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プチ炎上


 物産館を二人で見て回る動画は、そこそこの閲覧数が付いた。観光したい人や、カップルチャンネルを見たい人、いろんな層に合致したのだと思う。そこそこと言っても、百を超えたくらいだ。


 歌ってみた動画を上げていた時とは、桁が違う。それなのに、穏やかで反応が楽しみで仕方ない。歌っていた時は、気にしたことがなかったのに。


 夜の海は、相変わらず、落ち着いて静かだ。波が押し寄せて、岩にぶつかり跳ねる。防波堤の上から、海と空が交わってるのを見つめた。


 ちゃぷん。

 ザブーン。


 音に耳を澄ませていれば、俺の胸中は正反対に焦燥が募る。あぐらをかいた足が、ブルブルと震えていた。問題になっていたのは、物産館の後に撮影した一万円チャレンジの動画。


 お土産屋さんの中で、お互い五千円ずつ買い込み、撮影中に食べ切る。予定だった。


 二人してお腹に溜まるものを買ってしまったため、食べきれずに残した。もちろん、捨てることはしなかったし、持ち帰って各々食べたり、会うたびに消費はしている。

 

 今だって、防波堤に座り込んで俺はあたりめをガジガジと噛み締めていた。


 マリンと待ち合わせの時間までは、あと数分ある。それでも、早く来てくれと祈ってしまう。


 最初に気づいたのは、異常な再生数だった。百回を超えるか超えないかだった、再生数が千回を示していた。初めは、お土産って意外に需要があるんだなぁと見ていた。


 全てが間違いではなく、お土産に需要もあったんだけど。


『食べきれていないじゃん』

『もしかして、捨ててる?』


 そんなコメントが書き込まれているのを、見つけた。瞬間、背中から血の気が引いて、凍りつく。マリンに速攻でメッセージを送れば、『見た。SNSにも書かれてるみたーい』とふざけたように返事が来る。


 マリンはあっけらかんと普通のことの様に答えていたけど、俺は気が気じゃなかった。歌をあげていた時の記憶が蘇り、胃の奥がぐうっと締め付けられる。情けない声と共に、胃液だけを吐き出した。


 背中をトンっと叩かれて、振り返ればヒレを手に持ったマリン。そして、俺の手に押し付ける。


「ソウくんは、気にしすぎなんだって」

「いや、だって」

「とりあえず、いいから、これつけて。はい、足あげて」


 あぐらを無理矢理、崩されて足にスポンとヒレを付けられる。立ち上がることも、座り直すこともできずに、足を動かせばビタンビタンのヒレが音を鳴らした。


「よし、海にはいろ」

「は?」

「いいから!」


 俺の両脇に手を突っ込んで、引きずる様に階段に近づいていく。投げ入れられる! と構えれば、マリンはそのまま俺を置いて海に入った。


「ほら、早くしてよ」


 階段を一段一段、お尻で降りれば海にヒレがつく。足を微かに動かせば、ひんやりとした海の雫が頬に飛びかかった。


 待ちきれなくなったマリンが、俺の手をおもいきり引く。


 バシャン。


 大きな音を立てて、海に引き摺り込まれる。顔からダイブしたせいで、鼻に塩水が入った。

 

 慌てて顔を、水面から出して呼吸をする。浮遊力で浮き輪するが、足を塞がれてるせいで動けない。


 マリンは、器用に泳いでいたことを思い出して、尊敬の念を込めて見つめる。教えを乞うてるように勘違いされたらしく、俺の両手を掴んでレクチャーし始めた。


「太ももから足先までくっついてるイメージで、下半身でウェーブするの、わかる? バタ足じゃなくて、うねる感じ」


 抽象的な説明を聞きながら、足を動かしてみる。両足は、バタバタと海を揺らすだけだった。


「人魚ってこう、何魚みたいに全身うねらせて泳ぐでしょ!」


 マリンの説明に、魚の泳ぎ方を思い出す。一旦全身の力を抜いて、浮く。そこから横にして、全身で渦を足の方に押すように体をうねらせた。


「お、うまいじゃん」


 マリンは他人事のように俺の横で、スクロールしながら泳ぐ。一度コツを掴めば、すんなりと進めるようになった。むしろ普通に泳ぐより、優雅に見える気さえする。


「落ち着いた?」


 マリンの声に、パッと顔をあげる。マリンが手で、星を掬ってる最中だった。あまりの美しさに、息が止まる。本当に、人魚がいたら、マリンみたいな姿をしてる気がする。


 炎上のことが、すっかり頭から離れて、呼吸が浅く普通に戻っていた。


「プチ炎上はしちゃったから、しょうがないよねぇ」

「それで、いいのかよ」

「良くも悪くもないけど、どうにもならないでしょ」


 マリンは手の中の星を慈しむように見つめて、唇を緩める。炎上のことなど、一ミリも気にしていないようだった。


 俺はこんなに焦ってるのに、という気持ちも湧いた。でも、焦ったところで、どうにもならないのは確かだ。


「だから、明日、謝罪動画撮ろうか」

「それで収まる、か?」


 謝罪動画という言葉に、胸がぞわりとする。俺たちが悪いわけじゃないのに。だって、無駄にしたわけでもない。俺たちは映像内で食べきれなかっただけで、何一つ捨ててないんだ。


「悪かったことは素直に謝ろう」


 マリンの言葉に、首を横に振る。俺たちに悪かった点は、あったか? そう言いたかった。


「勘違いさせたのは、すみませんでしたって。ちゃんと食べてます。証拠はこれだけど、見た人たちが新しく買ったものがどうかはわからないから、素直に勘違いさせたことに関して謝罪しますって伝えようかなって」


 マリンなりに、しっかりと考えていたらしい。俺はただ焦って、どうしようどうしようと海を見ていただけの間に。マリンの大人な対応に、ため息が出た。


「どうして、そんな割り切れるんだよ」


 俺は、割り切れなかった。悪くないのに、勝手に勘違いしたネットストーカーに燃やされて腹が立った。俺の大事な居場所を奪いやがってと、怒鳴りたくなった。


 でも、それをしたところで、炎上した事実は変わらない。それに、離れていった人たちは帰ってこないだろう。だから、諦めて、耐えて、耐えきれなくなって、逃げ出した。


「えー、だって、多くの人に見てもらうのは、一人に見てもらうためだもん」


 マリンがザプンっと海に、潜り込む。マリンが探しに来た好きな人。その存在の大きさに、心臓がぎゅうっと締め付けられた。


「人魚になっちゃう前に、見つけて欲しいんだ」


 人魚になっちゃう。今までとは違う言い方が、トゲみたいに心に引っかかる。最初は人魚だって言い張ってたくせに、今は、なっちゃう。


 なっちゃう……?


 それでも、そのことよりもその人へ想いを寄せる理由の方が気になってしまった。その人に見てもらうためなら、事実と異なる謝罪も厭わない。


 夏とは言え、ずっと海に浸かっていれば体がふやけて冷えてくる。ブルっと上半身を震わせれば、潜っていたマリンは浮き上がってきて俺の手を取った。


「寒くなってきたね、上がろっ!」


 マリンの唇も、うっすら紫色になってきてる気がする。外が暗いせいで、よくは見えていない。

 階段まで泳いで辿り着き、腹這いで海から出る。濡れた体に、風が吹きつけて、ますます寒く感じた。


 マリンに渡されたタオルで体を拭き取れば、幾分かマシになった。足のヒレを取り去って、階段を登っていく。防波堤の端に二人で、足を投げ出して座る。


 マリンも隣に座り込んで、ブランケットを羽織った。そして、寒そうにしてる俺に気づいて、半分貸してくれる。


「マリンは、どうしてその人を好きになったんだ?」


 答えを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが胸の中で揺れ動く。マリンの好きな人の話なんて、聞きたくない。それでも、そこまでの想いを寄せられる理由は知りたかった。


「えー、おもしろくないよ」

「面白いも、面白くないも、関係なく知りたい」


 素直に口にすれば、マリンは「うーん」と小さく唸る。そして、星空を見上げて、ポツポツと語り出した。


「声がコンプレックスって、言ったでしょう?」

「言ってたな」


 俺は鈴の鳴るような可愛い声だと、思っていたけど。でも、ボイスチェンジャーでわざわざ編集してるくらいのコンプレックスなことも、知ってる。


「学校で、いじめられてたんだよね、私」

「えっ」


 明るくてニコニコと笑うマリンからは想像がつかない言葉に、つい驚いてしまった。マリンは俺の方を向いて、あははっと乾いた声で笑う。痛々しい瞳には、傷ついた感情が浮かんでいた。


「ぶりっこしてる、とか、男好き、とか、言われて嫌われてたんだよね、クラスメイトたちに」


 声だけじゃなく、マリンの人を惹きつける魅力もある気がした。でも、それを言うのは、今は意味がない。だから、黙ったまま相槌をうつ。


「そんな時に男のフリをして、ネットで活動を始めたんだよね。女として見られることが嫌になって」


 しゅんっと眉毛を下げたマリンが、手をぐーぱーぐーぱー握りしめる。思い出したくない記憶かもしれない。それでも、マリンの話が聞きかった。

 

「それは……」

「女だから、男に媚び売ってるとか。男好きだから、声作ってるとか、色々言われるの、しんどくてさ。女じゃなくなりたいって思っちゃったの。でもまぁ、好きな人は男だし、女の自分も好きなんだけど。人間になりたかったんだ、本当は」


 人間になりたかった。少しだけ、気持ちがわかる。男だから、ファンの女の子を弄んだと思われたし、これだから男は、とも何度も言われた。


 人間として見てくれればいいのに、そう願っていた。好きな人は……その当時は居なかったし、恋としてファンの子を見てることはなかった。そういう煩わしさもあったから、わざと歌以外ほとんど何もしていなかった。

 それでも、周りの勝手な想像で炎上してしまったけど。


「で、その人は私に何も言うでもなく寄り添ってくれたんだよね。辛いことをポロッとこぼしちゃったの。そしたら、大丈夫?って一言優しく聞いてくれた」


 大丈夫? の一言に、救われることもある。俺自身が、その事を身をもって体験してた。だから、マリンの気持ちが痛いほどわかる。そして、大丈夫? に詳しく答えたくない気持ちも。


 マリンは、パッと顔を上げて、星空を見上げる。まるで、愛しいものを見つめるような優しい表情になっていた。

 

「そのあとは、私が話さなければ深く聞かないで、普通の雑談みたいなやりとりを続けてくれたの」

「無理に聞き出さず、マリン自身の気持ちを尊重してくれたってことか」


 俺だったら、できるだろうか。俺も、星空を見上げる。チラチラと星が瞬きをして、存在をアピールしていた。


 何も言えないと思って、ただ、普通に接することもあったかもしれない。

 

「そう。深追いもしないで、ただ普通の態度で居てくれた」


 嬉しそうにはにかみながら、思い返しながらマリンはゆっくりと口にする。指折り数えるように。


「歌とか、イラストとか。その時の私の気持ちを楽にしてくれるようなのを、ちょっとずつSNSに投稿してくれて」


 ふぅっと息を細く吐き出して、膝に頬を乗せた。そして、遠くの方にその人を思い浮かべながら、優しい声色で呟く。


「気遣ってくれてるのが、わかったんだよね」


 遠回しな気遣いに、救われたってことか。直接、救いの手を差し伸べるだけが、優しさじゃない。

 

 相手も、マリンも、お互いのことが唯一無二の存在だったんだと思う。想像してみて、悔しくて唇を噛み締める。


 入り込む隙間、一ミリもねーじゃん。


 壁があったらきっと、叩いてしまっていた。

 握りしめた拳が、ジンジンと痛む。


「その人が楽しそうに嬉しそうにしてるだけで、私も元気をもらえたんだ。だから、落ち込んでるその人には、元気な私の姿を届けたいんだよね。名前で気づいてくれないかなぁって淡い期待を込めて」


 マリンという名前は、そう珍しくもない気がする。見かけることは多々あったし。

 

「マリン……?」

「本名じゃないの、マリンって」


 マリンの告白に、ちょっとだけびっくりした。あまりにも名前が馴染んでいるから、本名だと思い込んでいた。


「そうだったんだ」

「まぁ、マリンって名前もたくさんいるから、気づいてくれるかは賭けだけどね」


 にししといつもの、笑顔を見せるマリンに、胸が掴まれた。呼吸がうまくできず、ヒューっと喉が微かに鳴る。恋か、どうかは、答えられないけど、俺の中でマリンはもう特別な人になっていた。


 ふと、一番最初に会った時の話を思い出す。

 

「その人は、鶴岡の人なの?」

「気持ち悪いことを言うけど、引かない?」

「引かねーよ」


 引かないと言ったのに、マリンは言いづらそうに口をもごもごさせる。黙ってマリンの言葉を待てば、膝を抱えてうずくまり始めた。


「……の!」

「な、なに?」


 掠れた声で、語尾しか聞き取れない。聞き返せば、マリンは目だけこちらに向けて、じいっと俺を見上げる。


「投稿してた写真に映ってたの」

「鶴岡のものが?」

「由良海岸」


 あー、っと頷きたくなる。俺も学校が半休の時に、行ったことがあるな。赤い橋が特徴的だから、一目見れば確かにわかってしまう。


「でも、旅行とかだったかもしれねーじゃん」

「それはない! 学校が半休だからって書いてたから」


 鶴岡の男子学生、あるあるなのかもしれない。まぁ、暇を持て余したらここら辺の人間は、海に行こうぜってなるから。それだけで、相手が誰かを探るのは難しい。


「気持ち悪いでしょ。まるでストーカーみたい。心配して勝手に地元にまで来て……」


 恥ずかしそうにどんどん、声は小さくなっていく。そして、顔を膝に完全に埋めて、マリンは黙り込んでしまった。


「俺だったら、嬉しいよ!」


 心の底から、本当にそう思う。そこまで一途に、マリンから思われることが羨ましい。一方的な押し付けじゃなく、思いから会いに来てくれることが。

 俺だったら、多分、嬉しい。それに、ストーカーというのは……もっと、ジメジメと、心を締め付けてくるものだ。


 一方的に勘違いを起こして、炎上させるようなことをした俺のストーカーと。自分自身をストーカーみたいだ、と恥ずかしがるマリンを比べてしまう。マリンは押し付けたくないけど、心配でここまで会いに来た。


 そんなストーカーなら、大歓迎だろ。

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