35話 昔の思い出
艶やかな黒髪、意思の強そうな眼差し。
少し笑うと、八重歯がチラリとこぼれ、一気に親しみやすい顔になる。
「……やはり君か。メアリー」
その声に、メアリーの心臓が一瞬止まる。
「……ヘンリー様?」
振り返った彼女の瞳に、懐かしい人影が映った。
ヘンリーは、かつて隣領に住んでいた若き貴族の御曹司だった。
メアリーが少女だった頃、しばしば共に遊び、庭でかくれんぼをしたり、音楽を聴かせ合ったりした――淡く甘い思い出の相手。
「変わらないな、君は。ヴァイオリンを弾く姿を見て、すぐにわかった」
「……いいえ。私はもう、ただのメイド頭です」
「いや、あの頃と同じだ。君の音色には、あの夏の陽だまりのような温かさがある」
メアリーは思わず微笑んでしまった。
「そんなことを言われると、困ってしまいますわ」
「困らせたいんだ。……あの時、寄宿学校へいく前日。何も言えずに別れた自分を、ずっと悔やんでいた」
二人の会話は、自然と幼い日々の記憶へと流れていった。
共に走り回った森の小道、星空を眺めた夜、そして――まだ幼すぎて伝えられなかった気持ち。
久方ぶりの語らいに、メアリーの胸の奥で、懐かしさと温もりがじんわりと広がっていった。
その夜は、それ以上深い話をすることなく別れた。
だが、数日後。
メアリーのもとへ、丁寧な封蝋の施された一通の手紙が届けられた。
差出人は――ヘンリー。
「親愛なるメアリーへ。
もしよければ、次の休日にお茶をご一緒していただけませんか。
久しく会えなかった年月を、ゆっくりと埋め合わせたいのです」
メアリーは手紙を握りしめ、しばし動けなかった。
胸の奥がざわめき、かつての自分と、今の自分が交錯する。
「……どうすればいいのかしら」
その問いは、誰に向けられるものでもなく、彼女の心の中に沈んでいった




