8話 嘘
アルバート坊っちゃまの命で、わたくしは夜会の準備に東奔西走していた。
シャンデリアの水晶は光を増し、銀器は鏡のように磨き上げられた。
わたくしが屋敷の誇りをかけて整えた会場に、ついに貴族たちが集まる。
華やかな音楽が流れる中、理想の花嫁像そのままの伯爵令嬢――エリザベスが姿を現した。
その瞬間、会場の視線が彼女に釘付けとなり、アルバート坊っちゃまは夢見るようにその手を取る。
「ようこそ、エリザベス嬢。お待ちしておりました」
完璧な舞踏会の幕開け――のはずだった。
あちらこちらで歓談に花が咲きはじめたころ、
突如、ワイングラスが倒れた。
振り向くと、赤い液体がエリザベスのドレスに飛び散った後だった。
とある赤毛の令嬢が「まあ、ごめんなさい」と声を上げる。しかし、その目は明らかに嘲笑を含んでいた。
(毎度毎度、低俗で、なんて卑怯なやり口……。)
わたくしは、心の中でため息をついた。
会場がざわめく。
アルバートは怒りを押し殺しつつ、エリザベスを気遣おうとしたが、彼女の顔は真っ青だった。
わたくしは即座に前に出て、令嬢を抱えるように会場の外へ連れ出した。
背後から、坊っちゃまの視線が突き刺さる。
「……メアリー。彼女を頼んだぞ」
その言葉に、わたくしの胸は妙な痛みを覚えた。
◆
控室で、わたくしは強引にエリザベスのドレスを脱がせた。
だがその下から現れたのは、麗しい令嬢の肌ではなく――しっかりとした男性の胸板。
「……エドワード様、大丈夫でしたか?」
「メアリー、また迷惑をかけてすまない」
秘密を共有する者同士の視線が交わる。
その瞬間、控室の扉が勢いよく開いた。
「エリザベス嬢! メアリー!」
アルバート坊っちゃまが立っていた。
視線はまずドレス姿のまま困惑するエドワードへ、そして彼を庇うように立つわたくしへと移る。
「……なぜ、そんなに親密なんだ?」
その声音には、疑念と苛立ちが入り混じっていた。
「坊っちゃま、これは――」
「説明してもらおうか、メアリー。おまえは彼女の侍女ではなく、私のメイド頭のはずだ」
エドワードが口を開きかけたが、わたくしは手で制した。
彼の秘密を守るため、わたくしが矢面に立つしかない。
「ドレスが汚れ、急ぎ着替えを……ただそれだけでございます」
「それだけ? ――いや、違うな」
アルバートの視線は鋭くなる。
いつもの冷静さではなく、感情に突き動かされているようだった。
「最近のおまえは妙だ。彼女といるときだけ、表情が柔らかい……私には向けたことのない顔で」
その言葉に、わたくしの頬は熱を帯びる。
エドワードも思わずわたくしを見た。
「メアリーは……わたくしにとって、大切な人です」
静かながらも力強い声。
エドワードがそう言った瞬間、アルバートの表情が一変した。
「……大切、だと?」
長い沈黙ののち、彼は苦笑のようなものを浮かべる。
しかしその目は怒りに燃えていた。
「面白い。ならば見極めさせてもらおう。――メアリー、おまえが忠誠を誓うのは誰だ?」
控室の空気が凍りついた。
エドワードの秘密を抱えたわたくし、理想の令嬢と信じ込むアルバート、そして当の本人。
三者の想いが一気に交錯し、夜会は修羅場と化したのであった。