15話 熱にうなされて
メアリーの部屋は薄暗く、油ランプが小さな明かりを揺らしていた。
寝台の上では、細い身体を汗に濡らしたメアリーが、浅い呼吸を繰り返している。額には濡れ布巾が置かれていたが、すぐに熱で乾いてしまう。
アルバートは椅子に腰をかけ、黙って彼女の枕元に座っていた。
彼の視線は書類や数字ではなく、ただ彼女の顔に注がれている。
普段は神経質な眼鏡越しの鋭い視線を光らせるメアリーが、こんなにも弱々しく見えるのは初めてだった。
「……旦那さま……お許しを……」
か細い声がもれた。
アルバートは眉を寄せる。
メアリーの唇は震え、夢の中で誰かにすがるように言葉を紡いでいた。
「どうか……解雇だけは……」
その言葉に、アルバートの心臓が強く打つ。
「私がいなければ……もう居場所は……ああ……路頭に……」
彼女の夢はさらに暗い情景へと沈んでいく。
街角に膝を抱える自分の姿。皺だらけになった顔。ボサボサの白髪。誰にも顧みられず、ひとり冷たい石畳に倒れる。
――ここで死ぬのなら、まだ現代の独身四十代でいた方がマシだ!
――仕事さえ選ばなければ、生きてはいけるのにぃ!!
寝言とは思えぬほど切実な声に、アルバートの胸は締めつけられた。
何を見ているのか彼にはわからない。けれど、彼女が心の奥底で「捨てられる恐怖」に苛まれているのは伝わってきた。
「……馬鹿な女だ」
小さく吐き捨てながらも、アルバートは布巾を取り替え、優しく額を拭う。
その手は、普段の冷徹な仕草とは違い、驚くほど丁寧だった。
「おまえが路頭に迷う? そんなこと、させるものか」
言葉は声にならず、ただ胸の奥で囁かれる。
彼自身も、その感情が「主人としての責務」なのか、「一人の男の想い」なのか、もはや区別できなかった。
ランプの炎が小さく揺れ、静かな夜は更けていく。
熱に浮かされながらも、メアリーはわずかに安堵の吐息を漏らし、眠りに沈んだ。
アルバートは、その横顔を見つめながら、もう後戻りのできない思いに気づき始めていた。