手首の手錠
嘘。
まだ続きます。
繋がれた手が。
貴方の手に触れる。
「待て!椿にまだ話してないことが!」
あたしが欠伸を洩らした頃、白瑠さんも飽きたらしくあたしを担いで秀介の部屋を後にした。
秀介は話があるとか言っていたが白瑠さんは気にせずに撒いて自分の家に帰る。
そのあとも、秀介は何か話があるらしく仕事先には出没するようになった。
その度に白瑠さんが秀介の相手をする。
戦っている間にあたしへの用件を忘れて『打倒頭蓋破壊屋魂』に火がついたらしく。
白瑠さんが飽きた頃にはあたしも忘れて帰った。
その繰り返しが四回続いて、今日のこと。
二人はまた遊んでいた。
「クラッチャー!今日こそお前を潰してやらぁ!」
「うひゃひゃ、頑張ってぇ」
秀介と白瑠さんのぶつかりあいは凄まじかった。
本気でぶつかって三又槍を振り回す秀介はまさに鬼の如く。
あたしじゃあきっと気圧される彼を白瑠さんはそこら辺に落ちていたパイプ一つで防いで相手をする。
アクション映画の激しいアクションシーンを延々とやっていく二人。
参考に熱心に見学していたのも最初の二回だけで、もう見飽きてしまった。
白瑠さんは遊んでいるからなぁ。
遊ばれて身体が持っている秀介も凄いと思うが、やっぱりあたしは白瑠さんとひねくれた策略家の対決がみたい。
多分あたしの好きなアクションホラー様々な戦いのはず。是非とも見たい。
そういえば、ガトリングの罠から二週間か。
生きているなら意識は回復しているだろう。あたしに伝言があるという眼帯の手品師に会いに行ってくるか。
丁度白瑠さんは手が放せないのだから。
あたしは黙って踵を返した。
「ふぁあ…」
欠伸を洩らす。
どうにも最近夢見が悪い。そのせいで寝た気がしないのだ。
白い部屋に閉じ込められる夢。
白い部屋が黒に飲まれていく夢。
……うつ病かもしれない。ついでに診てもらおうか。うん。
しかし病院の場所を知らない。ニューヨークは広い。徒歩で行けるだろうか。
飽き性な白瑠さんのことだから直ぐに切り上げてあたしを探しにくるだろう。
車を盗んで行く?事故るの確実だよな…。
寧ろ事故って救急車に運んでもらおうか。うん、それが手っ取り早い。あたしって頭いい!
早速その手を使おうと車を探すことにした。
建物が並ぶ間に生じる路地裏を歩いていく。
「椿っ!」
そこで後ろから名前を呼ばれ、腕を掴まれた。
振り返った先にいたのは─────篠塚さん。
篠塚健太楼がいた。
「しの、ずか……さん…?」
まさかと思い、呼ぶ。
信じられなかった。いるはずない。こんなところにいるはずはないと自分に言い聞かせた。
だけど握り締められる感触は、間違いなく本物。
目を合わせて会ってしまった。
焦って、今すぐ逃げ出したくなって、腕を振りほどこうとしたのだが───。
カシャン。
その前に、右手首に銀色の手錠がかけられた。
あ…、と絶句。
手錠───逮捕───死刑。
連想する単語が頭の中でぐるぐる回る。
嗚呼、あたし、終わった。
「逃げるな!ちゃんと話を聞いてやるから!」
「…………はい?」
篠塚さんはガチャリと自分の左手首にあたしを捕まえた手錠をはめた。
変わっていない。
篠塚さんがあたしを見る目は───犯人を見るような目ではなかった。
あたしは連行された。
ニューヨークの警察署ではなく近くのレストランにだ。
客の少ないレストラン。
テーブルに向き合って座った。手錠はつけたまま。テーブルの上にドンと置かれた。
あたしは沈黙してその手を見つめる。
「………話してくれ」
篠塚さんが口火を切った。
「取り調べなら警察署でしょう。なんでニューヨークにいるんです?怪我して入院したと聞いてましたが」
「………俺は今、療養中なんだ。休暇でニューヨークに戻った。怪我は大したことない」
「そう……」
あたしはそれしか言えなかった。謝ろうと思ったがタイミングを逃して重い沈黙が降る。
「話してくれ、椿。一体何があったんだ?何がなんだが…混乱していて解らない」
篠塚さんは額を右手で押さえて言った。混乱していて当然だ。
彼は信じて疑わなかった。あたしが被害者だと。
多分他の警察だって彼と同じように混乱するだろう。
「ああ、ごめんなさい。じゃあ簡潔に話しますね。貴方が長年追った頭蓋破壊屋はレッドトレインの犯人ではありません。彼はたまたま乗車していただけ。五十六人の乗客の喉元を掻き切って殺したのはあたしです。この前自主したのは二回目にレッドトレインをやった模倣犯ですよ。一回目の真犯人はあたし」
あたしは上っ面の笑みで篠塚さんに優しく話す。篠塚さんは目を見開いて絶句していた。
「五十六人の命を奪ったのはこのあたしです。そのあと頭蓋破壊屋に殺されかけて被害者に上手く紛れ込み容疑者から勝手に外れていたんですよ。あたしの第一声を覚えてますか?“大丈夫です”…だったかな。直ぐにわかったわ、貴方があたしを殺人鬼だと気付いていないって。哀れむような目であたしを見てました。そして勝手に事件当時のことを覚えてないと話を進めた。なんで皆そうなんでしょうか?あたしの周りって皆あたしの話なんて聞く気ない。思い込んで勝手に解釈しちゃう。だからあたしの本性を見逃してしまうんですよ、篠塚さん」
あたしは鋭いナイフを突き立てるように強く言い放った。
違う。やめろ。
これじゃあ篠塚さんを責めているようだ。八つ当たりだ。やめろ。落ち着け。
一度、深呼吸をする。
「篠塚さんはもう少し人間を疑うべきです。騙されて痛い目見てしまいますよ。現に五十六人を殺した殺人鬼を見張っていたのに取り逃がしたんですから。あの夜、あたしが消えた日。頭蓋破壊屋が来たのはご存知ですよね。ほらあの刑事……名前は………まぁいいや、頭が飛んだ死体で頭蓋破壊屋が来てあたしを拐ったと思ってたでしょ。本当は迎えに来たんですよ。裏の世界で頭蓋破壊屋は殺し屋をやっていまして、あたしの師匠になったんです。今あたしは殺し屋をやっていて、人間を殺しています。数えてませんが…百はとうに越えたでしょう。まぁ、こんぐらいかな。質問ありますか?」
嘘っぱちな笑顔を貼り付けてあたしは篠塚さんを見上げた。
篠塚さんはただ、言葉が見付けられず口を開けずにいる。
まだ困惑しているようだ。
理解できていない。
あたしが殺人鬼だという事実がわかっていないんだ。
そういえば、幸樹さんは言ってたっけ。
あたしが人殺しに見えなかった、と。
人を殺す姿を見れば、頭は理解してくれるだろうか。
「な……なんで」
「なんで殺したか?理由は一つ。人を殺さずにはいられない異常者だから」
「異常者だって?どこが」
「通常ぶってただけです。猫を被ってたの。入院中、部屋を抜け出して鎮痛剤を取りにいったの覚えてます?本当は見張りで居眠りしてる刑事を殺そうとメスを盗んでたんですよ。殺戮中毒」
あたしはつかさず質問に質問を遮るスピードで答えてやる。
正当の理由を探してる。
「あたしは悪くないと思ってるんですね…」
そうだよね。
貴方は優しい人なんだから。
「貴方もあたしのせいじゃないと言うんですか?椿のせいじゃない、椿は悪くない。そんな戯言は言わないでください。あたしは悪で、貴方は正義。それだけです。何を困惑している顔をしてるんですか?自分を責めなくていいんですよ、誰も気付かなかったんですから。家族も友人も医者も刑事も、ニュースを見た国民も」
「────気付いてほしかったんだろ」
篠塚さんが。
戸惑いを捨てて、強い口調で告げた。
「俺があの時、一番初めに君に問い詰めていれば……話してくれていたんだろ。俺のせいだ」
あたしでも、他の誰でもない、自分のせいだと彼は口にした。
「君は何一つ、演技なんてしなかった。何かを怖がって自分が死ぬと思っていたことは伝わっていたから…俺は疑わなかった。君を被害者だと思い込んだ」
自分が悪いことをしたみたいに思い詰めた顔で続ける。
「俺が悪い。君は悪くない。何一つ、悪くないんだ。椿。気付けなかった俺が悪かった。すまない」
手錠で繋がった手を、握り締めて謝った。
「すまない?何それ、人殺しは悪くないって言ってるのよ。篠塚刑事」
あたしはなるべく激情を堪えて刺々しく言う。
「君は俺に助けてもらいたかった。そうなんだろ」
見透かしたように真っ黒い瞳で篠塚さんは言い当てる。動揺が走り声をあげたくなったが言葉が出ない。
「あの病室で君は俺に話した。親に迷惑をかけたことも警察が嫌いなことも、寂しそうな顔をする訳も。気付くべきだったんだ。友達にも言えなかったこと、それが君のSOSだった」
「────ちっ違う!あたしは…!助けなんて求めてない!!」
「あの電車の中で俺にすがり付いたのも、俺に気付いてほしかったんだろ」
「っ、違う…!」
「あの電話で君は助けを求めた。助けてと、言葉にして俺に助けを求めた。俺は直ぐに駆け付けたが──間に合わなかった。何が君を傷付ける?何が助けを拒むんだ?椿」
今までやってしまった行為が、今更一度に代償として返ってきた。
喉に詰まるモノを堪えようと歯を噛み締める。
視界を遮る滲むソレを溢さないように眉間にシワを寄せた。
泣くんじゃない。泣くな。泣いちゃ駄目だ。
泣いたら敗けだ。
泣いたら死ぬ。
助けなんて。助けなんて。助けなんて。助け、て。
「────じゃあ。助けてくれるんですか?篠塚刑事」
堪えきった。
睨み付けて、震えを噛み殺す。
「死刑椅子の用意された刑務所か、この手錠を外すか。一体貴方はどちらを選択するんです?刑事さん」
「椿…!」
「それとも、貴方が腰の銃で撃ち抜いてくれるんですか!?」
「何を言ってるんだ!」
「助けるなら殺しなさいよ!!」
バンとテーブルを叩いて怒鳴り付けた。
篠塚さんの目に困惑が蘇る。
「死に……たいのか…?」
「……………」
死にたかった。
ずっと。ずっと昔から。
生まれてきたのが間違い。
「殺せないのなら、今すぐに手錠を外して───」
ジャラと手錠のついた手を前にまた身を乗り出しテーブルに膝をついた。
「kiss me.」
もう片方の手で篠塚さんの顎に添えて、ちゅっ、と口付けをする。
完全に無防備だった篠塚さんは数秒間ぽかぁんとした。
「なっ、なっ、ななっ!椿!?ななにっなにしっ!?」
震え上がった篠塚さんは漸く反応してあたしを押し退ける。
「あそこの店員に通報されたくなかったので」
あたしは平然を装い元の場所に腰を降ろした。
目線を向ける方には警察に電話しようかと話している男と女の店員。今ので痴話喧嘩だと思い込んで電話の前から離れた。
「あ、ああ………そう、か……」
「ええ」
「………………」
「………………」
さっきとは違う気まずい空気なる。
篠塚さんは唇を押さえて黙り込んでしまった。いい大人が頬を赤らめてる。
キスぐらいで…。と思ったがそれはアメリカンに感化され過ぎてるせいかもしれない。キスは挨拶。あたし達日本人です。
正直言ってあたしはパニクっている。なんでまたあたしは篠塚さんの唇を奪っているのだろうか。
キスミーってなんだよ。
アメリカンに感化されている…!?
可愛いな、篠塚さん。
あたしも不意打ちされたらこんな反応をしていたのだろうか。
と、とりあえず落ち着け。
落ち着け。取り乱さずにこの場を切り抜けよう。
「本当ならナイフで首を掻き切ってもよかったんですけ…」
ど!?
平然に平然に気を取り直して話を進めようとした矢先に動揺が走った。
ど、どどどどどうして!?
篠塚さんの後ろに、淡い茶髪に白いシャツの白瑠さんがニッコリと笑って立っていた。
焦る。冷や汗がでる。
白瑠さんは左手を上げて、それを篠塚さんの頭に向けた。
篠塚さんが───殺される!
「しぃーのっちゃん!」
ポンッと白瑠さんの色白の手は篠塚さんの肩に乗せられた。篠塚さんは振り返って目を丸める。
「奇遇だねぇ!ん?またお仕事なのかなぁ?」
「白瑠さん!」
白瑠さんはいつもの笑顔で気さくに篠塚さんに話し掛けた。そして篠塚さんは、“白瑠さん”と呼んだ。
口をあんぐりとしてしまう。
明らかに篠塚さんの方が歳上、のはずだよね?
え、ど、どうなってるんだ?
「いえ、今回は休暇で……。また会えるなんて縁がありますね」
敬語使ってる!
「うひゃあ、そうみたいだねぇ。あひゃひゃ、なになに?女の子捕まえちゃったのぉ?かぁわいー娘だねぇ」
そして変わらない口調で白瑠さんは篠塚さんの隣に座ってあたしにニコニコと笑顔を向けた。他人のフリをする気らしい。
「あ…その、彼女はその……。白瑠さんは、ニューヨークには何しに?」
「俺はぁ仕事だよぉ。ほら、話したじゃん、かぁわいー部下を可愛がってるとこぉなぁんだぁ」
「ああ、そうでしたね。この前はその部下の話ばかりをしていましたね」
その部下ってあたしのことかい?
顔が引きつる。“この前”とはきっと白瑠さんが篠塚さんを引き留めた時だろう。
ちょっかいを出したとかで、知り合いみたいだとは思っていたが。一体どんな仲なんだ?
篠塚さんがさん付けで敬語を使うなんて…。白瑠さん貴方は一体何を仕出かしたんだ。
「そう言えば、しーのちゃん。どぉしても助けたい女の子がいるって話してたけどぉ、助けることできた?」
説明を求めて白瑠さんに無言の視線を送ったのだが、スルーされて篠塚さんに話し掛けた。
「え……それは……」
篠塚さんはあたしに目を向ける。またあたしの話らしい。
「ああ、この娘のことぉ?」
白瑠さんは笑みのままあたしに顔を向けた。
知ってて、わざと訊く。
何を企んでるんだ、この人。
「………はい。彼女のことなんです」
篠塚さんは、正直に話した。
「守ると、約束したのに破ってしまった」
篠塚さんはあたしの手をまた握り、あたしを見つめる。
「オレンジジュースちょーだい!二人も何か頼む?」
自由な白瑠さんは空気なんてまるきり無視して店員を呼んだ。お前何しに来た。
勿論、あたしも篠塚さんも何も頼まない。
オレンジジュースがきて、ジュゴーと飲み干した白瑠さんは。
「約束破ったら針千本飲まなきゃいけないねぇ?しーのちゃん」
「え…」
「何か償いをしなきゃいけないだろう?守れなかったんだから」
「………………そうですね。…椿、俺に何してほしい?」
大真面目に篠塚さんに告げた。変わらず笑みを貼り付けているが、茶化すような口調じゃない。
あの車の中であたしに話したみたいに。
…嗚呼、さっきの会話を聞いていたのか。
篠塚さんは再びあたしを見つめた。
もう二度と、あたしと関わらないことを、誓ってほしい。
そう言えばいいもののあたしは、言う。
「彼との関係を話してください」
あたしは白瑠さんを左手の指で差した。
白瑠さんはきょとんとした顔をする。予想外だったみたいだ。
「え?なんで…」
「確かに貴方はあたしを死なせない、そう言いました。守ってもらう約束なんてしてません。よって償いをする必要はありませんが、彼との関係が気になるのでよければ話してください」
あたしはツンとした態度で言い退けた。
篠塚さんは白瑠さんに目を向ける。
「あひゃ、いんじゃない?話してあげなよ。死にたがりやちゃんも聞きたがってるんだしぃ」
白瑠さんは話すように促した。
死にたがりや。やっぱり聞いていたのか。やだなぁ。また気まずくなる。
「……白瑠さんは俺の命の恩人なんだ」
篠塚さんは、話し出した。
「俺には、過去の記憶がない」
「!」
「俺の記憶は数年前、病室から始まる。そこに彼がいたんだ。重傷で道端に倒れていた俺を白瑠さんがおぶって病院に運んでくれた」
命の恩人。
だから篠塚さんの態度がそうなんだ。
でも、可笑しい。
白瑠さんが、なんでまた彼の命を救ったのだろうか。
白瑠さんに目を向けたが、彼はオレンジジュースをもう一杯おかわりをした。
「ジュゴー……ほぉんと、あと一分遅れてたら死ぬとこだったんだぁよぉ。うひゃひゃ、ビルから落下しちゃったんだぜ」
笑い事じゃないのに笑う白瑠さんに合わせてはっはーと笑って見せたが直ぐに笑みをなくす。なんで話してくれなかったんだ。
「当時は警察官で家族もいなかった俺の入院費まで出して世話してくれたんだ。彼がいなきゃ、今頃路上生活さ。感謝してる。本当に」
「ひゃひゃ、てぇれーるぅ」
ますます謎だ。
あたしなら兎も角、白瑠さんが救う理由が見当たらない。
どんな気分で篠塚さんを見付けたかは知らないが、数年前と言えば名を馳せたばかり。殺戮に殺戮をしていた彼が死にかけた人間を解剖せずに助けると言う選択をとるなんて理解しがたい。
「道端の人間を助けるなんて、一体どんな仕事をしてるんですか?」
あたしは意地悪を言ってみた。さぁ、なんて答えるんだ。
「んひゃあ?俺はぁ仕事に支障するから明かせないなぁ、ひゃひゃ」
「そういえば、秘密なんでしたっけ」
白瑠さんはいつもの調子で答えた。篠塚さんはそんな彼を疑いもしない。
この人、刑事に向いていないのではないか?
「じゃあ俺はこの辺で。ばいばぁい、しーのちゃん。まったねぇ」
白瑠さんは正体を明かされないうちに腰を上げて店を出ていった。
え。
何しに来たんだよ。
あたしを助けに来たんじゃないのか?てか放置ですか。
「……で。篠塚刑事。あたしをどうするおつもりで?」
あたしは話を戻す。
カルドに触れた手は、テーブルに置いて肘をつく。
篠塚さんは少しだけ間を開いてそれから口を開いた。
「今からでも、間に合う。椿、戻ってこい」
「戻る場所などありません」
あたしはピシャリと言う。
戻る場所など、存在しない。
あるのは、死刑椅子。或いは白い病棟。
「…恥ずかしい話、過去の俺は真面目な警官ではなかったらしい。欠勤ばかりでろくに愛想もない奴だったと同僚に散々からかわれた。そんな俺が刑事に昇進。人間は変われるんだ、椿」
「無理です。努力でどうこうなれるわけない。殺さずには」
「俺が止める!殺す前に全力で止めてやる!中毒なら治せるだろ!俺が治るまで側にいて君を助ける!」
痛いくらいに両手で握り締められた。
「俺が君を死なせない」
揺るぎない意志が込められる瞳。
「俺が君を枯らせない」
あたしを死なせない。
椿の花を枯らせない。
──ねぇ、助けて。
口にできない言葉。
口にできない悲鳴。
口にした時に崩壊する呪文。
「……何を言ってるんですか。それこそあたしは枯れる。あたしは紅色の黒猫。気が向くままに殺戮、血飛沫の紅色に染まる。血が水なんです。枯れますよ」
あたしは顔を伏せたまま、篠塚さんに届くように呟く。
「過去の自分を覚えてもいないくせに、あたしを助けるなんて笑わさないで。記憶を取り戻してからほざいてください。その時……同じような意志で言えるでしょうか?」
あたしは睨み付けた。
直ぐに篠塚さんは言い返そうとしたが、その時だ。
「強盗だっ!金を出せ!」
拳銃を手にした男が店に押し入った。
振り返る篠塚さん。
彼は素早く反応した。
懐から常備している拳銃を取り出し、立ち上がり両手で構える。
そして一秒もしない内に発砲。狙い通りに強盗の銃を撃ち抜いて丸腰にした。
「手をあげろ!警察だ!」
そう叫んだあとに漸く彼は気付く。
左手首にぶら下がる一つの空っぽの輪。
振り返った先に、あたしはいない。
キスをした最に手錠の鍵を奪っていた。あたしは強盗が入ってきたのを見て瞬時に鍵を使い手錠を外し、裏口から逃亡をはかったったのだ。
思った以上に篠塚さんの強盗への対応が早すぎて正直失敗するかと思ったが、裏口には白瑠さんがバイクで待機をしていて簡単にその場から離れることに成功。
「何のつもりですか?白瑠さん!」
白い部屋に戻ってからあたしは彼をどついた。
「何って?刑事から救出しただけだけどぉ…」
「もっと早くに救出してくださいよ!何を暢気にオレンジジュースなんて!」
「つーちゃんが手錠の鍵をゲットしたならテーブルに置いた手錠の鍵を外す隙を作ってあげようと思ってたんだけどぉ。カルド構えて睨むから任せていいのかと思って」
「それは貴方が余計な話ばっかするからですよ。なんですか。心配しなくても彼はあたしを殺しませんよ」
「つばちゃん殺す人間は俺が殺すぅ」
「………さいですか」
んひゃひゃ、と白瑠さんは白いシャツを脱ぎ始める。
篠塚さんはあたしを殺しっこない。
篠塚さんは殺す人間ではないということか。
「白瑠さん。なんでまた篠塚さんを助けたんです?」
「んーひゃあ?死にかけた人間を助けるのに理由がいるのかぁなぁ。人を殺すにも理由はなぁいもん!」
「いいえ、人を助けるのに理由はあります。気分で殺さない時はあっても、死にかけの人間を病院に運ぶ理由はあるでしょう?」
ズボンまであたしの目の前で脱ごうとする白瑠さんをなんとか手を止めてくれた。綺麗な色白の上半身をあたしに向けて、にんやりと笑みを向ける。
「死なせたくなかったから」
そう答えた。
「椿だってわかるだろ?殺してくれって頼み込む人間は、殺したくなくなる」
殺してくれ、と頼んだある少女を思い出す。あたしは彼女に冷たく「いやだ」と拒否した。
彼女を守るために殺してくれと言った男が一人。
どの二人も、殺したいという気持ちは失せた。
───嗚呼、だからか。
だから、白瑠さんはあたしを殺さないのね。
「……え?篠塚さんって…………」
「うん。自殺未遂」
白瑠さんは躊躇いなく笑って言い退けた。
ビルからの落下。飛び降り自殺。
あの、彼が。
「記憶がないだけで人間変わるねぇ、んひゃひゃひゃ」
「……………なんでまた、助けただけじゃなく世話まで?」
白瑠さんは満面な笑みでためてから、答えた。
「面白そうだったから」