『エレナはわたくしの大事な大事な友人です』――婚約者よりも、親友の王女殿下のほうが私を大切にしてくださいます
「エレナはわたくしの大事な大事な友人、エレナへの侮辱は王女・フランシスカへの侮辱とみなします」
貴族学園の中庭に、高らかな声が響いた。第一王女・フランシスカの金糸のような髪が春のそよ風に靡く。彼女は扇子で口元を隠していたが、その指先は憤怒でわずかに震えていた。
エレナはフランシスカ殿下の後ろに立った。エレナはアストルガ侯爵家の一人娘で、王女の親友だ。エレナはなぜか、婚約者の浮気相手である子爵令嬢のイサベルに詰め寄られていた。
「……エレナ様には申し訳なく思っております! ただ私とアルベルト様はその身分差を越えて愛し合っているのです。それを疎ましく思うお気持ちは分かります。ですから、数々の嫌がらせにも耐えて参りました。しかしもうアルベルト様を自由にしてくださいませ」
イサベルは、ピンクブロンドにルビーのような瞳が愛らしい、令息の庇護欲をそそる令嬢だ。黒髪に紫がかった瞳の地味なエレナとは正反対である。イサベルは一方的にエレナをまくしたてた。
――何が身分だ。
エレナとアルベルトの婚約は、アストルガ侯爵家とガンディア公爵家の共同事業のための政略だが、ちゃんとした婚約関係にある。アルベルトとイサベルのそれは『不貞行為』だ。だが公爵令息と子爵令嬢の『恋』は下級貴族の学生たちの間で『真実の愛』として、もてはやされた。
そしてたちが悪いことにイサベルはことあるごとに、エレナにノートを盗まれた、エレナに制服を破られた、階段で突き飛ばされたと因縁を付けてきた。すべて事実無根である。だが、エレナは『真実の愛』を引き裂く『悪役令嬢』とまで噂されていた。
フランシスカ殿下のスカイブルーの瞳が侮蔑を孕み、イサベルを睨んだ。
「アルベルト様とあなたが『不貞』を働いたということでしょう? エレナはあなたに嫌がらせなどしていない。証拠もございますわ」
「――証拠?」
一人の令嬢が手を挙げ、前に進み出た。
「私はイサベル様と寮が同室の者です。ある晩、彼女が自分で制服にはさみを当てているのを見ました」
イサベルが目を見開いた。
「嘘よ! この子はちょっと嘘つきなの!」
嘘つきと言われた同室の令嬢が高らかに叫んだ。
「神に誓って、嘘など申しておりません! 証拠として制服の切れ端がついたはさみを学園長に提出しました」
「あなた、私を裏切る気?」
困惑するイサベルを尻目に、フランシスカ殿下が護衛の一人を呼び寄せ、汚れたノートを受け取った。
「イサベル様、ノートが無くなったとおっしゃっていましたね。あなたがご自身のノートをゴミ箱に押し入れているところをわたくしの護衛が偶然見かけたそうです。困ってらっしゃるようなので、お返ししますね。大したことは書いていないようですが」
フランシスカ殿下が中を確かめながら言った。
「まあノートを盗られたと言えば、試験前にご友人にノートを見せてもらいやすくなりますものね」
イサベルは顔を真っ赤にした。
「それと、あなたが階段から落ちたという日、エレナはわたくしと勉強していましたわ。つまり、わたくしが証人です。――嘘つきとは一体誰のことかしら?」
「でも、でも私とアルベルト様は愛し合っているの! だからエレナ様には別れていただかないと!」
イサベルは子爵令嬢だ。侯爵家の一人娘に直接何かを言える訳もなく、いつも陰でエレナの悪口を言った。だが今日のイサベルはいつもと明らかに様子が違う。エレナが不審に思っていると、赤髪の青年が中庭に現れた。騒ぎを聞きつけたエレナの婚約者・アルベルトだ。
「アルベルト様! 私、アルベルト様と一緒になれるよう、エレナ様に直談判しましたの! あなたを解放して欲しいと」
だが、アルベルトはイサベルではなく、真っ先にエレナに駆け寄り、エレナを守るように立った。そんなアルベルトを、エレナは不信感たっぷりに見上げた。この間、廊下ですれ違った時も挨拶を無視されたのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
「イサベル嬢、いい加減にしてもらえるかな。少し『優しく』しただけで、恋仲のように言いふらされるのは迷惑なんだ」
「えっ……」
アルベルトの豹変はエレナだけでなく、その場にいた他の生徒たちも沈黙させた。イサベルはなす術もなく、茫然とへたり込んだ。フランシスカ殿下が静まり返った中庭でイサベルに宣告した。
「……その他の嫌がらせも含め、学園長にはすべて報告済みです。重大な処分が下されると聞いています」
イサベルは停学処分になり、そのまま学園を自主退学した。
「フランシスカ殿下、先日は私を庇ってくださってありがとうございました。色々調べていただいたようで」
後日エレナがフランシスカ殿下の部屋を訪ね、改めて礼を言うと、彼女は王女らしく上品に微笑んだ。今では殿下の専属侍女ともすっかり顔なじみだ。何も言わずとも、エレナ好みの茶を淹れ、好きな茶菓子を用意してくれる。
「いいのよ。エレナはわたくしの大切な『お友達』。それに正式に侯爵家の跡取りに指名されたばかりだから、今は学ぶことが多くて忙しいでしょう」
「いえ! 領のことは大好きなので、まったく苦ではないです。それにしても……」
「それにしても?」
「あのアルベルト様の豹変ぶりはなんなのでしょうか?」
「さあ? 彼自身にも悔い改める部分があったんじゃない?」
悔い改める……。エレナとアルベルトも学園に入る前は、仲良くやっていた。少なくともエレナはそう思っていた。
アルベルトはお茶会の度にエレナの好きな花を用意してくれた。
誕生日には彼の瞳の色と同じエメラルドがついたネックレスを贈ってくれた。
アストルガ領にも訪れ、領のことを知ろうとしてくれた。
――だが、学園に入って彼は変わった。
思春期が来て、少し難しい時期を迎えたというのもあるだろう。アルベルトはエレナを無視するようになり、彼を公爵令息として持ち上げる下級貴族とばかり仲良くするようになった。ここ一年はほとんど口を利いていない。市井で悪い遊びを覚えたと風の噂で聞いた。
ある日エレナは、アルベルトが「見目の良い自分をエレナが気に入り、無理やり婚約させられた」と悪友に愚痴っているのを聞いてしまった。もちろん事実無根だ。だがそれがまるで真実のように語られていた。成績がよく、王女と仲良くしているエレナへの当てつけかも知れない。
この件が決定的だった。エレナはアルベルトに何も期待しなくなった。そして、父・アストルガ侯爵に自分が侯爵家を継ぎたいと願い出た。
この国で女性が爵位を継ぐことは制度として認められている。だが異例中の異例だ。少なくともアルベルトの実家であるガンディア公爵家は、アルベルトがアストルガ家の爵位を継承することを前提にこの婚約を結んだはずだ。しかし、二人の婚約には重大な取り決めがあった。それは――事業以外のお互いの領政に関して不干渉であることだ。
アストルガ侯爵はエレナを正式な後継者に指名して手続きを済ませると、この一文を取り出して公爵家に通達した。それがアルベルトを焦らせたのかも知れない。
「急に登下校を一緒にしたいと言い出したり、流行だからと言って背中の大きく開いたドレスを送ってきたり、本当に迷惑しているんです」
「ふふふ、急に『婚約者』らしくなったわね」
「まだ卒業まで時間がありますから、何とか挽回したいと思っているのかも知れません。爵位が継げないとなると、領政の最終決定権は私にありますし、立場が弱い。やっと自分の状況を理解したんでしょうね」
「それで、エレナはアルベルト様のことをどう思っているのかしら?」
「彼には失望しました。だから自分が領主になりたいと父に直訴しましたし、彼との婚約も今すぐ破棄したいです。ただ婚約の方は、ガンディア公爵家との共同事業のこともあるから、すぐにどうにかできる問題ではないと父が……」
エレナの父・アストルガ侯爵もアルベルトのことはよく思っていない。だがガンディア家との共同事業はアストルガ家の命運を握る。絶対に失敗はできない。
「そう。エレナの気持ちが分かってよかったわ。何かあったらわたくしに何でも言ってちょうだいね。力になりますから」
「ありがとうございます、殿下!」
やはりフランシスカ殿下は頼りになる。エレナは喜び、無邪気に礼を言った。
それからアルベルトは、休み時間に声をかけたり、放課後に待ち伏せをしたり、エレナとの距離を縮めようと試行錯誤した。その度にフランシスカ殿下は、エレナをアルベルトから引き離した。
「エレナとお昼を一緒にする約束をしております」
「今日の放課後はわたくしと語学のレッスンがありますわ」
「週末はエレナと王都郊外の孤児院に慰問に行きますの」
アルベルトが急に態度を変えても、上級貴族は既にエレナの味方だった。下級貴族たちも運命の恋人・イサベルを見限ったアルベルトを過度に持ち上げなくなった。学園で孤立すればするほど、アルベルトはエレナにしつこく付きまとった。だが季節が巡り、卒業まで一年を切っても二人の関係は変わらなかった。
ある日、アルベルトはひどく傷ついたという表情でエレナに向かって言った。
「……俺は君とやり直したい。どうしていつも王女を優先するんだ。仮にも俺たちは婚約者だろう!」
「この国の貴族である以上、王族を優先するのは至極当然では? それに私の交友関係は将来侯爵家のためになるものばかりです。間違ってもあなたに何か言われる筋合いはないと思いますが……」
傍にいたフランシスカ殿下がエレナの手を掴んだ。
「行きますよ、エレナ」
「はい、殿下」
その年の夏休み、アルベルトはアストルガ領で、領政を学びたいと言い出した。だがエレナの父、アストルガ侯爵はそれを断った。
「信用ならん。お前を後継者に指名した以上、あの男に領政を任せるつもりはないし、中途半端に知ったつもりになられても困る」
父の答えは簡潔だった。代わりにという訳ではないが、王家もアストルガ家の事業について興味があり、その相談をしたいという旨で、フランシスカ殿下がアストルガ領に滞在した。
アストルガ侯爵家とガンディア公爵家の共同事業、それは共同の貿易会社の設立だった。領内に大きな貿易港を持つアストルガ侯爵家と国内に幅広い販路を持つガンディア公爵家。両家が組めば向かうところ敵なしという訳だ。
「特にこの新大陸で見つかったという香辛料は国内外で需要が高いですわ。もし安定して扱えるなら、公爵家以外にも提携を望む商会がたくさんあるはずです」
フランシスカ殿下は時に忌憚なく意見を言った。勉強家の殿下らしく視野が広く、的確な意見ばかりで、アストルガ侯爵も感心しきりであった。
フランシスカ殿下がアストルガ領に滞在している間、エレナは領内の色々な場所に彼女を連れ出した。
「フランシスカ殿下、これが城下町です。王都と比べるとコンパクトですが、活気があるでしょう」
「我が領の強みは貿易なんです。今日は異人街を案内しますね」
「市場を見ましょう。海産物の食べ歩きも楽しいですよ」
エレナは語学が得意だ。だが王女として英才教育を受けたフランシスカ殿下はさらにすごかった。五か国語を流ちょうに話すことができる。
「アルベルト様も昔はこの領に来ていたんですが、彼は語学が苦手で……。この領は色々な人が住んでいて、色々な国と商売をしているから、それでは困るんですよね」
学園に入る前、アルベルトを案内した時はエレナがところどころ通訳しないといけなくて大変だった。今はもう少しマシになっていると信じているが……。
エレナは、殿下と過ごしたこの夏、毎日毎日楽しくて仕方なかった。
そんな夏の終わり、学園に戻る前の思い出作りとして、エレナとフランシスカ殿下は、アストルガ家の別荘に滞在した。そのテラスからは海や港が一望できる。テラスでお茶をしていると、夕日が水平線に沈んでいくのが見えた。
「きれいな夕焼けね」
「ええ。私もこの別荘から、海に沈む夕日を見るのが好きなんです。――フランシスカ殿下、もうすぐ成人ですね。成人の儀では殿下のお兄さま、ラファエル殿下の立太子も執り行われるとか」
第一王女・フランシスカ殿下と第一王子・ラファエル殿下は双子だ。見た目もよく似ている。二人の成人の儀は今秋に行われることが決まっている。
フランシスカ殿下から、学園に戻ってしばらくは忙しくなる、今まで通り時間がとれなくなると伝えられた。
「そういえば、殿下にはご縁談のお話など来ていらっしゃらないのですか? 殿下がどこの国に嫁がれるのか気になります」
「ふふふ。実は以前からお慕いしている方がいらっしゃるのだけど、今はまだ時期ではないから水面下で準備をしているの」
「まあ! 素敵ですわ」
王族の結婚、特に他国との縁談であれば、それはそれはたくさんの準備が必要なはず。なかなか発表できないのはもどかしいだろうと、エレナは思った。
そして、エレナはカップに目を落とした。フランシスカ殿下が『お慕いする方』と結婚すれば、きっとこうして二人でお茶を楽しむ時間もなくなってしまう。殿下の幸せを願わないといけないはずなのに、エレナの心は鉛のようにずっしり重たく冷たかった。
「――エレナは、もしアルベルト様との婚約を破棄できたら、どうするの?」
「実はそれが難しくて。貴族の次男、三男でも、ご自身で爵位が継げないとなると、あまり魅力的ではないですよね。領政を手伝うにも、最低三か国語はしゃべれないといけませんし」
「では王家であなたの『お婿さん探し』を手伝わせてもらえないかしら」
「え、よろしいのですか?」
「実はね、エレナにぴったりな殿方がいるから、ぜひご紹介したいと思って」
「うれしいです! 殿下、どこに嫁がれても、またこの領に遊びに来てくださいね」
「もちろん」
夕日はゆっくりと沈み、灯台と街の明かりが、二人を優しく照らした。
***
学園に戻ってからのフランシスカ殿下は本当に忙しそうだった。学園を数日休むことも少なくなかった。
エレナは少し寂しく思ったが、同時に学園を卒業したら、殿下と会って気安く話をするのも難しくなることも分かっていた。
彼女はゆっくり腰を据えて勉強ができるのも最後の機会だと、より熱心に授業や課題に取り組んだ。
成人の儀では、ラファエル殿下の立太子の後、国外からの賓客、そして国内上級貴族を集めた晩餐会が催される。エレナとアルベルトももちろん招待された。
ある放課後、エレナは寮に戻る渡り廊下で、アルベルトに声をかけられた。
「エレナ、今ちょっといいか」
「アルベルト様、どうかなさいましたか」
「あの、そのエレナにドレスを贈ったから、当日はそれを着て欲しい」
エレナの脳裏に以前贈られた背中の開いたドレスがよぎった。
「――そうですね。何を着ていくかは私が決めます」
アルベルトはまだ何かを言っていたが、エレナは無視して寮に戻った。
案の定、アルベルトから贈られたエメラルドグリーンのドレスは少し胸元が開いた華美なデザインのものだった。プライベートな夜会ならまだしも、各国の賓客を迎える側の国内貴族としては、これはマナー違反だ。エレナが替わりのドレスを自身のクローゼットから選んでいると、彼女宛の別の小包が届いた。フランシスカ殿下からだった。
「まあ、なんて美しいレースなの」
小包の中身は、とても美麗なスカイブルーのドレスだった。エレナが以前レースが好きと言ったのを覚えていてくださったのだろう。レースがふんだんにあしらわれた一着だった。
「きっとアルベルトから、変なドレスが贈られてくることを見越して贈ってくださったのね。フランシスカ殿下、さすがだわ」
エレナは迷わず、フランシスカ殿下から贈られたドレスを着ることにした。
***
「どうして俺の贈ったドレスを着てこなかったんだ」
当日、馬車で迎えに来たアルベルトは終始不機嫌だった。
「少し胸元が開き過ぎていると感じましたので」
それから会場に到着するまで、二人の会話はなかった。
無言のまま手を引かれ、大広間の前室に通された。国王陛下、王妃殿下、そしてラファエル殿下に挨拶を済ませた。
「フランシスカ殿下はどうしたのかしら……?」
殿下からもらったドレスを見てもらいたかった。昼間の立太子の儀では、王女として立派にその務めを果たしたと聞いた。朝から儀式が続いているから、途中ご体調を崩されたのかも知れない。エレナは心配そうに本来彼女が立つ位置を見つめた。
やがて晩餐会の時刻となり、大広間へと移動した。頭上には巨大なシャンデリアがきらめき、王立楽団の奏でる荘厳な調べが広間を満たしている。エレナはアルベルトに導かれるまま、あらかじめ決められた席に着いた。その晩、供された食事も飲み物もすべて手の込んだものだった。仏頂面のアルベルトがパートナーでなければ、こんな素晴らしい夜会はないのにとエレナは思った。
晩餐の後は舞踏会だ。アルベルトは初めの一曲をエレナと踊ると、婚約者の義務は果たしたという顔でどこかに消えていった。おそらくアストルガ侯爵家としての挨拶周りが嫌だったのだろう。代わりにエレナが侯爵家を継ぐ者として、父・アストルガ侯爵と共に隣国の王族、賓客たちに挨拶をした。一通り挨拶を終えると、どっと疲れが出た。
「少し夜風に当たってきます」
父と別れたエレナは一人、テラスに立った。前の夜会の時は、フランシスカ殿下と二人でこのテラスに抜け出してたくさんおしゃべりをした。ボールルームのテラスからはいつもフランシスカ殿下とお茶をしている庭のガゼボが見える。
「……フランシスカ殿下が公式行事を欠席されるなんて珍しいわね」
「エレナ!」
男性の声が聞こえて振り返ると、金髪にスカイブルーの瞳がまぶしい王子様『ラファエル殿下』が立っていた。
「ラ、ラファエル殿下、どうかなさいましたか?」
エレナはびっくりし過ぎて、思わず貴族らしくない声をあげた。もちろんフランシスカ殿下と双子だから、ラファエル殿下とも面識はある。だが、ラファエル殿下は将来王位を継ぐ者として、フランシスカ殿下より公務が多く、学園も欠席することが多かった。決して、馴れ馴れしい関係ではない。
「やっぱり、声が違うと分からないかしら」
突然、女性言葉が出て、エレナははっとした。
「――もしかして、フランシスカ殿下ですか?」
「うふふ。びっくりしたでしょう。でもこれが本来のわたくしの姿よ。本当の名はフランシスコというの」
「フランシスカ殿下がフランシスコ殿下!? え、一体どういうことですか?」
「実はね……」
この国では過去二回、国家の存亡を揺るがす大規模な政変が起こった。そしてそのどちらも双子王子の権力争いに起因するものだった。それ以来、王家では男児の双子は不吉とされ、特に長子で生まれた場合には、片方を女性として育てる慣習が生まれた。
およそ二百年ぶりにラファエル殿下とフランシスコ殿下が双子として生まれ、王家で一週間話し合われた結果、前例に倣い、先に生まれたラファエルを王子、後に生まれたフランシスコを王女・フランシスカとして育てることになった。
「――本当に馬鹿馬鹿しいわよね」
あまりの事実に頭がついていかない。エレナは茫然とフランシスコ殿下を見つめた。
「そういえばエレナ、わたくしが贈ったドレスを着てくれたのね。すごく似合っているわ!」
「あ、あの! 声は……声はどうやって変えていたのです?」
「高い声が出せる薬を王宮薬師に作らせていたの。もういらないけどね」
声が変えられる薬なんてあるのか! 世の中知らないことばかりだと、エレナはますます困惑した。
「今日、兄上が立太子したでしょう。だからわたくしも王子としてお披露目されて、正式に公爵として臣籍に下ることが発表されるの。そうだ! エレナ! わたくしのファーストダンスをお願いしたいのだけど、よろしいかしら?」
「えっと? 私が殿下のファーストダンスなんて大役を承ってよろしいのですか? 他国の王侯貴族もたくさんいらっしゃっておりますが」
「わたくしはエレナがいいの。それにこれから『面白いもの』が見られるはずだから、まずは中に入りましょう」
「面白いもの……?」
「では、お手をどうぞ我が君」
跪きその手を差し伸べるフランシスコ殿下はまさに王子様で、エレナの心臓は激しく鼓動した。
エレナがフランシスコ殿下とボールルームに戻ると、アルベルトがエレナのことを待っていた。
「エレナ、どこに行っていたんだ!」
アルベルトこそどこに行っていたんだとエレナは思ったが黙っていた。
「――ラファエル殿下、すみません。俺の婚約者がご迷惑をおかけしました」
どうやらアルベルトも『フランシスコ殿下』を『ラファエル殿下』だと思っているらしい。本物のラファエル殿下は隣国の王子と窓際で歓談されているのに、視界に入っていないようだ。
「ガンディア公爵令息、心配はいらない。それよりも先程城内で不審者が捕まったそうだが、心当たりはないか?」
殿下が、ボールルームの扉を指さす。扉が半開きになっていた。振り返ったアルベルトがみるみる青ざめた。ピンクブロンドの女性が赤子を抱いて、近衛騎士に取り押さえられていたのだ。
「イサベル……?」
「アルベルト様!! あなたは二年前、子を身ごもったと言った私に、お前は浮気していた、だから自分の子ではないと言いましたね!」
彼女の声がボールルームに響いた。さっきまでにぎやかだった会場が静まり返った。
「近衛騎士よ、この者はかつて俺の気を引こうと、婚約者であるエレナに冤罪をかぶせた女だ。学園を退学し、貴族社会から身を引いたはずだ。祝いの席に不似合いだ。早く地下牢に放り込め」
アルベルトが冷たく言い放った。
「私はあなたに純潔を捧げました。あなた以外に関係を持った相手はいないと言ったはずです」
「お前のような嘘つき女の話、誰も信じない。実際、俺以外の令息と食事をし、観劇に行っていたのは事実だろう」
「――証拠ならありますわ」
彼女はその腕に抱いた赤子を見せた。赤い髪に、エメラルドの瞳、ガンディア公爵家の外見的特徴をよく引き継いだ子だった。
「くっ、どうして産んだんだ? 金は渡しただろう」
アルベルトは一瞬しまったという顔をした。エレナはそれを見逃さなかった。
「私にこの子を殺せと? 信じられない。あなたと結婚する気はありません。しかし、この子は間違いなくガンディア公爵家の血筋です」
「――アルベルト君、一体これはどういうことだ?」
エレナの父・アストルガ侯爵は今まで見せたことがないほど憎悪に満ちた顔を、アルベルトに向けた。アルベルトはすくみ上がった。ガンディア公爵が駆け寄ってきた。
「ま、待ってくれ」
「ガンディア公爵、さすがにこれは看過できない。結婚前に庶子をもうけた令息をうちの婿にはできない」
「あの貿易会社が解散になったら、君たちも困るだろう? それにあの香辛料は絶対に売れる。だからどうか考え直して欲しい」
「その心配はいらない。香辛料については、既に次の取引先が決まっている」
「い、いつのまに!」
「――それでは、アルベルト・ガンディア公爵令息とエレナ・アストルガ侯爵令嬢の婚約は破棄ということでよろしいかな」
フランシスコ殿下がニコリと微笑むと、アストルガ侯爵が答えた。
「これ以上ない明白な不貞行為だ。エレナ、なかなか準備が整わず、ここまで引き延ばしてしまって本当に申し訳なかった」
そして会場の貴族たちの間にざわめきが起こった。
「ガンディア公爵令息、最近は改心したと聞いたが」
「まさか隠し子までいたとは」
目の前の婚約破棄にざわめく一方で、一部の貴族はラファエル殿下が会場内に二人いることにも気づいた。
「え、窓際にもラファエル殿下がおられる」
「ラファエル殿下が二人?!」
「では、今お話しされたのは?」
アルベルトは青ざめたまま放心し、冷や汗を垂らしている。フランシスコ殿下が、パチンと手を叩き、ニコリと微笑んだ。
「イサベル嬢は興奮しているようだから、王城の応接間にお通ししろ。ガンディア公爵、ガンディア公爵令息、そこで、あの赤子について彼女とよく話し合うように」
近衛騎士につまみ出される形で、ガンディア家とイサベルは会場を後にした。
「――皆の者、とんだ余興が入って申し訳ない」
国王陛下は一瞬呆れたような視線をフランシスコ殿下に送ると、場を収めるように言った。
「今日は他に、皆に報告と謝りたいことがある。本来なら晩餐の席で皆に報告するはずだったのだが……。フランシスコ、前へ」
その名を呼ばれたフランシスコ殿下が、王の隣に立った。
「フランシスコは、今日立太子したラファエルの双子の『弟』だ。だが、王家にまつわる古い慣習で成人するまで王女・フランシスカとして育ててきた。今後は公爵として臣籍に下る予定だ」
会場が再びざわめいた。
「第二王子のフランシスコと申します。今宵、王子としてのお披露目の場をここに賜りました」
「王家の都合で、フランシスコにはつらい思いをさせてしまった。だから、結婚相手については本人の好きなように決めるように言っておる。今日のファーストダンスも」
会場にいた年頃の姫君、令嬢が静かに色めき立つ。だが、フランシスコ殿下はまっすぐスカイブルーのドレスを着た令嬢の元に向かった。
「ずっとあなただけを見ていました。エレナ、我がファーストダンスを君に」
「は、はい、よろこんで」
エレナは何が起こっているのか理解できず、しどろもどろに答えた。そのまますっと抱き寄せられるかのように、ダンスが始まった。
「エレナは語学が堪能で、一緒に領政に取り組んでくれる人がいいんでしょう? わたくしこそ適任だわ。それに公爵位と王領の一部をいただけることになっているの。エレナの領地とも隣接しているわ」
「いえ、でもフランシスコ殿下、そんないきなり過ぎて」
「ふふふ。そう言うと思った。これからわたくし、全力でエレナのことを口説きますから」
フランシスコ殿下は一曲踊り終わっても、エレナを離さなかった。
「まさかとは思いますけど、今までのことって殿下が……?」
「あら、何のことかしら?」
フランシスコ殿下がいつもと変わらない笑顔で小首を傾げた。――エレナは悟った。どうやら自分は、とんでもない王子様に目をつけられてしまったらしい。
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