をついて俯く蓮真君。

あたしはそんな蓮真君の首に腕を回して抱き寄せた。


「落ち込むなよ、少年!愚痴ならあたしが聞いてあげる。なんなら殺しの依頼してもいいよ」

「あははは、やめてくれ」

「ごめんね、蓮真君。ややこしいことになっちゃって」

「ぼくが勝手に言っちゃっただけだ、いいよ、何とかするから」


蓮真君はくしゃっと笑う。ちょっと困っているようだ。爽乃はともかく、やっぱり神奈が問題だよな。殺してあげようかな。まぁ冗談にしておこう。

爽乃の兄ならば腕もそれなりに強いのだろうか。

あたしのレベル、やっぱり知らなくていいや。

 二人で公園にいき、ベンチで遊太の話をした。それから指切り魔のこと、指鼠のこと、ニューヨークでの大仕事等を話して別れた。

 帰り道で思い出す。

プレゼント、相談するの忘れた。

仕方ない。藍さんにでも訊くか。彼の方が白瑠さんと幸樹さんの好みを知ってるだろうし。

電話をかけたら沈黙を返された。


「もしもし? 藍さん?」

「な、何かな? 椿お嬢」


 ………何故警戒の色が滲んでいるのだろうか。


「まさか今少女ストーキング中ですか?」

「ま、まっさかぁ!あははは!」


 図星だったらしい。

とりあえず沈黙を返してみる。そうすれば勝手に大慌てしてくれた。


「ち、違うよ!? たまたまデートしてるお嬢を見付けただけで僕はストーカーしてない!!」

「そこかっ!!」


 まさかの被害者は自分だった。デンジャラス。

離れた電信柱に隠れた藍さんに飛び蹴りを決めた。

幸い、公園のところから見られていただけで、蓮真君が那拓だとはバレていない。

変態の視線に気付かなかったのは、不覚だ。

おどおどする藍さんの尻を蹴って彼の家へと向かった。


「プレゼント?」

「そう、白瑠さんと幸樹さんに何をあげればいいでしょうか?」


相変わらず生活感のない廃墟の建物に住む藍さん。限られた家具しかない。薄暗いし。こんなとこに連れ込まれた女の子は泣くだろう。

あたしはソファに座って訊いた。


「ん?僕ならね!」

「幼児が落とした靴?」

「マニアック!?」


藍さんが欲しいプレゼントは聞いてない。至極どうでもいい。


「欲しい物なら自分で買っちゃうもんな…」

「そうなんですよ…あたしに注ぎ込むぐらい有り余っているみたいですからね」


お金。高価なものはプレゼントしてもあまり喜ばれないんだよな。


「ズバリ!お金で買えないもの!」

「……手作りとかですか?」

「つーお嬢が何を手作りするか気になるけど……先ずは物じゃなく、お嬢が甘える!幸樹達はそれだけで十分なはず!」

「いつも甘えてますけど」

「あれで甘えているならつーお嬢はクーデレだ」


クールデレデレ。どうしてデレなきゃいけないんだ。意味わからん。

甘えるって、何かを頼むことじゃないか。そんなのがプレゼントになるわけない。

そう言えば藍さんは「ちっちっちっ」と指を振った。


「ズバリ!ベッドの上で可愛らしく上目線で甘え」

「参考になりません、黙りなさい」


フリルのついたピンクのクッションを投げ付けて黙らした。相談相手は蓮真君の方がよかったらしい。


「つかぬことを訊きますが、藍さんの父親ってどんな人でしたか?」

「んー?草臥れたサラリーマンだよ、よれよれでいつも辛気臭い顔で帰ってくるただのオッサン」


サラリと藍さんは答えた。何ともない感じに。何とも思っていない様子で。平然と他人事みたいだった。

そう、まるでもう、赤の他人みたいな口調。


「椿お嬢の父親は?」


爽やかな笑顔でそうあたしに訊いたが、ハッとして軽挙妄動に顔を歪ませる。

やべえ、と素でしくじったといった顔。


「ということは親は表の人間でしたか。藍さんは何をきっかけに裏に入ったんです?」


あたしは聞き流して続けて訊いた。藍さんはホッとして爽やかな笑顔を戻す。


「中学校の時にやったハッキング」

「……………因みに何をハッキングしたんです?」

「警察ファイルにハッキングしてクラッキングした」


なんつー中学生だ。


「捕まったんですか…?」

「まさか、逃亡中の身さ」


恐ろしい奴…!被害者ぶって逃げ切ってるあたしが言えることじゃないけど、中学生でよく逃げ切れたな。


「幼なじみが裏現実者で匿ってもらったんだ」

「へぇ、幼なじみが。それから裏現実に」

「そーゆーことー」


白瑠さんは殺戮を機に、あたしは白瑠さんと会い、幸樹さんは妹の死で、藍さんは幼なじみがいたから。

裏の世界に足を入れた。

裏側の世界。

裏側の現実。


「あ、夕飯作るんだった。早く帰らなくちゃ」

「え?つーお嬢のご飯!?ぐふふ!食べる食べる!」

「じゃあ買い物手伝ってください」

「勿論!」


そんな裏側の現実だって。

兄弟だったり親子だったり────家族がいたりするんだよな。

表と同じ。

それも現実。

裏表の違いって、なんだろう。



どうしても黒と絡ませたかった一話でした。

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