49話 理想という呪い
アルバートが成長し、立派な青年紳士になった頃。
社交界では「ハミルトン家の若き当主は、なぜまだ独身なのか?」と噂が絶えなかった。
家柄も地位も申し分なく、容姿は絵画の王子のよう。
けれど、いくら紹介されても、誰ひとりとして彼の心を動かす女性はいなかった。
──彼自身、理由をわかっていなかった。
優雅な笑みを浮かべる貴族の令嬢たち。
完璧なドレス、香水の香り、上品な話し方。
それなのに、どうしても胸が高鳴らない。
まるで、すべてが「作られた淑女」に見えてしまう。
「アルバートは、どんな女性が理想なんだ?」
親しい友人にそう問われ、彼はしばし沈黙した。
そして、ふと口をついて出たのは――。
「……強くて、聡明で、誰かのために動ける人だ。
でも時々、紅茶を淹れながら小さく鼻歌をうたうような……そんな女性がいい」
友人は冗談めかして笑った。
「紅茶を淹れる……それって、まるでメイドのようじゃないか」
アルバートの胸が、ドクンと鳴った。
そう――それは、幼い頃から傍にいたメアリーそのものだった。
厳しく、几帳面で、誰よりも働き者。
叱られても、教えられても、不思議と温かさを感じた。
泥だらけの靴を見て呆れながらも、最後には笑ってくれたあの人。
気づけば、どんな令嬢を前にしても、メアリーと比べてしまう。
彼女の静かな笑顔、優雅な所作、時折の皮肉混じりの言葉――
その一つ一つが、自分の中で「理想の女性」の形を作っていたのだ。
「……なるほど。君が結婚できない理由は、それだな」
友人は笑いながら言ったが、アルバートの表情は曇ったままだった。
「馬鹿げている……。メイドに理想を重ねるなど」
だが夜、執務室で紅茶を淹れるメアリーの後ろ姿を見つめながら、
彼は静かに息を飲んだ。
小さな灯りの下、彼女の横顔は、まるで月明かりの湖ように穏やかで――美しい。
そう、どんな貴族の令嬢よりも、美しく見えたのだった。
(……どうして、私は)
紅茶の香りが胸を刺す。
気づけば彼の指先は、幼い頃にもらったハンカチをそっと握りしめていた。
それは、あの日泣きじゃくった彼に、メアリーが差し出したもの。
“泣くのはお坊っちゃまの仕事じゃありません。
立派になって、私を驚かせてくださいな。”
――その言葉こそ、アルバートを縛る呪いであり、
同時に彼を熱くさせる炎でもあった。




