6話 道のりは遠く
エリザベス――いや、エドワードの秘密を知ってしまったその日以来、わたくしの生活はひときわ慌ただしくなった。
毎朝の紅茶の準備、客間の掃除、銀器の磨きに加えて、彼の秘密を守るための知恵を絞る仕事が増えたからである。
世話焼きメイド頭などと呼ばれ、日々使用人たちに睨みをきかせていたわたくしが、まさか「ご令嬢の秘密」を抱えることになるとは……。
しかも困ったことに、この秘密を共有した途端、彼――エドワードはまるで懐いた子猫のように、何かとわたくしのもとへやってくるのである。
「メアリーさん、今日もお元気そうで」
「仕事中です。お下がりなさいませ」
「そんな冷たく……。誰もいないときくらい、名で呼んでくださっても」
「……なにをおっしゃいますか!」
赤らんだ頬をメガネの奥に隠し、鋭い視線で睨み返す。だが彼はにこりと笑い、肩をすくめるばかり。
どうにもこの若造、腹黒ぼっちゃまと同じ種類の困った輩である。
もっとも、彼が心を開いて語ることは悪意あるものではなかった。
幼い頃から令嬢の装いを強いられ、舞踏や礼儀作法を叩き込まれたこと。
母を早くに亡くし、父の期待を一身に背負ってきたこと。
「伯爵令嬢」として完璧でなければならぬ人生が、どれほど息苦しかったか。
その言葉に、わたくしはつい身を乗り出してしまった。
「だからといって、男であることを偽るなど!」
「父上の望みなのです。――でも、あなたに知られて少しだけ楽になった」
ふいに見せる年相応の笑顔に、わたくしの頬はまたもや熱を帯びる。
いけない。わたくしはおばさんメイド頭。彼にとっては「師匠」であり、相談相手であればそれで十分のはず。
それなのに。
ある日の午後。
裏庭で洗濯物を干していたわたくしの背後に、突然ヴァイオリンの音色が流れた。
振り返れば、エドワードが優雅に弓を走らせている。
「驚かせてしまいましたか?」
「……お坊ちゃまのお稽古を横取りして、なにをなさるのです」
「若いメイドに聞きました。あなたが前に“人を感動させるとはこういうことです”と仰ったのでしょう? 私も試してみたのです」
その音色は拙いが、まっすぐで、どこか胸に迫るものがあった。
わたくしの心の奥で、忘れかけていた記憶――馬に蹴られる前の“家政婦時代のわたし”が、そっと顔を出す。
(いけません、感傷など! これはあくまでメアリーの日頃の行いのたまもの。わたくしは彼の秘密の共有者で……)
それでも、二人の間に生まれた秘密の絆は日ごとに強まり、自然と距離も近づいていった。
そして、その様子を、当のアルバート坊っちゃまが鋭い目で見ていたことに……。
わたくしはまだ気づいていなかった。