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ep.4 夏を盗む君の手

 七月の空は、まるでフィルムカメラで撮ったみたいな青だった。


 蝉の声が耳に張りつくように響いていて、でもその喧しさすら心地よいと思えるほど、僕は今、何もかもが特別に感じていた。


 エリが隣にいるだけで、世界の温度が少し上がる。

 そんな感覚を知ったのは、この夏がはじめてだった。


 高校生活最後の夏休み。

 いつもなら部屋にこもってゲームして、アイス食べて、スマホをだらだら眺めて、気づいたら8月が終わってる——そんな予定だった。


 だけど、今年は違う。

 僕の隣には、菰野エリがいる。

 空想じゃない。本当に、いるんだ。



「陽人くん、こっちこっちー!」


 海だ。

 青春イベントの定番中の定番。

 僕たちは、クラスの有志グループで海水浴に来ていた。


 なんかもう、すごく漫画っぽい展開だなって自分でも思う。


 だって、あのクラスでいっつもぼっちだった僕が、まさか海で水着の女の子たちとキャッキャしてるなんて……信じられない。


 ……いや、正確には「女の子たち」じゃない。「エリ」だけだ。

 他の女子は完全にグループで固まってて、僕はあくまで“エリの付き添い”として連れてこられた扱いだった。むしろ、気まずいレベルで。


 それでも、彼女は僕だけを見て笑ってくれる。


「見て見て! 陽人くん! カニがいる!」


「お、おう。……すごいな、ちっちゃいけど……」


「カニって、なんで横に歩くんだろ。照れ屋さんなのかなぁ」


「その発想はなかったな」


 エリは真剣な顔でカニを見つめていた。

 その横顔が、光を跳ね返してやけに綺麗で、僕はなぜか直視できなかった。


 まるで、今この瞬間をずっと見つめてしまったら、それが終わりを迎えてしまうような——そんな気がして。


「陽人くん」


「ん?」


「いつか……この夏、思い出してくれる?」


「なんだよ、いきなり」


「ううん、なんでもない。……ただ、ちゃんと覚えててほしいなって」


 エリの声が、波の音にかき消されそうだった。

 でも、ちゃんと届いた。胸の奥に、ぎゅっと刺さるように。


「覚えてるよ。全部。ぜんぶ、忘れない」


 そう言った僕の声も、どこか震えていた。



 それから数日後。

 僕たちは、地元の夏祭りに行った。


 屋台の焼きそば、射的、金魚すくい、りんご飴。

 何もかもが、定番すぎて笑えるくらい“ザ・夏”って感じだったけど、エリは全部を初めてみたいに楽しんでいた。


「わあ……! 見て見て、綿あめって本当にふわふわなんだね!」


「……初めて食べたの?」


「うん。夢の中じゃ味がしなかったから」


「……そっか」


 エリは、やっぱり現実じゃないのかもしれない。

 でも、こうして一緒に歩いて、一緒に笑って、手が触れて、ドキドキして——それが、確かに“現実”だった。


 僕は、エリの手をそっと握った。


「えっ……」


「こっち、迷わないように。人混みだし」


 誤魔化すように言ったけど、僕の顔はたぶん真っ赤だった。

 エリも驚いたように目を見開いて、でもすぐに笑った。


「……うん。ありがとう、陽人くん」


 手のひらの中で、彼女の指がきゅっと絡んでくる。

 そのぬくもりが、なんとも言えないほど愛しかった。


 夜空に、花火が咲いた。

 ドン、と音がして、鮮やかな色が空に広がる。


 僕たちは見上げたまま、何も言わなかった。

 でも、心は確かに、同じものを見ていた。


 このまま、時が止まってくれたらいいのに。

 本気でそう思った。



 八月の終わりが近づくと、エリの様子が少しずつ変わっていった。


 元気がないわけじゃない。笑っているし、変わらず僕に話しかけてくれる。

 でも、どこか、深く考え込む時間が増えた。


 ある日の放課後、僕たちは人気のない図書室の隅に座っていた。


「ねぇ、陽人くん。もし、私がいなくなったら、どうする?」


「……またそれか」


「ごめん。でも、聞かせてほしい」


「……」


 僕は、しばらく黙った。

 言葉を選びたかった。でも、何を言っても嘘になる気がした。


「……嫌だよ。エリがいなくなるなんて。そんなの、考えたくない」


「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい」


「でも、どうしてそんなこと言うんだよ。……まさか、本当に——」


「……もうすぐ、帰らなきゃいけないの」


「え?」


「私の“存在期限”が近づいてる。陽人が描かなかった未来に、私は立ち入れない。だから、夏が終わるとき、私は——」


 ——消える。

 その言葉を聞く前に、僕は立ち上がっていた。


「嘘だろ……だって、あんなに……一緒に……!」


「陽人」


 エリは、そっと僕の手を取った。

 夏祭りのときと同じ手。あったかくて、柔らかくて、僕の好きな手。


「私はね、消えることを悲しく思ってないよ。だって、陽人と出会えたから」


「それでも、僕は——」


「でも、陽人が私を忘れたとき、本当に私は消えてしまうの」


 エリの瞳は、涙を湛えていた。

 でも、その涙をこぼすことはなかった。


「だから、最後のお願い。……私との思い出を、ちゃんと覚えてて」


 僕は、強くうなずいた。

 何があっても、この夏のすべてを忘れないと、誓った。



 八月三十一日。


 夏休み最終日。

 僕たちは、丘の上の公園にいた。風が涼しくなり始めていた。


 エリは、白いワンピースを着ていた。

 ノートの中で、僕が一番好きな服装として描いたもの。


「今日で、終わりなんだね」


「……終わらせないよ」


「ふふ、強がりだ」


「強がりでもいい。……エリ、僕は、君が好きだ」


 その言葉に、エリは驚いた顔をして、それからゆっくりと微笑んだ。


「私も、陽人が大好き。ずっと、ずっと」


 そして、彼女はそっと目を閉じた。


「さよなら、陽人くん」


 風が吹いた。

 その瞬間、彼女の姿は、淡く光って——


 ……僕の腕の中から、消えた。



 九月。


 新学期が始まっても、誰も“菰野エリ”のことを覚えていなかった。

 先生も、クラスメイトも、学校の記録にも名前はなかった。


 でも——僕だけは、覚えている。


 あの夏の光。

 彼女の笑い声。

 繋いだ手のぬくもり。

 見上げた花火の空。


 全部が、僕の中にある。


 そして今、僕は、もう一度ノートを開く。


 そこに、新しい一文を書き加える。


 「エリは、僕の心の中で生き続ける」

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