一時の正常
愛とはなんだ?
そんな疑問はばかばかしいと、あたしは思う。
愛情とは先ず、親からもらうはず。
だけど、一体、どれが親の愛情だったんだろう。
当たり前にしてくれたこと? それはなに? 何だったの?
あたしにはわからない。
あたしには愛がわからない。
本当に愛を与えられたのかさえ、あたしは疑問に思うくらい。
愛を感じてない。
告げられる「愛してる」も「大好き」よりも好きが大きい程度の気持ちを伝えている。その程度にしか、思ってなかった。
愛なんて自愛だ。
友愛も家族愛も恋愛も慈愛も、全部まとめて自愛だとも思ったことがある。
でも。
皮肉なことに。
あたしは血塗れになってから、愛を知った。
愛を視た、愛に触れた。
心地よくて歯痒くて微笑ましいもの。
それを――――――――奪われた。
奪われたのに、黙っていられない。
見過ごせるわけなかった。
長い長い廊下を歩く。
わかってる。あたしがやっているのは、復讐だ。わかってる。
わかってるんだ。
でも、あたしは、殺すしか能がない。アイツを殺さなきゃ、百人の人間を殺すだろう。
わかってる。
復讐なんて、バカげた行為なんでしょう?
だって。
あたしだって、奪う側なのだから。怒りを覚えるなんて矛盾している。そう言いたいんでしょう?
ピピ。赤外線を踏みつけた。長い廊下に、耳障りな音が響く。
――――――――…ピピピピピ。
不快な音に表情を歪ませて、睨み付ける。
――――…ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。
「んっ…………」
なんて耳障りな音なんだ。
眠りから覚めて音の出所に手を伸ばす。てっきり目覚まし時計かと思ったが違う。早起きする予定のないあたしに目覚まし時計はない。
掴んだのは、四角いもの。視界を黒くする髪を掻き上げて確認すれば、紅い携帯電話。
そう言えば、アラームをつけた気がする。今日は予定があるからだ。
でも気だるい。
あと数分だけ眠っておこう、と寝返りをすれば目の前に男の人が眠っていた。男の人、とはあまりにも他人行儀だ。
白瑠さんが眠っていた。
気持ち良さそうに「むにゃむにゃ」と口の中を動かしてあたしの枕を奪って抱き締めている。
通りで枕の感触がないわけだ。何故この人はあたしのベッドに潜り込んでいるんだろう。気付かなかったあたしもあたしだ。一生の不覚。
とりあえず、ベッドを出ようとしたが。無理だった。
あたしの脚を枕代わりに寝ている男の人、じゃなくて藍さんがいる。
通りで脚が重いわけだ。
何で二人してここに寝てやがんだ?苛々と考えたあとに、散らかったゴミを見て思い出した。
ポテトチップスにさきいかに色々なおつまみの袋に食べ残し、それからお酒の缶が転がっている。
……そうだ。飲み会やってたんだった。
昨夜は多無橋さんからの依頼をやり遂げて、そのお祝いを白瑠さんがやろうと言い出して、何故かあたしの部屋でおっ始めて、そのまま潰れたのだろう。
「おはようございます、椿さん」
「……幸樹さん……」
ぽっかーんとした。
白瑠さんが寝ぼけたフリをして抱き付こうとしたので避けて、藍さんを蹴り落とせば部屋に幸樹さんが入ってきた。
「酷い! 変態二人と一緒に置き去りにしたの!?」
「何を言ってるんですか? さっきまで私も一緒に寝てましたよ。シャワーを浴びると起こして伝えたじゃないですか」
「え……? そうなの……?」
「そうですよ」
記憶にない。
幸樹さんはくすくす笑い、あたしに身を乗り出す。
「ネクタイを締めてくれませんか」と。あたしはベッドに座ったまま幸樹さんのネクタイを締めた。
すると、抱きつきを交わされて拗ねてた白瑠さんがあたしの腰に抱きついてきたので思わず悲鳴をあげる。
「きゃ! やめてください! 白瑠さん!」
「んひゃあー、いいじゃんー、朝のハグー」
「僕も!」
「させるかっ!!」
放すどころかギュッと締め付ける白瑠さん。ベッドから落ちた藍さんも抱き付こうとしたが直ぐ様叩き落とす。
グーでもよかったが綺麗な顔を殴る自信は流石になかった。
「皆起きたことですし、朝食にしましょう」
幸樹さんはネクタイを整えてそう言う。
幸樹さん、今日は表の仕事か。
外科医である笹野幸樹さんが作った朝食を一同と摂って、仕事へ行くのを見送った。
あたしは出掛ける準備を済ませてから、リビングの一人用ソファに腰を降ろす。
「ん? あれ……つばちゃん出掛けるの?」
「ええ、そうですよ」
一人で大きなソファに横たわって独占している白瑠さんに訊かれたので平然と返す。怪しまれては家を出れない。
「何の話をしてたんです? 怪盗がどうのって聞こえたんですけど」
何処に行くのかと訊かれる前に、向かいにいる穀田藍乃介さんに話を振る。
「有名な怪盗が今、活発に動いてるって話をしたんだ。例の有名人集団の一人さ」
藍さんが言うのは、今裏現実で謎めいた動きを見せている集団のこと。名の売れた殺し屋に、情報屋、狩人、そして──吸血鬼が、集っていると言う。
あたしが裏現実に入った時期からその噂はたっているが、集った理由は未だ謎。未だにその集団で何かを行動はしていない。
「怪盗……って泥棒ですよね?」
「うん。でも本人は怪盗って名乗ってるらしい」
その集団の情報は、どんな腕利きの情報屋でもあまり掴めないらしい。ほとんどが腕利きの殺人鬼ならばそれほどのリスクがあるのだから簡単ではないだろう。
しかし個人の情報ならば、藍さんにも掴める。
泥棒ではなく怪盗と名乗る裏現実者。有名人ならば、それ相応の腕なのだろう。
「活発って、盗みですよね。例の集団の為に何かを盗んでると?」
「それはわかんない。宝石とかを盗んでるだけみたいなんだよねー」
「その数が多すぎなんだから、活発なんだよぉ」
白瑠さんも会話に入ってプチケーキを加えた。
「那拓遊太は狙った得物は必ず盗む主義らしいよ」
「那拓?」
あたしは思わず聞き返した。
「那拓なんですか?那拓って……ほら……プライドが高い人なんでしょう? そんな那拓が集団に所属してるんですか?」
「プライドは高いけど……なんだろう、それくらい正常じゃない集団ってことじゃないのかな」
那拓。裏現実者の言わばスペシャリスト。プライドの高い家系の名前。
以前、藍さんに危険だからと関わっちゃいけないと言われた名前だ。
裏現実に生きる家系。選りすぐりの実力を持つ那拓は、有名だ。そして“危険人物”とも称されている。一人の那拓の存在が、那拓を“危険人物”と認識させた。確か名前は、那拓爽乃。
那拓がいると言うならば、その集団はただの暇潰しで集っているわけない。藍さんは言った。味方でもヒヤヒヤする奴らだと。
「あれ? 僕、つーお嬢に那拓はプライド高いって話したっけ?」
黒縁眼鏡の中の眼が丸められてきょとんと首を傾げられる。藍さんからは訊いてない。
だけどあたしは「ええ」と頷いた。
「那拓まで集めるなんて、何企んでるんでしょうか」
「知らないよぉ、そぉんなぁの」
独り言のつもりが白瑠さんが返してきた。その表情は不機嫌を通りすぎて無表情。
また爆喰いをしている。プチケーキを掴めるだけ口の中に押し込んでいた。
どうもこの話題になると不機嫌だ。
その集団の、恐らく中心であろうリーダーが一番気掛かり。
彼が気掛かりで藍さんや幸樹さんは情報を掴む度に話題に出すのだ。
あたしの頭に“ひねくれた策略家”とインプットされた彼は、あたしが知る限り裏現実で最も名が知れて恐れられている白瑠さん、頭蓋破壊屋を、唯一逆撫でできる存在。
にやにやといつも笑っている白瑠さんは、“ひねくれた策略家”の存在を思い出すだけでも笑みを無くす。貴重な存在とも言えると同時に、那拓なんかよりも要注意人物だ。
白瑠さんと策略家の仲が悪くて、集団の結成は白瑠さんに喧嘩を売る可能性がある──とかないとか。
幸樹さん曰くその時は白瑠さん個人にしか被害はこないから大丈夫だというが、仮にもあたしは白瑠さんの弟子であるのだから、行動するべきだろう。
師匠の敵は弟子の敵。
──とか正当な理由を用意して白瑠さんがぶちギレて策略家にからかわれてるという珍景を見たいだけだったり。
白状な弟子だ。
「あー…………んー………」
すると藍さんが気まずそうに俯いた。何かを言おうと迷っている様子。
あたしはやっと“ひねくれた策略家”の名前が聞けるかと思って藍さんに「なんですか?」と問う。
前回のこの話題のあとに策略家の名前を訊いたら白瑠さんにギラリ、睨まれた。睨みだけでこの人頭蓋骨を粉砕できるんじゃないかと思った一瞬。
幸樹さんと藍さんも白瑠さんを気にして策略家の名前を出さないから、なかなか知る機会がなかった。
「お嬢、出掛けるんじゃないの?」
気を取り直して、にぱっと笑顔で藍さんは言う。
「出掛ける前に僕達のランチ作って!」
「フレンチ! フレンチがいい! つばちゃん!」
ランチと聞くなりバッと白瑠さんは起き上がった。機嫌が途端に回復したもよう。さっきまでプチケーキを食べてたくせに。
なんか話を逸らされたな。
あたしがいちゃあ話しづらい話なのだろうか。……気になる。
とりあえず、あたしは簡単に外出ができるチャンスを捨てないように、ランチを作ることにした。
「じゃあ、あたし、出掛けますが……携帯電話に盗聴機も発信器もつけてませんよね?」
テーブルに並べた途端に席についた白瑠さんを余所に支度をして、最終確認であたしは紅色の携帯電話を藍さんの目の前につき出す。
幸樹さんから貰った携帯電話。疑り深くなるのは当然。
「まさか! つけてないってば、お嬢!」
何度も訊いたがつけてないと答えられる。
「貴方がメールや電話をハッキングで把握してたりしていませんよね……? あたし、そんなことされているなら、即刻にこの家を出ていきます」
「してないしてない! 幸樹にも白瑠にもするなって言われてるからしてないよ!」
ぎーろー、と睨みながら問い詰めれば必死にブンブンと藍さんは首を横に振る。
穀田藍乃介さんはハッカーだ。ネット上で殺し屋と依頼人の仲介者もやる。
白瑠さんを見れば、じっと此方を見ていた。
家を出る、のは嫌らしい。
だから真面目に嫌なときにそれを持ち出す。もしもハッキングかなんかであたしのメールが覗かれてたならば、外出なんて出来なかっただろう。再び拷問開始されかねない。
それにしても、何故藍さんはちゃっかりランチまで食べようとするんだろうか。
同居人じゃないのにもう三日泊まっている。まぁ、藍さんがいるから白瑠さんを置いて、出掛けられるのだから文句は言えない。
「本当ですよね。じゃあ、いってきます。白瑠さん、おかわりはキッチンですけど、ランチなんだから十二時になってから食べてくださいね」
「はぁーい。いってらっしゃい、椿ちゃん」
「いってらーお嬢」
白瑠さんはいつもの笑みを浮かべて手をあげ振った。藍さんも胸を撫で下ろしてあたしを見送る。
策略家の名前も、その目的も、那拓の身内から聞き出してみよう。
あたしは家を出掛けた。
「白瑠。怒らないでくれよ、これは確証のない噂だ」
あたしの知らないところで黒が蠢いているとも、微塵も気付かず。
漆黒の、闇が――――。
「紅色の黒猫を――――…捜してるらしい」
道場にあたしは来ていた。
木の匂い。道場らしい匂いがする。
あたしが物珍しく見ていれば、胴着と袴に着替えた那拓蓮真君が来た。
「似合ってるね」
「ファッションじゃないだろ」
そう言ってあたしに一つの竹刀を投げ渡す。あたしはパシッと片手で受け取る。
柄を握ってブンッと宙を切り裂く。
「大丈夫なの? 君の家に入っちゃっても」
「大丈夫。この道場を使うのはぼくの兄貴がぼくを鍛える時だけだ」
「……ふぅん」
ここは那拓の家だ。危険人物の那拓の家。なんかの名家のお屋敷みたいに大きな家だ。庭は広々と茂っているし、高そうな旅館みたいに高級感がある。
家の隣にこの道場が在る為、家の者にはバレないそうだ。家には使用人がいそうだなぁ、と思った。
早速、那拓遊太について訊きたいが今日は蓮真君に剣道を教わる約束だ。
まずそれを済まそう。
「いいのか? 着替えなくて。生憎、防具はないけど」
「いいよ、汗臭いし」
道場のど真ん中に二人で向き合って対峙をした。
にや、と問う蓮真君は剣道では自分の方が強いと思って言っているようだ。
だからこそ教えてもらう。
あたしは同じ調子で返した。
バシンッ。
竹刀と竹刀がぶつかり合う音が響く。
これでもあたしは短剣を使って人殺しをしているのだから、容易く負けてはいられない。
流石に短剣と竹刀の長さが違うため、扱いはイマイチだ。
危険人物と称される男に鍛えられてるだけあって一撃一撃が重い。
ばし、と竹刀が叩き落とされる。次の瞬間、蓮真君の竹刀が頭目掛けて振りおろされた。思わず目を瞑ろうとしたが寸土めで竹刀は停まった。
「面」
勝ち誇った微笑。
くるり、と竹刀を振り回して蓮真君は離れた。
「紅色の黒猫様から一本とれるなんて、感激だ」
「……歳上をおちょくると痛い目みるよ」
「二歳しか離れてないじゃん」
「それがなんだ!」
「いや、ぼくの台詞……」
くるくると手首を回しながら思い出したように蓮真君は「そういえば」と洩らす。
「お前の身代わりに捕まったやつ、順調らしいな。まさかあの店員が偽者だったなんて、驚きだ。ぼくは彼女を視界にいれてなかった」
“レッドトレイン”の半分の犯人に全てを罪を被らせて警察に突き出した、偽者。
ニュースでは誘拐されたことになっているあたし、山本椿は事実上殺害されたことになりそうだという。順調らしい。
警察内部がどう思っているのかまではわからない。
藍さんのお得意のハッキングで警察のファイルを盗み見しているが、わからないこともある。
例えば――――あたしが生きていると言う刑事がいるとか。
例えば――――コイツは犯人じゃないと言う刑事がいるとか。
篠塚さんのことが気になって気になって仕方ない。動いているのか動いていないのか。
正直、山本椿を目撃した情報が一つでも載っていたなら、全てはぶち壊しになる。水の泡だ。
それを恐れて気が気じゃなかった。
たった一人を捕まえる為に出した死者は、少なくない。
しかし。
思ったよりはいい収穫した。
蓮真君とこうして会えるのも、あの偽者を追ったからだ。
「ん? なんだよ、椿。思考中か?」
きょとんと首を傾げた蓮真君。次の瞬間、サッと身を屈めて蓮真君の左脚を蹴っ飛ばす。
「なっ!?」と完全に不意を突かれた蓮真君はバランスを崩して倒れる。
ドタンと音がしたと同時にあたしは蓮真君の上に股がり、そして首元に竹刀を突き付けた。
「一回、死ーんだ」
そう驚きで一杯の表情の蓮真君にニヤリと笑いかける。
「っ……! 今のは卑怯だ!」
「えっへへー。殺しに卑怯なんてなぁいよ。要は殺した方が勝ちだもん」
「……今は剣道やってんだろ」
「その剣道だって殺しに使うでしょう?」
そういえば押し黙った。
勝った。
あたしは愉快になって笑う。
「…………いつまでぼくの上にいるつもりなんだよ」
「あ、ごめんごめん」
すっかり蓮真君の腹の上に座ってしまった。座り心地がよかったからつい。
横に移動した瞬間に、蓮真君が竹刀をブンッと振り回してきた。
そんなの、お見通しだった。
パシッと竹刀で受け止める。
「君の眼がやるって眼をしてたよ」
「……ちっ」
脚をバネに飛んであたしと距離を取った。そして体勢を整えて構える。
「ふっ……。君の剣道の実力が殺し屋であるあたしに通じなきゃ、君は殺されるよ」
あたしも立ち上がり、竹刀の先を蓮真君に突き付けて言う。
「お前、ぼくに剣道を教わりにきたんじゃなかったのかよ」
ごもっとも。
「なんか飽きた。こうしよう、何回相手を殺せるかを競おう」
「飽きたって、何一つぼくは教えてない。……わかった。剣道でぼくに勝てないからだな? お前、負けず嫌いなんだろ」
「ええい! 勝負をするのかしないのか!?」
図星だったり。
年下になじられてたまるか。さっきの「一本」でかなりプライドがズタズタなんだ。
……はて。いつからあたしにプライドがあったのだろうか。不思議だ。
「するかよ。紅色の黒猫なんかをぼくごときが殺せるかよ」
意外にも、そう蓮真君は呆気なく首を振って竹刀まで降ろした。その目に闘争心はまるきりない。
「今、面一本とったじゃん。真剣だったらあたし死んでたよ。君とあたしは一回ずつ死んだ、さぁ勝負だ!」
「勝手に殺すなよ……」
クールなんだよなぁ。この子。
ぶー、つまらん。
「それでもプライドの高い一家の末っ子か!?」
「これでも末っ子ですがなにか」
涼しい顔をして蓮真君はその場に座り込んだ。
あー、もう。わかったわかった。あたしの負けです。
「ちゃんと教わりますから、教えてよ」
「……はいはい。教えてさしあげましょう」
しゃがんで手を合わして頼めば、蓮真君は微笑んで立ち上がった。
「あ、タンマ」とあたしは今から始めようとしたが水をさす。
「どうせなら真剣でやろうよ。二つある?」
「……ぼく、まだ死にたくないんだけど」
嫌な顔をされた。
「嫌だな……いくら殺戮者のあたしだって友達を殺したりしないよ……」
ショック受けたじゃないか。
「さっきみたいに押し倒して喉切りそう」
「……………………。いや、でもね、師匠とサーベルとかでやりあうけど、そんなことないよ!」
「明るく言っても今の間が不吉だから、嫌だ」
ハッキリと断られた。
なので真剣ではなく竹刀で剣道を教えてもらうことにする。
稽古は二時間やった。
「さっき言ってたお前の師匠だけど、兄貴なんだよな?」
「ん? うんーまぁ………」
兄貴と言えば兄貴。
兄妹ごっこでお兄ちゃんと呼んだが、都合でお兄ちゃんと称してるだけだって言おうかな。
でもあたしに血の繋がった兄がいないからそれくらい予想ついてるだろう。蓮真君のことだ。彼は賢い。
師匠でお兄ちゃんと言えば、まだ白瑠さんが頭蓋破壊屋だと話していないな。
話そうかなぁ。別に話さなくてもいいが、こちらばかり情報を奪うのは悪い。
「ねぇ、蓮真君。お互いお兄ちゃんの話をしよう。あたしのお兄ちゃんは頭蓋破壊屋なんだ。ところで那拓遊太って蓮真君のお兄さんだよね?」
「…………………………」
沈黙されてしまった。
向かい合ったまま沈黙された。
はだけた胴着から汗に濡れたやや引き締まった胸板が見える。おお、そそる。
「ところでいい身体してるね」
「連続で“ところで”を使うな。お前今早口でとんでもないことを告白したな。最初の“ところで”で上手く流したつもりかよ。つうか二回目の“ところで”はなんだ。しっかりしろ。疲れてんのか? 昨日仕事だったんだっけ。悪いなこの日にしかこの道場使えなくてさ。ほら、水分摂れよ」
いっぺんに突っ込まれた挙げ句に心配されてスポーツドリンクを差し出された。
……優しい子だった。
モテてるんだろうね……。
お姉さん、妬いちゃう。
「お前がそんな嘘をつくわけないしな……。一緒にいたお兄さんが――――あれが頭蓋破壊屋か。まさかお目にかかるなんて。しかも、師匠なんだろ? おいおい。お前ってとんでもないな」
少し面白そうに笑みを浮かべる蓮真君。思ったほどの反応ではなかった。
あたしが紅色の黒猫だとわかった時も冷静だった。最近の若い子はわからないわ。
「彼があたしを裏に引き込んだの」
「はぁん……なるほどね。煙ないとこに噂は立たない。頭蓋破壊屋がいて紅色の黒猫は有名になったんだっけ」
『頭蓋破壊屋に並ぶ存在の紅色の黒猫』
そんな噂があるから紅色の黒猫も一応有名なんだ。
頭蓋破壊屋あっての紅色の黒猫と言っても過言ではない。……過言であってほしかったり。
頭蓋破壊屋なんて知ったら大抵青ざめてたっていうのに、この子は本当にクールだ。殺し屋に襲われてもあたしに協力してくれた。
殺戮者だというのにあたしとメール友だし、家に招くし(道場だけど)。
「どうしてまた遊太の兄ちゃんの名前が出たんだ?」
「あ…やっぱり、君のお兄さんなんだ」
「ぼくの三つ上の兄貴さ」
「へえ……。ほら、最近妙な動きをしてる有名ばかりが集まる集団がいるじゃない」
「あー、あれね」
「その一人にいるじゃん、那拓遊太さん」
そう言ったら、蓮真君は眼を丸めた。
「遊太の兄ちゃんが……例の集団にいるのか?」
意外と言わんばかりに蓮真君は聞き返す。
「え?知らなかったの?そうらしいけど……怪盗で、最近活発に盗んでるって」
「…………………どうりで兄貴が最近機嫌悪いわけだ」
少しの間だけで理解したのか蓮真君は肩を竦めた。
「ぼくの情報源って、大抵は兄貴──爽乃兄貴からもらうんだけど、兄貴って遊太兄ちゃんを嫌ってるから遊太兄ちゃんの情報はこないんだ」
どうやら色々複雑な事情が絡んでいるらしい。
胡座をかきながら蓮真君の話を聞くことにする。
「遊太の兄ちゃんは自由人でさ、やりたいことをやる主義なんだ。怪盗はそのやりたいこと。自由奔放ってやつ。数年前から家に帰ってきてないんだ」
家出っ子だった。
「おれは怪盗王になってやる!」みたいに家を飛び出したのかな。…なんて。
自由奔放、か。
那拓家の問題児、てところなんだろう。それでしっかり者の長男であろう爽乃さんが怒っている。そんな感じか。
「そんな遊太兄ちゃんが兄貴は嫌いなんだよ。へえ、兄ちゃん元気なんだ、よかった」
その顔は少し嬉しそうだった。
懐かしそうにほんわかと微笑んだ。
あ。この子。遊太っていうお兄ちゃんが好きなんだ。
「数年前から会ってないの?」
「いや、半年前に会いにきた。爽乃兄貴が煩いからこっそり。そんときに色々自慢話聞いたり、盗んだもんもらったりした。たまに来るんだよ、ごくたまに。気が向いた時に、な」
「へー…。家族が嫌いってわけじゃないんだね、そのお兄ちゃん」
「嫌いってわけじゃないな、きっと。兄ちゃんって昔からぼくを可愛がってくれててさ、昔から“やりたいときにやれ”っていつも言ってた」
笑顔で蓮真君は語ってくれた。年相応の子供っぽい笑顔だ。
いい兄弟。
それが、いい、関係なんだろう。
いい兄弟関係。
幼い頃の蓮真君を想像しながらも微笑ましい仲いい兄弟を描いてみた。ほのぼの微笑ましい。
「いいな……そんなお兄さんがいて」
微笑ましい気持ちに包まれて、ついつい、あたしはそう呟いてしまった。
「いるじゃん、椿にも」
「あたしが言ってるのは──」
産まれる前から、頭を撫でてくる兄という存在が居て欲しかった、なんだ。
そんなことを、言う必要なんてない。
「“殺したいときに殺せ”っていうお兄ちゃんなんて嫌じゃない」
「あー……確かに。何?頭蓋破壊屋は噂通りの人格なわけ?」
苦笑して同感してくれる蓮真君は訊いた。白瑠さんの人格。
「噂って?」とあたしは訊く。
頭蓋破壊屋の噂はほとんど聞いていないんだ。本人と最初からいるし、幸樹さんと藍さんから聞いただけ。
「ぼくが周りから聞いたのは、“白の殺戮者”」
白の、殺戮者…?
それは初めて聞く。
「“虐殺の道化師”に“狙われた者は頭を失くす”とか…それなりにイカれてる殺戮者だってこと聞いてるさ」
藍さんも狙われたら最期みたいなことを言っていた気がする。
虐殺の道化師、は多分笑いながら手足をむぎとるところからきてるんだろう。
先日、標的の邪魔なボディーガードを任せたら、暇潰しに人間解体をしていた…。笑いながら…。
噂通りの人間だ、あの人。
…当然か。
裏だけの人間。常に裏の人間。
常に裏だけの殺人鬼。
「うん……そんな感じの人だよ」
「うわ、まじかよ」
からかうように蓮真君は笑った。
そんな殺人鬼の弟子があたしだ。文句あるのか。
「白の殺戮者ってなに?由来は?」
「ん?知らないのかよ、お前の師匠のことなのに」
「君だってお兄さんのこと知らなかったじゃない」
ムッとしてあたしが言えば蓮真君は苦い顔をして「怒んなよ」と言った。
「“黒の殺戮者”が在っての“白の殺戮者”。黒がいるから白なんだろ」
「黒…?」
「黒の方も知らないのか?これは知らなきゃまずいだろう。師匠の敵だぜ」
からかうどころか真顔で蓮真君は言った。
敵、で思い出すのは“ひねくれた策略家”。師匠を怒らす唯一の存在。
「例の集団の一人」
「それなら聞いた。師匠はその人がすごく嫌いだって。集団のリーダーらしいね」
「そう。そいつが“黒の殺戮者”だって呼ばれてる。頭蓋破壊屋と対になる二つ名をつけられてるだけあって、そいつも相当なイカれた奴だってさ」
「どんな感じに?」
「頭蓋破壊屋並に」
「…もっとまともに説明してよ」
「簡潔な説明だけどな」
まさか訊くまでもなく蓮真君からひねくれた策略家のことを話してくれるとは。
対になる二つ名がついているような仲なのか。
ますます二人が会うところが見てみたい。危なくないなら接触してみようかな。
「どっちかって言うとこうゆう殺し屋の情報は椿が知るべきじゃないのか?」と蓮真君は文句を言ってきた。
「裏に入ったばかりだもん」とあたしは返す。
「ぼくは今現在表側の人間だけど」と学生の蓮真君は言う。
そういえばこの子は裏現実者であっても表は学生で裏は無職なんだっけ。
「危険人物一家の末っ子のくせによく言うわね」
そう言えば蓮真君は膨れっ面で黙り込んだ。あたしの勝ちぃ。
可愛いとからかえば竹刀の先で足を小突かれた。
「噂じゃあ椿みたいに真っ赤な血を浴びるのが大好きらしい」
攻撃の仕方を変えてきやがった。別にそんな皮肉を言われてもあたしは怒りません。
「頭蓋破壊屋が脳味噌をぶちまけるなら、黒の殺戮者は身体中の血液全てをぶちまける奴なんだって」
「……似た者同士ね」
「そうなんだろうな」
苦い顔であたしが言えば、苦い顔で蓮真君は笑った。
「そんな二人が仲良かったらとんでもないわね」
「そりゃあ狙われる側は至極最悪だろうな」
冗談混じりに二人して笑う。
「それで」と一頻り笑ってから話題を変えてみた。
「蓮真君は何になるつもりなの?」
表は学生、裏はまだ無職だということを思い出してあたしは訊きたくなったので訊く。
「将来の夢の話?」
「そう。殺し屋になるのか狩人になるのか情報屋になるのかハッカーになるのかはたまた怪盗になるのか。裏の役職はそれくらいしか知らないけど、どうなの?」
あー、そっちの話か。
と、蓮真君はつまらなそうな顔をした。
「さーな。なりたいときになりたいものになる」
ちょっと言葉を選ぶように考えたあとに、蓮真君はそう微笑を浮かべて答えた。
そっか。
あたしは素っ気なく頷く。
「殺し屋になりたくなった時のために天下の紅色の黒猫さんに殺しを教わりたい」
「教えるようなことじゃないけどね。人間、簡単に殺せるもの」
誰にも教わらなくても、人間は人間を殺せる。凶器が持てるなら幼児にだって殺せるんだ。
「簡単でも、殺せない奴もいる」
簡単に殺せる、のはそうだ。突発的に殺ってしまった殺人。カッとなって殺した、殺人がほとんどだ。
殺せと命じられて殺せるのは殺し屋を名乗るやつくらいだ。
そんなやつになれるのかどうか。
殺人を躊躇わずにできるのかどうか。
──殺人を躊躇わない方法を教えてくれ、と言うことだ。
「……生憎」
あたしは言う。
「人を殺せない奴なんか、あたしは理解できない」
と微笑んで答えた。
「言ったでしょう?あたしは殺戮中毒者。躊躇ったりしない」
「ぼくでも?」
間をいれない問いだった。
あたしがそう言うのを待っていたかのようだ。
蓮真君は真っ直ぐにあたしを視る。
「さぁ……。今はもうちょっと友達でいたいから。殺す気はないよ」
茶化すように笑ってあたしは答えた。
長居はできなかった為、その休憩を最後に那拓家をあとにした。
剣道も経験したし、聞きたいことは聞けたので満足だ。
ひねくれた策略家の名前は流石に知らなかったようだったから、秀介辺りに聞くとしよう。秀介ならきっと黒の殺戮者を知ってるだろうから。
裏現実の鬼。鬼の狩人。殺し屋などを狩る用心棒。
秋川秀介。
それなりに最強で腕利きの狩人なのだが、頭蓋破壊屋の白瑠さんには及ばないらしく遊ばれている。
秀介は白瑠さんの敵ではない。
そうなると、黒の殺戮者の最強さが気になるところだ。
…黒の殺戮者、か。
「おっかえりぃー!つーばちゃん!」
家に帰るなり、玄関で待ち構えていた白瑠さんに出迎えられた。
「どうしたんですか…?玄関で待ち構えてなんかして」
「んー、つばちゃんが帰って来ないかと思って」
「…発信器をつけてたんですか」
「いや、つけてないよ」
「盗聴器ですか」
「ううん」
「………?ならなんであたしが帰ってこないと思ったんです?」
「なんとなくぅ」
にこにことした笑顔の白瑠さん。なんだか、妙な違和感がする。
ふと、白瑠さんの背後に置かれた二つの短剣が目に留まった。
それに気付いた白瑠さんが一言。
「一戦やろう!」
………………………。
とりあえず、あたしは。
「藍さんは?」
状況分析をすることにした。後ろの扉を逃亡際にすぐに開けられるよう足を挟んでおく。
「帰ったよぉ」
「………なんで、また」
「さぁ」
こりゃまずいぞ。
この人怒っている。笑いながら怒ってやがるぞ。
出掛けてる最中に一体何があったと言うんだ?
藍さんがうっかりひねくれた策略家の名前を口にしたのか?それで逃亡?
何してくれてんだ!あのロリコン野郎!
…いや、でも…八つ当たりをするような人じゃない、よな。
「ねぇねぇ、つーちゃん!やろぉう」
………八つ当たりをする人、らしい。
滅多に怒らないだけで八つ当たりをする人、なのかもしれない。
仕方なくあたしは短剣を受けとることにした。
リビングに向かって白瑠さんと対峙する。ついさっき蓮真君と戦っていたというのに。
竹刀よりは慣れた長さの短剣をくるり、と回す。
「それで」と口を開く。
「何を怒ってるんですか?」
「えー?怒ってないよ?」
質問をしたと同時に白瑠さんが動いて、短剣を振り下ろしてきた。反応に遅れていたら間違いなく斬れていたぞ。短剣を盾に防ぐ。
怒ってんじゃん!
容赦ない斬撃が振られる。前回同様に押されていく。
ナイフ使いの殺し屋としては押されたくはない。プライドってもんがある。だからあたしにプライドっていつからあるんだ。
本気を出して斬りかかろうとしても、実力が上である師匠にかすり傷一つつけられない。
攻撃をする暇を与えずに斬りかかる。一見、あたしが押しているようだが、白瑠さんは全く余裕だ。笑ったまま一つ一つあたしの斬撃を防いでいく。
防ぎながらソファを飛び越えたから、あたしも飛び越えて腕を振るう。
無我夢中になっても、やっぱり。初めて会った時から思っていた。
この人には敵わない。
この人の敵じゃない。
この人を、殺せない。
「……っ!」
突っ込んだら安易に避けられ、挙げ句に足を引っ掛けられてあたしはベッドの上にダイブ。
いつの間にかあたしの部屋にまで、来ていたらしい。
前回同様じゃないか。
直ぐ様起き上がろうとしたが、もう遅く───仰向けになったところで白瑠さんが股がり首に短剣を添えられていた。
突き付けられた短剣。
ただ笑みで見下ろしてくる殺し屋を──殺戮者を、無表情に見据えた。
動かず、足掻かず、ただただ見据える。
そんな眼が気に食わなかったのか。
白瑠さんから笑みが一瞬だけ消えた。
でもすぐに、チェシャ猫の笑みを浮かべて白瑠さんは短剣を退ける。
「椿ちゃんさぁ、君ってぇ」とのんびりした口調で言った。
「俺に殺されたいの?」
それとも。
「俺が殺さないと思ってるの?」
そんな問いにあたしは。
「…────」
あたしは。
戸惑ってしまった。
どっち、なんだろう────って。
どうも。
前編ではとんでもない誤字誤植が多くてすみません。篠原さんって誰だよ、彼は篠塚刑事です!ごめんなさい!ミサがリサとか…。
誤字誤植が多くならないよう心掛けます。…心掛けるだけ。
今回は『愛』がテーマです。何故かヒロインの周りには異性しかいないのが最大の謎です。皆さん解いてみてください。…答えはありません。
シリアスでダークのはずなのに何故かギャグで騒がしい『裏現実紅殺戮』をよろしくお願いします!