唯一の手掛かりを求めて
事前に聞いていた情報によれば、磐座大使は質実剛健で海外活動も経験豊富。
それ故に、滅多に取り乱す者ではないと聞く。
その人がここまで疲弊し、怯えた様子を隠せないというのが現状の全てなのだろう。
「奴等は……魔族は……人間じゃない!」
「大使、ここでは都合がよろしくないかと。執務室で話しましょう」
御船に促された磐座大使は、抱き抱えられるようにして椅子に座るや、真っ白な頭を抱えて項垂れる。
「恐ろしい……。私は自分が見たままの事実を伝えるべきなのか、それすらも判然としないのだ」
「我々もここに来るまでに、街である程度の情報は得ている。貴方の持つ情報を提供してもらいたい」
大使は震える手で葉巻に火をつけようとするが上手くいかず、室内は重苦しい無言と、何度もマッチを擦る不格好な音だけが漂う。
彼はやっとの事で一服を終え、幾分か落ち着きを取り戻すと、焦点の定まらない目で語り始めた。
「ま、魔族が初めて観測されたのは、北欧の永久凍土と呼ばれる未開の地。日ノ本では極一部の者にしか知らされていなかったが、奴等は既に一世紀以上も前から、我々人類と同じ地上に存在していた」
「一世紀だと?」
「そ、そうだ。当初、各国首脳は悪魔を連想させる姿の異民族に警戒していたものの、いつまで経っても中世期程度の文明しか持とうとしない彼らを軽視し、油断しきっていた」
「軍事力は文明レベルに比例する。石器時代と大差ない軍隊が、産業革命を経た最新の軍隊に敵うはずがない」
当然の指摘と思われた俺の言葉を、大使は大袈裟に首を振って否定する。
「マジノ戦線……。わ、私は御船君と共に、ドーバー海峡を越えた戦線の西側で、魔族の軍勢が押し寄せるのを目撃した。表向きは大使の特権を利用した戦場視察だったが、実際にはヨーロッパ各国の軍事的情報を得る絶好の機会だと思ったのだ」
大使は忌まわしい記憶に震え、怯えきっていた。
背後で直立する部下二名の緊張が、振り向かずとも伝わってくる。
「この目で見たというのに、未だ信じられない……。ま、魔族は我々の軍事力を遥かに上回る戦力を有していた! 戦場を蹂躙する鉄の化物、大海原を埋め尽くす巨大な艦船、果ては大空を自由自在に飛び回る乗り物まで!」
「馬鹿を言うな!」
怒号が執務室に轟く。
「産業基盤を持たない連中が、そんな絵空事に等しい軍事力を持っているものか!」
すっかり萎縮してしまった大使に代わり、御船が話の続きを口にする。
「残念ながら事実です。しかも、彼等は説明のつかない力でイナゴを大量に呼び寄せ、天候を急変させて雷や竜巻まで操ってみせました」
「馬鹿馬鹿しい! どうやって天候など操るというのだ。そんな物、偶然に決まっている!」
ついに我慢の限界に達した俺は感情を爆発させ、聞くに堪えない話に見切りをつけようと踵を返した直後、感情を圧し殺した声が響く。
「……天使。あれはそうとしか言いようがない。恐らく、戦場にいた全ての兵士が目撃していたはず。光の大天使が軍を指揮していたのだ」
「失礼ながら、大使は初めての戦場で幻覚を見たのでしょう。今は西暦1840年、由緒ある日ノ本皇紀では2500年の節目を迎える年。その時世において天使などと――」
「断じて! 見間違うはずがなかろう!」
最高級の黒檀で誂えた机を叩き割る勢いで拳を振り下ろし、固く握り締めた指から鮮血が流れ落ちる。
気に掛ける御船を振り払い、大使は一気呵成に捲し立てた。
「私がこうして無事でいられるのも、御船君と九軍のお陰なのだ! あの時、戦場で戦っていた大勢の兵士達がどうやって殺されたのか…何も知らない君に、遠い祖国にいた君に、何が分かるのかね!?」
「大使、落ち着いてください!」
神経質なまでに整えられた頭髪を乱し、息も絶え絶えの男へ向き直る。
「それでも信じられないというのならば、御船君を連れて今晩、ここへ行きたまえ」
差し出された紙片を開くと、そこには区画化された詳細な情報が記されていた。
「これは――ロンドン市街の地図。この赤い目印には何が?」
肺の空気を出しきった大使は肩を震わせ、感極まった様子で最後の言葉を告げる。
「私が秘密裏に匿っているレジスタンスの拠点だ。マジノ戦線が崩壊した後、ヨーロッパでは王公貴族に替わって、魔族の代表者が各国を治めていると聞く。あれから半年、奴等はどういう訳か軍を駐留させ、アジアやアフリカに使者を送って不可侵条約を締結したが……。あれだけの軍事力を持っているのだ。そんな物、あっさりと反故にされてしまうだろう!」
「ここに生き残りが……。それだけ分かれば十分だ」
手にした紙片に火をつけ、御船を一瞥すると執務室を後にした。
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