第一話 ヘスス様と私
「ネレア、いるか?」
「ヘスス様!」
昼休み、王国の貴族子女が通う学園の私の教室に、婚約者のヘスス様がいらっしゃいました。ヘスス様は私よりもふたつ年上なので、勉強する教室が違うのです。
ヘスス様は王国の国境を守るエステバン辺境伯家のご令息です。
数年前に起こった魔獣の大暴走で現当主のお爺様以外のご家族を亡くされて、跡取りとして頑張っていらっしゃいます。年の近い遠縁の方もいらっしゃったのですが、その方は結婚関係でお爺様の不興を買って遠ざけられているという話です。
燃え上がる炎のような赤毛に煌めく琥珀の瞳、武術に秀でて頭の回転も速いヘスス様は、地味な外見で慌てると固まってしまう私には勿体ないほどの方です。
私はヘスス様の授業に必要な資料を手に、彼の立つ教室の入口へと駆け寄りました。
学園に入学してお忙しいヘスス様の学園の課題を手伝えるようになったのは、私にとってとても幸せなことでした。特に今はお爺様の辺境伯閣下の体調が悪く、辺境伯家のすべてがヘスス様の肩にかかっているような状態なのです。
「お待たせして申しわけございませんでした。こちらが図書館の蔵書から必要な情報を抜粋した資料となります」
「待たされてなどいないよ。いつもありがとう、ネレア」
「いえ、お役に立てたなら幸いです。……あの、昼食はどうなさるのですか?」
私が尋ねると、ヘスス様は困ったように頭をかきました。
「すまない、ネレア。生徒会のみんなと摂る約束をしているんだ」
「そうですか……」
「機会があったら、そのうちふたりで昼食を摂ろう」
「はい!」
私は資料を手にして去っていくヘスス様を見送りました。
慌てると固まってしまう私は、時間制限のある試験などでは良い成績を出すことが出来ません。
学園での試験では中央付近をウロウロしています。その代わり時間をかけて資料をまとめたり整理したりすることは得意でした。
ヘスス様はそんな私を認めてくださいました。
彼が辺境伯家の当主となったら、隣で支えて欲しいと言ってくださったのです。
ヘスス様は頭の回転の速い方ですが、魔獣の大暴走の多い辺境伯領では執務室に籠もりきりというわけにもいかないでしょう。
エステバン辺境伯家の武勇には、隣領の我が家ドミンゲス伯爵家も何度も救われてきました。
婚約する前から、伯爵領の魔獣の間引きに来られたヘスス様の凛々しいお姿を拝見させていただいていたのです。遠目からでしたが、陽光を浴びて煌めく赤い髪の美しさを今でも覚えています。
領民のために戦う彼の支えになれるのだと思うと、自分が誇らしく感じます。
「ネレアさん、一緒に昼食へ行かない?」
「ベアトリス様」
廊下の向こうにヘスス様の背中が消えるのを確認して振り向くと、フェルナンデス公爵家のご令嬢ベアトリス様がいらっしゃいました。
近衛騎士団長のご令嬢であるアナマリア様もいらっしゃいます。
「私も良くって?」
「ええ、もちろんです。でも……おふたりは生徒会の方々とお食事なさらなくてよろしいのですか?」
王族が在籍しているときは、その王族が会長を務めるのがこの学園の生徒会の慣例です。
今の生徒会長はヘスス様と同学年の王太子ハビエル殿下です。
ベアトリス様は王太子殿下の婚約者で、アナマリア様の婚約者は殿下の護衛騎士見習いのペドロ様です。私の言葉に、アナマリア様が苦笑を浮かべます。
「あら、貴女のほうこそ。エステバン辺境伯家のご令息も生徒会役員ではなくて?」
「私はとっさに気の利いた会話が出来ないので、ヘスス様はともかくほかの方々を退屈させてしまいますから」
「そうね、酒場の酌婦のような機嫌取りを期待されても困るわよね。昼食は気の合う方々と落ち着いて食べたいわ」
ベアトリス様が、少し険のある口調でおっしゃいます。
以前私達が生徒会の方々と一緒に昼食を摂ったときのことを思い出されたのでしょう。
学園に入学してすぐのころでした。私達三人はそのときに親しくなったのですが、その日の昼食の思い出自体は楽しいものではありません。
生徒会には平民の特待生のイディオタさんも属しています。ヘスス様や王太子殿下と同じ学年で同じ教室で学ばれている女性です。
彼女は私と違って頭の回転が速くて気の利いた会話の出来る方で、その日の昼食の席でも主役になっていました。
いいえ、主役の座については最初から求めてはいません。自分の力量はわかっています。
楽しい思い出でなくなったのは、イディオタさんがアナマリア様の婚約者と親し過ぎたからでした。
婚約者でもないのにペドロ様のお名前を呼び捨てにしたり、食事中だというのに抱き着いたりしているのをベアトリス様が窘めました。
でもそのベアトリス様を王太子殿下が咎めて──イディオタさんを見習って、だれからも好かれるように振る舞え、という言葉を口にされたのです。




