58話 海辺に消えた影
ヘンリーの屋敷に着いたとき、朝の霧がまだ白く漂っていた。
門の前には馬の姿もなく、出払っているのか使用人の影すら見えない。まるで、時間が止まったような静寂があたりを包んでいた。
メアリーは緊張に指を震わせながら扉を押す。
「……誰もいないのね」
彼女の声は、冷たい空気の中に吸い込まれていった。
「そのようだ」
アルバートがランプを掲げながら廊下を進み、書斎の机の上に封筒を見つける。
封蝋には、確かにヘンリー家の紋章が押されていた。
アルバートが静かに封を切り、読み上げた。
> “親愛なるメアリーへ。
> 私は、君に許されぬ罪を犯した。
> このままでは、君をまた炎に巻き込んでしまう。
> だから――私を探さないでほしい。
> どうか、君だけは生きて、笑っていてくれ。”
ペンの跡は乱れ、最後の行は涙のようににじんでいた。
メアリーは唇を噛み、視線を落とした。
「……ヘンリー……」
アルバートは机の下にもう一枚、小さな紙切れを見つける。
そこには 『ウェストポート』 の名と、船の名前が記されていた。
「港へ行こう」
アルバートの声は低く、決意に満ちていた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、二人は港町ウェストポートに到着した。
潮の香りが風に混じり、カモメが不吉に鳴いている。
埠頭では船員たちが慌ただしく荷を運び、出航の準備をしていた。
メアリーは人々の顔を一人ひとり確かめながら、焦燥の声を漏らす。
「……どこなの、ヘンリー……」
その時、近くの船員たちの話し声が耳に入った。
「おい、今朝見つかったって噂、本当か?」
「らしいぜ。港の外れで、貴族らしい男の死体が上がったんだと」
「財布も指輪もあった。争った形跡はないが……顔が、ひどく穏やかだったってさ」
メアリーの心臓が跳ねた。
思わず足が止まり、青ざめた顔でアルバートを見上げる。
「アルバート様……まさか……」
アルバートはメアリーの肩を抱き寄せるようにし、低く言った。
「まだ決まったわけじゃない。――確認しよう」
波の音が遠くで荒々しく響く。
足元に潮が打ち寄せ、二人の影をかすめていった。
それでもメアリーは、一歩、また一歩と港の奥へ進む。
まるで何かに導かれるように――。
彼女の胸の奥で、祈りと恐れが入り混じった。
“お願い……どうか、違う人であって――”




