20話 三角関係
翌朝、メアリーはまだ少し疲れの残る体を押して台所に立っていた。
包丁を握りながら、ふと昨日の出来事を思い出す。
馬車の中で自分をかばったアルバート様の腕の温もり。
——思い出すたび、胸の奥が熱を帯びる。
(いけない……わたしは、ただのメイド頭。主を意識するなんて)
必死に気を引き締め、刻んだ野菜を鍋に入れる。
そんな彼女の背後に、若手メイドの一人が駆け込んできた。
「メアリーさん! お客様です、正門に——あの、エドワード様が」
「……っ!」
鍋の湯気が視界を曇らせる。
なぜ、こんな朝早くに?
急ぎ足で庭に出ると、そこには変装もせず立つエドワードの姿。
昨日の市場での騒動も意に介さず、彼は柔らかな笑みを浮かべた。
「おはよう、メアリー。具合はもう大丈夫かい?」
「……どうして、ここに?」
声をひそめ、周囲を見回す。だが、すでに門番が訝しげにこちらを見ていた。
エドワードは一歩近づき、低く囁いた。
「君に話があった。アルバート殿に隠しているわけにはいかないが……どうしても、君にだけ伝えたいことがある」
その言葉に、メアリーの胸がざわつく。
彼の視線は真剣で、軽い戯れではないとすぐにわかる。
しかし、その瞬間。
屋敷の扉が重々しく開いた。
「……またお前か、エドワード」
冷たい声。姿を現したのはアルバートだった。
その瞳には、抑えきれぬ怒りと嫉妬が宿っている。
「メアリー、下がれ」
鋭い命令口調。
けれどメアリーは、胸が締めつけられるような思いで二人の間に立った。
「待ってください! 私に非があるのです。……どうか、エドワード様にまで咎を与えないでください」
アルバートは彼女を一瞥し、さらに険しい表情になる。
「——お前は、なぜそこまでこの男を庇う」
問い詰めるその声に、メアリーの鼓動は高鳴る。
エドワードの瞳もまた、逃げ場を与えてくれなかった。
その瞬間、屋敷の均衡は大きく揺らぎ始めたのだった。