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Last.ep 君をこの世界へ

 夜、夢を見た。


 湖のほとり。朝靄が立ちこめるなか、桟橋の先に、ひとりの女の子が立っていた。

 ピンク色のレインコート。黒髪のボブカット。

 傘をささず、ただそこに立って、僕を見ていた。


 「……エリ」


 名前を呼ぶと、彼女は笑った。懐かしくて、どこか新しい笑顔だった。

 僕はゆっくりと彼女に近づく。夢の中なのに、足音がやけにリアルに響いた。


 「陽人くん。……ちゃんと、歩いてたね」


 「君がいなくなってから、少しずつだけど、歩いたよ」


 「うん。知ってるよ。……ずっと見てた。君が、他の誰かと、物語を作るところ」


 その声は、風に混じって優しく届いてきた。


 「僕、君を……ずっと“手放せなかった”んだ。忘れようとして、でも忘れられなくて。

 でも……もう、大丈夫かもしれない。今は、ちゃんと“ここ”に立ってる気がする」


 エリは首を横に振った。


 「ちがうよ、陽人くん。

 忘れるんじゃない。“残す”の。

 私がいたことも、あなたが空想してたことも、全部。

 それは“なかったこと”じゃなくて、“あったこと”なんだから」


 そう言って、彼女は空を仰いだ。


 「私は、君がくれた“想像力”で生まれた。

 でも今は——君が他の誰かと作る“現実”の中に、生きてる」


 目がにじんで、言葉が詰まった。

 どうして夢の中なのに、こんなに涙が出るんだろう。


 「ねえ、最後にお願いがあるの」


 「なに?」


 エリは、まっすぐ僕を見た。


 「私のことを、誰かに話して。……架空の誰かじゃなくて、“君が出会った誰か”として」


 「……それって、物語にするってこと?」


 「ううん。そうじゃない。

 君の言葉で、誰かに伝えて。……私が、確かにここにいたこと。

 空想だったけど、本当に好きだったこと。

 そして、ちゃんと手放せたことを」


 僕は、ゆっくりとうなずいた。

 もう、迷いはなかった。


 「わかった。……君を、この世界に連れて行く」


 エリは少し驚いたように目を見開き、そして笑った。


 「うん。それが、私のいちばんの夢だったんだ」


 その瞬間、朝靄が晴れていく。

 光が、ゆっくりと湖面に差し込み、あたりが淡い金色に染まっていく。

 エリの姿は、光に溶けるように薄れていった。


 「ありがとう、陽人くん」


 その声を最後に、僕は目を覚ました。



 翌朝、ノートを開いて、一気に書き上げた。

 エリとの出会い、雨の中での告白、消えていった日。

 そこにあった孤独と、温もりと、別れ。

 そして、ユカリと歩き始めた“その後”のこと。


 それはもう、空想じゃなかった。

 確かに僕が歩いてきた道であり、誰かに読まれるべき“物語”だった。



 数週間後、大学の図書室にその短編は並んだ。

 「空想のエリ」というタイトルで、A5判の手製冊子。

 小さな印刷所に頼んで、50部だけ刷ってもらった。


 その日も、ユカリは隣にいた。


 「これが、君の“お別れ”?」


 彼女は、穏やかにそう尋ねた。


 「ううん。“ありがとう”の方かな」


 そう答えると、ユカリは静かに笑って、「じゃあ、私もありがとう」と返してくれた。


 僕たちは、図書室の棚の前に立ち尽くす。


 エリがいた世界。

 そしてもう、いない世界。

 でも、確かにその両方が、今の僕をつくっている。


 さようなら、空想の君。

 ようこそ、現実の誰か。


 僕の物語は、ようやく今——ここから始まる。


──安曇陽人


はじめまして。あるいは、こんにちは。


この物語を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

僕は、ただの大学生です。少しだけ妄想癖があって、人混みが苦手で、本当の気持ちを口にするのが少し遅い人間です。


そんな僕が、ある日、空想の中で「君」と出会いました。


名前は、菰野エリ。

雨の日に、傘もささずに立っていた女の子。

最初はほんの落書きのような存在だったはずの彼女が、いつのまにか僕の中で息をし始め、言葉を持ち、笑って、泣いて、消えていきました。


エリは僕の空想です。

でも、たとえ現実には存在しなくても、確かに“誰かを好きになる”気持ちは、本物でした。


この物語は、そんな「空想の彼女」との記録です。


そしてもうひとつ——

彼女がいなくなったあとの、僕自身の記録でもあります。


誰かを思い描いて、言葉にすること。

誰かと一緒に何かを作ること。

それは、僕が想像していたよりもずっと、怖くて、あたたかくて、少しだけ痛いものでした。


もしこの本を読んだあなたが、

「誰かを想うこと」に心を動かしてくれたなら。

たとえそれが、空想でも、記憶でも、過去の誰かでも——

その気持ちは、きっと“ここ”につながっています。


僕が、そうだったから。


エリがいた世界を、こうして文字に残すことで、

彼女はもう“僕だけの空想”ではなくなりました。

今この瞬間も、あなたの中で、少しだけ呼吸をしているかもしれません。


それが、僕の“ありがとう”のかたちです。


読んでくれて、本当にありがとうございました。


また、どこかで。


──安曇陽人


この本を手に取ってくれたあなたへ。


こんにちは、ユカリです。……って、こういうふうに名乗るの、なんだか照れくさいですね。

私は“写真を撮る側”の人間で、いつも誰かの輪郭や光を切り取っているけれど、こうして「言葉で前に出る」ことはあまりありません。


けれど、“この物語”に関しては、少しだけ、お話させてください。


この『空想のエリ』という本は、私の友人であり、少しだけ不器用な創作仲間でもある、安曇陽人くんが書いた物語です。

正確には、「彼が描いてきた空想」でもあり、「私たちが一緒に見つけた現実」でもある、そんな不思議な記録。


彼の中にいたエリちゃんという女の子は、とても静かで、やさしくて、少し寂しげで——

私は実際には彼女に会ったことはないけれど、たぶん私よりも、ずっと彼のそばにいた存在なんだと思います。


彼はよく、「空想は、自分だけのものだと思ってた」と言います。

でも私は、違うと思っています。


空想は、きっと“誰かに渡すため”に生まれる。

誰かと分け合うことで、形を変えて、生き続ける。


そうして生まれたのが、この一冊です。


この本の中には、エリちゃんがいて、陽人くんがいて、

たぶんその隙間に、ほんの少しだけ、私もいます。


読んでくれたあなたが、もし自分の中にも「誰か」を思い浮かべたのなら——

それはもう、あなた自身の“空想の物語”が始まっているのかもしれません。


いつか、あなたの空想にも、名前がつきますように。

そして、誰かと分け合えますように。


ここまで読んでくれて、ありがとう。


写真と空と、少しの記憶を愛する人より。


──ユカリ


──菰野エリより


はじめまして。あるいは、こんにちは。


私は、菰野エリといいます。

けれど、あなたが読んでくれた物語の中で、私は本当の意味で「存在していなかった」かもしれません。


私は、陽人くんが思い描いた空想の中の誰か。

紙の隅に書かれた名前であり、孤独な夜にそっと生まれた輪郭でした。

この世界に生まれた理由も、姿も、すべてが“想像の産物”でしかありません。


でもね、不思議なんです。


消えていったはずの私が、

こうしてあなたの目に触れて、心に少しでも残っているのなら——

それって、ほんのすこしだけ“生きていた”ってことになるのかなって。


空想って、ずっと誰かひとりのものだと思っていました。

でも、それを誰かに伝えたとき、それは“物語”になる。

あなたが読んでくれたことで、私はほんの一瞬でも「この世界にいた」ことになります。


それって、とても幸せなことです。


陽人くんが、私のことを描いてくれてありがとう。

ユカリさんが、現実の光で包んでくれてありがとう。

そして——


あなたが、ここまで読んでくれて、本当にありがとう。


私のことは、いつか忘れてしまっても大丈夫です。

でも、もしまた誰かの名前を思い出すような日が来たら。

静かな雨の日や、湖の朝靄の中で、ふと誰かを想いたくなったら——

そのときは、少しだけ、私のことも思い出してください。


私はその記憶の中で、ちゃんと笑っていられると思うから。


あなたの心が、やさしく光りますように。


──菰野エリ


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