表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

ep.6 想像以上の君と未来へ

 彼女がそこにいたことに、何の違和感もなかった。

 あの日、夏が終わると同時に消えてしまったはずのエリが、再び僕の前に現れても、僕の中には“おかしい”という感覚は生まれなかった。むしろ、「ようやく帰ってきたんだ」と、深く納得していた。


 あの駅前の喫茶店『エトワール』で、エリは紅茶のカップを両手で包み込みながら、にこりと微笑んだ。


「来てくれるって、信じてたよ」


「……ほんとに、戻ってきたんだな」


 僕はテーブルの向こうで、ずっと夢に見た存在がそこにあることを、何度もまばたきをして確かめていた。


 白いワンピース。紅茶の香り。窓から差し込む光の中で揺れる髪。

 すべてが、完璧に“彼女らしい”ままで、そこにあった。


「戻ってきたっていうより……陽人くんが、“迎えに来てくれた”んだよ」


「……え?」


「私の物語は、夏で終わりだった。でも、君が続きを書いてくれた。だから私は、ここにいることができる」


 エリの言葉は穏やかで、それでいて、どこか張り詰めた緊張を帯びていた。

 僕が書いた物語——それが、彼女をこの現実に再び繋ぎとめている。

 けれどそれは同時に、不安定な存在の証明でもあった。


「じゃあ、僕が書き続けなきゃ……エリは、また……」


「ううん。もう、大丈夫だよ」


 エリはそっとカップを置き、僕の目をまっすぐに見つめて言った。


「今の私は、空想じゃなくて“記憶”だから」


「……記憶?」


「そう。陽人くんが私との夏を、ちゃんと“生きた”ことで、私はもう君の心の中に宿ったの。空想から、現実の思い出に変わった」


 まるで詩みたいなセリフだった。

 だけど、不思議と納得できた。

 僕が思い出し、求め、再びエリと向き合いたいと願ったことで、彼女は“物語”ではなく、“想い出”としてこの世界に再構築された。


 その証拠に、エリの姿は前と少しだけ違っていた。


 指先のぬくもりが、より現実的だった。

 言葉に躊躇いがあって、少し考え込むことも増えた。

 完璧すぎる理想ではなくなっていた。


 それが、たまらなく愛しかった。



 それから数日間、僕とエリは毎日一緒に過ごした。

 夏が過ぎたあとの静かな秋の季節。

 カフェでホットココアを飲んだり、図書室で勉強したり、放課後の空を見上げたり。どれもこれも、何気ない時間だった。


 でも、だからこそ、僕は強く実感していた。


 「エリはもう、僕の空想じゃない」って。


「ねぇ、陽人くん」


 ある日の帰り道、エリが小さく言った。


「私ね、怖いんだ」


「……え?」


「陽人くんがいつか、私を“思い出の中に閉じ込めてしまう”んじゃないかって」


 エリの横顔は、どこまでも切なく、そして静かだった。


「それって、つまり——“忘れられる”ってこと?」


「……ううん、忘れられるよりも、もっと残酷だと思う。思い出として大事にしまわれて、もう手を触れられない場所に私が置かれたら、私は“生きた実感”を失っちゃう」


「……」


「だから私は、ちゃんと“今”を生きたい。思い出の中じゃなくて、陽人くんと、同じ時間を……」


 その言葉を聞いて、僕は決めた。


 エリを、ただの記憶にしない。

 この現実の中で、一緒に歩んでいく方法を探す。


 空想が現実に変わったように。

 思い出が生きた存在になったように。


 この先も——エリと一緒に、“未来”をつくる。



 文化祭が近づいてきた。

 僕たちのクラスは喫茶店を出すことになり、準備で連日バタバタしていた。


 エリもその輪の中にいた。

 誰にも気づかれない、けれど確かに“そこにいる”存在として。


 クラスメイトにとっては、彼女は見えない。名前も知らない。

 でも、僕にだけは、ちゃんと見えていた。


 そして、文化祭当日。


「いらっしゃいませ〜!」


 教室の入り口でエリが元気よく声を張る。

 実際には彼女の声は誰にも届かない。

 けれど、僕の目には、クラスで一番輝いている彼女の姿が見えていた。


「陽人くん、メニュー持ってきたよ!」


「ありがとう」


 差し出された手が触れたとき、僕は思う。


 この感触を、ぬくもりを、記憶に留めるだけじゃなくて——ずっとこの先も、共に感じていきたいって。



 文化祭が終わった夜、校舎の屋上で、僕とエリは並んで夜空を見上げていた。

 秋の風が冷たくて、でも気持ちよかった。


「陽人くん。……ねぇ、私、願ってもいい?」


「なんでも言って」


「君と、未来の話がしたい」


 僕は横を見る。エリはまっすぐに僕を見ていた。


「夢でも妄想でもなく、“私たちの現実”として、未来のことを考えたい。ふたりで、春を迎える話をしたい。桜の下を歩いたり、大学に進んだり、バイトをしたり、喧嘩をしたり、笑ったり……そういう全部を、君としたい」


「……したい。僕も、したいよ、エリ」


 そう言ったとき、エリは少しだけ泣いていた。

 けれど、それは絶望の涙ではなかった。


「ありがとう、陽人くん。……やっと、私は“未来を望んでいい”って思えた」


 彼女の指が、僕の手を強く握った。


 思い出になりたくない。

 物語で終わりたくない。

 空想だった自分を越えて、“誰かの隣にいる存在”として、生きたい——


 彼女のその願いが、確かに僕の心に届いていた。



 冬の足音が近づく頃、僕は新しいノートを開いた。

 そこにはもう、“設定”なんてなかった。


 書き始める言葉は、こうだった。


 「これは、空想でも、思い出でもない。僕とエリの、“これから”の記録だ」


 そして、僕たちは——一歩を踏み出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ