レジスタンスのアジトに潜入せよ
ロンドンはヨーロッパ屈指の大都市と聞いていた通り、途切れる事なく行き交う人々でごった返していた。
「これが世界で最も繁栄した都市、ロンドンの姿か」
黒部の感嘆を後押しするかのように、多種多様な容姿の魔族と人間が、夕暮れの街を行き交う。
ヨーロッパ連合軍を倒した魔族とは、どれほど野蛮な連中なのかと身構えていたが、こうして見ると違うのは外見だけであり、人間と同じ言語でコミュニケーションが取れていることに驚く。
加えて、司法や貨幣を始めとした社会制度も、人間社会の形態をそのまま流用しているようで、混乱や軋轢が生じている様子はない。
「なるほどな。だが、そんな事はどうでもよいのだ」
視線の先には、鋼鉄製の格子扉に囲われた下水道の入口がぽっかりと口を開け、我々の到来を今や遅しと待ち構えている。
木を隠すには森の中と言うが、アジトの入口がこうも堂々と存在しているとは想像もしていなかった。
「やはり人目が多すぎます。ここは夜まで待った方が良いのでは?」
「もっともな意見だが、今は時間が惜しい。それに見ろ、また別のグループが入っていくぞ」
顎で指した先では、労働者と思われる一団が談笑しながら格子扉を開け、誰にも引き留められる事なく姿を消していく。
注目すべきは、一団のメンバーが人間と魔族の両方で構成されていたという点だろう。
「魔族は市民と良好な関係を築けているらしいな。人間側は歴史的な敗北を喫したというのに、一体どうなっている?」
「それはロンドンを治めているグリムフォード伯爵の御尽力でしょう」
橋元と黒部が驚いた顔で振り向くと、民間人を装った御船が音もなくカフェの椅子に座っていた。
「い、いつから?」
「お前達が周囲に気を取られていた時から、ずっと背後にいたぞ。この程度の気殺も感知できんのか」
思わず立ち上がって敬礼しようとした黒部を、鋭い視線で制する。
この黒部 巌という男、近接戦闘では頗る頼りになる一方、ときおり軽はずみな行動をしてしまうので困る。
これからレジスタンスのアジトに潜ろうとしているのに、目立つ行動は絶対に避けなければならないのだ。
「ふふっ」
御船はフォーマルな紳士服を身に纏い、挨拶代わりの笑みを浮かべ、羽飾りの付いたトップハットを目深に被り直す。
「それで、準備は済ませてあるのだろうな」
周囲に気付かれぬよう、小声で最終確認を取る。
「ええ、既に別ルートから特務部隊を潜入させています」
「よし、動くぞ」
念の為、周囲の注意を引かぬよう、複数のグループに分かれて行動する。
民間人の中には見知らぬ異邦人の集団に気付き、それなりに警戒する者もいたが、殆どの者は目の前にある酒や、賭けの結果しか興味を示さなかった。
「我々で最後だ。内部は思っていたよりも広い。各自、無用な騒ぎを起こすな。聞いているのか、黒部」
「り、了解であります!」
馬鹿みたいな大声が煉瓦造りの壁に反響し、外まで届いたのではないかと肝を冷やす。
「も、申し訳ありません……」
堪らず吹き出した御船と釣られた部下達を睨みつけ、オイルランプの灯りを頼りに、老朽化の著しい下水道を進む。
案内人である御船を先頭に、途中で出会した数十人もの乞食をすり抜けてアジトを目指す。
内部は縦横無尽に横穴や崩落の跡が存在し、たとえ地図があったとしても、道迷いは避けられないだろう。
「先程から地図も持たず、どうやって道を把握している? まるで自分の庭を歩くように、迷いなく進むではないか」
奴の手にはランプと杖に偽装した軍刀しか持っておらず、地図の類いを見ている様子はない。
「え……えぇ、その……アジトには何度か。それより、また誰かが新しい横穴を掘ったみたいです。底が抜けた床にも御注意ください」
秘匿性の高い場所である為、チョーク等で目印がつけられず、こうして後塵を拝しているのが擬しい。
懐中時計をランプで照らすと、作戦開始から3時間以上経過していた。
ここまで潜ると乞食どころか、人が生活していけるのかも疑わしい程の、劣悪な環境が続く。
「九軍はいつになったら合流するのだ」
「久遠寺さん達は既に、レジスタンスの皆さんと接触されたようです。けど、何か様子が――」
「なに? どうして言い切れる。何の根拠があって――」
ほぼ同時に、下水道の変化に気付く。
それまで歪ながらも馬蹄形を保っていたトンネルが急に拓け、関所を思わせる門と、数名の見張りが立ち塞がる。
「止まれ! ここから先は誰であろうと通す気はない。死にたくなければ消えろ!」