30話 別れ
メアリーは夜通し眠れなかった。
机の上には、アルバートから届いた手紙と、看病中に使った薬瓶や包帯が並んでいる。
心は二つの方向に引き裂かれ、答えを出すのを拒んでいた。
けれど、朝日が差し込むころには決心が固まっていた。
「……私は、屋敷に戻ります」
そう小さくつぶやき、胸に手を当てる。
あの手紙の言葉が、どうしても頭から離れなかった。
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別れを告げるため、メアリーは応接室に向かった。
エドワードはもう旅支度を整えており、黒い外套に身を包んでいた。
傷跡の残る頬が、朝の光に浮かび上がる。
「……もう動いても大丈夫なのですか?」
「医者が許した。相変わらず心配性だね、君は」
エドワードは柔らかな笑みを浮かべたが、その瞳にはどこか諦めの影が宿っていた。
「エドワード様……」
メアリーは両手を胸の前で組み、深く頭を下げる。
「これまでのこと……私を守ってくださったこと、本当に感謝しています」
「感謝、か」
彼は一歩、彼女に近づいた。
「君は、責任をとると言ったな。あれは本心だったのかな?」
メアリーの唇が震える。
「……私には、まだ気持ちの整理がついていません。けれど、私はやはり――あの屋敷に戻るべきだと思うのです」
沈黙。
やがて、エドワードは深く息を吐き、軽く笑った。
「なるほど。やはり、君の心はすでに決まっているようだね」
「そんなことは……」
「いいんだ、メアリー」
彼はそっと彼女の手をとり、唇を触れさせる。
「君が幸せでいてくれるなら、それでいい。俺は――遠くからでも、君を守る」
メアリーの胸が熱くなる。
声を返そうとした時、外で馬車の音が響いた。
アルバートが差し向けた迎えだった。
エドワードは窓の外を見やり、穏やかな声で言った。
「行きなさい。あいつを、あまり待たせないで」
「エドワード様は?」
「私はもともと社交界に興味はないんだ。この傷のことを話したら、ようやく父が領地に戻ってこいと言ってくれたよ。だから、あちらでのんびりすごす」
「そうだったのですね。寂しくなります……」
「本当にそう思ってくれてる?」
エドワードが軽い調子で聞いてくる。
「もちろんです」
「よかった。いつか私の領地に遊びに来てよ。きっと、君も気に入ると思うからさ」
「はい……」
メアリーは涙をこらえ、深々と一礼し、扉を後にした。
背後で聞こえたエドワードの小さな呟きは、彼女の耳には届かなかった。
――アルバートに嫌気がしたら、私のところに戻っておいで。




