猫と鼠の指切り
「ねぇ、仕事先にしゅーちゃんがいたらどうするぅ?」
「不吉なことを言わないでくださいよ」
藍さんのバンの中で、トランプゲームをしていた。
仕事先は京都に決まり、そこに行く最中。
幸樹さんと由亜さんは別の車だ。
「俺が勝ったらつばちゃん舞妓やってね!」
「絶対に勝ってよ!白瑠!」
「二人の団結はそればっかですよね」
京都関連での話題で持ちきり。
白瑠さんは八つ橋やらあじゃり餅やら食べ物の話ばかりだし、藍さんは舞妓コスに巫女コスの話ばかり。
残念ながら、あたしが勝ちで舞妓コスは阻止した。
京都市で観光した後に予約した宿で一休みの直後に仕事。
仕事の方がついでみたいな予定だ。
しかしそんなことは誰も突っ込まず一同で仲良く出発した。
「えぇ!?椿ちゃん、舞妓やらないの!?」
「そんなに驚かれても……。寒いですし嫌ッス」
京都市について幸樹さん達と合流。由亜さんはその気だったのか。
「さて、どこから行きますか?」
「京都タワーかな?」
「八つ橋!」
「可愛い女の子が通う小学校!」
「やめろ。てか今冬休み」
「ぐは!!痛恨のミス!!」
「お前まじで捕まれよ」
「そっか!藍くんの対応はそれが基準なんだね!」
「そうです、由亜さんもやってみてはどうですか?」
「が、頑張ってみるよ椿ちゃん!」
「頑張ること!?いじめだよ!由亜っち!」
「じゃあ右から行きましょうか」
「八つ橋のにおい!」
「どうしてにおうのかがわかりません……」
騒がしく集団で移動して行く。
六時まで観光を楽しみ、それから宿の温泉。夕食に支度を済ませていざ仕事。
「恋愛成就の神社に行こうよ!椿ちゃん!」
「先ずは厄払いを受けたいです」
「女の子が恋愛成就より厄払いですか?」
クスクスと幸樹さんが笑う。いやあたしはまじで厄払いをするべきだ。幸樹さんだって厄年だって断言したじゃん。
「安全祈願のお守りは買っておきましょうか」と幸樹さんは意地悪を言う。
白瑠さんが八つ橋を三箱購入してから、神社へと向かった。
本当に幸樹さんは安全祈願を買いにいって、あたしと由亜さんは恋愛成就の参拝に向かう。
「そうだ、椿ちゃん。奈乃宮くんのお土産は決めてる?」
「え?あ…いえ。蓮の花をモチーフにしたものをお揃いで買いたいと思ってますが」
「そっか!奈乃宮くん、幸樹さん達に紹介できるといいね!」
紹介しないことを祈りたい。
恋愛成就、ねぇ。
あたしは素敵な出逢いでも乞うか。そうだな。イケメンで優しくて変態じゃなくてまともな人と、素敵な恋に落ちて末永くラブラブしたい。なんて。
やっぱり恋愛より問題解決について考えるべきだ。
付き合う気ないし。
んー、そうだな。
付き合う気になる、相手に巡り会えますように。
愛せる相手に会えますように。
末永く、愛せますように。
────ズキッ。
「っ…」
こめかみに走る一瞬の痛み。
「椿ちゃん!蓮の花見に行く?」
「蓮の花が咲くのは夏です」
「蓮の花の噴水が大学の隣にあるんだって!椿ちゃん好きなんでしょ?」
「流石情報屋ですね」
今回は由亜さんの情報も武器にしてる。藍さん曰くネット上から集められない情報は、由亜さんが掴むとか。情報は武器だ。
そんな藍さんは意外にも、白瑠さんと一緒に逆ナンに遭っていた。相手が少女じゃなくてげんなりしている。白瑠さんは笑って対応してたがあたしを見付けるなり駆け寄った。藍さんも逃げ出して駆け寄る。
「もう最悪だよ!女の子いないし!」
「いませんよ、こんな季節。夏前なら中学生が溢れてたでしょうね。はい、椿さん。お守りです」
「あざーす。はい、藍さんにも恋愛成就のお守りをあげます。寧々ちゃんと結ばれますように」
「あ、はは…あ、ありがと……お嬢」
「あれ!?藍くんに好きな娘がいたんだ!」
「あ、はははっ」
乾いた笑いしかでない藍さんはそれでもあたしからお守りを受け取った。ささやかな嫌がらせだ。
「恋愛成就なんて…椿ちゃん、好きな相手がいるの?」
「いませんよ。素敵な出逢いを願いました」
「…ふぅん」
疑いの目を白瑠さんに向けられたが、回避した。
「アメリカで出逢いなかったの?」
「声をかける男は無視しろと言ったのは藍さんです」
「やつらはヤり目だ!!」
「断言するな、変態」
「ほら、次行きましょう」
先導するのは幸樹さん。
止まらずに、観光しにいった。時間が許す限り遊んだ。
十分に楽しんだあとは和風の宿。
荷物を運んですぐに由亜さんに手を引かれて温泉に向かった。
「あれ、椿ちゃん。なんでナイフを持ってるの?」
「覗きをするアホに投げるためですけど」
露天風呂に出てナイフを所持していたのは正解だった。本当に覗きに来やがった二人を、ナイフを投げつけ追い返す。
暫くはゆっくりと寛げる。
ホッとして息をつく。熱いくらいのお湯にすぐにのぼせてしまいそう。
「すべすべになりそうだね!」
「そうですね」
自分の腕を撫でる。温水の効果はわかんないけど、なんとなく肌艶がよくなりそうだ。
「あったかいね。冬にはやっぱり、温泉だね!」
「……そうですね」
「…あれ?温泉嫌い?」
「好きでもないです」
「嫌いでもない?」
「そうですね、なくても別に困りません」
「え、遭難のあとはどうするの!?」
「遭難のあとに温泉に入る掟があるんですか?」
この人、ぬけてる。
「好きか、嫌いか、なくても困らない、が基準なのかな?椿ちゃんの」
「好きか嫌いかどうでもいい、ですね」
「じゃあ幸樹さん達は好きなんだね!」
妙なことをいきなり言いやがった。天然さん。
まぁあれか。ライクの好きだよね。
「どうでもいいなわけないもん!あれ?アタシはどうなのかな?…もしかして…嫌い…だったりする?」
満面な笑みを浮かべた由亜さんが急に不安げな顔になった。きっぱり言える相手ならば、少しは好意を抱けたんだけど。
「好きですよ」
「ほんと!?よかった!」
単純でめんどくさい人だ。
嗚呼、めんどくさい。
「はぁ、仕事だねぇ。アタシは待機だけど、椿ちゃんは大仕事。気を付けてね?」
「はい」
仕事か。
湯気と一緒に白い息を吐く。
「仕事だ」
温泉からあがり、脱衣室に戻った。
それから夕食を済ませる。
「うひゃあ、椿ぃ。湯上がり色っぽい」
「あの、着替えるから出てください」
「手伝うぅ」
「またナイフを投げ付けられたいんですか?」
夕食からデレデレした白瑠さんを追い出すのは、一苦労だった。若干のぼせた顔が色っぽいのは謎だ。
新しい紅色のコートを着て、寒いからズボンを履いてブーツを履く。
「……はぁ、パグ・ナウ取りにいかなきゃ」
旧パグ・ナウの機能を確かめながら、呟く。兎無さんから新パグ・ナウを受け取らなきゃ。一ヶ月以上は待たせてしまっている。
もう完成しているだろうし、新パグ・ナウを使いたい。
由亜さんを上手く使って蓮真君に会いに行く前に取りに行こうか。
先ずはこの大仕事を片付けよう。
今回の獲物は企業関係の社長兼裏現実者。場所は高層ビル。残業しているはずの標的を、静かに殺しに向かう。
今回は狩人なし。
標的は自分が狙われていることを知らないから、狩人はいない。そう藍さんは得意気に断言した。
障害物はマシンガンを所持していない警備くらい、の楽な大仕事。かけられた金が大きいだけの仕事だ。
「じゃあ俺は裏から」
「私と椿さんが表から」
「よし!アレをやりますか!」
「やっぱり…」
それぞれ右手を重ねる。
「えーと……チームらぶかっぷる!」
「はは、ありがとう。白」
「…ちゃんとチーム名を決めません?」
「チーム頭蓋破壊屋にチーム紅色の黒猫に続いたからぁ、チームI・CHIPにしよう!」
「アイチップ?なんスッか?」
「僕のコードネームだよ。普段はIって短く名乗るけど」
「へぇ。じゃあ次回は幸樹さんのコードネームをつけるんですか?」
「チーム串刺しドクター?」
「刺しますよ、藍乃介」
そんな会話をしつつ、無事生還を祈りパッと放した。
行動開始。
あたしは幸樹さんと行動することになった。多分、あたしがまた怪我しても治療できるようにだろう。心配性だ。
「……あれ?」
バンから降りて、高層ビルの入り口に立って首を傾げる。
「警備……がいるはずですよね?」
「そのはず、ですが」
入り口に警備員が一人もいなかった。直ぐに幸樹さんが通信機で藍さんと連絡をとる。
藍さんはビルのカメラをハッキング済みのはず。
「可笑しいな……警備員が何処にもいないよ」
藍さんの返答はそれだった。
唯一の障害物である警備員が、何故いない?
疑問に思いつつも、あたしと幸樹さんは中に入った。
「この曲……」
「…たしか『刀○舞』ですね」
中に入ればビル中に響く音楽。
フロアだけじゃなく、建物全体に響いている。
あたしと幸樹さんは怪訝な顔を合わせてから、それぞれ武器を出して歩み出す。
「この曲は萎えますね」
「そうですか?ノリノリになりません?」
「ノリノリに殺しをやるなんて想像しただけで吐き気がします。藍さん、この曲を停めてください」
「ラジャー」
エレベーターに乗り込む前に藍さんに頼んで入った。
入るなり気まずい沈黙。
エレベーターは静かに上へと上がっていく。
「由亜さんとはどうですか?」
きた。幸樹さんは嫌な質問をする。その為の同行でもあるのだろう。
「仲良くやってますよ」
「彼女のことは好きになれそうですか?」
「好きですよ」
「そんなつれない顔では到底信じられません」
「本当ですよ、悪い人じゃないもの」
「いい人でも好きになれないでしょう?」
「………あたしが嫌っては困るんですか?」
「ええ、だって私は貴女が一番」
「それはもういいですから」
肩を落として溜め息をつく。
由亜さんが悪い人じゃなくいい人だ。あたしと仲良くなりたがっているし、愛想もいい。
ただ、あの人が、あまりにも純粋すぎるから。
出来るなら、関わりたくない。
「藍。息を潜めることだけはしないでくださいよ、白もです」
「んひゃあ、ごめんごめん。二人でする話かと思って」
聞き耳を立てられちゃ二人の話にならない。
白瑠さんから返答はきたが藍さんから返答がなかった。
「藍さん?」
「緊急連絡!」
すぐに藍さんから返答が帰ってきた。
「幸のハートを射止めた由亜っちからの緊急ニュース!」
「なんですか?藍」
「殺し屋二名を目撃だって!先客がいる!」
先客。なるほど、警備員は殺られたようだ。ライバルに先を越されている。
あたしは舌打ちを洩らす。
「待ってください、まだ先を越されたとは限りません。藍、他に情報は?」
「殺し屋は、指鼠と電鼠。指鼠は知ってる、アイツは多才な奴だ。やればなんでもできるって意味。今流れてる曲だって、アイツが流してやがる。今すぐ停めるよ、僕の才能にかけて!お嬢!」
「────指鼠だって?」
後半から藍さんの話は聞こえてなかった。押さえきれずニヤリと笑ってしまう。
「椿さん?……それでは、標的変更。白、指鼠の方は椿さんの獲物だそうです」
幸樹さんは怪訝に顔をしかめたが、すぐに理解したようで笑みを浮かべた。
「ひゃあ?そういえば、お嬢様のお屋敷にいたねぇ。指鼠。つーちゃんどんな知り合い?」
「殺したい知り合い」
くるくる、とカルドを回す。殺したい。こんなにも早くあの野郎と再会できるなんて。殺してやる。
今日こそ、あの野郎の息の根をとめてやる。
「クスッ……おやおや、とても親しい仲のようですね」
「ええ、とっても。今すぐ会いたいです」
じっとしてられない。
今すぐにあの野郎の血がみたい。
幸樹さんは面白そうにあたしの表情を眺めた。
「殺戮者らしい顔ですね」
「鼠をいたぶりたい顔です」
幸樹さんは近くの階に停まるようにボタンを押した。
エレベーターはすぐに停まり、扉が開く。
そこに、男が一人立っていた。スキンヘットで黒いサングラスの黒ずくめ。
殺し屋だろうとそうでなくとも、殺すだけだ。
最初に動いたのはあたし。
カルドを振り上げて飛び掛かる。
男は片手で受け止めた。カルドの刃を。分厚い手袋、切れない。ガッチリと掴まれている。
直ぐにパグ・ナウを出し、首を狙おうとしたら手袋の指先が光った。
次の瞬間。あたしの身体中に電流が駆け巡った。
「っああぁ!」
「椿!」
電流で身体が麻痺してあたしはその場に倒れ込む。手袋から電流が走っていると気付き、幸樹さんも下手に攻撃が出来ない。
くそ、身体が動かない!
電鼠って。電流の電かよ。ナンセンス!
幸樹さんが先に仕掛けた。錐状のナイフを投げ付ける。それは電鼠に突き刺さったが、身体ではなく防具に突き刺さったようだ。
つまりダメージは受けていない。
ある程度身体の麻痺が緩んだあたしは手をついて、それを支えに電鼠を両足で蹴り飛ばした。
電鼠は吹っ飛ぶ。
「椿!大丈夫ですか?」
「右手が…麻痺して……鼠なんて大っ嫌い!」
なんとか幸樹さんの手を借りて起き上がる。カルドから伝わった電流のせいで、まだ右手が機能しない。
電鼠が起き上がってこちらと向き合う。
「コイツを殺して指鼠を殺す、作戦でしたっけ?」
「いいえ、私が電鼠を殺して貴女が指鼠を殺す作戦ですよ」
そんな会話をしつつ、目の前のコイツを殺す方法を考える。
あたし達の武器は刃物。
接近して切りつけようとすれば掴まれ電流を流される。投擲しては防具に防がれ仕留められない。
狙うは掴まれないように鎧がついていない身体を切る。首から上とか。
「欲張りはいけませんよ」
「いいじゃないですか、一皮くらい剥いでも」
呆れた声をかけられるがまだ右手が痺れているんだ。ちょっとくらい引っ掻いてもいいだろう。
あたしは幸樹さんに目配せをして膠着状態に終止を打つ。
床を蹴って飛び、壁に足をつけて二三歩。そこからパグ・ナウを振り下ろす。
三つの爪を、電鼠は案の定受け止めようと右手をつき出した。
そんな手と繋げるつもりない。手首を返して、電鼠の手首を掴む。電流が流れているのは掌か指先のようだ。
壁を蹴り宙返りするあたしに今度は左手をつき出す電鼠のその腕を避けて右手で掴む。両手を掴んだ。
次は幸樹さんが、動く。
無防備の首に幸樹さん愛用のナイフが突き付ける。
しかし、電鼠が左腕を捻ったことで両手の拘束が解けた。痺れの残ったあたしの右手は容易く放してしまう。
ナイフを持つ幸樹さんの手を、黒ずくめの左手が掴み、そのままあたしの腹部に食い込ませた。
その一撃にあたしは壁に叩き付けらる。
両手が自由になった電鼠は右手を拳に固め、バチバチと弾いた音がするそれを幸樹さんの腹部に叩き付けた。
バチッ!
感電した音のあと、殴り飛ばされた幸樹さんはエレベーターの中へと吹っ飛び、ガタッ!と壁にぶつかる。今のはあたしの身体を一時的に麻痺した電流とは桁が違う吹っ飛び方をした。
あたしが呼び掛ける前にエレベーターはガタンッと言う音を鳴らす。
気を失ったのか動かない幸樹さんを乗せたエレベーターは、扉も閉めないまま下へと下がった。
「幸樹さん!!」
間に合わず幸樹さんが見えなくなってから、エレベーターの上に人がいることに気付く。
悠長にそこに座るムカつく笑みを浮かべた指鼠。
「よぉ、また会えたな。仔猫ちゃん」
「…アンタにそう呼ばれるとヘドが出る、クソ鼠」
「仔猫ちゃんにわかるように状況を説明してやる」
あたしはエレベーターの前の壁に背中を向け、殺し屋二人に隙を見せないように構えた。左手にカルド。痺れが取れた右手に白瑠さんから貰った猫の絵が刻まれたナイフと、投擲ナイフを二つ。
指鼠はエレベーターから降りて、手にするミニのノートPCを弄った。
「後ろで寝てるお前の仲間をこのエレベーターごと落とせる」
「……あら、一人じゃああたしに勝てないからってみみっちいことやるのね」
やっぱり幸樹さんは気絶してしまったのか。あたし達が入ってきたことは防犯カメラで既に気付き罠を張ったと言うわけか。癪だが、罠にハマったようだ。ムカつく。
藍さんは一体何をしている?
「噛み付くな。お前が群れてなきゃこんな手は使わない。決着は正々堂々つけたいからな」
「よく言うわね、この前は頭蓋破壊屋にビビってずぶ濡れで逃げてったくせに。エレベーターに入れるのは彼の方がよかったんじゃない?来てるの知らなかったわけ?」
あたしの皮肉に、指鼠はニヤリと笑った。とても不快な笑み。
「知ってるさ。今頃ターゲットがいるはずの部屋に入るとこだろうな。なぁ、教えてくれよ、頭蓋破壊屋の恋人さん。怪物の頭蓋破壊屋は一階が吹っ飛ぶ火薬にも負けないのか?」
吹っ飛ぶ───火薬。
「ばぁん。って、ドアを開けた瞬間の爆発でも、死なない人間なのか?」
爆発───爆発事件。
ホテル爆発事件の犯人はコイツだ。爆発つまりは爆弾。
爆弾が仕掛けられている。
「白瑠さんっ!!ドアを開けちゃいけません!」
あたしは形振り構わず殺し屋に背を向けて階段に繋がる廊下を駆け出した。通信機で呼び掛けたが返答がない。
藍さんからも返答がないところをみれば、指鼠に遮断された可能性が高い。
その時だ。
上から爆音が響き、建物が震動してあたしはよろめいて壁にぶつかった。
爆音。
爆発。
爆死。
白瑠さんは、開けた。
爆弾が仕掛けられた扉を。いくらあの頭蓋破壊屋の白瑠さんだって。
白の殺戮者の白瑠さんだって。
黒の殺戮者と対等に名を馳せる白瑠さんだって。
人間だ。
吸血鬼じゃない。
地雷を踏んだも同然。
────死んだ。
ドクドクドクドクドク。
心音が速くなる。
ズキズキする頭部。
ドクドクドク。
息が荒くなる。肺と心臓が張り合っているようだ。
ドクドクドクドクドクドク。
歯を噛み締める。こうしないと訳もない理解不明の言葉を叫びそうだからだ。
ドクドクドクドクドクドク。
彼に貰ったナイフを見下ろす。白銀の刃。その刃を左手で握り締める。鈍い痛みがピリッと走った。
ドクドクドクドクドクドク。
傷口から脈が伝わる紅。紅い血をギュッと握り締める。
紅い血がついたナイフを逆手に握り直し、パグ・ナウを引っ込み、投擲ナイフを持てるだけ握った。
振り返り、躊躇なく、向かう。
全ての投擲ナイフを放り投げる。
指鼠は避けるためにエレベーターに戻り、電鼠は急所にくるナイフだけ叩き落とす。
他のナイフは鎧に突き刺さる。そのナイフを狙って、飛び蹴りをした。
そのあとに指鼠がナイフを振り上げてくる。あたしは白銀のナイフで、それを防ぐ。
パグ・ナウの爪を出して、左腕を振り上げた。
仰け反って指鼠は避け、首筋に掠り傷だけが残る。
ガッ、と足首を掴まれて引っ張られてあたしは倒れた。
電鼠だ。まずい。パグ・ナウを振ろうとしたが、その手を指鼠に踏み潰された。
「うああっ!」
電流が走って悲鳴が上がる。
電鼠が右手を握って電流を流し、あたしは床に平伏す。
「あれあれ、仔猫ちゃん。何を鳴いてるんだよ。そんなに恋人が爆発したのが悲しかったのかよ?」
「っ!あああ!」
立ち上がろうとすれば、電流が流されて痛みと痺れに悲鳴が上がった。
あたしは睨み付ける。
コイツに見下されるなんて、なんつー屈辱だ。
「ってめぇの決着がコレかよ!溝鼠!」
「喚くなって、仔猫ちゃんよぉ。世の中にはルールがある。ルール、掟、つまりは約束だ。お前に正々堂々決着をつけようと、言った覚えはない」
しゃがみ込んで、あたしの髪を鷲掴みする指鼠。
「でも、まぁ…正々堂々じゃないか?恋人の頭蓋破壊屋は場外だし、二対二だろ?」
そう嘯く指鼠に殴りかかろうとしたが、電鼠に押さえ込まれて動けない。
「仕事だっておれが二勝してる。頭蓋破壊屋にもお前にも。お前の負けだ───紅色の黒猫」
ニヤリと指鼠は勝利宣言を告げる。そしてナイフを翳した。
「貰い損ねた指は、貰っとく」
ハッ、とあたしは鼻で笑う。
「てめえのおやつにされるのは御免よ」
「勝利宣言は、殺したあとにするべきですよ。指鼠」
「!!」
指鼠の後ろに、幸樹さん。
無防備に晒す指鼠の背中に、幸樹さんはナイフを突き立て壁に押し付けた。
もう片手で電鼠を狙う。それを避ける為に、あたしの上から退く彼にパグ・ナウを振り下ろすが、それも避けられた。
「ぐっ!」
しかし、形勢逆転。
幸樹さんが指鼠を押さえ込んでいる。
「ふむ、なるほど。確かホテルの爆発事件、あれも貴方の仕業ですよね、指鼠。なら私が一刺ししても構いませんよね?椿」
「ええ、どうぞ。苦痛さえ与えられればあたしは満足です」
「だそうです。うちの黒猫が最高に不機嫌みたいですよ、指鼠」
「ぐぅ!」
電鼠を睨んでるから幸樹さんがしていることはわからないが、どうやらナイフでぐりぐりとほじくったようだ。
「作戦は変わりませんよね?」
「ええ、私が電鼠の息を止めて貴女が指鼠の息を止める」
「はんっ!仔猫ちゃん、どうした?立てないのかよ?」
指鼠の嫌味に振り返って睨み付ける。確かにあたしは座ったままで電鼠と向き合っていた。
パグ・ナウで支えたが、二本足で立てそうにない。
幸樹さんと目が合う。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですとも」
あたしはしゃんとして返す。
だめだ。三度の電流に身体が眠ってしまいそうだ。
大丈夫じゃないが、立ってやる。
壁に爪を立てながら、二本足で立つ。よろけないように踏ん張る。
「おい、黒猫。向かい合う相手が違うんじゃねえのか」
「……るせーよ、溝鼠」
吐き捨てあたしはスタートダッシュをする。電鼠に向かって拾ったカルドを振り上げた。
受け止めようとしたのを見て、瞬時にカルドを逆手に持ち変えて手首を切りつける。腕には鎧をつけていないようだ。
血が吹き出し、頬に飛ぶ。
ニヤリッと勝ち誇った笑みを向け、痛みで歪んだ顔目掛けて振り上げた。が、今度は止められる。
しかし、また電流を流され押さえ込まれるヘマはしない。
パッと手を離して電流を避ける。空いた右腕を使って顔面に肘を打ち込んだ。
もろに食らった電鼠は後ろに倒れた。
「紅色の黒猫さん、作戦は変更しないと言ったでしょう」
「わかってますよ。電流を流され、上に乗っかられた仕返しをしただけです」
あたしは落ちたカルドを拾って、幸樹さんの元に戻る。
そしてカルドを大きく振りかぶって、壁に突き刺した。
「うがぁああっ!!」
途端に上がる気持ち悪い男の悲鳴。足元にポロポロと指が転がり落ちる。
幸樹さんが離した指鼠を蹴り飛ばす。
「それじゃあ…」
あたしはカルドについた血を振り払う。
指鼠は指をなくした左手を押さえてあたしを睨み付けた。
「正々堂々と殺し合おうか、仔鼠ちゃん」
正々堂々。これでフェアだろう。正直、立つのだってしんどいんだ。
指なし指鼠対フラフラな黒猫。
それでも笑みを浮かべて、睨み付ける。
「ナメんなよ、餓鬼!おい!電鼠!!やっちまえ!」
左手を止血しながら鼠は吠えた。バチバチと電流の弾く音が聴こえる。
電鼠は幸樹さんに任せて大丈夫だろう。あたしはあたしで指鼠を殺戮してやる。
カルドをしまい、パグ・ナウを出す。そして右手をポケットにしまった。
「……何のつもりだ」
「フェアでしょう?アンフェアをやったら全ての指を切るわ、いいわね?仔鼠ちゃん」
「…くそったれっ!」
右手が限界なんだ。
指鼠は、吐き捨て銃口を向けた。
あたしはしゃがんで避けたが、その弾丸が幸樹さんの腕を掠める。
銃は邪魔だ。
爪で銃を狙う。
くるっ。
銃が回転して、見事に空振り。
爪から逃れた銃口が、あたしの鼻の先に。指鼠は小指でトリガーを引いた。
バァンッ!
銃声と同時に心臓が跳ね上がる。きつい火薬のにおい。
だけど弾丸は、あたしの顔を貫通しなかった。
弾かれたように、指鼠の耳元を掠めて消える。
息を吹き返す。今ので、死ぬと思った。
「ってめ」
勝利を確信した指鼠も戸惑う。
「いまっ、なにしやがっ」
動きが停まった二人。
背後から聴こえる激戦の音に、我に返りパグ・ナウで、指鼠の胸に爪痕を残す。
「くっ!」
よろめく指鼠。今畳み込めばあたしの完全勝利。
なのに身体が動かない。
まだ動揺が、振り払えてないんだ。
「!」
物音に気付く。
エレベーターの中。否、エレベーターの中だが、遥か上から聴こえる。
何の音だ?と考えている間に音を立てた犯人が落ちてきた。
ダンッ!
両足でエレベーターの上に着地したのは───頭蓋破壊屋だった。
あたし達は呆然とする。開いた口が塞がらずあんぐり。
一人で降ってきたんじゃなく、男一人を片手で持って降ってきた。その男はあたしの間違いでなければ、今回の標的だ。二人とも全体的に焦げたり埃で汚れていたが、白瑠さんは傷一つ見当たらない。
十階上から降ってこようとそれは驚かない。既に一緒にダイブしたことがあるから。
まさか。あの爆発で無傷なのは驚き。
それどころか、一緒に爆発で死ぬはずだった標的まで、生かすなんて。
「えぇっと、なんだっけぇ?君の二連勝?」
ニコニコと笑みを浮かべた白瑠さんが指鼠に訊ねる。通信機で聴いていたようだ。ということは藍さんも形勢逆転をしたのか。
「I・CHIP様に勝てると思うなよ、指鼠」
勝ち誇った声の藍さんの声が聴こえた。
「うひゃひゃひゃ、違うよぉ。今回は俺の勝ぁちぃ」
持っていた男の頭を粉砕して、白瑠さんは勝利宣言をした。
訂正しなくてはならない。
吸血鬼なんて目じゃない。
人間なんかじゃない。
頭蓋破壊屋は、怪物だ。
正真正銘の、怪物だ。
白瑠さんが、死ぬわけないじゃないか。
コキッと骨が折れる音が聴こえて振り返る。隙をついて喉元にナイフを刺して、止めに首をへし折ったようだ。
幸樹さんの足元に電鼠が転がる。
あたしは指鼠に目を向けた。相棒の死に、或いは絶体絶命に、顔はこれ以上なく歪んでる。
「さて、チェックメイトといきましょうか?指鼠」
「……絶対に、てめえに地獄を見せてやる」
低い声で指鼠は睨み付けた。今からどんな地獄を見せれると言うのだろうか。あたしはきょとんと首を傾げた。
「覚えてろよ」
そう告げて右手に出したのは、リモコンのような物。それをカチと押した指鼠は、背を向けて駆け出した。
「爆弾だ!」
藍さんの声。
ピピピとエレベーターの上に置かれたノートPCが音を鳴らす。
瞬時にあたし達は指鼠とは逆の廊下を駆け出した。
白瑠さんがあたしの腰を抱き寄せて、壁に穴を開ける。
その穴の中に飛び込んだ瞬間に───爆音が轟く。
爆発に爆風に建物は揺れて、砂煙が蔓延する。
「けほっ!…けほっ!」
鼓膜がイカれそうだ。
酸素にまじって砂煙を吸ってしまう。最悪な空気だ。
「つばちゃん、平気?」
その声の主はすぐ目の前だった。
当然だ。白瑠さんがあたしを守るために覆い被さっていたのだから。
あたしは目を回して溜め息をつく。
「死んだと思った、無駄な心配をさせたことを謝って」
そして白瑠さんの首に両腕を回す。
「え?え……と、ごめん」
何故か戸惑ったように謝る白瑠さん。爆弾じゃあ死なないなんて発想をこれから付け加えることにする。
「ゴホッ。椿さん、追わなくていいんですか?」
「もう立てない…誰か代わりに殺っといて」
「ありゃ、椿が意気消沈だぁ。鼠は意気衝天って感じだったのに…しょうがないなぁ」
幸樹さんに問われて白状する。もう限界だ。立てそうにない。このまま寝てしまいたい。
白瑠さんはあたしを抱えあげた。それを見て幸樹さんは溜め息をついてから、あたしの後始末をやりに向かう。
あたしは息をついて、白瑠さんの肩に頭を置いて目を閉じた。
「ねぇねぇ、つーちゃん」
「はい」
「俺が死んだと思って、どうしたの?」
返事したことに後悔した。
「…頭にきた」
あたしがそう答えれば「ふぅん」と白瑠さんは頷いた。
エレベーターは吹っ飛んだので、階段で降りていく。
藍さんのバンに辿り着けば幸樹さんが追い付いた。
「見失いました」
指鼠はまたもや逃げ切ったが、あたしには追い掛けて息の根をとめる気力はなく。
「そうですか」
素っ気ない返答しか返せなかった。
─────後にあたしはこの事を、生きてる間ずっと後悔することになる。