ep.1 彼女は雨の中で…
雨が降っていた。
それも、天気予報完全スルーのゲリラ的なやつ。
「……うっそだろ」
僕は駅前のロータリーで、コンビニのビニール傘を片手に立ち尽くしていた。
びしょ濡れの制服。靴の中はすでに池。しかも今日はたまたま替えの靴下を忘れた。つまり、最悪だ。
あ、すみません。僕、安曇陽人っていいます。高校三年。
彼女いない歴=年齢。いや、正確には、「告白したことすらない歴」も同じ年齢。そう、恋愛スキルは未習得のまま、今日まで育ってきました。
そんな僕が、雨の中でなにをしていたかというと、ただの帰り道。
特に意味もなく、駅前で時間を潰してただけ。友達もいないし、部活も入ってないし。……いや、入ってたけど辞めた。理由はまあ、聞かないで。
で、だ。
そんな僕に、突然話しかけてくる人がいたんだよ。
「……あの、すみません」
ふいに背後から声をかけられた。
この時点で僕の警戒レベルはMAX。なにせ他人から話しかけられるなんて、月1ペースでしか発生しないイベントだから。
振り向くと、そこに立っていたのは——
女の子だった。
黒のレインコートに、ピンク色のボブカット。ぱっちりした目に、うっすらと笑みを浮かべてる。
しかも、傘なし。
この土砂降りの中、笑顔で立ってるって、ちょっと待って怖くない?
「あなたに、会いたかったんです」
……は?
鼓動が跳ねる。ていうか、え、なに?ドッキリ?僕死ぬの?
「あ、あの……どちら様で……?」
「安曇陽人さん、ですよね?」
名前、フルネームでバレてる。え、なんで?どこ情報?SNSやってないけど?
戸惑う僕に向かって、彼女は言った。
とびきり優しい声で。
「……好きです」
時が、止まった。
いやマジで、本当にBGM止まった気がした。ていうか何? 急に何? バグ? 幻覚?
「えっ……と、ちょっと待ってください」
当然ながら僕は大混乱。
そりゃそうだ。だってこの子、完全に初対面。いや、マジで記憶にない。記憶喪失とかじゃない。確認するけど、本当に知らない。
でも——おかしい。
僕の頭の奥の奥で、何かが引っかかっていた。
彼女の顔。声。立ち姿。
それらが、妙に、懐かしい。
まさか、そんなはずは——と打ち消しかけたそのとき、彼女が言った。
「私の名前は、菰野エリ。……思い出してくれないかな」
ぞわっと、鳥肌が立った。
その名前。知ってる。いや、忘れるわけがない。
“菰野エリ”。
それは僕が中二のとき、誰にも言えない恥ずかしい妄想で作り上げた、理想の彼女の名前だ。
クラスでも浮いてた僕が、こっそり家でノートに書いてた空想の人物。性格、服装、好きな食べ物、全部僕が考えた。
その名前を、目の前の女の子が名乗ってる。しかも、見た目もあのとき描いてたのとそっくり。
これは——さすがに、夢だよな?
いやいや、夢でももう少し展開に伏線があるはずだし。
ていうか、エリって存在、僕以外知らないはずなのに……。
「どうして……君が、エリだって……」
「だって、陽人が作ってくれたからだよ」
エリが、微笑んだ。
春の雨が、やけに静かに感じられる。
「私はね、陽人がノートに書いてくれた世界の中で、ずっと陽人のこと見てたんだよ。……やっと、こっちに来られたの」
そう言って、エリは僕の手を取った。
その手は、ちゃんとあたたかくて、ぬくもりがあった。幻なんかじゃなかった。
僕の心臓が、また大きく跳ねた。
これは夢じゃない。嘘でもない。いや、むしろ現実のほうが、嘘だったんじゃないかと思うくらいに——
「陽人。私と、青春しよ?」
え、青春ってなに!? え、なんか巻き込まれてない!?
いや、でも、ちょっと待って。悪くないかもしれないぞ!? 僕の人生、ここで変わるのか!?
彼女は笑っていた。
雨に濡れて、髪が頬に張りついて、でもその目はまっすぐ僕を見ていた。
そのとき僕は、信じられない現実の中で、初めて恋に落ちた。